01 舞踏会は大理石に見惚れてしまいますね
「ゲルタ、今日限りで君との婚約を解消したい」
「はぁ」
コルタジア王国の王都、その一角にある子爵邸。
薔薇が咲き誇る庭園の真ん中で、男爵令嬢ゲルタは涼やかな声音で相槌を打った。
「実は、彼女に恋をしてしまったんだ……」
婚約破棄を言い渡してきた子爵令息は、罪悪感と陶酔の混ざったような表情で言葉を吐く。そして落ち着かぬ様子で、視線を脇の庭木へと向けた。
すると、木陰に隠れていた女性がしずしずといった様子で現れる。白薔薇の中に咲く紅い芥子の花――そんな印象を与える少女。
彼女は申し訳なさそうに扇を掲げてはいるが、その向こうで上がる口角を隠しきれていない。
「そうですか」
ゲルタは淡々と呟く。
「わかりました、婚約を解消いたします」
「えっ」
まるで天気の話でもしているかのような口調に、子爵子息は目を瞬かせた。
叱責も、涙も、怒りもない。ただ、完璧な礼儀と静かな笑みだけ。
「では、お父さま……。ケンペ男爵には私から説明をしておきますね」
「えっ? あ、あぁ。よろしく頼む」
「それでは、私はここで失礼いたします」
ゲルタはドレスの裾を優雅に摘み、会釈して踵を返した。
去り際、背後で薔薇の花弁が風に舞い上がり、彼女の金糸の髪を一瞬だけ撫でる。
「やはり彼女は変わっているな……。少しくらい感情的になるかと思っていたのだが」
「ほら、このまま結婚しても愛のない冷たい家庭になる、って言ったじゃない。だって彼女は、綺麗なだけのお人形ですもの」
そう言って子爵令息の腕に抱きついた少女は、勝ち誇ったように微笑んだ。
ゲルタは完璧な容姿――輝く金色の髪に空のような碧い瞳、白磁のような肌を持つ。小柄な体型も相まって、まるで精巧なビスクドールだ。
しかし顔までも人形のように動かず、愛想のない令嬢として社交界では知られている。
だが、ゲルタは学園を首席で卒業するほどの才女でもある。エトウィンとの婚約も、彼女の美貌と頭脳を見込んだ子爵令息の父親、現当主の子爵が望んだものだった。
たった今、解消されたが。
「私と結婚した方がずっと幸せになれますわ」
「そうだな」
早速身を寄せ合い、囁き合う二人。
そんな彼らを気に留めることなく、ゲルタはタウンハウスへと帰途につく。
──そして。
あまりに早過ぎる娘の帰宅に、私室で花瓶に花を生けていたケンペ男爵はぎょっと目を見開いた。
「ゲルタ!? お茶会はどうしたんだ!」
「他の女性としています。それから、今日限りで彼との婚約は解消となりました」
「なぁーっ!?」
花瓶をひっくり返しそうになりながら、ケンペ男爵は素っ頓狂な声を上げた。
娘のあまりに落ち着いた報告が、かえって現実味を奪う。
「どうしてそんなことになったんだ! 子爵さまがなんと言うか……!」
「お知恵でしたらいつでもお貸しいたします、と告げれば大丈夫でしょう」
「だ、だ、だが! 子爵さまが婚約解消を飲んでくれたとしても、お前はこのままでは平民になってしまうぞ!?」
「心配いりません。私は職にも家にも困っていませんから」
あっさりと告げたゲルタに、男爵は絶句する。
ケンペ家は二人兄妹。家督は兄が継ぐ。跡継ぎではないゲルタは貴族に嫁入りするか、平民として暮らすかだが、彼女は幼い頃から自立を志し、就職をしていた。
王立魔法局の開発課──魔石を扱う技術を買われ、学園在学中に推薦を得たのだ。
今では新型の魔道具を設計し、研究に没頭する日々を送っている。
「私ももう二十歳です。貴族と結婚するには少々行き遅れでしょう? ですので、そろそろ入寮し仕事に専念しようかと……」
「待ってくれ! もう少し待ってくれ!!」
ケンペ男爵は両手を振って、必死に娘の言葉を遮った。
ゲルタが寮に入ってしまえば朝から晩まで仕事に打ち込み、貴族どころか平民とさえ結婚せず独身のまま生涯を終えることが目に見えている。
女性も働ける時代といえど、父親としては人の温もりに囲まれた人生を歩んでほしい。
ましてや、この麗しい娘だ。どうして研究室の片隅で終わらせられよう。
「仕事に打ち込むのも素敵だが、支え合える伴侶を得るのも素晴らしいことだ! そうだ! 今度、侯爵家主催の舞踏会がある! 良いご縁があるかもしれない、是非行って来なさい!」
勢いづいた男爵は、机の上に積まれた招待状の束をひっくり返し、ゲルタが見て見ぬふりをしていた一通を引き抜いて押し付けた。
するとゲルタはその金箔の封を見下ろし、ふっと頬を緩める。
珍しく表情を動かした娘に、男爵は期待を込めた目を向けた。
「ゲルタ、行く気になってくれたか?」
「はい。彼はダンスがお好きでなかったので、いつも遠慮していたのです。けれど今なら、気兼ねなく楽しめますね」
「そうかそうか! そう言ってくれると父は嬉しいぞ!」
ケンペ男爵は勢い余って娘の手を取る。そしてほっとしたような笑みを浮かべた。
あとは良縁に恵まれることを祈るばかりである。
(この王都に御殿を構える侯爵さまの舞踏会……。美しい大理石を拝見できる、絶好の機会です!)
なおゲルタの胸を高鳴らせているのは殿方ではなく、磨き上げられた建材の輝きであったが。
そう、彼女の愛が向けられるのは花でも宝石でもドレスでも、まして殿方でもなく――鉱物であった。




