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一応、お客という扱いをしなければならないだろう。
茶をいれて差し出すと、まるで無視を見るかのような目で永劫を見上げた。
「信じらんない! この私に緑茶ですって!?」
「!」
そう叫んで、――湯呑を投げ捨てた。
畳に茶が散らばって、こん、と音がする。
「私を誰だと思ってるのよ! 高桐薬品社長の娘よ! 明宜を出しなさいよ! 早く!」
「……珊瑚さんは外出中と言ったはずですけど」
湯呑を拾い、ふきんで畳の上をぬぐう。湿ってしまっているが、大丈夫だろうか。
この高桐美鈴という女は、自分の思うとおりにならないとかんしゃくを起こす人間らしい。
そういう人間は、どこかで見た気がする。
記憶の泥のなかにうずまっていて、どこにあるのか分からないが。
ぼそりと呟くと、彼女は再びきんきんする声で叫び始めた。
「いいから! 早く出しなさいよ! 私は明宜の彼女よ!? どこにいたって、駆けつけるのが普通でしょ!」
――彼女。
どこかぼんやりとする頭に、その二文字が刻まれる。
まさか、という思いと、やっぱりか、という思いが次に浮き出た。
それでもまるで石で頭を殴られたかのような感覚に、わずか失笑する。
よくよく考えてみれば、ふつう男と付き合うよりも、女と付き合った方がいい。
世間一般的に考えれば、そうなのだろう。
それでも、信じたかった。
疑ってはいたものの、本当は。
少なからずショックを受けている自分がどこかむなしい。
「ちょっと、暑いじゃない。エアコンつけなさいよ」
「ありませんよ、そんなもの」
「じゃあ買ってきてよ。今すぐ」
「……」
暴言にイライラするよりも、頭は今休息を求めている。ぼんやりとして、とてもじゃないが思考がうまくできる状態じゃない。
すこし疲れた。
女はぎゃんぎゃんと何かわめいているが、言葉が追い付かない。
それほどまでにショックだったのだろうか。自分は。
いや、そんなはずはない。
頭の片隅にでも、分かっていたはずだ。
明宜は、何を考えているのか分からない。嘘をついていてもついていなくても、まったく読めないのだから。
だから、苦しくないし辛くもないし、悲しくもない。
これは、嫌な夢をみたからこんな沈んだ気持ちになるんだ。
だから、だから。
そう言い訳しても、頭は追い付かない。
「ただいま」
遠くで声がする。
もう帰って来たのか。早いな、と思っていると、目の前に座っていた女の姿はすでになかった。
代わりに廊下を走る、かわいらしい音が聞こえる。
「……」
眩暈がひどい。ぐらぐらとしていて、立つことさえできない。
畳に手をあてて、目をとじる。目を閉じなければそのままひっくり返りそうだったからだ。
できたら、明宜のこんな姿を見せたくない。
「ぅ……っ」
体重を支える腕が無様に震えて、(ああ、このまま倒れたら楽だろうけど。)そう思うも、やはりあんな女とはいえ、女性の目の前で弱みを見せるのも癪だ。
――それでも、重力に逆らえないことが当たり前だとでもように、視界が余計に黒くなって――それから、意識が途切れた。
どうして。
どうして、おまえが。
おまえが生きて、私たちが死ななきゃいけなかったの。
おまえが死ねばよかったのに。
おまえが。
おまえが。
おまえ――永劫が。
「あ……っ?」
体がびくりとひきつって、目を見開く。
だるい手で額の汗をぬぐった。また、あの夢だ。
薄い掛布団がかけられていて、それをのろのろ持ち上げて、起き上る。
――確か、変な女が来て――それから、覚えていない。
倒れたのか、自分は。
今朝から眩暈がしていたから、そのせいだろうか。
「……はあ」
頭が痛いし未だ、くらくらとするし、気分がひどく悪い。
頭を押さえながら襖を開けると、どこからか話し声が聞こえてきた。
「……?」
あの変な女の声だろうか。きんきんとしている。
どうやら口論でもしているようだ。それにしても、あの声はただでさえ痛む頭が余計痛む。
明宜が付き合っているという、本当の「彼女」は、永劫からしてみればどこがいいのかよくわからない。
だが、自分と付き合うために別れろとは言えない。
言いたくないし、言う必要もない。
すべてが嘘だったのなら、きっと楽になれる。
こんな苦しい思いも、辛い思いも――ぜんぶ、殺せる。
殺して、なかったことにできる。きっと。いや、しなければならない。
そうすれば誰も傷つかないで済むのだから。
「……」
口論が聞こえる部屋の襖に手を当てる。ここを開ける勇気など、どこにもない。
口論の内容を聞くこともできない。
墨絵に手を触れて、目をとじる。
ぐらぐらとする頭が憎い。
こんなことになるのなら、明宜に会わなければよかった。あんな場所に行かなければよかった。
そうすれば、本当に誰も傷つかなかった。
傷つくのは、自分だけで十分だ。
ちぐはぐな世界のままでも、よかった。
指をさされることも慣れているのだから。
そうして人生をまっとうするのもいい。
このままでも。
このまま、でも。
「永劫くん!」
夢、
夢でもよかった。
現実でもよかった。
どちらでも、もういい。
からっぽになれれば、よかった。
感情も何もかも、なくなってしまえばよかったのに。
それでもその声は、引き戻してしまう。




