飲み会
イラーナ視点です
ブラスに付き従っていた小者からの報告を受けてチコ君が飛び出していった後、私もすぐに転移で現場へ向かった。冒険者の不始末はその街のギルドマスターが処理するのが道理だし、何よりもブラスがチコ君を怒らせていたとしたら、止められるのは私しかいないからだ。
私も元は冒険者で、SAランクとして活動していた。足に受けた傷が元で百年ほど前に引退したが、放出系魔法なら足が駄目でも普通に使える。そして、チコ君は罪を犯していない身内には決して剣を向けないという確信があった。
だが、私が到着した時には全てが終わっていた。マントを使っていない所為で転移に五分もの時間が掛かった事もあるが、それ以上にチコ君が速く、そして強かった。でもそれは予想していた事に過ぎない。
真に私を驚愕させたのは、転移先にいたチコ君の姿だった。普段は返り血ひとつ浴びる事が無い彼は、右脇腹の衣服を失い、他にも多数の切り傷の痕をその服に残していた。その周りは傷口こそ無いものの、ベッタリと血に濡れている。恐らく、その場所に大きな傷を負った後に治療したのだろう。
チコ君はSSランク冒険者だ。その実力は伊達では無く、先日は室内とは言え二天と持て囃されたクリスまでをも手玉に取っていた。圧倒的な膂力と機動力から、対人戦では最強とも噂されている。
対するブラスという冒険者はDFランク。年齢の割に実力はあるものの、それでもチコ君と比べると天と地ほどの差がある。全ての要素を鑑みても、ブラスがチコ君に手傷を負わせる事が出来るとは思えない。
それでも目の前のチコ君が傷を負った痕があるのは事実。兎も角詳細を把握するべきだと判断した私は黄昏ているチコ君に話しかけた。
「チコ君、何があったの?」
「イラーナさんですか。まぁ見ての通り、ブラスと激戦を繰り広げたんですよ」
真っ直ぐ向いたままのチコ君の視線を追い、そこに映った景色に私は息を呑んだ。恐らく激戦跡であろうそこは、まるで巨獣が暴れた跡のように荒れ果てていた。それはつまり、此処までの惨状を生み出さざるを得ないほど激しい戦いがあったという事だ。
「どうして?ブラスはそこまで強くなかった筈でしょう?」
戸惑いの声が自然と喉を突く。チコ君に怪我の痕がある事も、此処までの破壊を撒き散らす必要があった事も、ブラスが強ければ全て説明が付く。だが、ブラスはチコ君の実力を引き出す実力など微塵も無い筈だ。実力を隠している素振りも無かったし、それは確かな事実の筈。
私の呟きを聞いたチコ君は苦笑し、数人の冒険者や騎士が集まっている場所を指差す。目を凝らしてその場所を見てみると、そこの地面を中心として大きな円形の罅が入っている事に気付いた。そしてその中心には、見覚えのある人物が真っ二つになって転がっている。
「ブラス……?」
「あそこまでやらざるを得ないほど彼は強かったです。最も、その強さは明らかに異常でしたけども」
「説明して」
そして私は、チコ君に何があったかを聞いた。ブラスがチコ君に匹敵する筋力を得ていた事。ほぼ正気を失っていたという事。死んだ筈のチコ君の師匠の剣技を使っていた事。循環系魔法を使った時の魔力が、まるで瘴気のように異質だった事。
チコ君に伝えられた異常の全てに、私は覚えが無かった。筋力を増強させる代わりに精神を蝕む薬はあるが、例えその薬を常人が大量に摂取したとしてもチコ君には遠く及ばない。チコ君の過去の話の通りなら、師匠――つまり剣聖から剣を教わる事は出来ない筈。そして魔力。
「ブラスの魔力は薄い赤色だった筈よ……魔力の変質なんて聞いた事が無いわ」
「それでも実際にあったんです。恐らく外的要因ですが、調査待ちですね」
そう語るチコ君の顔は暗い。そう言えば、チコ君の師匠はインバジオ帝国の戦奴隷だと以前に話していた。そして、その国の非道さも同時に語っていた。チコ君は表面では憎いと言いつつも、所々に師匠を尊敬しているような事を言っていたし、今回の事に思う事があるのかも知れない。何せ、もしもチコ君の師匠の技術を使えるとしたら、それは師匠の死地であるインバジオ帝国だけなのだから。
