天使族
『天使界』ここはその名の通り、天使族の者たちが多く住まう世界である。
上空の雲の上には無数の浮島が存在しており、人々はそこで生活している一方、下は全面の
海となっており、魚介類が豊富に獲れる。ここで獲れる魚介類は美味しい事で有名であり、天
使界の特産物となっている。また、世界が繋がってからは、海の広大さ故、水棲の者たちが多
く移り住むようになった上、浮島はこの天使界にしか存在しないため、観光客も多く訪れる。
この天使界の代表者である『大天使』が住んでいるのもこの「大聖堂」である。大聖堂は観
光客も入る事が許されない重要な場所である。
「おかえりなさいませ!カナエル様!」
大聖堂の門の前に立つ二人の門番が寸分の狂い無く、同時に背筋を伸ばして挨拶をする。
「そちらの方は・・・?」
カナエルの後ろに少し怯えた様子の少女がいる事に気が付く。その内の一人、優しそうな顔
立ちの門番がしゃがんで目線を合わせて自己紹介を始める。
「初めまして、お嬢さん。僕の名前はダニエル、で、こっちの怖い顔の男はパウエルって言う
んだ。」
「そうそう、この顔の前では泣く子供もたちまち泣き叫ぶ・・・ってバカヤロウ!そんな紹介の仕
方があるか!」
「ぷぷっ・・・ふふっ」
二人の愉快な掛け合いに、緊張していたラキエルも思わず笑顔になった。
「笑ってくれてありがとうございます。お嬢さん、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「あ、はい、すいません。私はラキエルと申します」
「ラキエル・・・とすると、カナエル様、この子が?」
カナエルは頷く。
「そうですか・・・!それではこれから先、何か困った事があれば仰って下さいね。我々は門番と
して大体はここに居ますから」
「うむ。好きなだけ頼ってくれ」
「はい。その時は是非、頼らせて頂きますね!」
いよいよ門を通り抜け、大聖堂の敷地へと足を踏み入れる。
中には畑が広がっていた。その畑では似つかわぬ給仕服を着た給仕者たちが畑仕事に精を出
している。その手際は素人目に見てもかなり手馴れていると分かる。ラキエルが目を奪われて
いると、
「この大聖堂で出る食事は、基本的にこの大聖堂の畑で作っているものばかりよ。・・・興味があ
るなら、畑仕事、やってみる?」
ラキエルの目がキラキラと輝く。
「はい!是非!お願いします!」
「分かったわ。分かったから、今は中に入りましょう。いろいろと説明したい事があるから」
カナエルは畑ばかりに目を奪われていて一向に前に進まないラキエルを宥め、ようやく大聖
堂の大きな門の前へと辿り着いた。
門を開け、中へ一歩踏み出すと、真正面に非常に大きなステンドグラスが陽の光を受けて眩
く輝いていた。その真ん前にはテーブルがステンドグラスの光を浴びていた。カナエルが椅子
を引いてここに座るように招く。ラキエルはそれに従って座った。
「ふう。じゃあとりあえず、ようこそ、大聖堂へ」
「は、はい。お邪魔・・・します?」
椅子に座って直ぐに給仕者の人がお茶を運んでくる。その紅茶からはとてもいい香りがして
心を落ち着けてくれる。給仕者の人は一言も話す事無くそのまま立ち去っていった。
「ふふ、あなたの知っている給仕者とは違うかしら?」
「あ、えっと・・・ご存知なのですか?」
「ええ、あそこの給仕者は飛び抜けて優秀だしね。それに・・・」
カナエルは紅茶を一口飲む。
「さて、それよりもここで生活するにあたっての注意事項とかを話しておかないとね」
「はい・・・?」
何やら言おうとして飲み込んだ様に見えたラキエルは少し首を傾げる。
「さっきは教育を受けてもらう、なんて言ってたと思うけど、そんな教科書通りの教育なんて
無いのよね」
「それでは何を?」
「まあ、一言で言えば『精神修行』かしら」
はあ。『精神修行』と言われて思い浮かぶものと言えば、座ったままひたすらじっとしてい
たりとか、滝に打たれたりとか、毎日掃除を欠かさずやり続けたりとか。それはそれで楽しそ
うだとラキエルは思った。
「具体的な内容は、そうね・・・畑仕事とか、掃除とか、家事・・・とか?かしら・・・」
何だか今考えている様に伺える。
「あのう、カナエルさん?もしかして・・・」
げふんげふん!わざとらしく咳き込む。
「ところで、あなたは何かやりたいことはある?」
「えっと・・・私は自分の力をもっと上手に使えるようになりたいです!」
「そうだったわね。じゃあ、天使族に関する事も座学で教えてあげないといけないかしらね」
「よろしくお願いします!」
「それじゃあ、まずはあなたのお部屋に案内してあげないとね」
「え!?私の、ですか!?」
「もちろんよ」
ラキエルにとって自分の部屋があると言うのは初めての事だった。期待と不安に苛まれなが
ら遂に自分の部屋だと言う扉の前に立つ。
「自分の好きなタイミングで開けなさい」
二度、三度と深呼吸をして昂っている心を落ち着かせる。更に目を閉じ、煩悩を振り払い、
頭の中を真っ白にする。そして、ゆっくりと目を開き、ドアノブに手を掛ける。いざ!
