証拠のない闇
詩穂は警察署に向かって歩きながら長瀬に電話を掛けると、すぐに繋がった。
『おや、鷺森君に続いて黒山さんとは……。どうしたのかな?』
「鷺森君はまだそこにいますか?」
詩穂はまともに挨拶を返すことなく単刀直入で用件を言った。電話の向こうで長瀬が小さく笑っていることに気が付いた。
『鷺森君なら今さっき帰っていったよ』
「そうですか、ありがとうございます」
それだけ言って電話を切ろうとした。しかし、長瀬が思い出したように『ああ、そうだ』と言ったので切ることが出来なかった。
「何ですか?」
『鷺森君に念を押すように言っておいて欲しい。この件については終わりだよって』
「……わかりました」
詩穂は長瀬が何を指して言っているのかよくわからなかった。ただ、今回の案件についてまだ「何か」があり、それは高校生が介入していいような問題ではないという、想像くらいなら容易に出来た。
今度こそ電話を切って、進む方向を変える。
今すぐ零に会わなくてはならない。
詩穂は重度の中二病による能力で自分の生まれ持った身体能力の限界を『拒絶』し、零の家から先回りするような展開をイメージして高速で走り出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
零はただひたすら家に向かって歩いていた。今この場で長瀬から貰った紙に残った残留思念を読み取っても良かったが、人々が往来する場所でやるのは危険だ。
場所の残留思念であれば、その場所と残留思念の情報が加えられるだけなので隙はないが、物に残った残留思念はそうもいかない。読み取り始めた瞬間、零の意識はその残留思念に関係した場所へと移動してしまう。
誰かに襲われるような危険はそうそうないと思いたいが、持っている荷物を狙われる可能性もあるし、通行人がぶつかって倒れてしまう可能性もある。
だから安心して読み取ることが出来る家へと早く帰りたかったのだ。
足早に、足早に歩を進める。その途中、わざわざ目の前に立つ女子高生の姿が見えた。
「あれ、黒山さん?」
「……鷺森君、心身はどう?」
「いや、筋肉痛がかなり痛いけど……。ってわざわざそれを聞く為に? ごめん、僕はちょっと忙しいんだ」
零は微笑を浮かべて小さく会釈し、その場を去ろうとした。冷たさを感じない無難なやり方。並大抵の人なら「今は忙しいんだな」と思うくらいの態度。
だが、詩穂の一言で零は立ち止まることとなった。
「長瀬さんからも伝言を預かってるのだけど」
「え?」
通り過ぎ掛けたところなので振り向く。詩穂は至って真剣な顔をしていた。詩穂の背中を照らす夕陽が生む影が手伝っているのか、彼女の冷やかさが零に伝わってくる。
「この件については終わり、だそうよ。鷺森君、一体何があったの?」
「いや何がって……。まあ色々あるんだけど、黒山さんとしては恋悟が捕まった時点で問題解決なんでしょ?」
詩穂が腕を組んで淡々と答える。
「確かに私にとっては問題が解決したわ。でも、鷺森君の問題はまだ続いているのよね?」
「…………」
彼女が好奇心で介入してくるのか、或いは本当に零のことを思って言ってくれるのか、それはわからない。
それでも零は長瀬から貰った紙を取り出さして見せた。
その紙は真っ白で何一つとして情報がない。
「これは、嫌がらせ?」
「違うよ」
詩穂は少しだけ怒りのこもった声でそう聞いた。実際、そう思っても無理はない。それは詩穂に限らず零以外の人ならそう思うことだろう。
だから零は否定と一緒に、この紙がどういう意味合いを持っているのか説明した。
「僕は遺書がもう1通あると思っている。だけど、長瀬さんは何も教えてくれない。その代わりにこの紙をくれたんだ」
「その紙に何が?」
「恐らく、僕達に明かせない理由が残留思念としてこの紙に宿っている。だから僕は早く家に帰って読み取りたいんだ」
「…………」
詩穂は少し考え込み、そして言葉もまとまらずに問う。
「鷺森君、大人がもういいって言うならいいんじゃない?」
