-6-
ずっと思っていたことだけど。
この人が苦しむにふさわしいことだということを。
「きみはさ、そのままでいてほしい。むりに変わろうとしなくたっていい。これは俺のわがままだけどね」
「……変わってますね。あんたは」
「はは。今更だろう」
宿にチェックインして部屋に案内され、そこから見える景色はやはり海が広がっていた。
海面が、きらきらと輝いている。
太陽の光で畳の部屋のなかでも橙色に染まっていた。
甘やかしてもらっているということは分かる。
だからこそ、どこか――本当に悪いと思ってしまう。
それが明宜にとって是としているとしても。そして、後ろめたさを感じてしまっていることこそが、明宜を信じていないということだとしても。
怖いのだ。
本当に、人の心が。
自身の親が子を憎み、死ねと連呼することこそが、不信をあおる要因になっているとわかっている。
「大丈夫だからさ」
「――なにがですか」
明宜は静かにほほえんで、永劫の頭をそっと撫ぜた。
その意味が分かっているのに問うてしまう自分は、やはり卑怯なのだろう。
「うん。いろいろとさ。きみはこのまま、真っ直ぐ生きていてくれればいい」
「俺、ちゃんと生きていける自信なんてないですけど」
「ちゃんと生きてる人なんて、ほとんどいないさ。ちゃんと生きろなんて、親みたいなことは言わないよ」
苦笑いする明宜を見て、すこしだけ胸が痛んだ。
「きみは、やさしいね」
「そうでもないです。俺だって嫉妬するし、汚い気持ちだっていっぱいありますよ」
「そんなものがない人間なんて、気持ち悪いだけでしょ」
もっともなことを言われて、何も言えない。
茶を入れた湯飲みは、すでにからになっていた。
もっと飲みますかと問うたら、いらないとかぶりを振る。
「……」
明宜はぼんやりと煙草を吸って、天井を見上げた。煙が漂い、それをなんとなく見上げる。
何かを話そうとしても、何を話せばいいのかわからなくなった。
家ではかなり話す方だと思ったのだが、先刻のくちづけのせいか、何となく意識をしてしまっていると、そう思うことがなんとなく悔しい。
だからといって何も話さないのもおかしいだろう。
たぶん。
「きみさ」
ふいに話しかけられて、思わず肩がすくむ。
それが(やはり)悔しくて、なんとなく咳き込んだ。
「意識してる?」
「……!」
「してるでしょ」
薄い飴色の長い前髪から、ちらりと同じような薄い色の目がこちらを見つめている。
まるで鈴鹿のように、カラーコンタクトをしているかのようだ。
それでも、自前なのだとわかっているが、どこか作り物のようにも見えた。
「……わかるよ。それくらいね」
「べ、つに……」
「きみは嘘が下手くそだよねぇ」
かるく笑われて、なんとなく悔しくなる。
別に嘘が下手でいいことがあるのかと思うと、今までの人生のなかで特にありはしないから、悔しと思うこともないのだろうけど。
「俺に触れられることがいやじゃないなら、触れるよ」
「……あんたこそ」
たとえ明宜の過去がどうであれ、今の明宜のことは永劫が知っている。
だからこそ、わからなくなってしまう。
「ん?」
「あんたこそ俺に触るの、ためらいとかあるんじゃないんですか」
「はは。たしかにね」
やはりそうか。
男同士、そういうことをするのにためらいがないわけがないのだ。
「そういうことじゃないよ。きみがそう思っているようなことじゃない」
二度も否定されて、じゃあどういうことなんだと問い詰めようにも、そんな勇気などない。
「きみはほら、まだ未成年だし。こんなおっさんが未成年の子供に手を出すなんて、犯罪だろう? まあ、もっとも俺にも限界ってものがあるけど」
「……限界?」
わずかに不穏な空気が流れた、気がする。
飴色の目はかすかに細められていて、背筋にひんやりしたものが流れた。
「そう。我慢のね」
「な、なんの我慢だよ……」
思わず問うてしまった。
机の向こう側にいる明宜は、ずりずりと膝をひきずって、永劫の目の前に座りこむ。
「あれ。本当にわかってない?」
「……」
「さっき、きみ、言ったじゃない。ずるいことを言いますね、って」
「そ、それは」
そう言われてしまえば、何も言えない。押し黙っていると、明宜は顔をちかづけてくちびるの端をあげた。
「きみが決めていいよ。いやなら触れない。いやじゃなかったら触る」
「それこそ、ずるいじゃないか……」
苦し紛れにつぶやいて、明宜をにらみつける。
それでも彼は軽く笑い、「そうだね」と首をかたむけた。
「俺はずるいから、きみのやさしさにつけこんでる。だから、拒絶しても俺は傷つかないし、これ以上は触れない。触れなくても俺はきみが好きだからね。――まあ、それでもやっぱりきれいなだけじゃいられないけど」
生身の思いなのだろう。
嘘偽りのない、本気の思い。
だからこそ、永劫はそれに本当の思いで応えなければならない。
「あんたには本当に恩があるし、あんたがしたいことを俺は絶対に拒絶はできないし、したくもない。でも、その……そういうことじゃないんだよな。あんたが言ってることは」
「そうだね」
彼は短くうなずいて、永劫の言葉を待っている。
「俺の思いなんか本当は二の次にしたかったけど、そう言うとあんたは怒りそうだし。俺の本心が、あんたは知りたいんだろ」
「うん」
しどろもどろになる言葉でも、明宜は辛抱強く聞いてくれている。
そこが本当に大人なのだと、知った。
「その、……俺なんかでよかったら、いいよ」
「……うん。わかった」
目の前の明宜は、ほんとうにやさしい顔で笑った。




