第17話
「なかなかいい時間だったろう?」
「えぇ、本当に。疑ってしまってごめんなさい」
二人が帰るのを見送った後、穂波さんが笑いながら問いかけた。始めこそ多少の警戒はしていたつもりだったし、何より聖のことを置いて自分だけが、なんて思っていたけれど彼女の言う通りだったと振り返れば思うばかりだ。
謝る私に穂波さんはそんなもんさ、と笑ってそれ以上の追及はなかった。彼女なりに私のことを気遣っていたのかもしれない、とは思うけれどそれを指摘してしまうのはまた違う気もした。
「戻るかい?」
「はい、聖のことも気になりますから」
とはいえ、聖のことが心配なのもまた事実。むしろあんなに時間を忘れるほど話し込んで時計を見て驚いていたくらいだったし、聖の目覚めを強く望む身としてはその一瞬が惜しい。
「ふむ……大分疲れも出ているようだけれど」
「それは……」
「まぁ、最悪隣で寝ていたっていいさ。ある程度の時間になっても起きなければそのまま連れていくけどね」
本気か冗談かわからないような言い方で背中を押す穂波さんへの返事に困っていると、気づけば病室の前まで来ていた。試しに物音がないかと耳を澄ませてみるけれど、特に物音はない。ドアの向こう側の気配もなく、きっとまだ聖は目覚めていないのだろう。
穂波さんに目配せをしてから病室へと入れば、案の定最後に見た時と変わらず眠る聖が目に入ってくる。規則正しく胸部は上下を繰り返し、点滴を打たれた手は最後に見た時と変わっていない。ピッ、ピッと変わらないリズムで告げる心電図の音だけが響く室内はとても静かで、ここまでの出来事を思い起こさせるのには十分だった。
好きな人が、私をかばってこんな姿になってしまった。
変えようのない事実だ。どれだけ言い訳を並べたって、そこに転がっている事実は間違いなくて、それを頭で理解するたびに目を伏せたくなった。
――こんな私が、果たして本当に彼女に恋していいのだろうか、と。
麻倉さんや轟さんの話を聞いてもなお、この気持ちはぬぐえない。どうしたって自分自身のことになんの決着もついていなくて、これからも聖と一緒にいたいと思うたびに、実家のことが頭をよぎってしまうだろう。下手に関係について知られてしまえば、父親や真斗さんだって黙ってみているわけもない。
娘が、婚約者が、極道の人間――あろうことか組長と関係を持っているなんてありえない、と。
「……どうせ、私のことなんて見てないくせに」
ぽつり、とこぼれた独り言は、紛れもない私の本音だった。
目の前で眠っている人は、彼らとは違う。どこまでも私のことを思ってくれていて、それを都合のいいように解釈している自覚もあって、ただそれは私の願望でありエゴだとも思う。聖の本心なんて聞いたこともないし、もし違っていたとしたら私の自惚れで思い上がりだ。
彼女がどう思っているのか、それを聞き出したい自分と聞いてはいけない気持ちとがせめぎ合い、様々な思いが巡っては一人じゃどうしたって答えが出ないという結論にたどり着いてしまう。
目の前で眠る聖は、やはり目覚める気配はない。そろそろ三日は経とうとしているが、果たして本当に目が覚めるのか、と不安が募る。穂波さんがどれだけ大丈夫だといったって、ある日突然容体が急変することだってゼロじゃない。万が一――まで考えて、目を閉じる。
考えていたって仕方ない。何はともあれ、聖の目が覚めることを祈るだけだ。
「……ほんと、馬鹿な人」
隣に来て、聖の頬を撫でる。ぬくもりが頬を通じて伝わって、彼女がまだ生きていることを実感する。生きているのに聖の目は一向に開かず、本当に生きているのだろうかと疑惑すらよぎる。こんな姿にさせたのは、私のせいなのに、と。
隣に腰かけて、彼女の手に触れてぬくもりを確かめていれば少しずつ眠気がやってくる。穂波さんも言っていたが、私自身もかなり体力的に限界が近づいてきているのかもしれない。考えもまとまらないし、普段とは違う思考の廻り方にだんだん参ってきている自覚もあった。
『まぁ、最悪隣で寝ていたっていいさ。ある程度の時間になっても起きなければそのまま連れていくけどね』
