魔獣学、トラブル付き
窓から侵入して来た担任のベルナベさんは、自分の自己紹介が終わると至極真面目に学園の説明を始めた。平民・貴族の差が無い事やその他諸々沢山あったが、正直興味が無くて聞いていなかった所為で全く覚えていない。エルさんは真面目に聞いていたから、後で重要な部分だけ聞いておこう。
「――てな訳だ!違反行為をすると面倒臭い補修とかする羽目になるからな!絶対するなよ!俺が面倒臭い!」
あくまでも自分の為に生徒に自制を促すというベルナベさん。確かに全世界の教師が思っているだろうが、それを憚る事無く口にするのは少々拙いのではないかと思うが、冒険者はそんな柵に囚われず自分本位に生きる者。つまり、何処までもベルナベさんらしいと言える。
さて、問題はこれからだ。予定ではこの後は魔獣学という魔獣の種類や特性を学ぶ座学だったはずだが、ベルナベさんが大人しく座学をする筈が無い。絶対に外へ飛び出す筈だ。
「よし!次は魔獣学だったな!お前等、動ける格好して外に出ろ!」
ほら、やっぱり。
困惑する生徒達を余所に、ベルナベさんはサッサと教室を出て行ってしまう。当然ながら、座学と聞かされていた生徒達の間に波のように動揺が走った。
「どういう事……?座学じゃないの?」
「噂に違わず、豪胆な人物なり!真に冒険者らしき御仁よ!」
「取り合えず、着替えて向かう方がいいのか?武器もいるかな?」
困惑した声音で言葉を交わしながらおずおずと動き始める生徒達を尻目に、俺はウエストバッグを持って更衣室へ向かう。同じく困惑していたらしいエルさんも、俺が教室を出たのを見て急いで付いて来た。
「あの、あの先生とチコさんって知り合いなんですか?」
「えぇ、まぁ。ベルナベさん、大ベテランの冒険者ですよ。俺に負けず劣らず有名なんですが、知らなかったんですか?」
「知らなかったです。チコさんの事を知ったのも一ヶ月前なので……」
最も有名な冒険者である俺の事を知ったのが一ヶ月前ならば、ベルナベさんの事を知らないのも頷ける。大体の人は、SSランク三人、それに次ぐAランク系統、Bランク系統と来て始めてベルナベさんの名を知るのだ。日陰の人気者、それがベルナベさんの評価だ。
「しかし、俺の事を知らなかったってどんな所にいたんですか?一応この王国全土では結構有名な自覚があったんですけど」
「まぁ、事情がありましてです」
「そうですか」
そう言って笑うエルさんの気配は、相変わらず貼り付けたように薄かった。
「あ、更衣室は此処ですね。それじゃあチコさん、また後で」
「えぇ、また」
男女分かれた更衣室の男側に入り、制服をササッと脱いで何時もの剣聖スタイルに身を包む。どうせベルナベさんの事だから、魔獣を直接見て学ぶとか言って捕獲するつもりだろう。その時に駆り出されるのは、実力があって気安い仲の俺に違いない。今度酒奢らせよう。
剣を取り出して担いでいると、ぞろぞろとAクラスの男子達が入って来る。彼等はフル装備の俺を見て小さく息を呑むと、各々の鞄の中から自分達の着替え――最も良い装備を取り出した。貴族階級の者はサーコートに革の防具、冒険者出身の者は俺と同じ様な軽装備、魔法に自信のある者はローブだ。一人重金属鎧を着込んだ奴がいるが、動けるのか?
