師と娣子の約束
病院を後にしようと出入り口から出ようとしたら、よく見知った人が椅子に腰掛けているのに気が付いた。
職務上訪れているだけなのかもしれないが、零は一応近寄って声をかけてみることにした。
「こんにちは、長瀬さん」
「ん? やあ、鷺森君」
ただ声を掛けるだけのつもりだったのだが、長瀬は何か話したいことがあったのだろう。誰も座っていない右隣の椅子を指差し、座るよう促してきたので零はそれに従って腰を下ろした。
「早速、古戸さんに会ってきたのかな?」
「ええ。ご連絡ありがとうございました。亜梨沙さんが元気そうで僕も安心です」
「そうか……! 私としても高校生の女の子が犠牲になる事件だなんて御免だからね。あの子が無事で本当に良かったよ」
「…………」
こんなやり取りを交わしながら、零は「本題が何なのか」が気になった。まさかこの話をするためだけに隣へ座らせたわけではないだろう。
若さゆえか、会話のテンポを気にすることなく零は長瀬に問う。
「僕を呼び止めたのは、他に話があるからなんじゃないですか?」
「声を掛けてきてくれたのは君の方からなんだけどね。ただまあ、そうなんだよ」
長瀬は病室へと続く通路を見ながら本題を語る。
「この病院には古戸さんと同じように小泉さんも入院している。私はそちらのお見舞いに来たんだけど、黒山さんも一緒に行くって言うもんだからね」
「ああ。じゃあ、黒山さんを待っているってことなんですか」
「うん。それで肝心の小泉さんの方なんだけど、容体自体は古戸さんよりも安定しているんだ。むしろ外傷で言ったら、殆ど無かった」
「なら退院も早いですね」
「まあね。ただ、なかなか事件のことを話してくれなくて困ってるんだよね」
「え?」
零は梨々香が事件に関して話さない態度を示しているのが意外だった。現在の本人は精神的に弱っているのだろうが、少なくとも残留思念で会話した彼女は警察の捜査に協力してくれるような人柄だったはずだからだ。
「だから今回も君の能力が必要になるかもしれないって思ってね。事前に聞いていた、君の先祖については立証が難しいから何とも言えないけれど、彼女に関してなら何かわかってるんじゃないかと思って」
「…………」
確かに長瀬の言う通り、鷺森露の存在を出したところで目に見えない存在なのだから、それを証拠とするのは難しいだろう。
だが、今回の件について言えば、そこには鷺森露と関係なく梨々香本人の意思が確かにある。
「梨々香さんは自分の意思で現場に向かってます」
「えっ!?」
この情報には長瀬も目を丸くした。普通に考えて、肝試しに行くような人柄ではない梨々香が不法侵入になるとわかってて向かうわけがない。
「僕にも彼女の全てが読み取れたわけではありません。でも、彼女は自分の無力さに嘆いてあの場所へ向かっています。きっとそれ以前に鷺森露と何かしらの繋がりを得ていたのでしょうが、少なくとも自分の意思であの場所へ向かったことは残留思念で読み取れました。亜梨沙さんは、がっかりするでしょうけど」
「うーん……」
零の話を聞いて、ますます梨々香本人から話を聞く必要があるのだと思い知らされた。
とはいえ、長瀬にも零に話しておかないといけないことがあるので、悩んでいるだけではいられない。
そう思った矢先、詩穂が現れた。
「お待たせしました長瀬さん」
「いえいえ、そんなに待ってないから大丈夫だよ」
「そうですか。……ところで何故、鷺森君がここに?」
「僕は亜梨沙さんのお見舞いだよ。無事に目覚めたって聞いたからさ」
「そう。彼女は元気そうだった?」
「うん。何事もなかったかのように元気だったよ。黒山さんのお陰だね」
「私は何も……。あれは鷺森君の思いがなければ成り立たないものだし……」
「ああ。そういえば、あれが何だったのかまだ聞いて無かった。ちょうど会えたし、教えてもらえるかな?」
「構わないわ。でもその前に梨々香さんのところへ行かなければ。長瀬さん、行きましょう」
「ん、ああ。そうだね」
つまりそれは「待っていろ」ということなのだろうか。どれくらいで終わるのかもわからないし、零も無関係ではないのでついて行ってみようとした。
「……鷺森君は待っていて」
「え?」
その気配が詩穂に伝わったのだろう。きっぱりと待機を命じられた。
「えっと、僕も無関係ではないと思うんだけど」
「こっちは私が対応するから」
「え? ああ、そう……」
零はそれ以上言い返すようなことはせず、大人しく椅子に座って待つことにした。
「こっちは」ということは、梨々香の方を対応する代わりに「亜梨沙の方は任せる」というニュアンスにも聞こえる。亜梨沙から詩穂の名前を聞いていないし、詩穂も亜梨沙の調子を知らなかったようなのでお見舞いに行っていないことは確かだろう。
