2.25 炎の海で人形は踊る
『雷鎚・三連』
アルビオが素早く拳を振るうと、三つの稲光が迸る。それらは三人の伯爵の私兵をとらえ、彼らを宙へと突き上げる。
鈍い音と共に地面に降下した私兵たちは、武器を手から離し意識を手放した。
「ありがとう、アルビオ!」
アルビオの陰に隠れていたユーリカが、襲撃者の無力化を確認して顔を出す。そして仏頂面で私兵を見つめるアルビオへと礼をする。
彼女に守られるように背後で控えていたホフマンもまた、静かに頭を下げた。
「ふんっ……」
アルビオはゆっくりと二人の方を振り返ると、無言でまた私兵の方へ向き直す。その鋭い眼光は、私兵たちがやってきた方向、カイラの中心部へと続く下り坂を見つめていた。
現在地はカイラの外れにある丘の中腹。ホフマンの家を追い返され、途方にくれて馬車へと戻る最中に襲撃があったのだ。
「礼はまだいい。この襲撃はほんの序章だからな」
静かに道の先を注視していたアルビオが徐に口を開く。声色は固く、それがユーリカたちを不安にさせる。
「えっ、それって……」
困惑の声を上げるユーリカに、アルビオは眼下の村を指差すことで答えた。
アルビオに促されるまま、ユーリカはゆっくりと視線を動かして、丘の下に広がるカイラの村を見下ろす。先程まで自分たちが歩いていた、長閑で寂しい村の様子を思い浮かべて。
「えっ?」
そして、ユーリカは目を見開いた。
ユーリカの紺碧の瞳がオレンジ色に染まる。その色は一日の終わりを告げる夕焼けに似ていたが、日没にはまだ早すぎた。
「嘘でしょ……」
僅かな熱をはらんだ風がユーリカの頬を撫ぜる。風の便りは何よりも雄弁に、目の前の現実を伝えていた。
煌々と揺らぐオレンジの波。それは建物を喰む波濤のように見えた。きっと、この波は全てを飲み込んで、やがて全てを灰に帰すのだろう。
ユーリカは三度瞬きをする。それから現実を受け入れた。
カイラの村が燃えている。
さっきまで自分たちの歩いていた村が、炎に包まれて慟哭していた。
「うわぁぁぁぁっ!? 何で、何でですかっ!?」
ユーリカの横で、ホフマンが半狂乱になり泣き叫ぶ。その悲鳴はあまりに痛ましい。
ユーリカは静かに彼の小さな手を握った。
「どうして、カイラの村が燃えてるの……?」
「足元で転がってる奴に聞いてみろ」
アルビオが気絶している私兵を足蹴にすると、うつむけに倒れていた兵士が、気絶した顔を晒す。それと同時に、兵士の鎧に刻まれた伯爵の紋章が、日の光を受けて輝いた。
「マルダン伯爵! まさか村が襲われたのは、私たちの……」
ユーリカは驚愕と罪悪感で肩を振るわせる。ブルネン家襲撃に続いて二度目。自分の信じた正義の為に、無関係の者が傷つけられたという事実が、重苦しくユーリカにのしかかる。
ぐるぐると呵責の螺旋が胸を掻き回し、強い後悔がユーリカを襲う。自分のせいだ。自分のせいだ。自責を反芻し、ユーリカは吐き気を覚えて口を押さえた。
「私っ…….また私のせいで……!」
「ああ、もう! いちいち感傷に浸るな。めんどくせぇ」
ユーリカの叫びをアルビオはにべもなく切り捨てる。
「まずは襲撃を切り抜けることを考えろ。そら、厄介なのが来るぞ」
それから一振りの短剣を取り出し、カイラへ続く下り坂の方へ向けた。
アルビオが睨む先、下り坂より三つの人影が揺れる。鉄靴を踏み鳴らし、青緑色のジャケットを風にたなびかせながら、その者たちは現れた。
「黒鎧の大男に桃色髪の聖職者。間違いないアイツらだ!」
「ここで倒せば大手柄だぜ!」
威勢の良い声を上げて、私兵たちは武器を構える。得物はそれぞれ槍、シミター、レイピア。よく手入れされたそれらは、背後の炎に照らされて妖しく光っていた。
「お前は後ろに下がって、ガキのお守りをしていろ」
「う、うんっ」
アルビオの言葉に素直に頷き、ユーリカはホフマンの手を掴み後ろへと下がる。
その手は震え、翡翠色の瞳は後悔の色に陰っているが、それでもユーリカは動く。最善を尽くさねば、更に何かを失うかもしれない。その恐れがユーリカの身体を突き動かした。
