ショウシキュウの秘密・11
「単為生殖?」
「うん。そういうのもあるらしいんだ」
楢崎研究所の裏には散歩するのに気持ち良い、よく手入れされた林がある。誠志郎の車椅子を押しながら匠海は説明した。
誠志郎がここに入院して2カ月。そろそろ20週目に入る。胎児の成長が著しいこの時期、睾丸の大きさはすでにメロンほどになっていた。
玉帯をしているとはいえ重さも相当にある。睾丸だけを計っても約1キロ。加えて股間にあるという場所柄歩行は不自由になり、移動はほぼ車椅子を使うことになった。
当然普通の下着もズボンも履けない。だが、男性妊夫の配偶者であった祖父は経験から察していたのか、早い段階で着物を数枚贈ってくれていたのだ。ふんどしも襦袢もある念の入れようで、あつらえられていた着物さえ誠志郎の寸法にぴったりだった。
『瑠璃子さんが仕立ててくれたよ』
添えられた一筆に、情愛はなくとも、ふたりの間には確固たる敬愛が存在するのだろうと匠海も誠志郎も感じていた。
「単為生殖って雌しかできないって聞いたことあるけど……。雄が?人間の?」
少し振り返る誠志郎の顔を見ながら匠海は答える。
「うん。だからすごく珍しいんだけど、どうも松室先生もそうらしいんだよね」
「あの男の先生が!?生んだの!?」
身体を捩って後ろを向きながら誠志郎が驚く。
「ううん。生まれてきた方。お父さんが単為生殖で松室先生を生んだらしいんだ」
「へ〜……」
見た感じ、松室は誠志郎とあまり年が変わらないような気がする。まさか近い年代の人間に男性妊娠の当事者がいたとは。しかも単為生殖で生まれた人なのかもしれないという。誠志郎は驚きと感心で脱力しながら身体を前に戻した。
「うーん……。入院病棟には僕しかいないし、診察のときもひとりだからなあ。まだ患者さんらしい人には会ったことはないけど」
「そっかぁ。まあ、無理になんか探る必要はないけど、なにか変わったことがあったら教えて。誠志郎さんはとりあえず元気な赤ちゃんを生むことが第一だから」
かがんで顔を寄せてくる匠海の頬に誠志郎は手を伸ばした。
国と結託しているかもしれない楢崎研究所に警戒しつつも、誠志郎の身に今のところ危険な兆候は何ひとつ及んでいなかった。
だが楢崎研究所を探っている父の部下から「もうひとり男性妊婦がいる」と情報が入ったのだ。
「うちの子たちと同級生になるのかな」
弾んだ声で匠海が言う。
「予定日は3月24日だけど、その人は?何か月?」
「3か月ぐらいだって」
「だとしたら、生まれてくるのは6月ぐらいだね。残念。1学年違いだ。うちの方が先輩」
「えー、でも誠志郎さんが4月まで頑張って睾丸の中に入れてくれてたら同級生になるんじゃない?」
ウキウキと言う匠海に、誠志郎はあからさまに嫌な顔をした。
「え~?僕4月までこんな状態なの?それはちょっと勘弁してくださいよ~。子供たちだって早く外に出て来たいに決まってる」
ここまで睾丸が大きくなっては受け入れざるを得ない。というよりも、ほぼ毎日行われる診察で誠志郎は自分が妊娠している事実を受け入れていた。
エコー検査で映される胎児の様子は、最初AI画像だと思っていた。何度見せられても信じられなかった。だが次第に、自分の睾丸の上で動かされるプローブに沿って変わる胎児の映像に、確実にそれが自分の睾丸の中で育つ我が子かもしれないと思い始めていた。
決定打は胎動だった。
絶対に動くはずのない睾丸がぴくりとしたのだ。はじめは片方だけ。呼応するようにもう片方も。