それにしても。
出来るだけ色んな人に怪しまれないよう、長袖の薄着をしてきたのだが、冷房が効いてしまっていることもあって、零としては寒くて仕方がない。
そんな中で待たされることを考えると、気が遠くなる思いだ。
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「失礼します」
詩穂と長瀬は少しの遠慮も見せず病室へと入っていく。
この部屋は普通の病室とは少し毛色が違う。亜梨沙がいる部屋は一般の部屋だが、梨々香がいる部屋は「重度の中二病関係の怪我人」が入院する部屋だ。4人部屋ではあるが、そこに入院している4人全員が重度の中二病関係によって負傷したことになる。
梨々香は窓側にいた。起き上がって、ただ呆然と外を見ている。
「梨々香さん、こんにちは」
「あ、詩穂ちゃん……。こんにちは……」
「…………」
詩穂は幼い頃から梨々香のことを知っている。だが、当時見られたような輝かしい姿はない。ぐっと込み上がるものがあったが、それをどうにか『拒絶』して冷静さを取り戻す。
「思っていたより元気そうで安心しました」
「詩穂ちゃんも大きくなって……。きっと透夜が見たら喜ぶだろうね」
「私はしばらく父とは会っていませんが……。梨々香さんは?」
「…………」
穏やかな笑みを浮かべていた梨々香だが、そう問われて俯いてしまった。
「私も……しばらく会ってないよ……」
「そうですか」
詩穂は正直なところ、父である透夜としばらく会えていなくても大して何も思わない。彼女からすれば、母である詩織が精神的に病んでいるというのにも関わらず、ほったらかしにしている駄目な父親にしか思えないからだ。
しかし、一方で梨々香は彼と会えていないのが辛いようで俯いてしまっている。
「父のことはひとまず置いておくとして。梨々香さん、事件についてお話を聞きたいのですが」
「…………」
梨々香はそっと顔を上げて詩穂と長瀬を順番に見る。そしてまた俯き、詩穂にとって予想外の言葉を口にした。
「私の娣子を名乗る子は……?」
「えっ……?」
「今はまだ病室で休んでもらっています」
詩穂の代わりに答えたのは長瀬だった。長瀬としても梨々香の発言は予想外だったが、詩穂程驚いているわけではない。
そして更なる驚愕が2人を襲った。
「師匠、私はここにいますよ」
病室の出入り口。そこには堂々と立つ亜梨沙の姿があった。出歩いても大丈夫な程には体力が回復しているが、それでも出歩くのはあまり好ましくなかった。
「古戸さん!? まだ……」
長瀬が慌てて彼女に歩み寄り病室へと帰そうとする。だが、亜梨沙はそれに応じなかった。
「改めて。私は古戸亜梨沙、貴女の娣子です!」
「そう。亜梨沙ちゃん……」
亜梨沙を見る梨々香の表情は少し悲しそうなものだったが、少しの間だけ目を瞑ってからゆっくりと開き、何かを決したように言い放つ。
「刑事さん。詩穂ちゃん。私と亜梨沙ちゃんが退院したら全てをお話しします。その際は必ず亜梨沙ちゃんがいることを条件としてください」
「わ、わかりました」
その勢いに飲まれ、長瀬は何も考えることなく承諾した。
今はもう、ここにいても仕方がない。長瀬と詩穂は亜梨沙を連れて病室を後にした。
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廊下を歩きながら詩穂が亜梨沙問う。
「古戸さん、どうして梨々香さんがあの病室にいるってわかったの?」
その問いに対し、亜梨沙は微笑んで答える。
「私も師匠も歩いてご飯を食べに行けるから、食堂で師匠の姿を見つけたの。流石にそこで声を掛ける勇気は出なかったんだけど」
「そう……」
梨々香のいた病室はある意味で特別な場所ではあるが、生活の仕方そのものは特別扱いされていない。どうしても歩けないような状態なら看護師に運んできてもらえるが、亜梨沙と梨々香は2人とも少しでも歩けるように食堂で食事を取ったようだ。
とはいえ、亜梨沙が目覚めたのは昨日のこと。梨々香を発見できるのは朝食時しかない。
どうやらその偶然に長瀬は助けられたようだ。
「いやぁ、お陰で話を聞ける約束が取り付けられたよ。ありがとう、古戸さん」
「そういった意図はなかったんですけど……。まあ、いいか」
亜梨沙の病室では母親が困ったような顔をして待っていた。詩穂と長瀬は亜梨沙の母親に軽く挨拶をした後、零の待つ場所へと向かった。
読んでくださりありがとうございます。夏風陽向です。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!
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