Afterリディア 決意の杯
一体此処は何処だろうか。真っ暗で何も見えない上に、何も聞こえない。体の感覚も曖昧で、動かす事すらも叶わない。何となくそこにあると分かるだけだ。
そう言えば、絶対零度空間の中に放り込まれたのだったか。それで体表面組織その他が死滅して、その結果五感がほぼ無くなっている訳だ。普通の活性魔法では治療も出来ないだろうし、放置されているのだろう。
そこまで分かれば後は簡単だ。回復していた魔力を体中に廻らせ、濃縮して浸透させていく。何時もの痛みが全身に奔ると同時に、感覚がパッと戻って来た。
そして開いた目の先は――
「――何でエルの家の天井なんですかね」
「あ、目が覚めましたか」
此処最近見慣れた木製の天井が見えた直後、視界の横からこれまた見慣れた銀髪の少女が顔を出して来た。最も始めに創られた熾天使にして、魔闘大会の決勝で戦うであろうラスボス、エルネスタだ。
「いやぁ、治療が間に合って良かったです。すぐに結界を張って頭を温めなければ死んでましたね」
「ハァ!? いや、うんまぁそうなるか」
にこやかに語るエルの言葉に一瞬声を荒げ掛けたが、よく考えれば一瞬で空気が個体になるような空間に放り込まれたのだ。エルの対処が無ければ、俺は確実に脳が凍って再生する事無く死んでいただろう。そしてやはりと言うべきか、最後に見たのはエルだったらしい。
「――って魔闘大会どうなった!?」
確か、午後から決勝だった筈だ。慌てて目を窓の方にやれば、既に外は真っ暗になっていた。もしかしなくても、とっくに決勝の時間は過ぎてしまっている。魔闘大会は既に終わってしまっているという事実に、俺は目の前が真っ暗になった。
「決勝なら明日に持ち越しになりましたよ。私とアベルで闘技場を徹底的に破壊したので。今頃頑張って修理してるんじゃないですかね?」
「そ、そうか……って何やってんの!? 俺とレグロの時でさえすぐに直ったのにまだ復旧中とか何やったの!?」
まだ魔闘大会が終わっていない事に一瞬安堵しかけたが、それに続いたエルの言葉に俺は叫んだ。恐らく俺の為に闘技場を破壊したのだろうが、一体何処まで破壊したのかが気になって仕方がない。
何せ、数時間で瓦礫の山を平らに戻してしまう有能な人達が運営にいる筈なのだ。その人達が夜を徹して作業しなければならないほど破壊するとなると、俺には熱水で満たすとか溶岩の海にするとかしか思い付かない。
勿論俺よりも放出系魔法に精通し、経験も豊富なエルとアベルさんの二人ならもっと良い方法があるのだろう。だが、エルは黙って微笑むだけで何も教えてくれなかった。一体どれだけ恐ろしい事をしたんだ……。
「お姉ちゃん? あいつ目ぇ覚ましたの?」
エルの意味深な微笑みに戦々恐々としていると、キッチンの方からリディアさんが顔を出して来た。エプロンを着ておたまを持っている所を見ると、料理をしている最中だったらしい。
「あ、おはよう。全身凍りついてた割には元気じゃない」
「どうもです。活性魔法使いましたから」
「そ、良かった。じゃ、私は夕飯作ってるから」
俺の無事を確認すると、リディアさんは良い匂いがするキッチンの方へ戻っていった。普段より俺に対する態度が柔らかい気がするが、決して俺に気を許したからでは無いだろう。ただ単に、俺をからかっているだけに違いない。
そうでなければ、俺とエルを二人きりにする筈が無い。
「ん? どうしました?」
「え? あぁ、うん。何でもないよ」
目が合ったエルに問い掛けられた瞬間にリディアさんとの会話を思い出し、俺は気恥ずかしくなって目を逸らした。まだエルの事が好きなのかは分からないが、そうなのかも知れないと思うだけで顔が熱くなってしまう。感情は全く理解し難い。
