10.5皿ー重なる休憩、重ならない距離ー
裏の休憩室。
木の椅子と、小さな丸テーブル。
窓からは、やわらかな光が差し込んでいる。
店内より少しだけ、時間が緩やかに流れていた。
巡は一人で座っていた。
カップを手に取る。
口をつけるが、味はあまり感じない。
考え事をしていると、そうなる。
扉が開く。
「お疲れさまでーす!」
明るい声。
アリスが入ってくる。
「巡くん、いたー!」
そのまま向かいに座る。
「今日のお客さん、すごくなかったですか!?
あの人、絶対泣くの我慢してましたよね!?」
巡は小さく頷く。
「……ああ」
「ですよねですよね!
でも最後ちょっとスッキリした顔してて!」
止まらない。
「あとセラさんのあの出し方も良くて〜!」
巡は、カップを持ったまま黙っている。
聞いていないわけじゃない。
ただ、どこか遠い。
アリスは一通り話し終えて、満足そうに息を吐いた。
「ふぅ〜、すっきり!」
立ち上がる。
「じゃあ私戻りまーす!」
そのまま元気よく出ていく。
静寂。
巡はゆっくりと息を吐いた。
「……元気だな」
小さく呟く。
少しして。
扉がもう一度開く。
マスターだった。
巡の背筋が、わずかに伸びる。
視線を向けるが、すぐ逸らす。
マスターは何も言わず、カップを手に取る。
巡の向かいに座るでもなく、
少し離れた席に、静かに腰を下ろした。
沈黙。
巡は、気になって仕方がない。
何か言うべきか。
でも、言葉が出てこない。
マスターは気づいている。
けれど、何も言わない。
ただ、いつも通りにカップを傾けるだけ。
巡は視線を落とす。
ポケットの中にあるものを、無意識に指で触る。
言いたいことは、ある。
けれど――
聞いてしまったら、戻れない気がした。
やがて。
巡は立ち上がる。
「……戻ります」
短く、それだけ。
マスターは視線を上げる。
だが、やはり何も言わない。
巡はそのまま部屋を出ていく。
入れ替わるように。
扉が開く。
セラが入ってきた。
「……備品を取りに」
棚へ向かう。
その途中で、マスターに気づく。
わずかに視線を向ける。
「……先日」
静かに口を開く。
「巡が持っていた写真のことですが」
マスターは動かない。
ただ、聞いている。
「あなたと、もう一人」
「写っていました」
間。
「とても……印象的でした」
言葉を選ぶように。
「あなたが、あそこまで笑っているのを」
「初めて見た気がします」
沈黙。
セラは続ける。
「……あの方が」
ほんのわずかに踏み込む。
「例の“迷い人の料理人”ですか」
問いではある。
だが、答えを強く求めてはいない。
マスターは、何も言わない。
ただ――
ほんの少しだけ、やわらかく微笑んだ。
肯定も、否定もない。
それで、十分だった。
セラはそれ以上聞かない。
「……失礼します」
備品を手に取る。
静かに部屋を出ていく。
残された空間。
マスターは、しばらくそのままだった。
やがて。
カップを置く。
窓の外へ視線を向ける。
光が、やわらかく揺れていた。
最後までお召し上がりいただき、ありがとうございました。
またのお越しを、心よりお待ちしております。
※当店はゆっくり、不定期営業となっております。




