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小さい頃は、外国人て聞くとみんなアメリカ人だと思ってた。
そしてアメリカ人はみんなキリスト教徒だと思ていた。
大人は何でもできるものだと思っていたし、自分は高校卒業後に大学生になって、一人暮らしをして、東京にあるビルのどこか一角でPC入力とお茶汲みとコピーをとりつつ、電話をどこかに取り繋いで、そこで出会った誰かとお付き合いをして、東京タワーとレインボウブリッジの見える夜景の奇麗なレストランで、シャンパンで乾杯をしながら婚約指輪とプロポーズ、それが23歳頃に起ることで、25歳になる頃には子供が2人。
自分は長女だったから、お兄ちゃん、妹という順で子供がいて、日曜日には家族皆で赤い色のセダンに釣り道具を一式詰めて、私が朝に拵えたツナやレタス、トマトやチーズのたくさん詰まったサンドウィッチや、タコ型に焼いたウィンナー、林檎をバスケットに詰めてピクニックをして、日が暮れる頃には子供達は後部座席で今日一日を思い出しながら深く眠り、私は助手席で旦那さんと微笑みながら幸せを感じているものだと思っていた。
現実って皮肉だ。
思い描いたまだ見ぬ未来の人生設計は脳内で完璧に作り上げたはずなのに、実際に実行をすることは非常に難しい。
私は結局高卒で、大学へは行かなかったし、東京にあるビルのどこか一角で働いてはいるけど、それは私の人生設計の中でのモノとは大きくかけ離れていて、高校卒業後に新卒で就職をした宝石店の事務を2ヶ月で退社。
夢も希望も、途方も無く、風俗で働いている。
思い描いた人生設計通りの軌道修正をすることもなく、ただ毎日をこの赤いランプの灯る生臭い小さな部屋で過ごしている。
大きくかけ離れた人生の中、空っぽの脳で、内側に神経の詰まった何も映さない黒いビー玉みたいな目を、携帯の画面に向けてひたすらに必死だった。
何に必死だったのだろうか。
本当は何も必死なことなんて無かった。
だって客は呼ばなくてもうんざりするほどに来店する。
東京の冬は寒いと言うけれど、寒いのは気温の話しではなくて、東京は一年中寒いのだ。
「ルイちゃん可愛いねえ、こういうこと好きなの?」
行為の最中は早く終わる事だけを考えて、更には終わった後に何をしようかな、昨日は餃子を食べたから、今日は和食がいいな。という事ばかりを考えている。
余裕があることが大半だ。
「ねぇ、ここが気持ちいいの?」
私の脳内はめまぐるしい。
急に昔あった嫌なことや、嬉しかったこと、恥ずかしかった事を思い出したりもする。
そういえば、私はまだ小学校の頃に近所に住んでいた幼なじみの雅彦が好きだ。
今もし雅彦が目の前にいたら、私は迷わず好きだと告白をする。
だって今の私は。。。。。
「あぁやっぱりね、ここが気持ちよかったんだ。変態だね」
急に現実に戻ると死にたくなる。
物理的な傷みには堪える事が出来るのに、どうしてこうも死にたいのだろう。
不意に襲ってくる感覚に身を捩らせて、そのときは作り物の喘ぎ声でなく、目の前に覆い被さる世界一醜い獣と同じ、世界一醜い獣の番いになり、上下に何度も揺れる腰のリズムにあわせて出し入れされた雄を感じ、茂みの奥に放射された熱を感じながら、あぁ煙草が吸いたいなと思う。
「あれ、ラッキーストライク?随分と顔に似合わない煙草を吸うんだね、なんだか意外だなぁ。ルイちゃん童顔だから煙草を吸うってだけでも意外だったのに」
先ほどまで馬鹿みたいに私の上で盛っていた世界一醜い獣は、もう世界一醜い獣ではなくなっていた。
どこにでもいる、どこにもいるただのヒトだった。
私は奇麗なモノが好きだから、いつもこのときに許せいないモノがある。
それは今目の前の光景から説明をしてゆくと、30代後半の雄の裸体を客観視した際のグロテスクさと、その雄がスーツを着直す過程でおきる、ズーツのズボンからではなく、Yシャツから羽織りボタンを留める際の姿である。
できればズボンから履いてくれるといいな。そんなことを考える。
ただ単に雄の脚が嫌いなのだ。
「うん、だって天国に一番近い煙草だから」
「よく知ってるね、ルイちゃん何歳だっけ?」
「20」
「なんだかな。20歳だったらもっと色々できるのに勿体ないね。やりたいこととかは無いの?」
「無いよ、別に何にも無い」
「俺も将来やりたいこととかは昔は無かったけど、それでも就職はしたよ」
「そうなんだ」
「バブル後だったからそれこそ戦乱だったよ、ひたすら働いてさ。気づけば40手前。結婚して家族を持つのっていいよ。ルイちゃんも何かやりたいことがあるといいね、早くこんなところ辞めないと」
「そうだね」