がちゃがちゃっ。しかし、扉には鍵が掛かっている。
「あの・・・すいません」
「あ?ああ!そうだったわね、鍵を渡すのを忘れていたわ」
「カナエルさん・・・わざとやってたりします?」
気を取り直して鍵を開け、再びドアノブに手を掛け、一思いに開け放つ。
真っ白できれいなカーテン、整えられたベッド、机に棚等々と・・・必要そうな物が取り揃えら
れていた。
ラキエルの表情がぱあっと明るくなる。
「わああ・・・い、い、いいんですか!?こんなに良いお部屋を私が使っても!」
「ええ、それはもちろん。至って普通のお部屋なんだけれど、あなたのお部屋だもの、自由に
使ってもらっていいのよ」
ラキエルは中に入っていくと、ベッドの傍に姿勢良く座り、手でその感触を確かめたり、キ
ョロキョロと部屋の中を何度も見渡しながら感嘆の声を漏らす。
(何だか、子供らしくない反応ね・・・ま、これがラキエルだということかしらね)
今日一日は屋敷内のみ、自由に見て周る事が許された。
この天使界の浮島は雲の上に存在するため、雨が降ることは無い。なので、プライベートな
部屋以外の廊下や居間等のような場所には屋根が存在しない場合が多い。
だが、大聖堂は建物自体が主要であるため、天使界では珍しく、建物全てに屋根が存在して
いるため、屋内で空を見上げる事は出来ないようだ。
間取りを確かめるべく気の向くまま屋敷内を歩き続けるが、入ってはいけない場所があるの
ではと思うと、扉を開ける勇気が湧かない。結局、歩き回るだけでは直ぐに行く場所が無くな
ってしまったので、外へ出てみる事にする。
外では先程と変わらず、給仕者たちが畑仕事に精を出している。どうやら、丁度実りの時期
を迎えているようで、緑の中に色鮮やかな実が垣間見える。その美しい光景に目を奪われてい
ると、給仕者の一人が声を掛けてきた。
「こんにちは。もしかして、今日からここで御暮らしになる方ですか?」
「あ、はい。ラキエルと申します。これからお世話になります」
「ラキエル様、ですね。どうもご丁寧に、こちらこそ」
互いに深々とお辞儀をし合う。
「よろしければ、近くでご覧になりますか?」
「はい!是非!」
この大聖堂の敷地内では、様々な種類の野菜や果物が育てられていた。ラキエルは瑞々しい
作物たちを見せてもらいつつ、時折味見もさせてもらい、ますます畑仕事をやってみたいと、
興味を膨らませた。
夕食にはそれらを使った料理が並んだ。
「・・・ラキエル?あなたって、本当に『野良生活』していたの?」
あまりに上品に味わうラキエルに思わず本音が漏れる。
「え?はい、してましたよ?」
「え?ラキエル様ってそんなに大変な身の上なんですか!?」
食事係である給仕者の女性が驚きの声を上げる。
「マール、詮索する気かしら?」
カナエルが冷ややかな横目で威圧する。
「え?あ、ああ!そ、そんなつもりは・・・うう、すいません・・・」
「言葉を口に出す前に、相手の事を考えなさい。そんなだからあなたはいつまで経っても見習
いのままなのよ」
見習い給仕者マールは反省の色を顔に出して項垂れる。
「あの、お気になさらずに」
「そうやって直ぐに顔に出す所もね。笑顔ならまだしも、この食事中にそんな人に気を使わせ
るような顔をするなんて、給仕者として以っての外ではなくて?」
「うぐ!」
マールはもはや返す言葉も無い。
「それで?今日一日、どうだった?」
ラキエルは手を止め、グラスに入った水で口の中の物を流し、口を拭いてようやく答える。
「はい、楽しかったです!屋内は何処が入っても良くて、何処が良くないのか分からなかった
ので、殆ど廊下を歩いていただけでしたけど、お外の畑等は色鮮やかでとても綺麗で、すごく
美味しかったです」
「ふふ、随分と楽しめたようで良かったわ。それで、入っても良い部屋と良く無い部屋につい
