星火
ハナエルはクロノを追って森へと入っていた。
いや入るという表現は適切ではない。木々を草葉のように掻き分け、その姿はまるで地均しをするブルドーザーのようだ。
「ドゴダァァァァァァァ!」
ハナエルは酷く興奮していた。久しく巡り合えなかった自分の一撃に耐えうる玩具を見つけることが出来たからだ。きっとあれを壊すのは愉しいに違いない。そのことを考えるとどす黒い感情が胸の中で膨らみ、鼓動が高鳴るのを感じる。自然と口元が歪んでしまうのも仕方のない事だろう。
ハナエルにとってのそもそもの本質とは無垢なる破壊なのだから。
それが壊し難ければ壊し難いほどそれを破壊したときの快感は大きくなる。
物を壊すのも十分に愉しいがやはり一番は人を壊すことだ。
ころころと変わる負の感情が底をついて事切れていく様にハナエルは無上の喜びを感じることが出来た。
人の腕を折るのが愉しい。足を千切るのが愉しい。胴体を握り潰すのが愉しい。首を捩じ切るのが愉しい。頭を潰すのが愉しい。人間とは本当に愉快な生き物だとハナエルは思う。
普通であったならば決して気付かなかったであろう。この思いを解放することなく一生を終えたであろう。
しかしそうはならなかった。ハナエルという怪物は目覚めてしまったのだ。
時代が、環境が、そして偶然がハナエルをハナエル足らしめた。
時代が求めたのだ。環境が迫ったのだ。故に偶然を以ってしてそこに必然と怪物は現れた。ハナエルはその偶然に感謝をし、必然として破壊を繰り返す。
狂気を周囲に振り撒くのはハナエルの義務で在ったし、それは信仰に他ならなかった。
義務を行うため、信仰を満たすため。その為にハナエルは人を癒した。
破壊と再生の二律背反がハナエルの中で混ざり合った時、ハナエルの本質は曖昧模糊なる一つにの形として芽吹き、ハナエルは使徒として完成した。
それは理解され得ぬものであろう。本質に矛盾を含んだものなど唾棄すべきに等しい。それは脆いと言い換えてもいいだろう。しかしハナエルの場合は違った。その本質故に強靭であり、それ故に人外であった。
最早それは人の域を出た者、超越者のそれであり、修験者などが言うところの解脱の境地に在った。その有様は酷く歪んでいることに違いはないのだが。
とにかく破壊という領域においてのみハナエルは絶対者だった。
そんなハナエルの前に哀れな人間が一人。銀髪赤目の小さな子羊だ。ハナエルが信仰へと供する神聖なる贄だ。
ハナエルの口元がさらに引き上げられる。体中が火照り、頭の中が鈍器で殴られたかのようにくらくらする。その感覚に耐え切れずハナエルは歓喜の雄叫びを上げた。
ハナエルは破壊の絶対者だった。ハナエルはその時それを疑うことすらしなかった――。
――クロノはタイミングを計って【月駆】を使い、空中に跳び上がった。ハナエルはまだ気付いていない。ハナエルの頭上まで来たところでクロノは【月駆】を解除する。狙うのは奇襲だ。
落下に合わせてクロノは準備していた拘束術式を発動させるため左手をハナエルに向けた。
「拘束術式【占星盤】!」
クロノが叫ぶとハナエルを中心に銀色の文字列が球体に為りながら周りを取り巻く。そこから銀色の閃光が無作為に伸び始め、張り巡らされた鉄糸のように完全にハナエルの動きを封じた。これでハナエルが魔法から逃れる術はない。落下しながらハナエルの眼前を通り過ぎるとハナエルが口を大きく歪めて笑う。あれは絶対の自信がある眼だ。クロノの魔法など耐えきれると思っているのだろう。後悔させてやる。クロノは そう決心し、ぎこちないながらも不敵に笑みを返してやった。
ハナエルが一際大きく雄叫びを上げる。
クロノは再び【月駆】で【占星盤】の効果範囲外まで出て、地面に着地する。魔法に自分自身が巻き込まれないようにだ。【占星盤】の効果時間は短い。 それに今から唱える魔法を使えば【占星盤】と併せてMPの大半を使うこととなる。失敗は許されない。
