禁忌
俺とエルは今、観客席の一角に設けられている観戦可能な医務室の中で笑いを必死に堪えている。時折我慢できずに噴出してしまうが、我慢していなかったらこの程度では済まないだろう。
そして俺達の前のベッドには、全身に薬を塗りたくられて包帯を巻かれたディオニシオさんが横になっている。その傍らでは、ディオニシオさんの宣言通りに『ディオニシオさんのモノ』となったアメリアさんが、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
「クッククク……『此処で師匠を倒して、力尽くであなたを手に入れて見せます』……ブフッ」
「『師匠の隣に、弟子じゃなくて、一人の男として立つという夢が』なんてのもありましたね……ふっく、ふふふふ」
「あぁぁぁぁぁっ!やめてください!!」
俺達が言葉を真似する毎に悶絶するディオニシオさんだが、表情に対して体はピクリとも動かない。最後にアメリアさんを押し切る為に無茶した所為で、筋繊維がボロボロになっているからだ。恥ずかしさに悶絶しているように見える今も、激しい痛みに悩まされているだろう。
「全く、無茶するんですから……」
「本当であります。まさかあんな事をやらかすとは、アメリアも予想外だったのであります」
「す、すみません……」
俺とアメリアの両方から苦笑交じりに怒られたディオニシオさんは、申し訳無さそうな顔をして謝って来る。全くだと小さく漏らしながら、俺は傍らの回転椅子に腰を下ろした。
あの時、ディオニシオさんは短時間ながら身体強化魔法を濃縮付加した。当然その反動で気が狂いそうな痛みに襲われた筈だが、アメリアさんへの想いでそれに耐えたのだ。凄いと言えば凄いが、一歩間違えれば想い人の前で発狂するという最悪の展開に突入する所だった。
「今後、アレは禁止」
「はい、分かりました。もうこんな痛みは味わいたくないですし……」
「それもあるんだが……」
苦々しい笑みを浮かべるディオニシオさんだが、俺が言いたいのはそこでは無い。別に痛みに悶え苦しもうが精神が壊れなければどうだって良いのだが、それ以上に面倒臭い宗教組織がこの世界にはあるのだから。
「失礼します」
ほら、向こうからやって来た。
扉を開けて入って来たのは、白銀の鎧を着込んだ神殿騎士を四人引き連れた巫女服の女性、クルス様だ。神殿騎士は完全武装でクルス様の前に控えており、敵意も顕わにディオニシオさんを睨み付けている。アメリアさんが腰の刀に手を掛けた。
「何か用で?」
俺は椅子を回転させてクルス様の方を向くと、腕を足を組んでわざと尊大な態度で問い掛ける。案の定神殿騎士達の機嫌が悪くなり、クルス様は片手でそれを制しながら溜息を吐いた。
「レグロ選手を見ていたのなら分かっているでしょう、チコ様」
「あぁ、禁忌の事? ディオニシオさんに用があるんだな、ハイハイ」
「分かっているのなら話は早いです。チコ様とエルネスタ様、アメリア様には席を外して――」
「断る」
言い切る前に言葉を挟み、背を向けてもう話す事は無いと言外に示す。不遜極まりない俺の対応に神殿騎士がいきり立ち、剣を抜いて切先を俺に向けて来た。
創神教の面々が此処に来た理由は、勿論禁忌を犯したディオニシオさんを尋問する為だ。尋問と優しい名前が付いているが、実質は発狂した背教者を断罪という正当化理由の元に処分しに来たに過ぎない。禁忌を犯した者を放っておけば、それに続く者が現れるかも知れないからだ。
創神教としては正しい事をしているのだろう。実際、その活動のお蔭で発狂した人から他の人を守れていたのだろう。そして、禁忌を犯した者は容赦無く断罪するという姿勢を見せる事で、それに続こうとする者を威圧していたのだろう。
俺にとっては至極どうでも良い事だが。
「……理由をお聞かせ願えますか?」
「理由? 必要か?」
「騎士達を納得させる分には必要かと」
友好的に話していた時とは違う、何処か威圧感を感じさせるような低い声。それに答えた瞬間にクルス様の巫女服が擦れる音が無音の室内に響き、騎士達が鎧の鳴る音を立てながらにじり寄って来た。
「理由ねぇ……強いて言うなら、俺がさせたくないからだな」
「それだけですか?」
「あんたは自分の親しい人が殺されようとしているのを黙って見ている事が出来るのか?」
体を動かさぬまま答えれば、背後に迫る騎士の一人が俺の首に剣を突き付けて来た。微かに震える剣先が肉に食い込み、温かい液体の感触が背中に伝う。どうやら、俺を拘束しようとしているらしい。