「体は大丈夫ですか? 一応体の芯は凍ってなかったので大丈夫だと思うんですけど……」
「お、おう。大丈夫だ……ぁぅぅう!?」
「熱があるみたいですね。ほら、横になっていて下さい」
突然額を額に押し付けられ、エルの顔が文字通り目と鼻の先に迫って来た。今の俺の顔は茹蛸もビックリなほど真っ赤になっているだろう。そう考えてしまうほど、顔面に大量の血が昇っていくのが分かった。
意識しただけなのに、体が此処まで過剰反応を示すのはいくら何でもおかしい。胸を密着させられても平気になったにも関わらず、顔を近付けられるだけでこれの有様だ。自覚の有無によって此処まで反応が変わるとは思っていなかった。
……自覚の有無って何だよ。俺がエルの事を好きだと自覚したみたいな言い方じゃないか。まだ自覚してねーよ。
それは兎も角として、俺は素直に横になって顔を隠すように布団を引っ張り上げる。とてもじゃないが、こんな恥ずかしい顔は見せられない。早く落ち着かせなければ。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だ。夕飯までには起きるから」
「分かりました。今日はリディアがおうどんを作ってくれるらしいですから、楽しみにしておきましょうか」
そんな事よりおうどん食べたいってか。ハハッ。
驚いた事に、リディアさんが作ったうどんは完全にうどんだった。シコシコとした弾力のある麺に、深い味わいのつゆ。どちらも俺の記憶にあるうどんに限りなく近かった。あまりの美味しさに、三人揃って腹が苦しくなるまで食べてしまった。
その後に風呂を浴びて、現在はのんびりタイムと酒片手に洒落込んでいる最中なのだが――
「にゅぇへへへ……ありゅじぃぃ……」
「一体何が起きているんだ」
酒を飲み始めてから暫くした所で、今まで酔った所を見せた事が無かったエルが潰れた。普段は滅多に使わない表情筋がだらしなく緩んでいる様は新鮮で可愛らしいものの、何故普段は酔わないエルが此処まで酔ったのかと疑問ばかりが湧き出て来る。
そしてその答えは、俺に縋り付いて離れないエルの正面でのんびりと蜂蜜酒を啜っていたリディアさんが握っていた。
「体内の調子を狂わせて強制的に酔わせただけよ。心配する事は無いわ」
「あなたは一体何をしているんですか」
「これでお姉ちゃんの事を気にせず話せるでしょ? ほら、ちょっと寝室まで持ってって」
「鬼か」
何でも無い事のように言うリディアさんにツッコミつつ、腕のロックを外してエルを抱える。そのまま奥のベッドに放り込んで布団を掛け、結ばれている髪を解いて寝苦しくないようにした。
その間、俺はエルが赤らんだ顔でむにゃむにゃと何かを呟く様を見続ける羽目になった。直接的な害は一切無いのだが、精神的な部分にかなりのダメージがある。具体的に言うと、俺の顔の色までエルのようになった。
「だっらしない顔……」
「返す言葉もございません」
気を取り直して席に戻り、蜂蜜酒の入ったコップを飲み干してから新しい酒を注ぐ。何となくバッグの中に入れていた、半分消毒用の蒸留酒だ。濃厚なアルコールの匂いを漂わせるその酒を見て、リディアさんが露骨に顔を顰める。
「何その酒……あんたも潰れる気?」
「この程度の酒を一杯飲んだくらいで潰れやしませんよ。それに、酔わないと上手く話せそうにありませんし」
俺は肩を竦めながらそう言うと、コップの中でゆらゆらと揺らぐその酒を一気に飲み干した。喉から下がカッと熱くなり、鼻の奥から咽せ返るような強いアルコールの匂いが逆流して来た。凄く不味い。うん、これそのまま飲む物じゃないわ。
「うっわ酷い顔」
「返す言葉もございません」
「さっきも聞いたわ」