クロノは息を吸い込み、魔法名を唱える。
「くたばれ!【星火の浄光】!!」
瞬間にハナエルの頭上に燐光を放ち、燃え盛る赤い炎の魔法陣が展開される。そのうち魔法陣を形作っていた炎が徐々に逆巻き始め、魔法陣全体を包み込んだ。赤い蛇のとぐろのような炎は速さを増し、渦巻く。
そして唐突に何かに吸い込まれるようにしてふっと炎が消えた。否、消えたのではない。
空中には松明程の小さな火が灯っていた。目を凝らさなければ気付かない程に小さな火。しかしその内に秘めたエネルギーは膨大なものだった。
水滴を垂らすように天から一条の赤い炎が伸びる。それは釈迦が罪人に垂らしたという糸にも似ていた。
炎がハナエルに当たった瞬間、炎は蛇のように、そして龍のように一気に膨らみ、ハナエルの体を呑み込んだ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
ハナエルの大絶叫が響く。見る見る内にその体は炭化していく。それと同時にクロノ体にも激痛が走った。体中の皮膚を剣山でこそぎ落とされるようだ。体の内部の痛みも尋常ではない。内臓を窯で茹でられているのではないかと思う。
しかしクロノはそんな痛みに呼吸も覚束ないままにハナエルを見る。初めて殺す人と名の付くものをその目に焼き付けるために。
炎の中でハナエルがもがく様は地獄で蠢く亡者そのものだ。燃えながらも強制的に回復しているのだろう。炎の中の影は絶え間なく踊る。
見るに堪えない光景だった。
だが突然それに変化が起こった。
炎の中から何かが飛び出してきたのである。それはハナエルの首だった。そこかしこが炭化し、火が燻り、或いは燃えている。
「アハハハハハハ!すごい!すごいじゃない!まるで地獄絵図ね!なんて素敵なエンターテインメント!貴方凄く才能があるわ!アハハハハハハ!」
場違いな声が響く。ハマリエルが頬を上気させてクロノを見ていた。抑えきれない興奮にだらしなく顔が緩んでいる。
「いい!いいわぁ!!こんなにイイのは久しぶりよぉ!……でもねぇ。今回は相手が悪かったかしら。」
興奮していたハマリエルのトーンが一気に下がる。その顔には再びゾッとするような妖艶な笑みが戻っていた。
ハマリエルの視線の方向に目を向けると飛び出してきたハナエルの首を黒い光が覆っていた。
「そいつ体を全部消し去らないと消えないからぁ。アハハハハハハ!残念ねぇ!さあ絶望する顔を見せてちょうだぁぁい!」
おそらくハナエルは逃げられないと悟り、自分で首を切って炎の外へ投げたのだ。自分の首が再生すると分かっていて。
ハマリエルの笑い声だけが響き渡る。
クロノは視線を落として顔を俯かせる。
「……は、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
そしてクロノは壊れた様に笑い声を上げるのだった――。
――半刻程前、森の中。
森に飛び込んだクロノは走りながらアイテム袋から転生の書を取り出した。
戦いから離脱する意思がないためかハマリエルの【劇的な幕開け】は発動していない。
クロノは転生の書の適当なページを開くとキーワードを唱えた。
「『使用可能な魔法』、『種類』検索!」
一瞬にして転生の書の内容が書き換わり、使用可能な魔法が記載されていく。
『該当件数:一四八件』
――多い!多いよ!アルレシャいつの間にこんなに作成したんだ!こんなにあっても使いこなせないよ!
「追加!『攻撃魔法』、『威力極大』!除外!『範囲大』!」
範囲大を除外したのは裁きの大森林のようなことにならないためである
『該当件数:三件』
――よしっ!これなら!
