妖精郷
――そこは色とりどりの花が咲く楽園のような風景だった。
何処までも続く花の絨毯の上に『黎明の水禍』メルビレイと『矛盾の使徒』ハマリエルは浮かんでいた。
ボトリと鈍い音がして共に現出したウィルキエルの片腕が落ちる。
ハマリエルはこの空間に飛ばされる前にあの小さな妖精が言ったことを思い出す。
――妖精郷。
セントラル王国の三役、そのうちの妖精族の長たる妖精女王にのみ伝えられる秘伝の術式。
妖精は妖精女王の名においてと言った。
そして術式が起動している以上、あれは妖精女王に他ならない。
深き森に引き籠っていた時代遅れの遺物達を引っ張り出してくるとはあの男は侮れない。
我々の知らないところでここまで力をつけていたとなると今後の情勢に大きく関わってくることとなるだろう。
ハマリエルは確信した。
しかしまず直近の問題としてこの仮想空間ともいうべきこの場所を何とか抜け出さなければそれを誰かに伝えることも出来ない。
「いらっしゃーい」
三つの魔法陣が瞬き、そこから人影が現れる。
ハマリエルにとって忌々しいその者。
『星獣』と『妖精女王』を従え、『盟主』を名乗るその男は軽い口調でハマリエルに告げた。
「はぁ~ん?私達を隔離した程度でぇもう余裕の態度なんてぇ、ちょっと甘く見過ぎなんじゃなぁい?」
「それこそワイらをナメとる証拠やぞ、アバズレ」
ハマリエルの鋭い視線にライヤーはそれでも余裕を崩さない。
最早、勝負は決まっているとでも言いたげな傍若無人とした態度だ。
「さっきまでひーひー言ってたのにぃよくそんな大口が叩けるわねぇ。不愉快よぉ。ブチ壊しなさい、メルビレイ」
メルビレイがそんなライヤーごと空間に穴を開けようと巨大な口腔を開く。
その奥からは煌々と破壊の光が漏れた。
確かに原初の魔物たるメルビレイの全力の一撃をもってすればこの空間の崩壊も不可能ではない。
高まった魔力が溢れ、零れ落ちる。
「もう遅いんや、何もかも」
『世は器。天は虚。満つるは月。注ぐは水。墜ちよ。【月の雫】』
しかしライヤーの口から放たれたのはそんな言葉。
同時にメルビレイの口から迸ろうとしていた膨大な魔力が消え失せる。
それはライナーの隣に佇む深窓の令嬢を思わせる美女によるものだった。
歌うようなリズムで紡がれた詠唱はメルビレイの渾身の一撃を容易に消し去る。
美女は詠唱を終えると冷たい瞳でハマリエルを見据えた。
艶やかな長髪は清廉な流れのように靡き、肌は雪のように白い。
その容姿は何処かサダルスウトに似ている。
「久々の本気モードやな。スウちゃん」
「大規模な術式はこちらの方がやり易いですから」
そう、これこそがサダルスウトの真なる姿であった。
広範囲に影響する大魔法。それこそが彼女の最も得意とする魔法分野である。
変わりに精密な魔法操作は苦手だ。力を抑えねば周りに多大なる被害を齎す。
故にサダルスウトは自らを戒める。
「攻撃を打ち消した程度で何をっ!!なら力づくで――」
「ライヤーも言ったでしょう、もう遅いと。私はこれでも世界で二番目に偉大な魔術師と自負しているのですよ?」
激昂したハマリエルが声を上げたがそれもサダルスウトによって遮られる。
ハマリエルはその言葉の意味が解らず、サダルスウトを睨みつけた。
しかしサダルスウト平然とそれに応え、出来の悪い生徒を導くかのように告げる。
「消えた魔力は何処に行ったと思います?」
「二重詠唱かっ!!」
ハマリエルがその意図に気付き、見上げれば空はいつの間にか燦然と月が輝く。
