第31話 祐希兄ちゃん(2)
未来と琴葉は、カフェ・バレンシアを出て、シェアハウスへの道をゆっくりと歩き始めた。
未来は、祐希の呼び方のことで頭がいっぱいだった。
「祐希兄ちゃんのこと、これからなんて呼べばいいんだろ……」
呼び方を『祐希さん』に変えたら、なぜ急に呼び方を変えたのか、祐希は疑問に思うだろう。
その疑問に、何と答えれば良いのか、未来は答えを見つけられなかった。
「ん~、でも年上だから『祐希さん』が一番自然じゃない?」
「やっぱりそうだよぇ。
でも、呼びにくさは変わりないかなぁ」
その時、琴葉が前方を指差してこう言った。
「ねぇ未来、あれ祐希さんじゃない?」
「えっ、どこ?」
未来が、目を凝らして見ると、50mほど先を歩いているのは確かに祐希だった。
「今日はバイト休みのはずなのに……」
「あの隣の女の人、誰だろ……」
「あれ、さくらちゃんじゃない?」
琴葉が見つけたのは、映画帰りの祐希とさくらだった。
しかも2人ともお洒落して、いかにもデート帰りといった感じだ。
「……さくらちゃんと一緒なの?」
「なんか、いい雰囲気だよ」
琴葉に言われるまでもなく、未来もそう感じた。
「……でもなんで?」
未来には、状況が理解できなかった。
当の祐希とさくらは話に夢中で、後ろを振り返る様子もなく、仲良く歩いていた。
琴葉のバイト先のコンビニを過ぎて、暗くなる辺りで、祐希とさくらは手を繋いだ。
「えっ、手、繋いだよ」
「ホントだ、手繋いじゃった」
「私だって、まだ繋いだことないのに……」
未来は、2人が手を繋いでいることがショックだった。
「祐希さんて、さくらちゃんのボディガードだよね。
いつの間に、あんなに親密になったんだろ……
未来、負けてるよ。
頑張らないと、あの2人付き合っちゃうかもよ」
「えっ、私、どうしたらいいの?」
「未来、まずは『祐希兄ちゃん』ていう呼び方、止めるべきよ」
「分かった、私頑張るね!
琴葉、ありがとう」
突然のライバル出現に未来は焦った。
自分を妹ではなく、一人の女性として認識させて、祐希を振り向かせないと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
未来と琴葉は、シェアハウスへ帰った。
そして部屋で着替えて2人でラウンジへ行くと、いつものようにプチ宴会が始まっていた。
その場にいたのは明日奈、怜奈、朱音、さくらの4人だった。
祐希はお風呂に入ったらしい。
今日もみんなが持ち寄った惣菜と、明日奈がデリバリーで取り寄せたピザが並んでいた。
「未来ちゃん、琴葉ちゃんお帰りなさい。
ピザあるけど、食べる?」
「ありがとうございます。
でも、今日は食べてきたので、飲み物だけにしておきます」
2人は丁重に断った。
「ねぇ、さくらちゃん、祐希くんと映画行ったんでしょ。
映画、面白かった?」
明日奈がさくらに聞いた。
「はい、面白かったです。
それに、とても感動的な映画でした」
さくらは、映画のあらすじを感情を込めて話した。
「へ~、その映画見てみたいわね」
「はい、ぜひ見に行ってください」
未来は、明日奈の言葉で、さくらと祐希が映画に行ったことを知った。
(なんでさくらちゃんが、映画に行ったの?
私が祐希兄ちゃんと映画に行ったから?
さくらちゃんも映画見たかったのかな?)
先週の日曜日、自分が祐希と映画に行って楽しかったことをみんなに話して、舞い上がっていたことを思い出した。
きっと、それを聞いたさくらも映画が見たくなったのだろう、と未来は思った。
そういえば、彼女はストーカーに狙われているから、一人で行けなかったんだ。
だから、祐希兄ちゃんに映画に連れていってもらったのね。
未来は一人で納得した。
でも、なんで手を繋いだのだろう。
未来は、その点だけが納得いかなかった。
「今日はバンドの練習で疲れたから、部屋で横になります」
未来は、早々に自分の部屋へ引き上げた。
本当は、さくらの幸せそうな顔を見ているのが辛かったからだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自分の部屋でベッドに寝転がり未来は考えた。
さくらが祐希と手を繋いでいた。
どう見ても祐希とさくらの距離が近づいている証拠だ。
私も負けていられない。
今できることをして、少しでもさくらに追いつかないと……
まずは呼び方を「祐希さん」に変えると、本人に伝えなければ……
おそらく、なぜ呼び方を変えるのか、理由を聞かれるだろう。
その時、なんと答える?
何かうまい理由はないか……
未来は必死で考えて、ある口実を思いついた。
そこにさりげなく、本当の理由を混ぜる。
自分を妹としてではなく、一人の女性として見てほしいからだと……
そう言ったら、祐希はなんと言うだろう。
未来が祐希に想いを寄せていることはバレるだろう。
でも、想いを伝えなきゃ、そこから先へは進めない。
未来は祐希に、このことを伝える覚悟を決めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後10時半、ラウンジの照明は消え、他の住人は自分の部屋へ戻っていた。
未来は意を決して、祐希の部屋のドアをノックした。
するとすぐに返事があり、ドアが開いて中から祐希が顔を見せた。
「未来、こんな時間にどうした?」
「あの、ちょっとだけ時間あるかな」
「いいけど、何の話?」
「えっとね、大事な話なの、中に入れてもらってもいい?」
「うん、いいよ。じゃあ中へ入って」
祐希は未来を部屋へ招き入れた。
「未来、そこに座って」
祐希は、窓際のソファを指し示した。
未来がソファに座ると祐希は向かいの席に座った。
「それで、大事な話って何?」
祐希にそう言われて、未来は心臓が飛び出そうなほど緊張した。
「あ、あのね、な、名前の呼び方を変えたいなって思ったの…」
「名前の呼び方?」
「うん、そうなの。
私、今まで『祐希兄ちゃん』って呼んできたけど、これからは他の人と同じように『祐希さん』って呼ぼうかなって思ってね……」
「へ~、そうなんだ。
でも、なんで急に呼び方を変えようと思ったの?」
予想通りの質問に、未来は顔を真っ赤にして、考えてきた答えを言った。
「わ、私、もう19歳でしょ。
だから、今さら『兄ちゃん』もないかなって思ったの。
それに私、幼馴染だけど、本当の妹じゃないから、これからは一人の女子として見てほしいの。
今の呼び方だと、本当の妹の月ちゃんにも悪いしね…」
未来は自分が考えた通りに説明できたと、内心ホッとしていた。
未来の言葉を黙って聞いていた祐希は、しばらくの沈黙の後、こう言った。
「なるほどね、呼び方を変える理由は分かったよ。
でも未来、そう簡単に呼び方変えられるのか?」
「うん、もう口癖になってるから……少し時間は掛かると思うけどね」
「了解、それじゃ僕も未来から『祐希さん』て呼ばれるの、慣れなきゃな」
「そうだよ、祐希兄ちゃん……」
「未来、言った傍からもう言ってるじゃん」
「へへ、ホントだね。
でも私、頑張って呼び方変えるからね……祐希さん」