てなんだけれど、入ってはいけない部屋にはしっかり鍵がしてあるから、鍵が開いている部屋
には自由に入ってもいいわよ。まあ、一応はノックしてからでお願いね」
「はい、分かりました」
食事を終え、一休みしているところにマールがタオルを持ってやってきた。
「ラキエル様、湯浴みに参りませんか?お背中、流させて頂きますよ?」
「お風呂もあるんですか!?それでは、よろしくお願いしてもよろしいですか?」
「ええ、では、こちらへ」
大聖堂のお風呂は一般的な大きさの様だ。一般的とは言っても、この天使界では特に珍しい。
この世界では生活に必要な水は雲の下の海から汲んでくる他無い。勿論、海の水なのでそのま
ま使うのではなく、どの家にもあるろ過装置を通してから使われる。それほどの手間が掛かる
ため、お風呂が存在する事は、お風呂を生業とするお風呂屋さんでもない限り非常に珍しいの
である。
「ラキエル様、お加減は如何でしょうか?」
「とても良い加減で気持ち良いですよ」
翼を洗ってもらっているのだが、とても手馴れている様で非常に気持ちが良い。見習いだと
言う話だったが。
「マールさん。・・・・・・」
見習いである事を質問しようと思ったが、気にしている様な素振りをしていた事を思い出し
て思い止まる。
「ラキエル様?何かご質問があるのでしたら、気兼ねなく仰って下さって結構ですよ」
そうは言うが・・・。少し迷ったが、ここで隠したままにすると変だと思われるのでは思い、思
い切って質問してみる事にする。
「では、マールさん・・・どのくらいの間、見習いをしていらっしゃるんですか?」
「くぅ!そ、その事・・・でしたか・・・はははは・・・ふうぅ」
顔を見る事は出来ないが、激しく落ち込んでいる様が手に取る様に分かる。
「あの・・・ごめんなさい・・・」
「え?ああ、いえいえ!どれもこれも私自身のせいな訳ですから、御気になさらずに」
ふう~。マールはとても大きな溜め息を付く。
「もう三年になるでしょうか、私が見習いとして研修を開始したのは・・・」
「そういえば私、給仕者という職業が全世界で最も成るのが難しい職業だって聞いたことがあ
ります」
「ええ、その通りで、私の同期の仲間たちも、その大半が音をあげて学校を去っていきました」
マールは目を閉じ、感慨深そうだ。
「私も弱音を吐かない日はありませんでしたが、涙を流しながら去っていく仲間たちの分も頑
張らなくてはと想い、何とか厳しい修練の日々に耐えることが出来ました」
「でも、そんな中にも『天才』と呼ばれる人はいたんですよね?」
「『天才』?そうですね~、私の同期の中には居ませんでしたけれど、歴代の生徒たちの中に
は確かに、何人か居たみたいですね」
それを聞き、ラキエルは誇らしげに一人の名前を口に出す。
「ガルさんって名前の人はご存知ですか?」
「ガル?え、ええ、もちろんです!」
「やっぱり有名なんですか?」
「はい。その方の血筋は特に優秀な血筋だと言われていますよ。特に!」
マールの声が急に大きくなる。
「中でも『グル』様と言う方は、歴代の中で最も優秀だと言われていて、あらゆる仕事を完璧
にこなしてしまうため、先生たちも何を教えたらいいのかと悩むばかりだったと言っていまし
た。本来は三年の学習期間を経て、それから研修をして、合格をもらう事でようやく給仕者に
成れる所を彼女は、たった一年弱という短い期間で学習期間を終えられたのです!学習期間が
短縮される事などあり得ないと言われているこの給仕の世界に措いて、その類稀なる手際によ
って二年分もの期間を短縮した、いや、短縮せざるを得なくしたという事から、彼女は『伝説
の給仕者』と呼ばれているんですよ!それにしてもガルと言う方の事、よくご存知でしたね!
