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いちゞくの花  作者: イヲ
第七花
44/68

-6-

ずっと思っていたことだけど。

この人が苦しむにふさわしいことだということを。


「きみはさ、そのままでいてほしい。むりに変わろうとしなくたっていい。これは俺のわがままだけどね」

「……変わってますね。あんたは」

「はは。今更だろう」


宿にチェックインして部屋に案内され、そこから見える景色はやはり海が広がっていた。

海面が、きらきらと輝いている。

太陽の光で畳の部屋のなかでも橙色に染まっていた。


甘やかしてもらっているということは分かる。

だからこそ、どこか――本当に悪いと思ってしまう。

それが明宜にとって是としているとしても。そして、後ろめたさを感じてしまっていることこそが、明宜を信じていないということだとしても。

怖いのだ。

本当に、人の心が。

自身の親が子を憎み、死ねと連呼することこそが、不信をあおる要因になっているとわかっている。


「大丈夫だからさ」

「――なにがですか」


明宜は静かにほほえんで、永劫の頭をそっと撫ぜた。

その意味が分かっているのに問うてしまう自分は、やはり卑怯なのだろう。


「うん。いろいろとさ。きみはこのまま、真っ直ぐ生きていてくれればいい」

「俺、ちゃんと生きていける自信なんてないですけど」

「ちゃんと生きてる人なんて、ほとんどいないさ。ちゃんと生きろなんて、親みたいなことは言わないよ」


苦笑いする明宜を見て、すこしだけ胸が痛んだ。


「きみは、やさしいね」

「そうでもないです。俺だって嫉妬するし、汚い気持ちだっていっぱいありますよ」

「そんなものがない人間なんて、気持ち悪いだけでしょ」


もっともなことを言われて、何も言えない。

茶を入れた湯飲みは、すでにからになっていた。

もっと飲みますかと問うたら、いらないとかぶりを振る。


「……」


明宜はぼんやりと煙草を吸って、天井を見上げた。煙が漂い、それをなんとなく見上げる。

何かを話そうとしても、何を話せばいいのかわからなくなった。

家ではかなり話す方だと思ったのだが、先刻のくちづけのせいか、何となく意識をしてしまっていると、そう思うことがなんとなく悔しい。

だからといって何も話さないのもおかしいだろう。

たぶん。


「きみさ」


ふいに話しかけられて、思わず肩がすくむ。

それが(やはり)悔しくて、なんとなく咳き込んだ。


「意識してる?」

「……!」

「してるでしょ」


薄い飴色の長い前髪から、ちらりと同じような薄い色の目がこちらを見つめている。

まるで鈴鹿のように、カラーコンタクトをしているかのようだ。

それでも、自前なのだとわかっているが、どこか作り物のようにも見えた。


「……わかるよ。それくらいね」

「べ、つに……」

「きみは嘘が下手くそだよねぇ」


かるく笑われて、なんとなく悔しくなる。

別に嘘が下手でいいことがあるのかと思うと、今までの人生のなかで特にありはしないから、悔しと思うこともないのだろうけど。


「俺に触れられることがいやじゃないなら、触れるよ」

「……あんたこそ」


たとえ明宜の過去がどうであれ、今の明宜のことは永劫が知っている。

だからこそ、わからなくなってしまう。


「ん?」

「あんたこそ俺に触るの、ためらいとかあるんじゃないんですか」

「はは。たしかにね」


やはりそうか。

男同士、そういうことをするのにためらいがないわけがないのだ。


「そういうことじゃないよ。きみがそう思っているようなことじゃない」


二度も否定されて、じゃあどういうことなんだと問い詰めようにも、そんな勇気などない。


「きみはほら、まだ未成年だし。こんなおっさんが未成年の子供に手を出すなんて、犯罪だろう? まあ、もっとも俺にも限界ってものがあるけど」

「……限界?」


わずかに不穏な空気が流れた、気がする。

飴色の目はかすかに細められていて、背筋にひんやりしたものが流れた。


「そう。我慢のね」

「な、なんの我慢だよ……」


思わず問うてしまった。

机の向こう側にいる明宜は、ずりずりと膝をひきずって、永劫の目の前に座りこむ。


「あれ。本当にわかってない?」

「……」

「さっき、きみ、言ったじゃない。ずるいことを言いますね、って」

「そ、それは」


そう言われてしまえば、何も言えない。押し黙っていると、明宜は顔をちかづけてくちびるの端をあげた。


「きみが決めていいよ。いやなら触れない。いやじゃなかったら触る」

「それこそ、ずるいじゃないか……」


苦し紛れにつぶやいて、明宜をにらみつける。

それでも彼は軽く笑い、「そうだね」と首をかたむけた。


「俺はずるいから、きみのやさしさにつけこんでる。だから、拒絶しても俺は傷つかないし、これ以上は触れない。触れなくても俺はきみが好きだからね。――まあ、それでもやっぱりきれいなだけじゃいられないけど」


生身の思いなのだろう。

嘘偽りのない、本気の思い。

だからこそ、永劫はそれに本当の思いで応えなければならない。


「あんたには本当に恩があるし、あんたがしたいことを俺は絶対に拒絶はできないし、したくもない。でも、その……そういうことじゃないんだよな。あんたが言ってることは」

「そうだね」


彼は短くうなずいて、永劫の言葉を待っている。


「俺の思いなんか本当は二の次にしたかったけど、そう言うとあんたは怒りそうだし。俺の本心が、あんたは知りたいんだろ」

「うん」


しどろもどろになる言葉でも、明宜は辛抱強く聞いてくれている。

そこが本当に大人なのだと、知った。


「その、……俺なんかでよかったら、いいよ」

「……うん。わかった」


目の前の明宜は、ほんとうにやさしい顔で笑った。

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