02 地母神像の前で求婚を受けました
(あぁ、なんて美しいんでしょう)
頬をほんのり染め、碧眼を潤ませ、うっそりとした表情でゲルタが見下ろすのは――舞踏会場の大理石の床である。
磨き抜かれた床は、まるで鏡のように煌めき、行き交う紳士淑女の影を優雅に映し出している。
だがゲルタが見たいのは、人の姿ではなく石の素顔。
よって彼女は人気のない会場の隅に身を寄せ、宝石のような床面を食い入るように見つめていた。端から見れば、殿方に誘われぬまま壁際に立ち尽くす“壁の花”にしか見えないだろう。
(この辺り、赤い色合いですね。赤胴鉱が混ざっているのでしょうか? それともメノウかコランダムか……。もし鶏冠石でしたら素敵なのですけど!)
鶏冠石とは。
ヒ素と硫黄からなる赤色の鉱石である。古来より顔料として親しまれ絵画や化粧品に扱われてきたものだが、毒性が判明して以来、取り扱いには厳しい制限が設けられている。
それでもゲルタは、その危うい美しさごと愛してやまない。
(想像するだけで夢見心地に……。これも一人だからこそ、楽しめますね)
彼女は幼い頃から、鉱物が好きだった。
煌びやかに輝く宝石よりも、自身を美しく着飾られるドレスよりも。母なる大地の中で、長い年月をかけて生まれ落ちた鉱物の歴史に、時に毒という特殊性を帯びる神秘に、惹かれて仕方がなかった。
誰にも理解されないけれど。
(そういえば、芝生迷路の奥には宮廷彫刻家の手による地母神像があるのだとたか。それも見てみたいですね)
地母神像の前で告白をすると、永遠の愛が約束される。
というロマンチックな噂話を交わす会話を、職場で聞いたことがあるのだ。
(宮廷彫刻家の作品ともなれば、材料はきっと最高級。西の鉱山の白大理石か、それとも異国の輸入石材……? ああ、考えるだけで胸が高まります!)
またとない機会。ゲルタは早速、裾を持ち上げ中庭へと向かった。
その途中――
「聞きました? 今日は辺境伯子息が来られているのだとか」
「まぁ、灰被りの! 遠路はるばるご苦労なこと」
「あの方、社交嫌いで有名じゃありませんでした?」
「何でも、婚約者に暴力を振るって婚約破棄になったそうで……。ここには新しいご縁を求めていらしたのでは?」
香水の甘い香りに混じって、淑女たちの囁きが耳に届く。
(あら、私の他にも婚約破棄仲間がいらしたのですか。しかし辺境伯家ともなれば、婚約者は王家の推薦のはずでは?)
ゲルタは首を傾げた。だが「まぁ、私には関係のない話ですね」と軽く息を吐き、すぐに思考を切り替えると、中庭へ出る。
芝生迷路へと向かう道はテラスから続いていて、夜露に濡れて艶やかに輝いている。
(地母神像、どこでしょう?)
胸の鼓動を弾ませながら、ゲルタは夜の迷路を進んでいった。
芝生迷路の生垣はゲルタの背を軽々と越える高さなうえに、灯りは月明かりのみで、決して視界がいいとは言えない。しかしその分、人影もない。
――つまり、独占鑑賞ができる。
そう思えば足取りは軽くなる。
やがて生垣と生垣の狭間から、白い羽衣がちらりと見えた。
地母神像だ。あと少しで辿り着けると、ゲルタは歓喜する。
「はぁ……。知らない令嬢と、どうやったら話せるんだ……」
それと同時に、生垣の向こうから男性の声が聞こえた。
その瞬間、ゲルタの“石像独占鑑賞”という夢が粉々に砕けてしまう。
「地母神さま、俺は望んで嫁いでくれる令嬢を探しているんだ。このままじゃ、いずれまた国王殿下から推薦が来てしまうからな。けど、無理に嫁がされたところで……」
頭を抱えるような呻き声。
その後で、沈んだ声がぽつりと続く。
「だからってそんな都合のいい令嬢、見付けられる気がしなくってなぁ。火山なんて噴けば岩は飛ぶし、灰は降るし……。だぁれがわざわざ灰にまみれに来るって話……」
「火山っ!」
その言葉に、反射的に声が出てしまうゲルタ。
「それも活火山があるのですか!?」
ズボッ!
次いで彼女は生垣の隙間へ細い腕を突っ込み、力任せに芝生を掻き分けた。
強引にショートカットして迷路を突破した先では、ゲルタというジャンプスケアに肩を跳ねさせる男性が、一人。
「うおっ!?」
褐色の肌に黒髪、精悍な体格を持つ青年。
彼こそが、領地に火山を持つ令息だろう。
ゲルタは勢いそのまま青年にずい、と顔を寄せた。
「ですから! 火山ですよ! か・ざ・ん!!」
「……え、あ、そ、そうだけど?」
「きゃーっ! 素敵です!」
ゲルタは両手を胸の前で組み、瞳をキラキラと輝かせる。
頬を上気させたその表情は、恋する乙女そのものだ。ただし、恋の相手は地殻活動だが。
「硫黄に石英、輝石に黒雲母……! あぁ、きっと素敵な鉱石がいっぱい採れる土地なんでしょうねぇ!」
陶酔するように語る声。その場の空気が固まった。
黒髪の青年は、ただ呆然と彼女を見つめるばかり。
「……はっ。失礼しました。私はゲルタ・ケンペと申します。ケンペ男爵の娘です」
我に返ったゲルタは慌てて裾をつまみ、青年へ向け優雅にカーテシーをする。
「ええと、クラウス・ノメンゼンだ。その、ゲルタ嬢」
「はい」
「うちに嫁いでくれたら火山見放題だが……。どうだ?」
「是非、結婚しましょう!」
黒髪の青年ことクラウスの告白に、ゲルタは即答した。それも食い気味に。
地母神像を前に、色気も駆け引きもない即決プロポーズ、成立である。
そしてこの出会いが辺境を、ひいては王国を救うことになるとは――この時は誰も、知る由はなかった。