もしかして、将来給仕者になりたいとか、そういう事だったりしますか?」
突然饒舌になり、バケツを引っ繰り返したかのように生き生きと話すマールにラキエルは呆
気にとられてしまい、言葉が出てこなかった。
「は、はあ・・・」
「そう言う訳で、マールがあなたのお世話役だから、何かあればマールに言いなさい。まあ、
私に言ってくれても、勿論いいのだけれどね」
『お世話役』と言うと、何だか良い所のお嬢様になったかの様に感じてしまう。だが、もし
かしたらと、ラキエルは思う。
「あの、もしかしてですけど、『監視』の意味もあったりしますか・・・?」
「ええ!?」
とマールはその発言に驚くが、カナエルはにやりと笑う。
「あら、よく分かってるじゃない。そういう事だから、マールもそのつもりで任に当たりなさ
い。ラキエル、あなたは自分の思うように行動なさい。それによって私があなたに自由を与え
ても良いか判断するから。ただし、マールからの報告を聞いての判断となる訳だから、マール、
あなたの伝え方が重要となる事を忘れない様に」
「は、はい!」
「だからと言って、報告に変に情を加えたりしたら・・・分かるわね?見習い給仕者さん」
「は、はいい!!」
「緊張し過ぎ」
お世話役が付くと言われてもよく分からない。今はとにかく言われたように、気にせず自分
で考えて行動してみる他無い様だ。
「自分の部屋」と言う物はどうにも落ち着かない。部屋の匂いもそうだ。眠る時に夜の匂い
が感じられないというのは不安さえ感じてしまう程だ。野良生活は始まりこそ仕方なくではあ
ったが、いつからかそれが普通で、いつしか趣味と呼べるものとなっていた。
目を瞑ると思い出す。短い時間だったけれど、一緒に学び、笑いあった友達とその日々を。
ナーエの町での日々はとても楽しかった。出来るのならば、今すぐにでも戻りたい。でもそれ
は、自分を許せるようになってからだ。力の在り方を学び、自信を持って「ただいま」を言え
る様になりたい・・・。
いつの間にかラキエルは眠りに就いていた。
深夜。カナエルは珍しく、こんな時間になっても本を読み耽っていた。と、そこに夜陰でも
分かるほど、白く光り輝く翼を持った天使族の女性がやってくる。
「お待ちしていましたよ」
カナエルは本を閉じ、来客を迎える。
「別に、待っていて欲しいとは伝えていなかったと、記憶していますが?」
「私が、お話したかっただけですよ」
「そうでしたか」
女性は椅子に座る。
「では・・・・・・」
翌朝。顔を洗い、朝食を終えて一息吐いた所でカナエルが話を切り出してくる。それは、昨
日言っていた天使族の事で、その歴史についての話だった。
『天使族』背中に真っ白な翼を持ち、空を飛ぶ事が出来る種族であり、『神』と呼ばれる生
き物によって創り出されたと言われている。信念を重んじる種族であり、自身を創り出した存
在である『神』に従っていた。
その頃は『天使界』と『死神界』と言う呼び名は無く、一つの世界であった。死神族は元々
『神』と言う生き物に対して信仰心を持たない種族だったため、まるで機械のように『神』を
信じ、従う天使族の事を哀れみ、嫌っていた。そのため、天使族と死神族は意見が合い難く、
仲が悪かった。
しかし、『神』の中に傲慢さを感じ取った、当時、天使族の中でも特に強い力を持っていた
『大天使』と呼ばれていた八人の天使たちは、他の天使たちにそれを伝えた。だが、長年『神』
を信仰してきた天使たちはそれを信じなかった。
一方の『神』は『大天使』たちが自身に対して疑いの目を持っていることを知り、真意を問
うた上でそれらを始末しようと目論む。それにより、『神』と『大天使』たちとの戦いに発展
する。
大天使たちは『神』の強大な力の前に次々と倒れて行く。だが、それでも『神』という存在
の支配からの脱却を世界の正義であると掲げた大天使たちは、退かず立ち向かって行く。そし
て、遂には『神』を討ち果たす事に成功する。
『神』を失った天使たちは、一時は心乱れる事となったが、たった一人生き残った大天使の
