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第18話 フランチェスカのお勉強

 ヘンリック・ロリスキーが反逆した。

 三年前から、この辺境伯領の騎士として仕え、今や小隊をまとめる騎士長。

 性格は温和で、正義感が強く、真面目。

 そんな印象の彼が、ヴィンセントを殺そうとするなんてとても信じられない。

 こんなことをするような人じゃなかったと思う。

 戦闘中は、狂ったかのように取り乱したり、怒ったり、普通じゃなかった。


 現在、私とシルヴィア、執事長のセバス、そしてヴィンセントが町の宿屋に集まり、ヘンリックを囲んでいる。

 賊の処遇については当主であるお父様に判断を委ねるとして、合流するまでに私たちがどう動くのかを決める必要があるためだ。

 戦闘中の会話から察するに、騎士の中に協力者が数名紛れ込んでいるはずよ。

 現在はお互いに牽制し合い、従順なふりをしているようだが、その者たちもお咎めなしとはいかないでしょう。


「どういうことか洗いざらい説明してもらうわよ、ヘンリック!」


「……フランチェスカお嬢様、わかりました。私の知っていることであればご説明いたします」


「お嬢様、この変態が正直に答えるとは到底思えません。……というか離れてくださいッ! 妊娠させられてしまいますッ!」


 いや、そんなわけが……。

 もしそんな能力があるのだとしたら、そのアナスタシアとかいうご令嬢は大変なことに……いえ、変なことを考えるのはよしましょう……。


 あわあわと両手を振りながら、私の周りをうろつくシルヴィア。

 私がヘンリックに近付くことを阻止しているよう。

 このメイドは、普段は氷のような澄ました顔をしているくせに、私のことになると、表情をコロコロと変えるのよ。少し意地悪したくなってしまうわ……。

 いや、今はそんなことよりも……。


「どうして素直に話す気になったのかしら……?」


「……私の腕を見てください。もう、アナスタシアお嬢様を抱きしめることができないんです……」


「教会に高額なお布施を納めれば、欠損も癒してくれるそうよ」


「そういうことではないんですよ……。もう、アナスタシアお嬢様が知っているような正義の騎士はどこにもいないんです。腕を治すかどうかではありません」


「それはあなたが選んだ結果ではないのかしら? この襲撃が成功しても、汚した手を拭えるわけじゃないわよ」


 選択したのは自分であるはずなのに、それを嘆くことに違和感を覚えるわ。


「拭えるんですよ。悪を退治するのが勇者なんですから。勇者だけは他人を害しても称賛されるんです。……すごいですよね? だから憧れた。正義であろうとした。優しく真面目であろうとした。それが私の考える理想の勇者だったから。勇者であれば振り向いてもらえると思ったんです。……だけど――」


 彼の心は、多分ずっと前から歪んでいたのでしょうね。

 最初は小さな歪だったのかもしれない。

 その歪が、徐々に大きくなっていき、元の形を忘れてしまうぐらいに時が経ってしまった。

 想い人に振り向いてもらえないことがどんなに辛いことなのかは、まだ今の私にはわからない。彼の痛みのすべてがわかるとは口が裂けても言えないけれど、ほんの一部ぐらいなら想像することはできるわ。


「……負けるはずがなかった。負ける道理もなかった。努力を惜しんだことなど一度もない! でもなんで……なんでだッ! 碌に努力も知らない、他人を虐げて悦に入るような悪鬼にッ……! …………そう、私は負けたんです。悪に屈した時点で勇者ではない。私は勇者ではなかったんです」


 おかしい、狂ってる、歪んでる。

 そう言ってしまうことは簡単だけれども、なんとなくそんな言葉で切り捨てたくなかった。


「……それでも……罪をちゃんと償えば、やり直せるはずよ。そして、想いを伝えるのよ!」


 綺麗ごとなのは、わかってる。

 でも、そうじゃなきゃ、救いがないじゃないのよ。

 歪んでいたとしても、彼が重ねてきた努力や想いは決して嘘じゃなかったんだから。

 とはいえ、犯した罪がなくなるわけではない。

 しっかりと罪を償って、想いを伝えてほしいと思う。

 そのときこそ、本当の勇者になれるのではないかしら。


「やり直せるはずがないッ! 私が犯した罪は貴族の子弟の暗殺ですよ!? 死罪でもおかしくはない! 仮に拘禁刑だったとしても、その間にアナスタシアお嬢様は嫁がれてしまう! ノーフォーク家にも見放され、王家にも……。もうおしまいなんだよッ!!」


 ……王家?