空には星々はない。これは先程の魔法で作り上げられた副次的な効果だったと今になれば分かる。
夜へと移ろいゆく時間帯であったため、ハマリエルは完全に見逃してしまっていた。
月から何かが零れ落ちる。
目に見えぬそれは光を伴ってメルビレイの体を包み込んだ。
音もなくメルビレイの体が溶け、罅割れ、塵へと変わっていく。
大規模魔法をいくら打ち込んでも平然としていたその巨躯が崩れ去る。
「そん、な」
ハマリエルは共有していた感覚からかの原初の魔物が消失したことを知った。
「これで終幕や」
「まだよ!!せめておまえをっ!!」
無情に告げるライヤーにハマリエルは斬りかかる。
メルビレイを失い、一人も倒すことなく死ぬなど使徒の意義に反する。
翼を打って駆けたハマリエルの一振りは間違いなくこれまでで最高のものだった。
しかしライヤーはそれを容易に弾き飛ばす。
ハマリエルは驚愕に目を見開いた。先程までの動きとは全く違う。
明らかに剣に熟練した者の動きであったからだ。
同時にライヤーは追撃を加える為、宙を蹴った。
それを迎え撃つようにハマリエルは火球を作り出し、放つ。
ライヤーは障壁を張れない。魔法を使えば一瞬といえど時を稼ぐことが出来るはずだった。
「食事や、メイガスキラー」
「オウオウ、待ってたぜェ!」
けれどそれもまた裏目となる。
刀身の半ばでビキビキとノコギリの刃のように割れた剣が魔法を吸い取った。
「切り札は最後まで置いとく主義なんや」
疾風の如く懐に潜り込んだハマリエルの胸を刺し貫く。
純白の羽根が散って、赤い飛沫が舞った。
「く、剣が苦手なんてとんだ嘘吐きね」
「まあワイは嘘吐きやけどそのことに関しては嘘とちゃう。実際ワイの剣の適性は壊滅的や。でもまあ……五百年もあればそれなりにはなるちゅうこっちゃ」
ハマリエルは口から血を吐き出して悪態を吐く。ライヤーはそれに答えながら胸に刺さった剣を抜き去った。
ハマリエルは宙に浮く力を失い、地へと墜ちていく。
ライヤーが止めを刺す為剣を振るう。しかしその体が途中で不意に消えた。
「あんさんを招待した覚えはないんやけどな」
ライヤーは溜息を吐きながら中空を見上げる。
そこにはローブを纏った魔術師然とした男が片腕でハマリエルを抱いて浮かんでいた。
もう片方の腕はライヤーの一撃からハマリエルを守った為に切り裂かれている。
「これにはまだ利用価値がある。悪いが引き取らせてもらう」
男は淡々と言葉を返した。
妖精郷は本来隔絶した空間である。そこに割り込むなど只者ではない。
ライヤーはメイガスキラーを構え直す。
「そう熱くなるな。我が名は『不法の器』アムブリエル。その剣相手ではなかなか相性が悪い。目的はこれの回収だ。争う気はない」
「ゆうたかて結構余裕そうやけどな」
「そんなことはないさ」
言葉とは裏腹にアムブリエルは泰然とした態度を崩さない。
実際、ライヤーやサダルスウトが隙を伺っていたもののそこには一分の隙も見当たらなかった。
それどころか攻撃を仕掛ければ恐らく手痛い反撃を受けるであろう。
「それでは失礼する。――と、そうだ。土産に君の名前を教えてくれないか?」
「ワイは『天を仰ぐ者』が盟主。無色のライヤーってことになっとる」
「成程。覚えておこう」
そう言ってアムブリエルは空間を歪ませ、その中へと消えていく。
空間の歪みがゆっくりと静まった時、ライヤーは止めていた息を吐き出した。
「……まあこんなもんやろ。さて雑魚はかたしたで、クロノ」
花咲き誇る大地に降り立ちライヤーは呟く。
傍らで花弁の翼を持つ小さな鳥が飛び立っていった。