無言で手を首の後ろに回し、身体強化を濃縮付加しながら剣の刃を握り潰す。手の中で金属が砕ける感触がすると同時に、恐怖に囚われたらしい騎士が叫び声を上げた。
「チコ様……!?それは……!」
クルス様が医務室で始めて動揺の声を上げ、騎士達が慌てて戦闘態勢に入る。俺は剣の破片をその場に捨てると、今にも刀を抜きそうなアメリアさんを片手で制して騎士達と相対した。
「で、俺も禁忌を破ったんだが……どうする?」
「どう……するって……! 拘束しなさい!早く!」
動揺して冷静さを失ったクルス様が叫び、それを受けて騎士達が俺に飛び掛って来る。その顔は恐怖で歪んでおり、腰が引けて剣に体重が乗っていない。騎士の癖に情けない奴らだ。
向かって来る騎士達の剣を順に握り潰し、足を払って床に叩き付ける。ついでとばかりに足を踏み砕いてやれば、騎士達は戦意を失って怯えた目で見上げて来るだけになった。
「……これだけか?」
「ひっ……!」
クルス様の方へ目を向けると、彼女は数歩後ずさりしてから一目散に出口へと駆け出した。自分が誰を拘束するように命じたのか、今更気付いたらしい。
「何処へ行くのですか? もうすぐルフィノさんの出番ですよ?」
「キャッ!?」
だが、逃げようとしたクルス様の目の前に何時の間にか移動していたエルが立ち塞がる。ニッコリと人好きのする笑みを浮かべたエルにぶつかったクルス様は尻餅を搗き、そのまま後ろ向きに這いずって俺にぶつかった。
「ひぁぁぁぁっ!!?」
「落ち着け」
俺を見上げて悲鳴を上げるクルス様をつまみ上げ、回転椅子に座らせて窓際に押しやる。ガタガタと震えるクルス様は、なすがままに窓の外の闘技場へと目を向けた。
「いやはや、流石でありますな。あっという間に四人を制圧とは」
「大した事無いですよ。アメリアさんでも同じ事は出来たと思います」
「今の状態では厳しいであります」
ディオニシオさんへの脅威が消えたからか、落ち着いた雰囲気に戻ったアメリアさんが笑顔で話し掛けて来た。その表情には大きく「ザマァミロ」と書かれている。なんだかんだ言って、ディオニシオさんの事が大好きらしい。
「まぁ、魔力が尽きた状態では剣を握りつぶすなんて芸当は出来ませんよね」
出口の方から戻って来たエルが話に加わり、クルス様を俺と挟む位置に立った。魔王殺しの二人に挟まれたクルス様の震えが大きくなり、それを見てアメリアさんが愉快そうに口元を歪める。恐ろしい事だ。
「……あの、この騎士様達はどうするんですか?」
「放っておきましょう。試合が終わったら帰ってもらいますから」
「あの、はい……」
おずおずといった様子で質問して来たディオニシオさんに答えると同時に、闘技場に神殿騎士団長のルフィノさんが入場して来る。自らが最も信頼する者を見て多少持ち直したのか、クルス様は震えながらも俺の方を見上げて来た。
「そ、創神教の巫女たる私の命を聞かず、このような仕打ち……神殿騎士のみならず、創神教全体が……それこそ世界の全てがあなたの敵に回りますよ」
確かに、創神教で一、二を争う影響力を持つ神託を受け取る巫女の命を聞かず、拘束しようとする騎士に抵抗して逆襲、更にこうして実質的な拘束をしたと周囲に露見すれば、俺達は一身に非難を受けて創神教に追われる事になるだろう。全世界に教会という足を持つ創神教が国に一声掛ければ、国ですらも俺達を追う事になる。確かな優越を含んだ目をしているクルス様は、一片の疑いも無くそう信じているらしい。
馬鹿らしい。
「そんな事は一切あり得ない」
「な……!? あなたは創神教を侮り過ぎです! 教会が一声掛ければ、全世界があなたを追うのですよ!?」
「本当にそう思ってるのか?」
「当然です!」
胸を張って言い切ったクルス様に、俺のみならずエルやアメリアさんからも失笑が漏れる。ディオニシオさんも声こそ出していないが、苦笑いだ。クルス様以外は全員理解しているらしい。
「な、何がおかしいのですか!」
「大国を滅ぼす力を持った魔王をも殺した相手を、誰が相手取りたいと思いますか?」
俺の代わりに答えたエルの無機質な目と容赦の無い事実に射抜かれ、クルス様は表情を凍り付かせた。認めたくない物でも目の前に提示されれば、それを認めざるを得なかったらしい。
確かに巫女が声高に叫べば、多くの者が個人で俺達の排斥に動くだろう。だが、教会や国といった組織は動こうとはしない。仮に俺やエルの怒りを買えば、魔王をも超える暴虐を向けられる可能性があるからだ。