「…………?」
「その、大人の言うことに逆らってまでやる必要はない……と私は思うのだけれど」
詩穂の言うことは正しい。先程、長瀬が言った通りに知らない方がいいこともあるし、知ろうとしないことが賢いこともある。
だが、それでも。
「それでも僕は知りたいと思うよ。この世を去ってしまった彼が後に残った僕達に伝えたいことを知らなければ、彼の魂は浮かばれない」
「そう……」
零の言うこともわからないでもなかった。遺書という形で遺した青年の思いを無下にするのは、詩穂としても寝覚が悪い。
「それを知っても、これ以上はこの件に関わらない。それでも鷺森君は知りたいと言うの?」
「うん。欲を言えば、そこにある何かを解決したいと思うだろうけど、多分出来ない。ただ出来なかったとしても、彼の遺書は無駄にならないというだけだと思ってる」
「……わかったわ。では、あそこで読み取りをしましょう」
詩穂が指差した先には公園があった。そこのベンチに腰掛けて読み取りをしようと言うのだ。
「でも、これを知ったところで黒山さんにとっては何の利益にもならないんじゃないか? それだったら迷惑をかけられないし、家に帰った方が……」
「いいえ。乗りかかった船、私もちゃんと知っておきたい」
詩穂の瞳には確かな意思が宿っている。零としては少し複雑な心境ではあったが、首を縦に振って了承した。
2人で公園に移動し、零が腰を掛ける。握った紙をじっと見つめて読み取りを開始した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
場面はNo10以外の遺書を見つけて集め終わり、校長室にて零や詩穂と対面し、読み取りをしてもらう当日から始まる。
場所は警察署内。集まった遺書は机の上に放置されたりするようなことはなく、厳重に保管されていた。
そして校長室にて零や詩穂と対面する当日、長瀬の背筋を凍らせる出来事が起こった。
「1通無くなってるだと!?」
それは関係者を騒然とさせた出来事だった。誰もが補完し忘れたのではないかと疑い、置いた可能性のある様々な場所を探して回った。
しかし、見つからない。刻一刻と藍ヶ崎高校を訪れる時間が迫っている。
「くそっ……!」
せめて、無くしたと思われる遺書の概要をメモに残そうとした。
「よせ」
ところが、長瀬は上司にそれを止められた。訝しげな顔で制止した上司を見る。
「何故ですか!? あの遺書に何か大切な情報があるかもしれないのに!」
「ナンバリングされていた遺書は揃っている。むしろ、あの遺書はこれまでの法則から外れており混乱を招くだけだ」
「だからって……」
ふと、長瀬は冷静に思考が巡った。そもそも無くした遺書はどこで見つかったものなのか。そこにヒントがある。
「まさか、企業と敵対するから……?」
「それはわからない。だが、あの遺書があったところで犯人には繋がらないだろう。鷺森君には2から9を見てもらうんだ」
「……承知しました」
遺書が持ち出された理由はわからない。そして、彼の職場から見つかった遺書は企業内の実態を訴えたもの。普通に考えれば、その企業と関わりのある人間がそれを処分するだろう。
しかし、その捜査は絶対に承認が降りない。むしろ強制的にも打ち切りにされるだろう。長瀬は心の中で零に謝罪しながらも、ペンを走らせようとしたメモ帳のページをグッと握った。
「すまない、鷺森君……」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
目の前の景色はすっと元の公園に戻った。詩穂が不思議そうに覗き込む。
「どうだった?」
「ああ、うん。中身はよくわからなかったけど、本来あったはずの遺書が1通だけ紛失したということはわかったよ。そしてどうやら、それは彼の職場から見つかったものらしい」
思い返せば、確かに職場で見つかったであろう遺書については情報を何も見た記憶がない。その場で気付かなかったことが悔やまれる。
