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「大丈夫です」
「ほんとかなぁ」
疑っている。
本当のことを言うと、すこし眩暈がする。
だが、それだけだ。
きっと、じっとしていれば治るだろう。
「……眩暈とか、するんじゃない?」
「え」
「ほら、当たった。今日はじっとしてなさい。章介さんのお見舞いは俺が行っておくから」
「……」
そういわれてしまえば、何も言えない。
黙ってうなずく。無理やりついて行って迷惑をかけることもないだろう。
それにしても、過保護すぎではないだろうか。
朝食を食べ終わっても、片付けさえさせてくれなかった。
たしかに、ふらついて皿を割っては参事だが。
「じゃあ、行ってくるよ。誰か来ても、出なくていいからね。いってきます」
「……いってらっしゃい」
玄関で別れたあと、さて何をするかと考える。
そういえば、課題があったか。
夜、少しずつ進めてはいたが、このまま一気に片付けてしまってもいいかもしれない。
自室としてあてがわれた部屋は、すでに見慣れてしまった。
あちこちに札が貼られている部屋に、パソコンが置かれているちぐはぐな光景も。
「……」
座布団の上に座って、ノートパソコンを開く。
――そういえば、野良神、とは世間一般ではどのような認識なのだろうか。
明宜に聞かされた以前は、まったく聞いたことがなかった。
検索してみても、めぼしいものはない。
やはり、認識されていないのだろう。
「……野良神は、喰らうもの、って言ってたな」
それでもどこか曖昧すぎて、ほんとうは何なのか分からない。
野良神は、人の記憶や思い出を喰って存在している。
逆にいえば、野良神は人間がいなければ存在できないのだ。
そして、永劫は自分の世界を変えた。
明宜が「猫」だと言ったものを「犬」だと思うし、反対もしかりらしい。
たしかに、人とちぐはぐなことを言うことが多いかもしれない。
回転寿司に行ったときに、タコだと思っていたものがイカだったこともあった。
食べてみて気づいたのだ。
そういうことが多々ありすぎて、混乱した時もある。
もしかすると、小中学校の時はいじめられていたのかもしれない。
もっとも、覚えていないのだが。
キーボードを叩く手が止む。
なんだか今日は、気分が沈むような気がする。
もしかすると明宜は、それを察してくれていたのかもしれない。
今朝変えたばかりのお守りを取り出して、握りしめる。
どうして今日はこんなに気分が沈むのだろう。
あんな夢を見たからだろうか。
それとも、ひとり、だからだろうか。
「どっちもありそうで、やだな……」
独り言さえむなしい。
天井を見上げた瞬間、ぐらりと天井が揺れた気がした。それは眩暈のせいだとわかっていても、気分が悪い。
座っているのも億劫になってきて、すこしだけ横になる。
「……」
畳の匂いが心地いい。
このまま、眠ってしまおうか。
どうせまだ一か月も夏休みは続く。課題もこの分だと早々と終わるだろう。
うとうととする。
こういう時が一番気持ちがいい。
このまま眠れるだろう。このまま、泥のなかに沈むように。
海に抱かれるように。
どれほど眠っていただろうか。
夢さえ見ない。
夢を見ることが怖かった。今朝の、あんな苦しい夢を見るなら、眠らない方がよかった。
お守りを握りしめて、いつの間にか眠っていた永劫は、ふいに目を覚ます。
呼び鈴が鳴ったからだ。
「……」
ぼんやりとそれを聞いている。
確か、出なくてもいいと聞いていたが、出た方がいいだろうか。
一回。
二回。
三回。
四回。
五回目を聞いたところで、のろのろと体をうごかす。
廊下をぼんやりと歩く。
その間もチャイムは鳴り響き続けていた。
「はいはい」
一分ほどのんびり歩いて、ようやく玄関につく。
ぴんぽんぴんぽん何回鳴り響いただろうか。やっと戸に手を当てて開くと、いきなりきぃんとした声が耳朶を突き刺した。
「ちょっと! 遅いじゃない! 私を誰だと思ってるのよ!」
「――は?」
目の前には、美人だがきつい顔だちの女性が立っている。
誰だ。この人は。
未だぼうっとする頭では、どちら様ですかと尋ねる余裕もなかった。
黒く長い髪の毛をした女性は、じろじろと品定めをするかのように視線でなめまわす。
「あ、あの? どちら様ですか?」
ようやく出たその言葉に、目の前の女性は、きっとこちらを睨んで、口許をゆがめた。
「私は高桐美鈴よ。高桐薬品の社長の娘のね」
「はあ……。そうですか。あの、珊瑚さんなら今出ていますけど」
「あっそう。なら、中で待たせてもらうわ」
おじゃましますも何も言わずに、ずんずんと玄関を上がってしまう。
見られて困るほど汚くはないが、この家は永劫の家ではない。勝手に上がってもいいのだろうか。
「相変わらず臭い家ね。線香臭いって言うか、古臭いって言うか! それに、狭いし汚いし」
ぱたぱたと鼻の先で手を振る高桐美鈴を見て、少しだけ気分を害す。
この人はきっと、きれいな洋式の家に住んでいるのだろう。
社長の娘というのなら、それこそ豪邸だ。
「明宜がこの家にいなかったら、こんな家、絶対来ないわ」
「……」
何様なんだ。この女は。
たぶん自分は、この女の事があまり好きになれないと思う。
きれいな白いワンピースをひらりとなびかせて、いちばん大きな客間に我が物顔で座った。




