その④
「有希ができなかったことをおまえにはやってほしんだ」
突然出た知らぬ名にさくらは首を傾げる。響きからおそらく女性だろうが彼の婚約者は未那であり、話の流れから有希という人物はもう存在しないのだろう。
「俺の妹だ」
ずいぶん前に死んだと告げる隆俊は昔を懐かしむように目を細め、いまは亡き妹の話を始めた。
「生きてたら高校生……きっとおまえくらいになってただろうな。あいつも身体が弱くて家にいるより病院にいる方が長かった。だから外であいつが友達と遊んでいるとこを見たことないし家族旅行も行ったことがない。けどさ、一度だけあいつが我儘を言ったんだ」
「我儘?」
「ああ。『外で遊びたい』って。亡くなるほんの少し前だ」
いま思えば死期を悟った本能的な欲求だったのかもしれない。初めて言われた妹からのおねだりに隆俊は彼女の願いを叶えようと周りの大人を頼った。それでも叶わなかった。誰もが病状を理由に彼女の外出を認めなかったのだ。
「あいつが死んだのはその2日後だ。俺は後悔した。無理にでも連れ出せば良かったって。そうすれば有希の最後の願いを叶えてやることができた。そう思わないか?」
「…………」
「あれ以来、俺はずっと後悔してたんだ。いまもそうだ。あの時、一瞬でも外の景色を見せてやれば良かった。そうすればきっと……!」
「私に構ってくれるのってもしかして?」
隆俊は答えない。確かにさくらは有希と似ている。重なる部分が無いと言えば嘘になる。だがそれだけじゃない。逢うべくして出逢った、言うなれば運命の出会いとも思えるものがさくらにはあったのだ。
「……悪いな。おまえを構うのはただの自己満足だ。なにもできなかった昔を忘れたかったんだ」
「良いと思いますよ」
「っ⁉」
「だって有希さんは隆俊さんにとって大事な妹さんなんですよね。ならそう思うのも仕方ないと思います」
辛うじて涙を堪える成人男性を前に少女は「隆俊さんもそんな顔するんですね」とおかしそうに笑う。そして「これでお互い隠し事はなしですね」と満足げな表情で隆俊を抱きしめ、そのまま顔を彼の胸に埋めた。
「どうですか。少しは気持ちが楽になりましたか」
「なにやってるんだ。離れろ」
「未那さんから許可を頂いてます。なので離れません」
いつ連絡先を交換したんだと素朴な疑問はさておきこの状況はさすがに問題がある。隆俊がその気になれば華奢な身体はすぐに押し倒される。わかっていてもさくらは離れようとしない。
「有希さんは幸せですね。こんな優しいお兄さんがいて。羨ましいです」
「頼むから離れろ」
「いやです」
「俺が男だってわかってる?」
「隆俊さんには未那さんがいますよね」
「そうだけどさ」
「それとも乗り換えます?」
「そんなことしたら魚のエサになってしまう。つか、どこで覚えた」
「私をただの病弱な女の子と思っている隆俊さんが悪いんです」
「あのなぁ」
このところのさくらは確かに病弱とは思えない姿を見せている。最初は色白で華奢な印象だったがいまはだいぶマシと言うべきか、色白で華奢な見た目は変わらないがそれでいて血色は良く、出会った当初とは随分印象が変わった。
「隆俊さん」
「なんだよ」
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことをした覚えはないぞ」
「それでもありがとうございます」
隆俊の胸に顔を埋めるさくらの気分は高揚していた。この人に出会えてよかった。こんな優しい人に愛される未那や有希が羨ましい。ちょっとした嫉妬を抱きつつもいまの幸せを噛みしめ、隆俊も心の痞えを取り除いてくれた彼女の優しさに感謝するのだった。




