第10話 被害届
翌朝8時過ぎ、祐希はさくらに付き添って駅前交番へ行った。
朝の忙しい時間帯にもかかわらず、若い警察官がさくらの話を真剣に聞いてくれた。
名札には「倉橋」とあった。
「なるほど、ここ最近毎週のようにストーカー被害に遭われているのですね」
「はい、そうです」
さくらが小声で答えた。
「後を付けられたのは、どこからどこまでですか?」
「柏琳台駅からシェアハウスまでです」
「どれくらい距離がありますか?」
「徒歩で8分ほどなので、700mくらいだと思います」
「今まで何回くらい後を付けられましたか?」
「昨日で7回目です」
「昨夜は具体的にどんな被害に遭われましたか?」
警官の質問を聞き、昨日のことがフラッシュバックしたようで、さくらの顔から血の気が引くのが分かった。
「あの…、後ろから腕を掴まれたそうです」
さくらが、答えられない様子だったので、祐希が代わりに答えた
「なるほど…、腕を掴まれたと…」
倉橋巡査は調書に書き込むと祐希の方を向いた。
「失礼ですが、あなたは被害者の彼氏さんですか?」
倉橋巡査が祐希に向かって聞いた。
「い、いえ、違います。
同じシェアハウスの住人です」
「なるほど…そうですか…
最近、柏琳台駅前では、痴漢や変質者の出没情報が多くなっていますので、十分気をつけて下さい」
「そ、そうなんですか?」
祐希は、倉橋巡査の言葉に驚いた。
「だから彼女をしっかりガードしてあげて下さいね」
「はい、分かりました」
祐希は、「彼女」という言葉に少しドキッとした。
倉橋巡査は被害届を受理し、夕方以降、駅からシェアハウスまでのパトロールを強化すると約束してくれた。
「良かった…。これで少し安心できるね」
「はい、祐希さんのおかげです。本当にありがとうございます」
さくらは、ようやく笑顔を取り戻した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
祐希とさくらの通う大学は、シェアハウスから徒歩→電車→徒歩で、片道約40分かかる。
祐希が通う大学と、さくらが通う大学は、隣同士の位置関係にあるのでシェアハウスからの距離はほぼ同じ。
なので通学路が同じ祐希は、さくらのボディガードとして適役なのだ。
今日のさくらの服装は白のブラウスにレモンイエローのプリーツスカートだった。
祐希は周りに気を配りながら慎重に歩いた。
距離を置かず、さくらもそれに続く。
傍目から見れば、彼女をエスコートする彼氏にしか見えないだろう。
2人とも、お互いを意識しながら無言で歩く。
共通の話題がないのが、何とも気まずい。
数日前に同居人となったばかりで、お互いのことをよく知らないのだ。
それに2人とも異性との交際経験がないから尚更だ。
祐希は、当たり障りのない話題をさくらに振ってみた。
「さくらさんの出身地はどこ?」
「生まれも育ちも秋田です」
さくらが生粋の秋田美人であることに祐希は納得した。
「大学で何を専攻しているの?」
「わ、私はピアノを専攻しています」
さくらは、聖晶学園女子大学1年で音楽学科のピアノ専攻コースだと言う。
「へ~、じゃあピアノ上手なんだね…」
「はい、母がピアノ講師なので、物心つく頃にはもう弾いてました」
父親は高校の音楽教師、母親は自宅でピアノ教室を開いているという音楽一家の一人娘に生まれ、幼い頃から厳しく躾けられた。
4歳からピアノとバレエを習い始め、バレエは高校2年で止めてしまったが、ピアノはライフワークにしたいと、さくらは考えていた。
地元で有名な中高一貫教育の女子校に入学し、自宅→学校→バレエ→自宅でピアノという生活を6年間続けた。
純粋培養された折り紙付きの箱入り娘という訳だ。
さくらには、今年喜寿を迎えた優しい祖母がいる。
さくらを目に入れても痛くないほど可愛がり、さくらも優しいお祖母ちゃんが大好きだ。
進路を決める際、さくらはピアノ科のある聖晶学園女子大学へ進学し、独り暮らしを始めたいと両親に話した。
母親は賛成してくれたが、父親は独り暮らしなどもっての外と強硬に反対した。
その時、さくらの味方となり、父親を説得してくれたのは、祖母であった。
頑固な父親も祖母に理詰めで説得され、徐々に態度を軟化させた。
最後には5つの条件を満たすなら、独り暮らしを認めると言ってくれた。
その条件とは、次のような内容であった。
①女子寮または女性専用住宅へ入居すること
②ピアノの練習が可能な防音室があること
③勉学に励み、必ず大学を卒業すること
④年3回(正月・GW・夏休み)帰省すること
⑤週に一度は実家に電話すること
一番の難題は、防音室付きの女性専用住宅の確保だった。
さくらと母親で大学近郊の物件を、しらみ潰しに探した結果、あるシェアハウスが見つかった。
女性オーナーとの面接が必須で、管理人を含む入居者全員が女性、防音設備完備のピアノレッスン室もある。
それがヴィーナス・ラウンジだったこと。
そこまで聞いて、祐希はようやく彼女がこのシェアハウスに住むことになった経緯を理解した。
「俺も、少し自分の話をしていいかな」
祐希は自分のことをゆっくりと話し始めた。
「出身は札幌、父親は会社員で、母親はスーパーでパートをしてる、ごく普通の家庭だよ」
祐希は微笑むと、静かに言葉を続けた。
「兄弟は、兄がいたんだ。明日奈さんの旦那さんになるはずだった人。
でも…4年前に交通事故で亡くなって、だから今は高校3年生の妹だけなんだ」
そして自分は星城大学情報工学部2年であること。
サークルは旅行研究会に所属していることを話した。
「祐希さんって、旅行がお好きなんですか?」
「うん、年に2~3回は旅行に行くよ。
海外にも3回ほど行ったことあるし」
「え~、いいなぁ、私も旅行してみたいです」
さくらは、小さい頃に家族旅行した経験しかないそうだ。
そんな話をしながら、大学に着く頃には普通に会話できるくらいに、打ち解けていた。
さくらとは帰りも一緒に帰るので、携帯番号を交換し、お互いにLINEの友達に登録した。
「じゃあ、3時半にここで待ってるね」
「はい、祐希さん、帰りもよろしくお願いします」
2人は聖晶学園女子大学の正門前で分かれ、それぞれの大学に向かった。
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