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結様

悲劇の運命に翻弄される駒姫様へ、神様がくれたひと時の幸せは

最初で最後の暑い夏の恋だった

井伊家ご領地の上野国へ来て1年が経ち、

18になったわたくしは、剣術指南のお役目に励み、

出世や縁談のお話を頂くようになりました

どのお話もありがたく、身に余るものでした


ですが、すべてのお話をお断りいたしました

石田三成をこの剣で討ち取るには、

突撃ができる先方隊でなければなりません

駒姫様以外のお方を愛することは出来ません


ただ、わたくしの決意、心を揺るがすお話を頂くことになりました

お世話になっている野中様から結様との縁談のお話を頂いたのです

そのお話は結様のご意志ではなく、

野中家には男子がおらず、野中様のご判断で婿養子として入るものでした


わたくしの出自を考えると、とても光栄なお話です

結様とは、実の姉弟のような関係で過ごさせて頂いておりました

それは令和の世界で駒姫様と過ごした日々のように、

わたくしのそばには必ず、結様がいて寄り添ってくれました

その時間は心を閉ざした孤独なわたくしを癒してくれる唯一のひと時でした


そして、結様のお気持ちに薄々、気付き始めていて

結様を傷付けることに躊躇したわたくしは

返答をしばしお待ちいただくことにしました


いえ、本当は『新たな愛や幸せ』への思いを断ち切ったはずの

わたくしの心が確かに迷いを感じていました


それは、お役目のない日でした

夏の終りが近づき、赤とんぼが飛び、爽やかな風が心地よく吹き

日が陰って来たころです

庭で剣を振っていると結様から話し掛けられました

「慎殿、少しよろしいでしょうか」


婿養子のお話の件だと思いました

「はい」


「慎殿。あの縁談のお話、父上には、わたくしからお断りを

 入れるつもりでおります」

「ですが・・・」


「分かっております。慎殿は今もなお駒姫様を愛していらっしゃる

 そして、目的を果たされたとき、駒姫様のところへ

 行かれるおつもりですね」

結様にすべてを見透かされていました。


「わたくしは、今のままが良いのです。あなた様と共に過ごせる、

 このかけがえのない時間が。縁談を受け入れれば、

 慎殿はきっと、わたくしの前から消えてしまうでしょうから」


その声は震え、結様はわたくしの胸に顔をうずめて、

大粒の涙が私の胸元に染みこんでいきました

そして、か細い声で尋ねました


「もう少しだけ、このままでいさせていただけますか」


どのくらい時間が経ったのでしょうか

わたくしの心が大きく揺れ動くのに十分な時間でした

「結様!」

と、わたくしが言った瞬間、結様はわたくしから離れ、


「わたくしには、婿養子を迎い入れ野中家を守る役目がございます

 慎殿。いえ、守田 忠頼殿、お別れです」

「申し訳ございません」

「謝らないでください。わたくしは、あなた様と会えたことで

 十分でございます」

「結様・・・」


その後、わたくしは野中様がご用意くださった屋敷に住み、

野中家の老いた下女の方に面倒を見ていただくことになりました

屋敷は城から少し離れたところにあり、

近くに川が流れていて夜には蛙の鳴き声が聞こえてきます

山形の実家を思い出しました


そして、この年に秀吉は武将たちの多くの反対を押し切り、

無謀な二度目の朝鮮攻めを行い、

この国は疲弊し、関ヶ原に向けて時代が動き始めました


そんな中、年の暮れに結様はわたくしも知る官兵衛殿と婚姻が決まりました

官兵衛殿は侍大将のお家の次男で井伊家の中でも人望の厚いお方です

『官兵衛殿であれば結様を必ず幸せにできる』

結様のお相手がよきお方で、安堵する気持ちとは別の感情を

わたくしは抱きましたが、

これで結様への未練を断ち切きることができました


翌年の慶長3年の春、結様と官兵衛殿の婚礼が滞りなく執り行われ、

わたくしも列席いたしました

純白の婚礼衣装に身を包んだ結様は、美しく、可憐さがありました

しかし、その潤んだ瞳から溢れる涙は、喜びの色ではなく、

言いようのない哀しみを湛えているようにわたくしからは見えました


周りの人々は祝いの涙と誤解したことでしょう

その光景に胸を締め付けられ、わたくしは耐えきれず、

そっと席を外しました

わたくしは居ない方がいいだろうと思ったからです

これが結様を見る最後の機会になりました


そして、同年9月、怨敵の秀吉が死にました。

この瞬間、歴史は待ったなしに大きく動き始めます

無謀な朝鮮出兵は終わりを告げ、長く異国の地に留め置かれていた

武将たちが次々と帰国してきました

豊臣政権内部では、朝鮮出兵時の査定などで恨みを抱いた

武闘派武将と石田三成ら文治派の間で

抑えきれない亀裂が生じ始めていたのです。


令和で知った歴史では、

その対立が原因で石田三成は徳川屋敷に匿われます

関ヶ原を待たずとも、石田三成を討ち取る絶好の機会を迎えます

徳川屋敷で三成を討ち果たし、自刃する

三成がいなければ、豊臣家はいずれ滅亡します


やっと、駒姫様の元へ行けると心が焦ったわたくしは

伏見の徳川屋敷勤めを志願し、慶長4年1月に再び京の都へと

向かったのです


上野国で結様と過ごした日々のすべての思い出を断ち切り、

駒姫様を追って自刃せず、わたくしが生きる道を選んだ目的を果たすため、


死に場所へと向かったのです

当作品はフィクションです

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