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いちゞくの花  作者: イヲ
第六花
32/68

-2-

「大丈夫です」

「ほんとかなぁ」


疑っている。

本当のことを言うと、すこし眩暈がする。

だが、それだけだ。

きっと、じっとしていれば治るだろう。


「……眩暈とか、するんじゃない?」

「え」

「ほら、当たった。今日はじっとしてなさい。章介さんのお見舞いは俺が行っておくから」

「……」


そういわれてしまえば、何も言えない。

黙ってうなずく。無理やりついて行って迷惑をかけることもないだろう。

それにしても、過保護すぎではないだろうか。


朝食を食べ終わっても、片付けさえさせてくれなかった。

たしかに、ふらついて皿を割っては参事だが。




「じゃあ、行ってくるよ。誰か来ても、出なくていいからね。いってきます」

「……いってらっしゃい」


玄関で別れたあと、さて何をするかと考える。

そういえば、課題があったか。

夜、少しずつ進めてはいたが、このまま一気に片付けてしまってもいいかもしれない。


自室としてあてがわれた部屋は、すでに見慣れてしまった。

あちこちに札が貼られている部屋に、パソコンが置かれているちぐはぐな光景も。


「……」


座布団の上に座って、ノートパソコンを開く。

――そういえば、野良神、とは世間一般ではどのような認識なのだろうか。

明宜に聞かされた以前は、まったく聞いたことがなかった。

検索してみても、めぼしいものはない。

やはり、認識されていないのだろう。


「……野良神は、喰らうもの、って言ってたな」


それでもどこか曖昧すぎて、ほんとうは何なのか分からない。


野良神は、人の記憶や思い出を喰って存在している。

逆にいえば、野良神は人間がいなければ存在できないのだ。


そして、永劫は自分の世界を変えた。

明宜が「猫」だと言ったものを「犬」だと思うし、反対もしかりらしい。

たしかに、人とちぐはぐなことを言うことが多いかもしれない。

回転寿司に行ったときに、タコだと思っていたものがイカだったこともあった。

食べてみて気づいたのだ。

そういうことが多々ありすぎて、混乱した時もある。

もしかすると、小中学校の時はいじめられていたのかもしれない。

もっとも、覚えていないのだが。


キーボードを叩く手が止む。


なんだか今日は、気分が沈むような気がする。

もしかすると明宜は、それを察してくれていたのかもしれない。

今朝変えたばかりのお守りを取り出して、握りしめる。


どうして今日はこんなに気分が沈むのだろう。

あんな夢を見たからだろうか。


それとも、ひとり、だからだろうか。


「どっちもありそうで、やだな……」


独り言さえむなしい。

天井を見上げた瞬間、ぐらりと天井が揺れた気がした。それは眩暈のせいだとわかっていても、気分が悪い。

座っているのも億劫になってきて、すこしだけ横になる。


「……」


畳の匂いが心地いい。


このまま、眠ってしまおうか。

どうせまだ一か月も夏休みは続く。課題もこの分だと早々と終わるだろう。


うとうととする。

こういう時が一番気持ちがいい。

このまま眠れるだろう。このまま、泥のなかに沈むように。

海に抱かれるように。



どれほど眠っていただろうか。


夢さえ見ない。

夢を見ることが怖かった。今朝の、あんな苦しい夢を見るなら、眠らない方がよかった。

お守りを握りしめて、いつの間にか眠っていた永劫は、ふいに目を覚ます。


呼び鈴が鳴ったからだ。


「……」


ぼんやりとそれを聞いている。

確か、出なくてもいいと聞いていたが、出た方がいいだろうか。


一回。

二回。

三回。

四回。

五回目を聞いたところで、のろのろと体をうごかす。


廊下をぼんやりと歩く。

その間もチャイムは鳴り響き続けていた。


「はいはい」


一分ほどのんびり歩いて、ようやく玄関につく。

ぴんぽんぴんぽん何回鳴り響いただろうか。やっと戸に手を当てて開くと、いきなりきぃんとした声が耳朶を突き刺した。


「ちょっと! 遅いじゃない! 私を誰だと思ってるのよ!」

「――は?」


目の前には、美人だがきつい顔だちの女性が立っている。

誰だ。この人は。

未だぼうっとする頭では、どちら様ですかと尋ねる余裕もなかった。


黒く長い髪の毛をした女性は、じろじろと品定めをするかのように視線でなめまわす。


「あ、あの? どちら様ですか?」


ようやく出たその言葉に、目の前の女性は、きっとこちらを睨んで、口許をゆがめた。


「私は高桐美鈴よ。高桐薬品の社長の娘のね」

「はあ……。そうですか。あの、珊瑚さんなら今出ていますけど」

「あっそう。なら、中で待たせてもらうわ」


おじゃましますも何も言わずに、ずんずんと玄関を上がってしまう。

見られて困るほど汚くはないが、この家は永劫の家ではない。勝手に上がってもいいのだろうか。


「相変わらず臭い家ね。線香臭いって言うか、古臭いって言うか! それに、狭いし汚いし」


ぱたぱたと鼻の先で手を振る高桐美鈴を見て、少しだけ気分を害す。

この人はきっと、きれいな洋式の家に住んでいるのだろう。

社長の娘というのなら、それこそ豪邸だ。


「明宜がこの家にいなかったら、こんな家、絶対来ないわ」

「……」


何様なんだ。この女は。

たぶん自分は、この女の事があまり好きになれないと思う。


きれいな白いワンピースをひらりとなびかせて、いちばん大きな客間に我が物顔で座った。

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