「……ちょっと待ちなさい。今あなた王家って言わなかったかしら?」


「……は、はは、ははは……! そう、そうそうそうなのです……! ……私は、王家から命じられ、ヴァンデルシュタイン家を監視するためにノーフォーク家から送り込まれたスパイなのですよ……」


 ちょっと待って、わからないわ。

 わからないけど重要なことを言っている気がする!

 王家ってどういうことよ……?

 こんなことならもっと真面目にお勉強しておけばよかった!

 なぜ王家から監視されないといけないのよ!


「シルヴィア、どういうこと?」


「……いえ、私にも……。ヴァンデルシュタイン家は王家から信用されていないということではないでしょうか……?」


 戦闘は強いけど、こういうことにはさっぱりだわ!


「セバスっ!」


「はっ! ヴァンデルシュタイン領は、国境を守る砦としての役割と、豊富な魔鋼鉄の鉱脈を抱える土地であり、魔鋼鉄を加工する精錬技術と、交易港を保有する政治的・軍事的な要所となっておりますですじゃ! つまり、王国としても無視できない存在であるということですな」


 なるほど……そうだったのね。初めて知ったわ……。

 私は自分の住んでいる土地のことを何も知らないのね。ちょっと恥ずかしいわ……。

 もう少しお勉強頑張ろうかしら……?


「でもなんでそれが監視されることに繋がるのよ?」


「簡単に言うと、ヴァンデルシュタイン家は力がある、ということです! だから、王家としても警戒しているのでしょう。当家が暴走した時の保険として監視をしていたのでしょうな。国家の安全保障の観点からは、一定の理解はできましょう。とはいえ、監視行為が正当化されることはありませんが」


「そ、そんな……! 王国に信用されていないなんて! どうしてよっ! ……しかも王国が相手ってことは……もう泣き寝入りするしか……」


「そう悲観することはないでしょう。抗議ぐらいはしてみてもいいかもしれませんぞ! そして、賠償をがっぽりと……いえ、なんでもありませぬ……!」


 何か不穏なことを呟いていた気がするが、おそらく気のせいだろう。

 セバスに限ってそんなことはあり得ないわ!


「抗議したからといって、王国に、国を守るためって大義名分を掲げられておしまいじゃないの?」


「ただ、今回の場合は、国が寄越した監視役が問題を起こした。……最大限の配慮を期待できるわけですなっ! うひょ……がっぽりがっぽりですじゃ……! ……ごほん、失礼しました」


 やっぱり、気のせいじゃないかもしれない。

 この執事長、かなりの俗物だわ……。


「だとしても、関与を否定されたらどうするのよ? こっちにはヘンリックの証言しかないわけだし……」


「……さすがはフランお嬢様、鋭いご指摘ですじゃ!」


「えへへ……まあ、それほどでもあるわね……!」


 お勉強で褒められると、こんなにも嬉しいものなのね!


「はぁ……喜んでいるお嬢様……尊い……」


 シルヴィアが私の隣でくねくねと奇妙に体を捩っている。

 まあ、いつものことだ。あとで撫でてあげよう。


「……でも、それならやっぱり泣き寝入りしかないんじゃないの?」


「王国も突き放すようなことはできないはずです。少なくとも、当家に非があるわけではないですからな。国家を守る貴族に対して、国は最低限の礼を尽くす義務があると思いますですじゃ! 貴族としての体面を守るためにも、遺憾の意を示すぐらいはしたほうがいいですな。それに国だけじゃないですぞ。国から命令されたとはいえ、ノーフォーク家に対しても責任があります。これで賠償の確率は二倍に上がりました! お嬢様は算術はお得意ですかな?」


「う……あまり得意ではないけれど、話はわかったわ。だけど、結局のところ相手次第ってことじゃないのよ……」


「そう! その通りですじゃ!」


 やった!うれしい!