ユーリカが下がるのを尻目に、アルビオは短剣に雷を纏わせたまま私兵たちを睨む。既に彼らはアルビオらに向けて走り出していたが、アルビオは微動だにせず、私兵たちを見つめ続けた。
「何だぁ? あの大男、全く動く気配がないぞ?」
「きっと俺たちにビビってるんだ。何せ俺たちゃ私兵団の中でも選りすぐりの精鋭だからな!」
私兵たちはアルビオの様子に疑問を感じながらも、変わらぬ速度で突進する。近づくと私兵の一人が持つ槍の穂先が血で濡れている様子が見えた。恐らくここに来る道中で、無辜の村人を手に掛けたのだろう。
遠くから見ていたユーリカは、その血に染まった醜悪な顔を見て身震いをした。
「さあっ! その広いデコに風穴開けてやらぁっ!」
「……最初からお前らのことなんて眼中にねぇよ」
アルビオの言葉と同時に、私兵たちの背後、下り坂の方から何かが飛来した。
身長60センチ前後。黒い外套を身にまとい、頭部が大きなカボチャになったそれは、明らかに人間ではなかった。
『動く人形』としか形容できないそれは、軽い足取りで私兵たちを追い越し、アルビオへと突っ込む。
瞬間、金属音が谺する。ユーリカがそれを剣戟の音だと気づいたのは、数秒後のことだった。
「えっ……!?」
アルビオと衝突したカボチャ人形は、弾かれるように後方へと飛び退く。そして音もなく着地すると、再びアルビオの方を見上げた。
それと同時に人形の背後で、何か重い物が地面に落ちる音が三つ響いた。
「悪いな。邪魔者を間引いてもらって」
アルビオが笑みを浮かべてカボチャ人形を見る。人形の背後には背中に深い切り傷をつけて倒れる私兵たちの姿があった。
アルビオの言葉に答えるように、カボチャ人形は両手に装着した鉄の爪を構えてみせる。
あの人形はアルビオへ突進する短い時間の中で、私兵たちを切り裂き、アルビオへ襲いかかったのだ。見た目に反した戦闘能力に、ユーリカは確かな恐怖を覚える。
「人形が動いて襲ってきた!? 一体どうして……」
「記憶力チャボかよ。伯爵の手先でこんなこと出来る手合いは一人しかいないだろ。なぁドールズマジシャン?」
アルビオの言葉を受けて、下り坂より更なる人影が現れる。
黒いワンピースに銀のツインテール。人形のように端正な顔に埋まった、猫のように大きな瞳を震わせて、その少女は姿を見せた。
ドールズマジシャン、マリシャ。
伯爵の持つ最高戦力としてバスタードと名を連ねる少女。ツヴァイやルカの話によると、この地域一帯に悪名を轟かせる冷酷な魔女との話だ。その一方で、アセドの街では暴漢に襲われた人を助けるという優しい一面をユーリカたちに見せた少女でもあった。
「……」
マリシャはその人形じみた顔を、人間らしく歪めてアルビオたちを見る。言葉はなく、ただ強い敵意のみがアルビオとユーリカに突き刺さる。
「だんまりかよ。前会った時は随分饒舌にクマさんが何だとか話していたよなぁ?」
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
「あ?」
マリシャはただ謝罪を繰り返し、幼く綺麗な瞳を震わせる。それは壊れた玩具のようで、確かな狂気をはらんでいた。
「ごめんなさい。帳簿を取り返さないと、この襲撃は止まらないんですぅ。だから、帳簿を渡してください」
それは脅迫の文句としては、あまりに素っ頓狂なものだった。謝罪をしながら、目に涙を湛えながら、少女は懇願するように脅迫する。
ユーリカはマリシャの脅迫を受けて、瞬きをする。それから真剣な顔をして声を張り上げる。
「ごめんなさい、ドールズマジシャンさん。私にそれは出来ない」
「ど、どうしてですかぁ? どうしてもですか?」
不安定な声で、目を歪めて、マリシャは食い下がる。その様子に気圧されないように、ユーリカは大きく息を吸って、それから続けた。
「私の行いが、貴方たちを刺激してこの惨劇を引き寄せてしまった。もう多くの人を傷つけた。だから、その責任を追うためにも、これ以上傷つく人を増やさないためにも、私は諦めるわけにはいかないのっ!!」
ユーリカは決意に満ちた表情で、マリシャの脅迫を跳ね除ける。その様子は使命感に突き動かされる聖女そのものであった。