もう一杯同じ酒っぽい消毒液を飲み干し、酔いが頭まで回るのを待つ。幸いにも今は風呂上り。血行が良くなっている為、比較的速く酔いが回ってくれた。お蔭で考えていた細かい事も全部素っ飛んだ。良い事だ。
良い事? 良い事か。
「……で? 何が聞きたいの?」
俺の準備が整った事を察したのか、今まで黙って蜂蜜酒を飲み続けていたリディアさんが話を振って来た。正直話の取っ掛かりが掴み難かった為、振って来てくれたのはありがたい。
そうだな、まずは――
「何であんな危険な魔法を使ったのかだな」
「確実に勝つ為」
「その為に俺を殺し掛けたと?」
「仕方ないでしょ!? あの状況から攻撃して来るなんて予想出来るか普通!!」
そう言われると、俺も糾弾し辛い。完全に断絶された空間の中から、その空間を伸ばして攻撃して来るとは誰も思わないだろう。初見では回避も儘ならない事は、他ならぬリディアさんが証明している。
それに恐らく、というかほぼ確実に、リディアさんは俺を殺す気は無かっただろう。エルと同じように、俺の魔力が尽きたらすぐに空間を暖めて助けてくれたに違いない。俺が死んだら面倒だし。
それに、確実に殺す為ではなく勝つ為と言ってるし。
「ほ、ほら! 本題に入りなさいよ本題に!」
「はいはい」
今度は消毒液ではなく蜂蜜酒を飲み、顔を真っ赤にしたリディアさんが落ち着きを取り戻すまで僅かに時間を置く。それと同時に小さく深呼吸し、自分の精神を鎮めておく事も忘れない。自分、ヘタレですから。
「……で、俺が何だって?」
「……あんたがお姉ちゃんの事を好きって事。自覚は出来たの?」
「……今一よく分からん。今意識すると心臓がバックンバックンのドッキンドッキンだが、以前はそんな事は無かった筈」
「そう……フフッ」
俺が今までの事を思い出しながら答えると、何を思ったかリディアさんが笑い始める。思わず眉間に眉を寄せると、彼女はクスクス笑いを納めて仏頂面になりながら謝って来た。
「わ、悪かったわね。ちょっと昔を思い出しちゃったのよ」
「昔?」
「そう。ずっと昔、私もあんたと同じで恋した事に気付かなかった事があったの」
それを聞いて、俺はアメリアさんと初めて出会った日にエルから聞いた事を思い出した。遥か昔、リディアさんが女性の心を持った男に恋をしたがそれは叶わず、諦めたという話だ。結構デリケートな話だと思うのだが、まさかリディアさんの方から持ち出して来るとは予想外だ。
でもまぁ、詳細を知っているという事を知らなければそこまでデリケートな話だとは思わないか。リディアさんが感傷に浸るかも知れないけど。
「その経験で、俺がエルに恋をしている事に気付いたと?」
「そうよ。二重の意味で認めたく無かったけどね。でもそろそろ鬱陶しかったのよ。それなのにあんたは全く気付いてないし……!」
眉根を寄せて仏頂面から更に嫌悪を感じさせる表情になったリディアさんは、苛立たしげに空になったコップを机に叩き付けた。恐らく、もどかし過ぎて見ているこっちがイライラしてくるの心理状態に侵されているのだろう。俺も前世ではなった事がある。まさか今世でイライラさせる側になるとは思っていなかったが。
「だから私が勝って嫉妬させようとしたのにこの様よ。しかもまだよく分からないとかぬかしてるし」
「あー……何というか、すまん」
計画を潰した挙句、気付かせたかった事に気付いていないとなればイライラするだろう。俺が何となく申し訳ない気持ちになって誤ると、リディアさんは疲れた表情で手を振った。
「もういいわよ……代わりにヒントを出すから、耳の穴かっぽじってよく聞きなさい」
「はーい」
リディアさんのヒントを聞けば、自分の本当の気持ちに気付けるかも知れない。俺は姿勢を正すと、一言一句聞き漏らすまいと身体強化魔法を掛けた。