 否が応でも頬が緩んでしまう。


「政治というのは、簡単に言うと、私たちと仲良くしたいと思うかどうかが重要なのですじゃ。より具体的に言うと、仲良くしておいたほうが得だと思ってもらえるか。その点でいえば、先ほどもご説明した通り……」


「ヴァンデルシュタイン家は力がある!」


「そうですじゃ! 呑み込みが早くてこのセバス感動しておりますですじゃ……!」


 ふふふ……これで私が当主になってもやっていけそうね……。

 褒められて気分を良くしていると、ヘンリックが口を挟む。

 なによ! 今お勉強の最中なんだから邪魔しないでよね!


「忌々しいノーフォーク家はッ……! ヴィンセント坊ちゃまとアナスタシアお嬢様の婚約を望んでいるのですッ!! ……ですので、関係を悪くするような対応はできないでしょう。王家についても同様でしょうね……」


 ふーん。なるほどね。そういうこと。ふんふん。なーんだ。簡単じゃない!

 私も政治ってやつをできるようになったかもしれないわね!


 とはいえ、そうと分かれば――。


「このことをお父様に報告し、国とノーフォーク家に抗議をしてもらう必要があるわね。そして、この男を牢屋にぶち込んで問題解決よっ! あとは残りのスパイもすべて吐いてもらう必要があるわ! 吐きなさいッ!」


「…………っ」


「お嬢様……先ほどまでの、どんな犯罪者相手でもその心を理解しようとなされる、聖女のような対応はどこへ……ふ、ふぇ……」


「さすが、ヴィンス坊ちゃまの妹君ですな! おほっ! わたくし、ぞくぞくしてきましたぞ!」


 私はちゃんと人の心を持っているし、四六時中醜悪な悪だくみをしているわけではないわ。ヴィンセントと一緒にするんじゃないわよ……!

 彼らの反応に、不満を感じつつも口を開く。


「……自暴自棄になったとはいえ、仲間を裏切るようなことはできないというわけね。でも、隠しておいても何も良いことはない。あなたにとっても、そしてお仲間にとってもね。嘘でも協力的な態度をとっておいたほうが賢いと思うわよ? それに、あなたが捕まった時点で、お仲間も覚悟はしているはずだし、何より、そのお仲間に裏切られたんでしょ? そんな奴ら、かばう必要あるのかしら」


 ほどなくして、ヘンリックはその重い口を開く。


「……カルロス……トムソン……そして、レイナード」


「……ありがとう。……よし、あとはお父様が判断を下せるよう情報を整理して報告するだけよ!」


 さっそく、俯いたまま一言も発しない不気味な兄に声をかけようとしたその時。


「ふざけんじゃぁねぇぞ~!? 僕を裏切ったな……ぁぁあああ!」


 ヴィンセントはまるで酔っ払いのようにヘンリックに絡む。


「ああ、そうです! 裏切りましたッ! だが、お前が……! アナスタシアぁぁあああお嬢様をッ! そそのかしたんだろうッ!!」


 ヘンリックは何か勘違いしている。

 ヴィンセントはただ悪辣なだけでアナスタシアとは何の関係もない。


「ヘンリック! ヴィンセントお兄様は、別にアナスタシアお嬢様をそそのかすようなことはしていないはずよ!」


 いえ……そそのかしていたのかしら……?

 悪辣すぎて、何をしていたとしてもおかしくはないと思ってしまう。


「ああ、そうさ! 僕がやったッ!」


 この男、まさかアナスタシアを!?