『該当魔法一覧』
『万象の崩滅』……超重力によって相手を圧殺します。場合によって空間の歪みが発生する恐れがあります。MP消費十万。
『溶解貫通』……星魔法・光魔法の混合魔法です。集束した光によって相手を貫きます。MP消費五万
『星火の浄光』……星魔法・火魔法の混合魔法です。大火力にて相手を攻撃します。MP消費八万。
クロノは溜息を吐きそうになった。MP消費が桁違いだ。いくら『永久の指輪』の補助を受けていると言ってもここまでの魔法をアルレシャが作成しているとは思わなかった。戦闘では消費が大きすぎて使い物にならないだろう。まあこれを発動した時点で全てが終わっているともいえるが……。
しかしこれなら一撃必殺となることは請け合いだろう。
まず【万象の崩滅】はない。空間に影響を与える魔法など論外だ。嫌な予感しかしない。次に【溶解貫通】だが想像するに一点集中型だ。ハナエルを丸ごと消し去れるかというとそれも怪しい。MPの半分を使って倒せなければ明らかに戦況を不利にする。
となれば残るのは【星火の浄光】のみである。選択肢はこれしかないし、この状況においておそらく最善の魔法と言える。相手に回避される可能性については拘束魔法を使用することにする。
【因果の呪鎖】については回復魔法が効かない以上気合いで乗り切るしかない。願わくば一瞬で終わって欲しい――。
「――ハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
「あらぁ?壊れちゃったの?アハハハッ!」
クロノは顔を上げ、ハマリエルを見る。その顔にはしてやったりといった表情が張り付いていた。
「何の策もないままこんなことするわけないだろうが!クソビッチ!」
「なッ!?」
ハマリエルが初めて驚愕の表情を浮かべる。クロノの言葉を受けたハマリエルは振り返り、転がっていたハナエルの首を見る。そこには確かに黒い光に包まれたハナエルの首があった。しかし……、
「火が消えていない?どうして!?回復している筈なのに!」
そう。ハナエルの首で燃えていた炎は消えるどころか徐々に勢いを増し、その首を包もうとしていたのだ。
これが今回のクロノの切り札、【星火の浄光】の効果だった。
【星火の浄光】の恐ろしいのは極大威力の魔法攻撃ではない。その執拗な殲滅能力にある。【星火の浄光】によって発生した火は対象を滅するまで消えることがないのだ。
アルレシャが何故このような魔法を作ったのか末恐ろしくもあるがこの火は相手の生命力に反応して燃えているらしい。これを止めるには作用する術式の核となる部分を破壊することが必要らしく、実質それは不可能だ。故に不滅の火。
ハマリエルはハナエルの首が燃えるのを見て固まっている。
「ゲヒャ!グヒャァ!」
その時、炎に包まれていたハナエルの首が声を上げる。声帯などとうに切り離してしまっているその首がだ。クロノと目が合う。
――首が嗤った。
熱で溶けるかのように目尻がべろりと下がり、裂けた口が歪む。怖気の走るような嗤いだった。いかにも愉しそうに、満足げに、悦びに打ち震えたそんな表情だ。
そして首は炎に包まれた。
クロノは呆然とする。狂人は死の刹那まで狂人であった。そのことにクロノは黙り込むしかなかった。
これは呪いだ。クロノはその姿を一生忘れることが出来ないだろう。それほど衝撃的な光景だった。
「アハッ!アハハハハハハ!訂正するわ!貴方最高よ!アハハハハハハ!」
固まっていたハマリエルが笑い出した。ハナエルの表情を彷彿とさせる嗤いだった。
「あぁ!殺したい!殺したい!殺したい!!貴方に悲劇を与えてあげたい!!」
それはまるで恋する乙女のようであったがその実は酷く醜悪であった。
「でもだめね。観客が増えすぎてしまった。」
急に冷徹ともいえるほど温度の下がったハマリエルの言葉にクロノはハマリエルの視線を追って振り返る。
そこには息を切らせたアルレシャが憤怒の表情で立っていた。