「――一度、余計な物全部取っ払って思い返しなさい。あんたがお姉ちゃんをどう思ってるか」
「余計な物?」
「そう、天使も化物も柵も立場も、全部取っ払ってお姉ちゃんという一個人の事だけ。出会った時から今日まで、何があって、どう思ったかを」
つまりリディアさんは、エルという一個人の女性と一緒にいてどうだったかという事を振り返れと言っているのか。確かに、俺はエルが天使である事や俺と一緒にいる理由が監視である事を意識し過ぎていたような気もする。
確かエルと出会ったのは、春にギルドでのんびりとしていた時だ。冒険者登録の後にブラス達に絡まれたのを助け、その後フードを取られ掛けて反射的に投げ飛ばしたんだった。今思えば、第一印象は互いに悪かったように思える。
その後、積極的に交流を図って来る明るいエルに心を絆され掛けた。魔王戦前にエルの態度が演技である事に気付いて一時は険悪になったが、結局魔王戦を通して改善された。その頃からエルは演技を止め、俺を積極的に誘惑するようになった。
そして今に至る訳だが、何だかんだ言ってエルとのやり取りを楽しんでいた気がする。度々してくる誘惑には辟易していたが、普段の掛け合いは楽しかったし、戦いの最中に何度も助けられた。
何よりも、エルの隣はとても居心地が良かった。そこにいれば、エルが無表情で話し掛けて来てくれた。和食を作ろうとした時は一緒に試行錯誤した。共に戦う時は、凛としたその姿に安心して背中を預けられた。そして、時折見せるエルらしからぬ表情や仕草に心を乱された。
「――あ」
そうだ、俺は心を乱されていたではないか。誘惑された時だけでは無く、ただ笑い掛けられただけで心臓が暴れだした事もあった。言動に赤面した事だってある。嫉妬しているエルを可愛いと思った事もある。そんな事があったのは、生まれてから数えてもエルに対してだけだ。
そこまで考え付いた途端、一気に顔が熱くなって心臓が暴れだした。今日何度目かの胸が苦しくなるようなこの感覚だが、もしかしてこの感覚が恋をした証なのか? え? マジで? この感覚、結構前にもあったんだけど。ふぁ?
……ふぅ。
「……分かった?」
俺が百面相しているのをジッと眺めていたリディアさんが、溜息を吐いて漸く落ち着いた俺に問い掛けて来る。それに対して、俺は自分でも複雑と分かる笑みを浮かべた。
「……うん、まぁそうだな。俺はエルの事が好きなんだな」
「気付いたのなら何より。それで、この後はどうするの?」
「どうするか?」
リディアさんの質問に、俺は口角を上げた。俺がこれからどうしたいか?そんな物は既に決まっている。
「あーはいはい戦いたいんでしょ?」
「残念、違う」
分かっているとでも言いたげなリディアさんの言葉に首を振ると、変な物を見るような目で見られた。気持ちは分かるが、あまりにも酷すぎるでしょう、常識的に考えて。俺でも戦闘以外にもやりたい事くらい出来るさ。
俺が戦い以外でやりたい事、それは――
「エルを逆に籠絡する。中々面白そうだろ?」
――籠絡し返して、この胸の苦しみをエルにも味わわせる事だ。
「何それ、馬鹿なんじゃないの?」
「試す価値はあるだろ。エルが籠絡されなかったとしても」
「無駄だと思うけど……まぁいいんじゃない?」
リディアさんは苦笑しながらそう言うと、空のままの俺のコップに蜂蜜酒を注いでくれた。これは、俺がエルを籠絡する事を認めてくれたという事で良いだろう。感謝の意を込めて、俺もリディアさんのコップに蜂蜜酒を注いだ。
「折角なら明日も勝ちなさいよ」
「当然。じゃ、乾杯」
その日、俺達は大きな月が真上に到着するまで飲み続けた。
これは九月中までに第二章完結は無理かもですね……
出来るだけ頑張ります……