「なんだとぉぉおおおお! お、おおおお嬢様をそそのかす奴はこ、こここ殺さなければ! あいつも言ってた!」


 ……あいつ……?


「ヘンリック、あいつって――」


「何か文句あるのかぁぁぁああ!! お前だって何か企んでいるだろうッ!」


 ヴィンセントに私の発言が遮られる。


「……ッ!! 企んでなどいないッ!!」


 ヘンリックは、糾弾していたと思っていた相手に糾弾返しを食らい、酷く狼狽している。


「お前を僕の奴隷とするッ!!」


 え、えええええ!!

 いったいどういう流れでそんなことになるのよッ!


「いや、どういうことですの!?」


 あまりにも突拍子もない宣言にあっけにとられてしまう。

 何か大事なことを確認しようとした気がするのだが、頭から吹っ飛んでしまった。

 ヴィンセントはというと頭を前後に揺らし、前のめりになったところで、ビクンと体を揺らす。

 相変わらず、不気味な男だ……。


「……フガッ! な、何がだ? ……お前が思っていることが答えだ」


 フガ……?いや、私は何も……。

 はっ……!これが貴族の腹の探り合いというやつなのね……!

 そっちがその気なら私だって!


「そうは仰いますが、お兄様! 私の思っていること……それが本当に答えだと言い切れるのかしら……!? そもそも! 私の考えをお兄様ごときに見破れていることが怪しいですわ?」


 ふふん。どうかしら?

 私だってできるのよ。これぐらい!


「ふ、ふん。そんなの簡単だ。もちろん僕の考えに同意しているのだろう……!」


「ハズレ……ですわ、お兄様……。 やっぱり私の考えなんかわかっていないじゃない! お兄様の醜悪な計画など阻止してみせるわっ! そもそも、ヘンリックがやったことを考えればそんなの認められないですわ! それとも彼の問題を放置するというのですか!?」


「問題……? そんな問題は問題ないッ! 無視だ無視! そういうのはな……あんまり掘り返すようなことじゃないんだよ!」


「なぁっ……!? 問題を放置して隠蔽し、その上で隷属を……?」


 いったい何を考えているの?

 王家の監視役を自身の駒にするというの……?

 スパイだったことも、襲撃を先導したことも、他の協力者の名前も吐かせた。

 駒にするどころか、これ以上もうこの男には利用価値がないというのに、なぜ……!

 政治もできるようになった私が見逃していることでもあるの!?


「お父様がそんなこと認めるわけがないですわ!」


「父上も男だ! 多少の問題には目を瞑ってくれるはずだッ!」


 お父様にすべてを報告したうえで、監視を逆に利用するよう進言するというの?

 ……政治は仲良しが基本なのよ!?

 そんなことしたら、王家やノーフォーク家との関係が悪化しかねないわ!

 そんなのお父様が認めるわけない!


 それなのになぜヴィンセントは、そうまでしてヘンリックを手元に置きたがる……?


「い、一体何を企んでいますのッ!!」


「……何も企んでなどいない」


「……ッ!」


 三日月のように歪んだ口元を見て確信した。

 こいつは何かを企んでいる!!


 そうだ……。そうだった! なんで疑問に思わなかった!

 こいつはそもそもこの襲撃を知っていたのよ!?

 だから、最近になって家庭教師なんて雇い、剣を振り回していたんだわ……!

 この時のために……!



『いや、さっきお前が言ってたじゃないか。なんで僕が社交界に参加したのかって。わざわざこんな面倒な催しに、この僕が参加する必要があると思うか?』


『……ッ! ま、まさか……いや、そんなはずは……』


『お、お前は……この状況をあえて作り出した……ということ……? いや、あり得ない。まさか、我々がノーフォーク家の人間と気付いて……?』



 あのときは裏切り者を炙り出すために、わざわざ社交界に参加したと思っていたけれどそれは違うっ!

 この男がそんな殊勝なことをするはずがない!

 もっと醜悪で、歪んだ目的があるはず……! 絶対に暴いてやるわ……!

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