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いちゞくの花  作者: イヲ
第二花
12/68

-5-

昼食を作って、入れ替わりにシャワーを浴びる。


「はあ……」


何故か、ため息を吐き出してしまう。ばたばたと落ちてくる生ぬるい湯は、この胸の内のざわざわしたものまでは拭い去ってはくれない。

シャワーのコックをひねって止める。

ぶるぶると頭を振って水を飛ばしてから、風呂場から出た。


シャツを適当に羽織って、チノパンを履く。

ずいぶんさっぱりしたが、胸の奥のざわつきはどうしようもできない。


「……」


ぺた。

――ぺた。ぺた。ぺた。


「……珊瑚さん?」


廊下を裸足で歩く音。

自分ではなければ明宜だ。

だが、いや――しかし……。

明宜は、座敷にいるはずだ。なら、――なら。一体、()だ。

ぞっと背筋が寒くなる。


――ぞくり。


「……」


足が強張る。腕も、首も、頭も。

なにもかもが凍り付いてゆく。

ぺた、ぺたり。

吐息が、首筋にかかる。


「――ひ……っ」


ぺた、


――ぺた。


「――永劫くん!」


叫んだのは、明宜だった。

それから、

――それから――


赤い、赤い、赤い、赤い――。

硝煙のようなものが、廊下に染まった、ように見えた。


そして、

――そして、一陣の風。

白い風が、赤い硝煙を切り裂く。切り裂いて、それから――白い鳥になった。

ぼんやりとする視界のなか、白い背中が見える。


「――珊、瑚――さん……?」


廊下に転がっているのか、立ったままなのか。それさえ分からない。

ただ、宙に浮いているような、浮いていないような。そんなあいまいな感覚だ。


「――……」


呼吸の音が聞こえる。自分は今、どうなっているのだろうか。意識ははっきりしているが、視界がはっきりしない。

まるで、寝起きのようだ。

ただ、紙を焼いた臭いが――このあたりに充満している。


「……ぅ……っ」


呻いて、ゆっくりと起き上った。起き上ったと言うことは、たぶん倒れていたのだろう。

周りはやはり、紙が焼けた臭いがした。


「永劫くん」

「!!」


ほっ、と安堵した顔が目の前にあり、驚いて思い切り顔をあげる。

あげたせいで、

――ごつん、

と、自分の頭と明宜の顎がぶつかった。その拍子で、また頭が落ちる。


「い……ッてええぇっ!」

「あ……すみません」


顎を思い切り頭でぶつけたのだから、それは痛いだろう。

一応、謝る。


――それにしても、近い。


目と鼻の先だ。よくこの男には、見下ろされる。

腕で頭を支えられていた。

――ほんとうに自分は、倒れていたのか。先刻までは意識ははっきりしていたというのに、今はなんだかとても――ぼんやりとする。


「あの」

「うん?」

「ほんとう、大丈夫ですか?顎、すっごく赤くなってますけど」

「いや、大丈夫。それにしても、まいったなぁ――」


腕で体を支えられたまま、明宜は顎をぼりぼりと掻いた。

その表情は、本当に――まいっているような。


「……さっきの、ですか」

「うん。結界を施したはずなんだけど」

「け、結界?」

「きみにあげただろう。お守り。それ自体が結界になるんだけど。そうかぁ――。盲点だったな」


体に力が入らない。

野良神というのは、本当に恐ろしいものだ。

こんな――こんな、恐ろしいものに、明宜は。


「風呂場じゃ、お守りは持っていかないからねぇ」

「そ、そうか……。じゃあ、風呂場にも、お守りをもっていかないといけないのか……。じゃあ、ジップロックにでも入れればいいかな?」

「そうだね。そうしたほうがいいかもしれない。それに、まあ――、本当に、まずいな」


明宜の目の色が変わる。真剣な、色をした。


「きみ」

「は……?」

「きみは、本当に強いもの(・・・・)を持っているねぇ。分かっていたけど。だから、かな」

「――なにを言っているんですか?」

「きみがまだ、生きているってこと。本当言うとね、ないんだ」


いまだ明宜の腕と、自分の頭はそのまま。


「ない?」

「うん。きみがこれまで生きてこれたという保証。言ったでしょ、最初に。いつ死んでもおかしくないって」

「は、はぁ……」

「俺の力も、そんなに強いものじゃない。大抵の野良神は相手にできるけど、今きみに憑いている野良神は、なんていうか――その、きみが望んで(・・・)憑けているって感じがするんだよね」

「え……。それってどういう」

「きみ、思ったことない?」

「なにをです」

「生きていたくない、って」

「!!」


だから、でしょ。


明宜は、するすると視線を下げて、永劫と目を合わせた。


「そ、そんな、こと、は……」

「ない、と言い切れるのかい? 野良神は、普通の人間に憑いてもそれ程、力をふるえない。ある種の人間を除いてはね」


警鐘が聞こえる。

聞いてはいけない。見てはいけない、と。


「死ぬまではいかないんだよ。野良神が憑いた人間は。そもそも、野良神は強い人間には憑けない。持っている(・・・・・)からね。でも、きみは違う」


――知っている。

知っていた。

自分は弱いということを。

自分は、本当はあの時――野良神に憑かれそうになったとき、わずかな期待があったことを。

本当に死にたくない人間は、あんなことを思わない。きっと。

――まだ(・・)死ねない、なんて。

まだ死ねないということは、今死ねないということだ。

「今」が終わったら?次はもう、ない。


(どうして、俺は。俺は、そんなふうに思うことしかできなくなったのだろう――。)

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