「けっ……」
アルビオはユーリカの言葉に苦虫を噛み潰したような顔をする。そしてそのまま短剣に強い魔力を込めた。
もうマリシャは止められない。戦いに移ることは明らかであった。
「ごめんなさい……ごめんなさい! アナタをこっ、殺すしかなくなっちゃいましたぁ……ごめんなさい! ごめんなさい!!」
交渉は決裂。互いに譲れるものは何もない。両者に残されたのは戦う道だけであった。
「ねぇリッパー、ガンマン。お願い……」
それゆえに狂気の少女は、狂気に満ちた声で、狂気の沙汰を下す。
「あの人たちを、殺してぇっ!!」
少女の命に因りて、殺意の糸に繋がれた人形たちが飛び出した。
ーーー
火は怖い。触れたものを何もかも白い灰に変えてしまうから。
炎はもっと怖い。熱くて、痛くて、凶暴で、そこにあるものを全て、真っ黒な灰にしてしまうから。
「はぁっ……はぁっ……」
ルカは燃える村の中で、強い動悸を覚えた。
炎の魔術は習得までに多くの痛みを伴う。一説によれば、炎の魔術を修めようとする者の十人に一人は、自身の炎により重篤な怪我を負ったり、亡くなったりするという。
炎の魔術師は炎の怖さを知っている。優れた魔術師であればある程知っている。故にルカは、オレンジ色に明滅する村の中で、最大限の警戒を持って周囲を探っていた。
「きゃぁぁぁっ!? 嫌っ! 助けてっ!」
炎が家の木材を食む音に紛れて、若い女の悲鳴がルカの耳に届く。すると同時に、ルカは魔術を練りながら炎の中を疾走した。
炎には波がある。強い熱を持つところと、そうではないところ。ルカは的確に安全地帯を通って、悲鳴のもとへと直行した。
「悪いな嬢ちゃん。俺だって、こんなことしたくないんだぜ? したくないけど、でもよぉ……ゲヘヘ」
火に包まれた広場の中で、シミターを持った兵士が下卑た顔で女へと迫っていた。女は栗色の髪を肩で切り揃えた素朴な顔の女で、麻色のチュニックを汗で濡らし恐怖で震えていた。ゆっくりと後方へと下がっていくが、背後には家屋の壁があり、退路は絶たれている。
「仕方ねぇよなぁ嬢ちゃん! お上の命令なんだからよぅ! だから、死ぬ前にちょっと楽しませてくれよ」
そう言って私兵は武器を持っていない方の手で、女の胸に手を伸ばす。その姿は理性を失った獣のように凶暴に見えた。
『狐火・二ツ尾』
ルカが魔力を杖に込めると、二匹の炎狐が跳躍し、私兵の顔と脚に噛み付いた。
「ぐぉっ!? 熱いっ! あちぃぃぃっ!!?」
「情欲でのぼせ上がっているからでしょう、ケダモノ。そこで不純な火照りを鎮めていなさい」
私兵は泣き言を言いながら気絶して動かなくなった。ルカは倒れる兵士を軽蔑した顔で見下ろすと、その後に襲われていた女の方を見た。
女は丸い目を怯えで震わせていたが、ルカの優しげな顔を見ると、その恐怖が少し和らいだような表情を見せる。それからすぐに感情が決壊したかのように、ルカへと駆け寄った。
「ありがとうございます。私、死ぬかと思って、怖くて……!」
「お気にせず。困っている者に手を差し伸べるのは教会の本懐ですから」
ルカが自身の白いローブを強調して、女へと笑いかける。恐ろしい状況において大事なのは、平常心を持たせること。教会に所属して長いルカは、こういった救助活動の心得も持ち合わせていた。
「お姉さん、ここは危険です。とにかく避難してください。私が来た南門の方なら安心のはずです」
ルカは努めて明るい笑顔を作りながら、女に南門の方向を示す。女はルカの言葉にこくこくと頷き、丸い目に希望を宿すと南門へと走り出した。
「ありがとうございます聖職者さん! 本当にありがとうっ!」
力強く走る女を見送り、ルカは静かに息を吐く。村人を後回しにしてでもユーリカのところへ駆け付けたいというのが、ルカの正直な気持ちだった。
しかし、このような状況であっても、ユーリカは村人を助けようとするだろう。彼女は目の前にいる全ての者に手を差し伸べようとする。かつてルカに手を差し伸べた時のように。
それならば自分も同じことをせねばいけない。ユーリカに相応しい自分でいるために。