彼等が着替えている間に、俺は更衣室を出て教室の方へ足を向ける。Aクラスの教室や更衣室は五階にある為、玄関まで行くのが面倒臭い。ならどうするのか?窓から飛び降りるのだ。
ベルナベさんが入って来てから開けっ放しの窓から顔を出し、下に人が居ないか確認する。玄関前にベルナベさんが立っているが、他に人影は見当たらない。これならば飛び降りて誰かを踏み殺すという最悪なコンボは起こらないだろう。
床を軽く蹴って跳び、空中に身を投げ出す。そのまま姿勢を整え、ハーフコートがバサバサとはためく音を聞きながら落下する。あっという間に近くなった地面に足を向けると、そのまま衝撃を吸収するように着地する。地面の陥没も、此処に俺が落ちた痕跡も無い。パーフェクト。
「やっぱりお前はそっちから来たか」
「面倒だったので」
「だよな!」
そこで同意するのは教師として失格だ。その言葉をグッと飲み込み、俺は真横のベルナベさんに向き直る。気持ちの悪いニヤニヤ笑いを浮かべたベルナベさんは、俺の前に小指を立てた右手を突き出した。
「さっきの子、これか?」
「違います。全く、クラウディオさんと言いあなたと言い、何で皆そう捕らえるんですか」
「宿命だろ。お前も成人したんだし、そろそろ相手を探しとけ。じゃないと俺みたいになるぞ」
「はいはい、大きなお世話です」
傷のある盗賊顔を渋い物に変えたベルナベさんの忠告を軽く受け流す。願望を持ちながら婚期を逃したベルナベさんと違い、俺には最初から結婚願望という物が無い。俺に近付いて来る女性は大概が金目的だし、そんな女性とくっつく気は無いからだ。他の女性は俺の力を恐れて近寄って来ない。
エルさんと俺を繋げているのはそういう感情的な物では無く、俺の一方的な贖罪だ。学証を壊した事で嫌がらせを受けるのを回避する為の物でしかなく、故にそこに色恋沙汰等は存在しない。もしかしたら……という思いもあるが、期待は全くしていないし、実現させる為に動く気も無い。全て成り行き任せだ。
結局、ヘタレという言葉に行き着く気がするのは気の所為では無い。
「相変わらずヘタレてんなぁ」
ベルナベさんはそれだけ言うと、興味を無くしたように玄関へ目を向ける。俺も釣られて目を向ければ、揃いの制服から各々の多種多様な防具へと装いを変えたAクラスの面々が揃って出て来る所だった。
「よぉしお前等、俺に付いて来い!走るぞォ!!」
「「「 えぇぇぇぇ~~!? 」」」
出て来たばかりの生徒達にそう叫んだベルナベさんは、颯爽と身を翻して森の方へと走って行く。俺は大きく溜息を吐くと、慌てて走り出した生徒達に混ざってベルナベさんの後を追った。
「ち、チコさん!ベルナベ先生って何時もあんな感じなんですか!?」
「何時もあんな感じです」
何時の間にか隣に来ていたエルさんの問いに答えながら、周りの生徒達を観察する。流石Aクラスと言うべきか、全員体力はあるようで誰も後れてはいない。驚いた事に、全身鎧を着た生徒まで遅れずに付いて来ていた。寧ろ率先して前を走っていた。
「フハハハハ!貴族たる者、体力も無ければ示しがつかぬぅぅぅッ!!」
コイツ、朝から某言って煩かった奴だ。侯爵家嫡男だし、金髪で線も細かったから軟弱かと思っていたが、全然そんな事は無かったようだ。全身から赤色のオーラを出している所を見ると、身体強化を使っているようだ。それもかなり高効率のだ。俺に近いタイプの人間か。
「賑やかですねぇ……」
エルさんもさり気無く付いて来ている。抱えた時に触れた体には全然筋肉が無かった上に、循環系魔法の適正も一切無い筈だが……。息も乱さずに付いて来れる程の体力を持っていたとは驚きだ。
「良し!此処まででいいぞ!」