想いを聴き、次第に『神』から解放されていった。
それでも、天使族と死神族との確執は中々埋まらず、仲違いを繰り返していた。たった一人
の大天使と死神族のトップである『統領』は何度も話し合いを行い、対策を協議してきたが、
ある日に行われた協議の際に大天使が激昂。自らの力によって世界を物理的に両断するという
とんでもない案を叩きつける。当然、そんな事出来ようも無い思われ、直ぐに跳ね除けられる
はずだったが、大天使はそれよりも早く可能である事を証明する。
可能であると証明された事により、その話は世間にも広まる事となる。そんなとんでもない
話など、世間が認めるはずが無いと踏んでいた大皇死であったが、世間はすんなりとその案を
受け入れてしまう。それほどまでに大きくなっていた種族間の確執が、いつしか別れ住む道を
求めるようになっていたのである。
結果、空を飛ぶ事ができる天使族は『海と浮島』を死神族は『大地と湖』の部分をそれぞれ
割り当てられる事となり、世界は真っ二つに両断された。
両断された後、天使界のトップの事を『大天使』と呼ぶようになった。
二種族間の確執は、年月と共に次第に薄れて行き、後に起こった『五世界同盟』によって、
この確執は完全に無くなる事となった。
「まあ、だいたいの流れはこんな感じかしらね。」
カナエルは紅茶で喉を潤す。
「何か、気になった所はあるかしら?」
「そう、ですね・・・」
ラキエルはう~んと小さく唸りながら考え込む。
「『神』という生き物って・・・何なんでしょうか・・・?」
「そうね・・・『神』にもいろいろと種類があるから、一概にこれだと言う事は出来ないけれど、
何であれ『神』と言う存在はこの世界にとって、『敵』である事は間違いないわね」
「敵・・・そういう存在もこの世界にいるんですね・・・」
今まで『敵』という存在がいる事など考えた事も無かった。つい先日にはあんな事があった
のでこんな事を言うのもなんだが、この世界は至極、平和である。
「今、この世界にその『神』っているんですか?」
「いいえ、居ないわ。居れば直ぐに分かるしね」
「もし来たら・・・どうするんですか?」
「もちろん、直ちに始末するわ」
カナエルが目を鋭くして言い放ったその言葉からは、迷いは一切感じられなかった。恐怖さ
え感じるほどだ。それ程敵視しているという事なのだろうか・・・。
「あ、あの、実は・・・ずっと聴きたかった事があるのですが・・・」
「何かしら?言ってみなさい」
「はい。私の翼の事です。どうして、あんな事をしたというのに・・・私の翼は白いままなのでし
ょうか・・・。逆に真実を追い求めていただけのサギエルさんの翼が黒く染まってしまいましたし、
何がどうしてなのか分からないんです」
ラキエルはずっと考えていた。人を、両親を殺めた自分の翼が白いままだと言うのはやはり、
自分でも納得が出来なかった。そのせいでサギエルの怒らせ、その結果、『負の象徴』に取り
入られてしまった。悪しき行いをすれば、天使族の血によって翼は黒く染められると言うが・・・
天使族の血とは一体何なのだろうか。
「翼が黒く染まってしまう条件、それは『悪意』よ。行動によって得られる結果は問題では無
くて、行動する際に悪意を持っているかどうかが関わってくるのよ」
「『悪意』・・・」
だとすると、悪意無く悪い事をした私が『正しい』と判断され、悪を憎みひたすらに正義を
貫こうとしたサギエルが『悪い』と判断されると言う、言ってしまえば、天使族の血は『真逆』
の判決を下したという事になる。
「ま、変に気にし過ぎない事ね。翼の白黒だけで、人の正義は測れないから。まあ、既に翼が
真っ黒な私が言っても説得力は無いかもだけれど」
カナエルは隠すどころか、大きく翼を広げて見せる。カナエルもまた、何かしらの『悪意』
を持ち、行動した事があるという事を示している。だがそれは、世の悪のためか正義のためな
のかは分からない。
午後からはいよいよ『精神修行』の始まりである。