国を運営する者がまず考えるのは保身。または自らに利益を齎す、或いは民を守る義務を遂行する為の国体の護持。これらを成す為には、剣聖や震天の魔導師を敵に回す訳には行かないのだ。
教会だってそれは同じ。俺とディオニシオさんに目を瞑り、自重だけ頼んでおけば組織を維持して教えを広める事が出来る。わざわざ手を出して組織を崩壊させる事も無い。例え巫女のクルス様が声高に叫んだとしても、それを狂言だと言って幽閉し、神託を受け取らせる為の道具にするなんて事も厭わないだろう。
「組織は善だけでは成り立ちません。誰かが齎す悪を許容し、出来得る限り制限・管理して黙認しなければ簡単に崩壊します。この場合、悪は私達といった『力を持った背教者』で、制限・管理は私達に敵対されないようにする事、黙認はそのままですね」
「そんな……!創造神様がそんな事をお許しになる筈が……!」
「許していなかったら今頃、世界中の国は滅んでいるでしょうね」
無表情で続けるエルの言葉に打ちひしがれ、クルス様は唇を噛み締めながら俯いた。彼女も教会という一組織の上層に所属している以上、似たような事に覚えがあるのだろう。そしてそれを否定すれば、教会という組織が傾く事も。クルス様も馬鹿では無い筈だ。認めたくないという感情は別として。
というか、創神教という創造神を敬う宗教に背教者扱いされているのが実は神に一番近い位置にいる天使だという事が笑える。決勝の時に事実を知ったら、クルス様の脳内が大変な事になる気がする。
「ま、これから私の妹が……私よりも弱い妹が、あなたが最も信頼しているであろう騎士を相手に実力を見せてくれますよ」
「俺達、魔王殺しに最も近しい実力をね」
腕を組んでディオニシオさんのベッドに腰掛けたエルの言葉を引継ぎ、俺は腕を組んで体勢を崩す。それと同時に外の観客の喧騒が大きくなり、入場口からリディアさんが姿を現した。
悠然と歩くリディアさんの姿は余裕に満ち溢れており、気負いや緊張といった物は一切感じられない。何時も通りの勝気な顔で白銀のツインテールを揺らしている。あと胸。
そして、その後に続いて反対側から入場して来る神殿騎士団長のルフィノさん。此方は騎士らしく格式のある歩き方で中央へと進んで行く。ルフィノさんも、負けるとは微塵も思っていないようだ。
魔王殺しの妹にして、予選で圧倒的な力を見せ付けたリディアさん。途轍もなく巨大な宗教組織の持つ武力である神殿騎士を纏め上げ、シード権を持つルフィノさん。観客にとっては、俺とフェルナンさんの時以上に期待が持てる試合に思えるだろう。
「賭けをするであります」
「成立しないでしょうが」
「ほらそこは、チコがあそこに乱入してパパッと」
突然妙な事を言い始めたアメリアさんのこめかみを拳でグリグリと圧迫する。すると、バタバタと奇声を上げながら暴れるアメリアさんを見て苦笑していたディオニシオさんが、唐突に口を開いた。
「ボクはリディアさんが十秒で勝つのに小銀貨一枚賭けます」
「時間でありますか! 流石ディオニシオであります! アメリアは五秒に小銀貨一枚賭けるのであります!」
「あ、じゃあ私は十三秒に小銀貨一枚賭けます」
「エルもやるの!?」
思わずツッコミを入れた俺に、三つの期待の籠もった視線が突き刺さる。俺は小さく呻くと、仕方無しに賭けに参加することにした。
「……一秒に小銀貨一枚」
「大胆ですねぇ」
俺の予想にエルが感想を述べ、それに追随してディオニシオさんとアメリアさんが頷く。俺達がこうしてルフィノさんを扱き下ろしていても、クルス様は一切身動きせずに――否、顔だけを最後に縋る対象であるルフィノさんに向けて祈るように手を組んでいる。
信頼する騎士なら、きっと魔王殺しの妹にも負けずに俺達を否定してくれる。自分が正しい事を証明してくれると、自分を正しいと決め付けるある種の傲慢さを肯定してくれる騎士の勝利を願っている。
――ルフィノさんを近くに置いていても、彼女の得にはならないだろうに。
そして始まったリディアさんとルフィノさんの試合は、開始一秒でルフィノさんが蒸発するという結果で終了した。
「……ぁ……」
ルフィノさんのアッサリとしすぎた敗北と、示された魔法殺しに近しい力。それを目撃したクルス様が愕然とした表情で小さく声を漏らすのを聞きながら、俺は賭けに負けた三人から小銀貨を徴収した。