そうこうしている内に森の入り口に着いたらしく、前方からベルナベさんの威勢の良い声が聞こえた。それと同時に、大半の生徒達が荒い息を吐きながら倒れこむ。普通に立っているのは、全身鎧と数人の冒険者出身の生徒、そして俺とエルさんだけだ。だが、校舎から此処までは結構離れている上に、ベルナベさんのペースは相当速かった。此処で倒れても文句は言えない。
「何だお前等、軟弱だな」
「先生、ペース上げすぎです。全員が冒険者じゃないんですから」
「お、おう。済まねぇ」
やはりベルナベさんは先生に向いていない……。
「それは兎も角だ!早速授業を始めるぞ!まずは基本的な小型魔獣からだ!」
気を取り直して叫んだベルナベさんは、近くの茂みの中へ無造作に手を伸ばした。そしてその中に隠れていた獲物をガッシリと掴むと、無理矢理引きずり出して頭上に掲げる。生徒達に見せ付けるように掲げられた魔獣は、リーフラビットという温厚で大人しい兎の魔獣だ。
「コイツは愛玩用としても有名だな。リーフラビット、耳が植物の葉のようになっている魔獣だ。この耳で草の一部に擬態して生きている。これだけだと動物に見えるが……」
そこで言葉を切ったベルナベさんは、腰からナイフを取り出してリーフラビットの背中を裂いた。鮮血が一部の生徒の悲鳴と共に溢れ出し、地面に滴って赤黒い染みを作る。
「心臓がある筈の位置にこうして魔石がある。これが魔獣の証拠だ。この大きさと純度では屑にしかならんがな」
自然な動作で裂目に指を差し入れたベルナベさんは、小粒程度の緑色の結晶を取り出して全員に見せる。ベルナベさんが持っている物こそが、全ての魔獣が持つ魔力の塊である魔石だ。
「一応肉や毛皮も素材にはなるが、こっちもやはり価値は低い。狩る価値は殆ど無いな」
ベルナベさんは話を締め括ると、手に持ったままのナイフを森の中へと投擲する。近付いて来ていた敵対的な気配の持ち主へ真っ直ぐに向かったそのナイフは、寸分の狂いなく急所に突き立てられ、甲高い断末魔を響かせた。
「今のはFランクのバンディッドスネークだな。茂みに潜んで隙を突き、喰らい付いて毒を注入してくる厄介な魔獣だ。ランクの低い冒険者の死亡原因No.1がコイツだ」
一度森へ入って回収してきたバンディッドスネークを掲げたベルナベさんは、先程までと違って淡々と真面目に解説をしている。それはベテランであるが故に、油断して小型魔獣に命を奪われた小さな冒険者を何度も見ているからだ。そんな事情があるからか、魔獣を語るベルナベさんはどんな時も真剣だ。
そんな空気に当てられて、満身創痍だった生徒達も真剣な面持ちで話を聞いている。隣にいるエルさんや、全身鎧のえ……え……エウヘニオさんも同じ。真面目に聞いていないのは、既に全ての魔獣の特徴を知っている俺だけだろう。表面は取り繕っているが、半分以上聞き流している。
「――てな訳で、対処法としては肌の露出を少なくする事が極めて有効だ。牙は布を貫通出来ないからな。良く覚えておけ。それとチコ」
バンディッドスネークを自前の鞄の中に突っ込んだベルナベさんは、真面目な顔のまま俺に声を掛けて来る。俺は目を見つめ返す事で返答し、ベルナベさんもそれを受けて用件を口にした。
「この後、生徒だけでこの周辺を散策させる。お前はちょっくらこの辺の危険な魔獣を排除しておいてくれ」
「死体はあった方がいいですね?」
「綺麗ならな」
言外に授業に使うのか?という意味を秘めた問いを、ベルナベさんは正しく受け取ってくれた。綺麗な、と付けたのは、俺が剣を使わずに戦った場合、大概の小型魔獣は原型を留めないからだ。圧倒的な破壊力で見事に潰れるのだ。返り血が鬱陶しいから最近はやっていないが。
それは兎も角、ベルナベさんへ了解の頷きを返した俺は、生徒達に見送られながら剣を抜いて森の中へ向かう。気配を探ってみても、そこまで危険は気配は感じられない。凶暴な魔獣と、ランクが高めの魔獣を皆殺しにしておけばいいだろう。