男性妊夫は胎動に敏感だと楢崎は説明した。体内で育てる女性と違って、睾丸は体外に無防備にぶら下がっている。薄い陰嚢一枚に守られた胎児の動きは目視もしやすいのだと楢崎はほほ笑みながら言った。そこでやっと男性妊夫は妊娠している自覚を持つのだと。そしてそこからは、誰よりも強く子供を守ろうと決意すると。
「父性と母性が両方目覚めたみたいに」
「いい加減、上半身の筋トレだけでは退屈してきたよ。走りたいねえ、思いっきり」
誠志郎は大きく伸びをしてから、両肘を交互に振った。
入院中は外出以外自由に過ごしていい。とはいえ下半身がこの状態なので、できることと言えばネットや読書ばかり。定期的にジムやプールに通っていた誠志郎には退屈極まりない毎日だ。それでも上半身だけでできる筋トレなどを地道にやってはいた。匠海の父が付けてくれた護衛が見かねたのか、車椅子に乗ったままできる護身術などを教えてくれた。
「赤ちゃん生まれたらどれだけでも走っていいから、今は我慢して。今走られたら、赤ちゃん袋ごとどっか飛んでっちゃう」
ドッジボールのように、両手で抱えた陰嚢がぽーんと飛んで行く様を表して匠海がゲラゲラと笑う。勘弁しろよと笑いかけた誠志郎は「いたっ」と身体を曲げた。そして辛そうに眉を寄せて匠海を見た。
「蹴った……」
「マジ!?」
「変なこと言うお父さんに怒って蹴ったんだよ、も~、タッ!」
再び誠志郎は睾丸を覆うように身体を曲げる。
「誠志郎さん!?」
「こっちの子も怒り出したよ……」
もう片方を指す誠志郎に、匠海は真剣な目をして言った。
「……見たい……見せて」
「ダメでしょ!こんなところで!」
にわかに焦り出した誠志郎はかがんだまま着物の裾を両手で押さえた。
「誰もいないし来ないよ!いいじゃん、見せて!僕まだ動いてるとこ見たことないんだから!ね!?」
「ダメです!ダメダメ!誰もいなくても屋外です!」
誠志郎の手を剥がそうとする匠海と、それを拒もうとする匠海の小競り合いが始まる。
「ちょっとだけ!ね?子供たちに謝らせて!でないとまた蹴ったりするかもよ!」
「しないしない!もうおとなしくなった!もう大丈夫、イタっ!」
「ほら!」
「ちが……!今のは、イタっ!」
「誠志郎さん!ほら!手どけて!」
「若」
林の中から声が降って来た。
「何?」
ふざけていた匠海の声音が一瞬にして鋭く変わる。誠志郎は素早く裾の乱れを直した。
「例の単為生殖の御仁が別の病院に行かれるようです」
「いつ?」
「明日」
「わかった」
それきり声は聞こえなくなった。
誠志郎は匠海を見上げる。
「止めに行くの?」
匠海はにこりと笑った。
「そうだね。止めるっていうか、助けに行く感じになるかも」
「あんまり危ないことして欲しくないんだけどな」
眉を八の字に下げてはいるが、そうもいかないことは誠志郎も重々承知している。
「僕が強いこと知ってるでしょ?誠志郎さん」
「……やっぱり心配だから僕もついて行く」
「無茶言わないでよ。誠志郎さんが来る方がよっぽど心配だよ」
手を握ってくる匠海の手を誠志郎も握り返す。
「その人も、信じられないから別の病院に行こうとしてるんでしょそんな人に着いて来てって言っても信用してもらえないかもしれない。本物の男性妊夫がいた方が、信用してもらえるんじゃないかな」
誠志郎は基本優しい。匠海の甘えを何でも聞いてくれるし、譲ってもくれる。だが、今のこの目はがんとして聞き入れてくれないときの目だと匠海はため息をついた。
「わかった。でも絶対、車の中から出てこないでよ」
誠志郎は頷き、もう一度力を込めて匠海の手を握った。