「……大丈夫?」
「えぇ……セナイダにテオドラさんと旦那さんも無事でしたし、万事解決です。飲みたい気分ですし、戻りましょうか」
「そう……ね。どうせ私も呼び出されるのは明日でしょうし」
「あぁ、それとひとつお願いがあるんですが――」
何時もと変わらない怖い顔でそういったチコ君に同意し、私は最後にお願いを聞いてから転移魔法の制御を始めた。
「チコ!?大丈夫なんですか!?」
「のわっ!?エル!?」
冒険者ギルド内に転移すると、腰が回復したらしいエルちゃんがチコ君に詰め寄った。素肌が剥き出しになっている場所をぺたぺたと触り、まだ固まりきらない血をせっせと拭っている。拭われているチコ君はタジタジとしているが、拒否はしていない。二人がいちゃこらしている間に、私は酒場の席を確保した。
「どんなに言い寄られても拒否していたチコさんが……」
「いちゃこらしてる……」
「夫婦か……」
唖然としている冒険者達の声を、エルフ特有の鋭敏な耳が捉える。確かにチコ君は今まで貴族令嬢や冒険者の女性からの誘惑を全て撥ね退けてきた。チコ君本人によれば、打算が見え見えの相手とは一緒になりたくないとの事だった。私だって同じ立場だったらそう思う。まぁ、今は旦那がいるからその考えとは無縁になれているけど。
それにしても、あの二人は本当に仲が良い。特に、一緒に依頼から帰って来てからそれは顕著になっている兆候がある。一緒にセーフハウス辺りで寝た事で互いの距離が縮まったのだろう。気になる事はあるが、チコ君なら問題無い。多分。
そうこうしている内にエルちゃんを宥め終わったらしく、二人が連れ立って私のいる席に着いた。私は給仕の子にシードルを頼んだ。主にチコ君がかなり飲む為、最初は酒精が控えめの物で行く。チコ君はウイスキーの水割り、エルちゃんは蜂蜜酒を注文した。
「「「 乾杯 」」」
怯える給仕の子によって目の前に置かれたグラスを手に取り、三人で軽く打ち鳴らす。琥珀色の液体を喉に流し込むと、スッキリした甘味と酸味が舌の上を駆け巡った。酒に煩い冒険者達を相手にしているだけあって、此処の酒の品質はかなり高い。チコ君も満足そうに喉を鳴らし、エルちゃんはほっこりと息を吐いた。
「お酒は初めてなんですが、結構美味しいですね」
「蜂蜜酒は飲みやすいですからね。エルは子供舌みたいですし、そっちの方があってるかもしれません」
「子供って何ですか!!」
「ほほう。大人と言うなら飲めますよね?これ」
ほっこりしていたエルちゃんが噛み付き、チコ君は悪戯っぽいむっつり顔で持っているグラスを揺らした。挑発されたエルちゃんは「当然です!」と言ってグラスを奪い取り、早速口へと運んでいる。私はこの後に起こるであろう惨事に備え、ハンカチを用意した。
「――ッ!ごほごほっ!」
「あらあら、子供舌のエルちゃんにウイスキーはまだ早いわね」
私は予想通り噴出したエルちゃんの周りを拭きつつ、顔をニヤけさせながらからかう。顔を真っ赤にしたエルちゃんは「私はまだ本気を出してないだけなんです!」と叫んでからもう一度ウイスキーを口に含み、凄い顔をしながら何とかそれを飲みこんだ。
「――……うぇぇ……」
「やっぱりまだエルには早いですね。大人しく蜂蜜酒で口直しをした方がいいですよ」
「そうします……うぅ、チコは酒豪なんですね……」
「そんな事無いです」
「嘘ね」
酒豪である事を否定したチコ君にすかさず突っ込みを入れる。見事に顔を引き攣らせたチコ君が黙っているようにジェスチャーをして来るが、知った事じゃない。私は面白くなりそうな方向へ場を導く。
「エルちゃん、騙されちゃ駄目よ。この子、飲む時は理性を失くすまで飲むから食べられちゃうわよ」
「はわわ!?私食べられちゃうんですか!?」
「イラーナさん、彼女分かってないですよ」
私は性的な意味で食べられると言ったのだが、エルちゃんは物理的な意味と受け取ったらしい。顔を真っ青にするエルちゃんを見て、チコ君が表情を変えずに言った。