ちなみに、何故王都の壁の内側にある学園の森にこうして魔獣が生息しているのかというと、それはその魔獣達が森無くして生きられぬ種類だからだ。森から出ず、王都へ出て来る事が無いからこそ、こうして学生の訓練や授業に利用されているのだ。
そう、その筈だった。
「……ッ」
魔獣を狩りつつ移動していると、気配を察知出来る限界の距離に、一際大きな反応があった。それもこの森に住む魔獣とは比較にならない程強烈で、強力で、殺気と憎悪に満ちた凶悪な物だ。この森には――王都の壁の内側には存在していてはならない魔獣の気配だ。
「ちょっと拙いな……」
俺の頬を、冷や汗がゆっくりと伝う。気配の質から見るに、今まで何度も戦って来た相手だ。そうでなくでも、この程度の気しか発せない程度の相手であれば、負ける事はほぼありえない。俺の心配はそこではなく、その魔獣の鋭敏な感覚の方にあった。
その魔獣は、狩りをする為に感覚が非常に鋭敏だ。一キロ離れた場所の人間の話し声を平然と察知する程にだ。その魔獣と学生達との距離が、余り離れていない。もしどちらかが動き出せば、魔獣は新たな餌の登場に歓喜して襲い掛かるだろう。
ならば、サッサと不愉快な未来の可能性を排除するまで。
剣を構え直し、地を蹴って加速。凶暴な気配の持ち主の傍まで一気に接近する。
「おいおい、何でコイツが壁の中にいるんだよ……」
言葉としてそう漏らさざるを得ないほど、そこにいた魔獣は凶暴凶悪なモノだった。
灰色の毛皮に覆われた、体高四メートルを数える巨体。鋭く、巨大に発達した剣のような爪。全ての物を貫き通さんとギラギラ輝く牙。真っ赤に染まった鋭い双眼。そのどれもが、目の前に突然現れた俺をターゲットに捉え、警戒していた。
Cランク魔獣・スローターウルフ。単体で一部の巨獣とも肩を並べる強さを持ち、群れになれば街ひとつを容易く滅ぼす、正に虐殺の名にふさわしき魔獣が、王都の壁の中の森でその巨体を揺らした。
「早めに排除しないと、匂いで他の奴等が嗅ぎ付けられちまうな……」
犬や狼の鼻は鋭敏だ。人の匂いを辿る事など朝飯を食べるよりも簡単な事だろう。今動いていないのは、まだ匂いが此処まで漂っていなかったからに過ぎないのだ。
そこまで考えを巡らせた所で、スローターウルフが敵意も顕に唸りながら、飛び掛る構えを見せる。俺もそれに対抗し、剣を肩に担いで鍾馗の構えを取る。
そして一瞬の睨み合い、静寂。それが過ぎ去った瞬間、俺は身体強化を使って地を全力で蹴り、スローターウルフも力強く地を掻いた。
一瞬の交錯。しかし、その差は歴然だ。俺には一切の傷も無く、スローターウルフは俺の剣によって腹を引き裂かれ、断末魔の咆哮を上げている。爪も、牙も、体も、俺を捉えるには稚拙に過ぎるモノでしか無かった。
後ろで横倒しに倒れるスローターウルフを尻目に、剣に付いた血をはらう。何故こんな所にいたのか、何故今まで見つかっていなかったのか、何故街を襲っていないのか。疑問は尽きないが、今は周辺の凶暴な魔獣を狩って安全を確保する事が先決だ。
後で学園長やイラーナさんに相談しようと決め、俺は再び地を蹴って気配を辿り、魔獣狩りを再開した。
☆魔獣図鑑☆
虐殺狼
ランク:C
体高:平均3.5メートル
体重:平均2450キログラム
十頭から二十頭の群れを作って活動する森林に生息する狼型魔獣。巨大な体躯に見合わず俊敏で、障害物の多い森の中を難無く走り抜ける事が出来る。力も強く、特に顎は同ランク帯の巨獣の体表を貫き、骨をも砕く。普段は主に巨獣を狩るが、人間にも積極的に襲い掛かる。昔に街を襲った際、住民をひとり残さず食い散らした事から虐殺狼の名が付いた。
今回チコが遭遇したのはリーダー格の個体。