大体雄は行為が終わって冷めると、説教が始まる。
スーツというモノは汚いモノを隠す為の道具だ。
とりあえず着ていれば好印象を与えることができるし、説教がましくても社会的にOK。
こういう人間は大抵会社で頭を垂れて一日に何度も「すみません」か「もし分け有りません」を連呼しているのだと思う。
家庭内は悪くはないがそこそこ上手く入っていないのだと思う。
「こういうのも何だけどね、もう少しちゃんと人の話しも聞いた方が良いと思うよ。そのほうがきっと次に繋がるよ」
次なんて無い癖に。
「じゃあね」
ドアが閉まる音は非常に軽い音。
部屋に響きもしないし、開いたのか閉まったのか、わからない。
隙間から差し込んだ廊下の白い蛍光灯の光は、生臭い空気に一瞬溶け込んで、私の目にその残像を残す。
「別にいいの。次なんてなくて良いのー」
自分の声だけがベッドサイドの赤いランプの下、部屋中に木霊した。
返事は勿論無い。
「ルイちゃん次いつ来れる」
下働きのボウイの亮介はいつも軽快な声で出勤日を訪ねる。
この瞬間が一番嫌い。
だって「次」なんて無いから。
「・・・明日かな」
「そっか、それじゃあ・・・明日だと女の子4人しかまだ出勤決まってないから助かるよ!」
「瑞希が明日暇って言ってた、声かけてみればいいと思う」
「そうなの、じゃあ後で声かけてみる、ありがとう!おつかれさま!また明日!」
「お疲れさま」
店を出るときはいつも清々しい。
東京っていう大都会の真ん中にいるのに、まるでどこかの避暑地の朝を鳥の囀と共に迎えたかのような気分。
なんて陳腐な表現なんだろう。
でも、それでもそんな表現が非常に似つかわしくて、それ以上に難しい言葉も要らない。
でも「また明日」とか、「また来週」とか、「また」は嫌いだ。
だって次なんて無いのだから。
次なんて無いのだから。。。
私は東京が嫌いだ。
特に渋谷のスクランブル交差点は観光地でもないのに外国人旅行者にとっての観光スポットになっている。
あの交差点を横断するとき、私は世界から消えてしまったような気がするのだ。
たくさんの人間、たくさんの声、たくさんのネオン、5つの方向にひかれた横断歩道の白線を無視して、縦横無尽に行き交う人々の中で、溺れてしまい、窒息しそうになる。
信号が点滅する頃に、ようやく息を吹き返して、足早に反対側の陸へたどり着く。
私は今どこにいるのかな。私は今ここにいるのかな。
私って何してるのかな、私って必要なのかな。
此処にはこんなにも人間がいるんだと再認識をする。
充分なほどこんなにも人間がいるのに、私は。。。
信号の点滅は赤に変わる。
私の家は埼玉にある。
埼京線沿いの東京へのアクセスが便利な場所を選んだ。
夏には花火大会があって、去年の夏は引っ越して初めての花火大会を一人窓から眺めていた。
何度も打ち上がる花火は炭酸水の泡沫のようで、なんとなく一日で死ぬ蜉蝣を思い出した。
夜なのに蝉の声はまだ響いていて、1週間しか生きることのできない命の短さを思ったが、奴らは土の中で4年生きている。結構長い。
泡沫といえば、泡沫と書いてうたかたと読むことがある。
これは森鴎外の泡沫の記からではなく、ボリス・ヴィアンのうたかたの日々で覚えたことだ。
ヒロインのクロエは、主人公のコランと結婚後裕福な生活を送っていたが、肺に睡蓮が咲いてしまう奇病にかかり、結局死んで、生前贅沢三昧していたせいで葬儀はコランがどんなに頑張って働いても惨めなものになってしまったという一見残念なストーリーだ。
でも私はこの話しが好き。
だって生前に愛する恋人と結ばれ、贅沢三昧の生活の挙げ句、美しい奇病で死ぬことができる。
どんなにこの話しに憧れただろうか。
最後の葬儀が惨めでも、どうせ死んだ後だから関係無い。こえれは私の宗教論。
私は死に焦がれてはいても、死には取り憑かれていない。
ただ、左腕は既に傷だらけだ。
死にたいからやっているわけではないけれど、死にたくないからやっているわけでもなくて、宙に浮かんだ私の中身が傷みと共に引き戻される感覚と、そうしなければいけないと思うところがあったからだ。
誰にも、自分自身にも掴むことができない、呼び戻す事ができない私の中身。
最近は傷みを感じることがなくなった。
神経が傷ついて、痺れて傷みを感じることができなくなってしまったのだと思う。
病院にはしばらく行っていなかった。
薬は嫌いじゃない、すごく楽になるけれど、すごく苦しくもなる。
だから悲しくて、だから死にたくて、だから逃げたくて、だから傷つけて、だから泣いて、だからもっと嫌いになって、だからもっと無関心になる。
私は小説と絵は好きだけど、それ以外には無関心なんだ。