「この調子だと、別にヤってはないようね……」
「ヤりませんよ。ヤるならもっと大きい人が良いです」
「何の話ですか?」
下ネタに付いて行けず、首を傾げるエルちゃん。チコ君は手を振って話を終わらせようとしたが、此処で私の第六感が発動した。此処は「大きい」の意味をエルちゃんに教えて上げた方が面白い展開になりそうだと。
面白そうな匂いに自然と頬が吊り上る。私から漏れ出る気配を察知したのか、チコ君が慌てて口を塞ごうとするが、面白そうな物を前にした私に敵はいない。チコ君の手を避けてエルちゃんの横に顔を出した私は、可愛い耳に口を寄せた。
「(エルちゃん、大きいっていうのはね……胸やお尻の事なのよ)」
「(そうなんですか?でもやるって何の事なんですか?)」
まさか粗暴な輩が多い冒険者になったエルちゃんが、ヤるという単語を知らないとは思っていなかった。悪い奴に騙される娘っ子の典型だ。チコ君がいれば王都の冒険者は手を出さないが、余所者が知らずに手を出す可能性がある。
知らない事は大事故へと繋がる。怒り狂ったチコ君にギルドが滅茶苦茶にされる光景を幻視した私は、この場におけるチコ君の安全と、エルちゃんの純粋無垢な心を汚す選択をした。
「(ヤるって言うのはね……つまり性行為よ!)」
「ふぇぁっ!!??」
「待てイラーナさん、何を吹き込んだ」
顔を真っ赤にして跳ねたエルちゃんを見て慌てたチコ君が、丁寧な口調を忘れて私に詰め寄る。私はサッと顔を逸らすと、チラリとエルちゃんの方を見た。流石に性行為という単語が何を示しているのかは知っているらしく、さっきの大きいの意味と合わせて噛み砕いているように見える。
「ヤるというのが性行為というのはつまりそういう事で、チコは大きいのが良くて……」
エルちゃんの瞳に、段々と剣呑な光が宿って行く。私はチコ君を逃げられないように拘束すると、目の前で起こるであろう惨事の予感から目を逸らした。
「チコの変態っ!バカっ!どうせ私は小さいですよーっ!!」
「待ってエル!股間に蹴りを喰らわせようとするのはやめアッー!!」
その日、私は始めてチコ君の本気の悲鳴を聞いた。
酔いが回って来ると、話題は自然と愚痴へと変わる。その原理は古今東西問わず当て嵌まるようで、私とエルちゃんは今、度数の強い酒を多く呷り続けて顔を真っ赤にしたチコ君の愚痴の聞き役になっていた。
「――って女騎士がうるせぇんだ。俺だってタダでこんな力手に入れた訳じゃねぇのにさぁ……」
「それは大変ねぇ」
「(あ、あの……イラーナさん)」
今回の依頼で出会った女性騎士の事を愚痴るチコ君に適当に相槌を打っていると、さっきから反応が無かったエルちゃんが話し掛けて来た。何を聞きたいかは大体分かる。大方、チコ君の変貌について聞きたいのだろう。
「(チコ君は酔うと本性が現れるの。本当はこっちの話し方の方が素だと思うわ)」
「(そうなんですか……それと、その……こんなに酔っちゃって大丈夫なんですか?)」
「そこのぉ、二人ぃ。人の話はちゃんと聞けぇ」
「はいはい」
エルちゃんの言葉に、少しだけ首を傾げて考えてみる。今までの経験上、チコ君の酔いは口調の変化→愚痴→語りの順番で酷くなって行く。今はまだ愚痴で止まっているから大丈夫だと思う。だが、そこでチコ君に視線を戻した私はその考えが誤った物である事を確信した。
「エルぅ……俺は眠いぞぉ……」
「はわぁっ!?チコ、大胆過ぎますっ!?」
あろう事か、チコ君は斜め前に座っていたエルちゃんの膝に頭を乗せ、そのまま寝息を立て始めたのだ。今まで私がどんなに近くにいても絶対にやらなかった事、それがこうして人の前で睡眠を取る事だ。警戒心が人一倍強いチコ君が、人前で無防備な姿を晒す。それは、チコ君がこれまでに無いほど酔っている事に他ならなかった。
「あらら……エルちゃん、懐かれてるわね」
「懐かれてる……ですか?」
「えぇ。チコ君、こうして人に甘えるという経験は……初めてなんじゃないかしら?」