零は立ち上がって周囲を見て自販機を見つける。そこに向かって歩き出した。
「黒山さん、ちょっと待ってて」
「え? ええ」
自販機で適当に飲み物を買う。夏だということもあり、ラインナップは冷たいものだけだ。結局、詩穂の分だけ買ってそれを彼女に渡した。
「はい、黒山さん」
「ありがとう」
詩穂は鞄の中から財布を取り出して支払おうとした。それを零が必死に止める。
「ああ待って。それは僕の奢りだから!」
「いえ、しかし……」
「いいんだ。読み取ってる間に守ってくれたわけだし、一刻も早く見たかったから助かるよ」
「そう……。ではお言葉に甘えていただくわ。えっと、鷺森君の分は?」
零はベンチに腰掛け、隣に座るよう詩穂に促す。そして彼女は間に鞄を置いてその分だけ距離を空けて座った。
「僕は見ての通り、能力による代償でかなりの寒がりになっているからね。冷たい飲み物を飲んだら余計に凍えてしまうよ」
「……成る程。ではお言葉に甘えていただきます」
「うん」
零が買って渡したのは缶の緑茶だった。炭酸飲料ではゲップが出てしまうので女性に渡すにはナンセンスだし、コーヒーは人によって飲めない場合もある。
そこで無難に緑茶を選んだのだ。暑いこの時期、その冷たい緑茶はかなり美味しく思えることだろう。
重度の中二病とは、思い描いた自分と少し異なる形として能力に現れる病。一般的に心の病気として扱われているが、その能力にはそれぞれ違った代償が存在している。
零の場合は、季節問わずに寒さを感じさせ続けられること。しばらく能力を使わなければ一般的な気温を体感できるが、全く期間を空けることのできない零はずっと寒さを感じ続けなければならなくなっている。
そして詩穂の場合は、自身にとって一番悲しい記憶を再体験させられること。一度体験したことのある出来事にも関わらず初めて体験する衝撃を受けるのだから、能力使用後はどうしてもメンタルが弱まってしまう。
もっとも、詩穂の表情はいつでも乏しいので、なかなかそれを悟られることがない。
詩穂は代償を受け続けている零に同情しながらも、零から与えられた情報を冷静に分析する。
「鷺森君、結局のところ誰が遺書を隠したのかはわかっていないのよね?」
「そのようだね。それが説明出来ず、警察にとっても都合の悪いことだから僕達に話すことが出来ない。そしてナンバリングされていない……のかよくわからないけど、その遺書の存在を予想させる要素もないから、遺族にも怪しまれないんだと思う」
「───となると、犯人は彼の自殺について心当たりのある人間となるわね。或いは、恋悟が関わってるとわかってて恋悟だけに罪を被せたいと思った人か」
「どちらにせよ、警察内部にいないと行動は出来ない。僕達では手の出しようがないということか」
「悔しいけれど、そうなるわね」
話しているうちに詩穂は緑茶を飲み切ってしまった。零が思っていたより速かったのは、詩穂が移動に全力を出して喉が渇いていたからだろう。
その様子を微笑みながら見ていた零は立ち上がって1つの提案を持ちかけた。
「僕、彼の家にお邪魔しようと思う」
呼んでくださりありがとうございます。夏風陽向です。
久々に5000文字を迫る勢いでお送りしました。筆が走ったんです。
というのも「俺ガイル・完」を見たからです。元々原作は全巻持ってて読み終えていたのでアニメの方は続までしか追えてなかったのですが、何を思ったのか、ついに見ました。
勿論、感動しました。というより、何でしょうね。あの、胸を締め付けるような感じ……。
キャラが、物語が、あの世界がたまらなく愛おしい。終わってしまったのがすごく切なく感じる。本当に不思議な気持ちです。
というわけで2周目に入ったわけですけども、はい。
そうしてまた1から始められるのは、本なりアニメなりでメディア化しているものの良いところですよね。人生はそうもいかない。
バレンタインが近いですね。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!