過去に囚われた慎之介
悲劇の運命に翻弄される駒姫様へ、神様がくれたひと時の幸せは
最初で最後の暑い夏の恋だった
慶長4年1月
わたくしは、石田三成をこの刃で討ち果たすため、
伏見の徳川屋敷へと向かいました
道中、都や大坂へ、あるいは国元へと急ぐ早馬や武士が
ひっきりなしに行き交い、その慌ただしさこそが、
時代が転換点を迎えつつある証左
わたくしの心は、その胎動に呼応するように、激しく昂揚しました
都が近づいた時、徳川屋敷へ参る前に、ある場所に立ち寄りました
血に塗れた無念の叫びがこだました、駒姫様が散った三条河原です
三条河原は、もはやあの日の面影すらありませんでした
鉄砲に撃たれ意識が朦朧とする中で見た、
血に染まった惨劇の光景はどこにありません
そこはただ、鴨川の流れのせせらぎの音が心地よく、冬の冷たい風が吹き、
私だけが過去に囚われているかのように、時間は無情にも流れ続けていました
手を合わせているのは、もはやわたくし一人です
『愛しき駒姫様。怨敵・秀吉はすでに世を去りました
まもなく、憎き石田 三成を討ち果たし、必ずや本懐を遂げて
一刻も早くあなた様の元へ参りとうございます』
すると鉛色の空からは、まるで駒姫様のとめどない涙が降り注ぐかのように、
大粒の雨が容赦なく打ち付けてきました
天から『そのような悲しき事。おやめなさい』と聞こえた気がしました
雨粒が地面を叩く音が天からの咎めのように響きます
ですが、神様の思し召しであっても、受け入れることはできません
『たとえ、駒姫様のご命令でも従えませぬ・・・』
そして、結様と出会った伏見の徳川家屋敷に到着しました
人の出入りが激しく、どなたにもご挨拶する間もなく、
屋敷に入ると懐かしいお方がいらっしゃいました
「木俣様。ご無沙汰をしております」
「おぉ、忠頼か。久しぶりじゃのう。成長したのう、今いくつじゃ」
「19になりました」
「おぉそうか、あの時は16じゃったからな、時が経つのは早いのう」
「しかし、木俣様この慌ただしさは如何なされましたか?」
「時が来たということじゃ。お主には働いてもらうぞ。忠頼、よいか」
「はい!そのために志願して参りました」
「そうか、まずは長旅の疲れを取るがよい。わしは夜には戻る故、
また話そうぞ。問いたいこともある」
木俣様もまた、お忙しそうでした
秀吉の死は、まさに家康様にとって天下取りへ向けた好機となりました
この時期の家康様は、来るべき決戦を見据え、
驚くほどの速さで手を打っていきます
有力大名との婚姻を進めて自らの基盤を固め、
石田三成と対立する秀吉子飼いの武闘派武将たちを巧みに
味方につけていきました
これらの動きは、後の関ヶ原の勝敗を決定づけることとなります
家康の周到な準備と迅速な行動こそが、
天下統一をたぐり寄せる大きな布石となったのです
令和で知った歴史通りに時代が動いています
史実通りであれば、ここで石田 三成を討てません
少しばかりの休息を取った後、
三成が通されるであろう部屋や屋敷の作りを調べました
『歴史はおれが変える』はやる気持ちを抑えきれませんでした
夜になり、帰って来られた木俣様に呼ばれました
「忠頼。お主は出世や縁談の話をすべて断っているそうじゃないか
よきお話ばかりと聞く。結様との縁談まで、なぜじゃ?」
「わたくしは、まだ未熟者ですゆえ」
木俣様はわたくしの話を遮り、父上のごとく言われました
徳川屋敷で養生させて頂いた際に、
結様がわたくしの心の支えとなっていたことを木俣様はご存じです
「お主の心はまだ最上家家臣のままか?確かにわしは最上武士の
『義』と『心意気』を忘れるなとは申した
じゃがそれは、武士としての心じゃ
その心を持って安寧な時代をつくるために、家康様、直政様の元で
己の義を尽くせと申したのじゃ」
「はい・・・」
「お主が過去に囚われておるのは分かっておる
三成を斬るために、都へ来たのであろう
だが、直政様がなぜお主を家臣に迎い入れたかをよく考えるのじゃ」
「それは承知いたしております」
「今のお主を見て駒姫様は喜ぶと思うか?」
「思いません・・・ですが、わたくしの心が三成を殺せと申しております!」
「なあ、忠頼。今、三成を斬れば、どうなると思う」
「それは・・・」
「安寧の世が遠のき、またあの戦乱の世に戻ることをお主は望むのか
ようやく家康様に靡いた加藤 清正、福島 正則らは、
元は秀吉子飼いの武将じゃ
家康様が立ったとき、やつらは秀頼側に付くであろう
我らが身を粉にして尽くしてきたことが、お主の私怨によって無になり、
またあの理不尽な戦乱の世に戻るのじゃ
それがお主の望か」
わたくしは何も言い返せませんでした
この身の愚かさと、井伊家臣としての分を弁えぬ身勝手さは、
重々承知いたしております
されど・・・木俣様のお話を聞いてもなお、
わたくしの心は『石田 三成を殺せ』と申しております
その後、わたくしは本来のお役目ではなく、
木俣様の警護役として監視されることになりました
そして、歴史に名を残す稀代の英傑の死が時代を大きく動かしました
前田 利家様の死です。豊臣政権下の五大老のお一人で、
家康様に唯一対抗が出来得るお方であり、
秀吉子飼いの武将たちに、大きな影響力をお持ちの方です
武闘派武将の暴走を制止していた前田様の死は、
時代の変化を一気に加速させました
加藤清正や福島正則、黒田長政ら武闘派武将が石田 三成襲撃を計画し、
実行に移したのです
『駒姫様。時が来ました。わたくしは不忠者です。あなた様の命を破ります』
当作品はフィクションです