言いながら、以前にチコ君が語ってくれた話を思い出す。この世界とは別の世界に生きていた、というのは信じていない。でも、他の部分は本当だと信じている。そしてそれは、チコ君が幼い頃から親という存在に殆ど甘えていないという事を示している。父とも呼べる師から貰ったのは、剣と技、そして痛みだけなのだから。
「……チコ君、産まれて来てからずっと剣を握らされて、酷い目に遭わされて……それでも狂う事無く生きて来た、精神が途轍もなく強い子だわ。でも、その力を恐れられて、チコ君自身も周りをあまり信じようとしなくて……だから私が心の拠り所になろうと思ってたんだけど、エルちゃんに抜かされちゃったわ」
「……そんな事、私に話して良いんですか?」
話を聞いて若干暗い顔になったエルちゃんに、私は苦笑した。
「大丈夫よ。チコ君もそのうち話したと思うし……何より、あなたが言わなければバレないわ」
「イラーナさんがそういう人だという事は知ってましたけど……」
今度はエルちゃんが苦笑し、チコ君の頭を撫でる。それに合わせて、チコ君が軽く声を上げながら身動ぎした。エルちゃんの白い手に包まれた黒と灰と白の頭は、チコ君の今までの苦労を表している。此処まで追い詰められるほどの辛い時を過ごして来たのだ。
「そうなると……チコは、優しさをあまり知らないんでしょうか……?」
「……それは分からないわ。でも、チコが優しいのは確かよ」
「そうなんですか?いえ、確かに優しいとは思いますが、それ以上に苛烈と言いますか……」
「そうね、そのイメージが普通は先に来るわよね」
人間とは、悪いイメージほど印象に残りやすい生き物だ。長年の経験でその事は知っている。でも、エルちゃんだからこそ、チコ君の優しさを知っていて欲しい。私は深呼吸をすると、続きを話した。
「でもね、チコ君は困った人を決して見捨てられないの。エルちゃんの事もそう。クラウディオさんもそうだし、ベルナベさんだってそう。彼に助けられた人は本当に多い。敵に対しては本当に厳しいけれど、それ以外には物凄く甘いお人好しなのよ」
私の言葉を、エルちゃんは黙って聞いている。俯いて隠された表情からは何も読み取れないが、きっと悪い感情は無いだろう。そんな確信が、私の中にあった。
「だから、どうかチコ君を怖がらないであげて。チコ君は人に怖がられるのを嫌ってるから」
「……私がチコを怖がるなんて、ありえませんよ」
「そう、なら安心ね」
顔を上げたエルちゃんは、慈しむような手でチコ君を撫でながらニッコリと笑った。その笑顔を見て心配は無用だと確信した私も笑みを返す。何も知らないチコ君が、小さく鼻を鳴らした。
「……そろそろ時間ね。今日は私が奢るわ」
「そんな、悪いですよ」
「心配しないで。これでも稼ぎは良いし、何よりエルちゃんへの口止め料も入ってるし」
「……そういう事なら、奢ってもらいます」
私とエルちゃんは悪戯っぽい笑みを交わし、チコ君の頭を椅子の背凭れに預けてから立ち上がる。この後、私はチコ君を寮へ送らなければならない。幸い、チコ君は門限を免除されているようだし、私も自由に出入り出来る。そこまで考えて、私の第六感が発動した。
エルちゃんから死角になる位置に移動し、素早く魔力を練る。転移魔法の目標位置は、以前に少しだけ見せてもらったエルちゃんの家だ。彼女は一人暮らしだから、男が一人転がり込んでも問題無い。
「エルちゃん」
「は……い?ちょっ!?何でチコを背中に乗せるんです!?」
魔力を練り終わった私は、それをチコ君とエルちゃんの周りに移動させる。そしてチコ君を素早くエルちゃんの背中に乗せると、私は自分でも凶悪だと思えるであろう笑みを浮かべた。
「チコ君の事、よろしくね」
「えっ?えっ?……ふぇぁ!?」
その声を最後に、二人の姿は私の蒼い魔力に包まれて見えなくなる。今頃はエルちゃんの家の前に移動して、どうしようか途方に暮れているだろう。チコ君が目覚めたら、エルちゃんの家……これは本当に面白そうだ。
「ふぅ……」
私は深呼吸をして酔いを醒ますと、一言ぽつりと呟いた。
「チコ君の言ってた事、調べなきゃね」