ルカは逸る気持ちを抑えながら、また聴覚を研ぎ澄ます。
その時だった。肉が切れる音がしたのは。
「いやあぁっ!!?」
先程の女の悲鳴が響き、ルカは反射的に後ろを振り向く。そして、そこで目が合った。
大きく丸い目だ。先程助けた素朴な女についていた丸い目。それが今まさに生気を失い、瞳孔が開いた状態で見開かれていた。
それはルカと一瞬目が合った後、地面へと降下していき、二度と開かなくなった。
女は殺されたのだ。大きな刃物で切り付けられ、倒れる寸前にルカを見ながら、確かに息絶えた。
彼女の背中には大きな袈裟の切り傷があった。麻色のチュニックに赤い血が滲み、地面に致命的な染みを広げていく。容器から溢れた水のように、その血は二度と戻ることはない。
倒れた女の背後には体長2メートル程の巨漢が、刃物を構えて立っていた。白く長いコック帽を頭につけ、血が滴る出刃包丁のような得物を構えた大男だ。そいつは猿のような顔に野蛮な笑みを浮かべて、包丁についた血を舐めた。
「んー、12点。落第点だ」
「は……?」
突拍子もなく始まった品評に、ルカは顔を顰める。それに対して眼前の大男ビッグコルクは、至極真面目な顔をして答えた。
「いや、若い女だからフレッシュさはあるんだ。ただ味に深みがない。栄養状態も悪いみたいだし、これじゃあ俺の食卓には並べられんよ」
ビッグコルクの言葉はどこまでも冷酷で、気の触れた狂人のものだった。彼がザラついた声で説明を続ける内に、ルカの眉間の皺はどんどん深くなった。
「まあしっかり血抜きをして、下味を整えれば賄いくらいには出来そうだがな。安心しろ。料理人としての誇りに賭けて、こいつの死は無駄にしたりは……」
『火熊・月輪』
ビッグコルクが話終わるより前に、ルカは魔力を込めて巨大な火の熊を顕現させる。それは豪快な雄叫びを轟かせて、丸太よりも太い火の腕を大男へと捩じ込んだ。
瞬間、鈍く大きい破壊音が村に響いた。
明滅する炎の中、土煙が上がり更に視界を悪くする。そんな中でルカは気を緩めずに、ビッグコルクの方を見た。
ルカは長年の魔術師としての経験をもとに、理解していた。ビッグコルクを仕留め損ねたということに。
「酷いことをするじゃないか。これだから美食の価値を知らん蛮族は困る」
低い声が聞こえたかと思うと、土煙の中から太い腕が伸び、ルカの腕を掴んだ。
「くっ……!?」
太い腕は乱暴に白いローブの袖を捲り、露わになったルカの二の腕をザラついた舌が撫でた。ビッグコルクがルカの腕を舐めたのだ。
「このっ、離しなさいっ!」
ルカはビッグコルクの顔目掛けて大量の火の蝶を飛ばす。火の猛襲にビッグコルクは僅かな悲鳴を上げ、呆気なくルカは解放された。
次の攻撃を受けないように、ルカはステップで後方に下りビッグコルクを見つめる。どのような攻撃にも対処できるように魔力を練りながら。
しかし少し待ってもビッグコルクが攻めてくることはなかった。ルカの視界の先で、ビッグコルクは呆然とした様子で棒立ちしていた。
「一体、何の真似ですか?」
怪訝な表情をするルカに、ビッグコルクは僅かに震えながら声を出す。何か激情を抑え込んだような、途切れ途切れの声だ。
「ぇ……わぁ……」
「はぁ!? 何を言ってるんですか?」
ルカが強く睨むと、ビッグコルクは絶頂に達したように震えて、叫び出す。
「86点! お前は86点だ!! あぁ……このような辺境でかつて無い美食に巡り会えるとは。俺は今日、人生で一番幸せだ」
豪快に涙を流して、猿のような顔を恍惚に歪め、ビッグコルクは雄叫びを上げる。その尋常ではない様子にルカは冷や汗を流しながらも、強い敵意を持って杖を構えた。
「よし決めた。お前の全身を使ってフルコースを作ろう。人肉料理研究家として、お前を最高の料理に仕立ててみせよう」
「そんな下らないことしか言えないなら、もう臭い口を閉じてください。私は今、貴方に怒っているんです」
オレンジ色に明滅する火災の中心地にて、両者は睨み合う。アルビオとマリシャの戦いの裏で、更なる戦いの火蓋が切って落とされた。