穂波さんの先ほどのセリフを思い返す。確かに聖が目を覚ました時にこんな顔をしていたら心配されるのは間違いないし、かといって傍にいたいという気持ちに嘘はつけない。好きだということを自覚してしまったのならなおさらで、たとえ聖に怒られたとしてもここを離れるのは私の本意ではない。
やってくる眠気に抗う。少しでも長く聖のことを見ていたいのに、重い瞼は私の抵抗ももろともせず、情け容赦なく意識をさらおうとした。僅かにつなぎとめた意識の中、僅かに私の手を握り返された気がした。しかし襲い掛かってきた眠気は私の意識を完全に攫って、握り返してきたかもしれない聖に反応することはできなかった。
***
意識が、浮上する。どれくらいの時間が経ったのかはわからないが、少し固まった身体を起こすと、目の前の光景に大きな変化があった。
「……目が覚めたか」
体を起こして私の手を握り返し、目を覚ました私のことを優しい目で見つめている。
それは私がずっと焦がれてやまず、早く見たいと強く願っていたもので、目が覚めたらなんて声をかけようかとたくさん悩んでいたのに。いざこうして目の当たりにすると言葉に詰まって何も言えない。普段あれだけ頭を回しているのに、こういう時はまるでからっきしだ。
「悪い、たくさん迷惑をかけたみたいで」
「……本当よ。あんな最期なんて認めたくないわ」
「それについては……由良に生きていてほしかったんだ」
「だからって貴女のことを見殺しにもできないし、死んでほしくなんてないの」
視界が滲む。いつもならもう少しオブラートに包めるようなことでも、今ばかりはできない。いつもよりもストレートな物言いに聖も少し驚いていたが、それ以上に私の狼狽えぶりの方が驚いたのだろう。声も震えているし、きっと表情だっていつもみたいに取り繕うことなんてちっともできちゃいないのだ。
「生きていて……お願い」
絞り出すような声は、とても震えていた。聖のことを見ていたいのに、滲んだ視界のせいで聖がぼやけてしまう。繋がれた手を握れば優しく握り返してくれて、それが彼女の意志だと認識すれば、ついに涙がこぼれてしまった。
「そんな顔させるつもりじゃなかったんだが……悪かった」
ぶっきらぼうに言葉を探す聖だが、少し顔をこわばらせる。どうやら腹部の痛みがあるようで、額にうっすら脂汗も見えたから、もしかしなくてもこの状況はまずいのは明らかだ。それなのにまだごまかそうとする聖に怒りそうになったけれど、ぐっとこらえた。
「ちょっと待ってて、穂波先生呼んでくるわ」
「いや、少し痛んだだけだ。大したことじゃ」
「お腹に銃弾貰った人が大したことないわけないじゃない。それは通じないわよ」
ぴしゃりと言い留めて立ち上がる。思ったより震えていた足は、聖を失うかもしれないという恐怖感を物語っていて、あくまで冷静を装いたくて速足に進んだ。
「聖、調子は――おっと、」
そんな事を考えていればタイミングよく開いた扉に私も驚いて思わず一歩後ずさる。そこにいたのは穂波先生で、いつもと変わらない表情でやってきたかと思えば私の存在に驚いたようで彼女もまた一歩後ずさった。
「おや金杉さん、そんなに慌ててどうしたんだい」
「見ればわかるでしょ、聖が、」
「んー? ……あぁ、なるほど」
私の慌てた様子にもう一度病室の方を見れば、腹部を抑えて苦い顔を浮かべる聖と目が合った。それを見てすぐに察したのか、穂波さんは手早く近くにあった注射器を持つと「鎮痛剤を打つよ」とだけ言って両省もなく彼女の腕に針を刺した。
「ある程度縫っているとはいえ、まだ三日なんだから」
「……悪い」
明らかにバツの悪そうな顔をする聖は、これまた見たことない表情で。同時に彼女が手当てされるのに慣れているのは、もしかせずとも穂波さんが言っていた病気、と切っても切り離せない理由があってのこと。
「少しすれば痛みも治まるよ。久しぶりの再会の会話はそれからでもいいかな?」
穂波さんの視線が、こちらに向いた。私に対して剥いた質問に少し驚いて肩を震わせたが、次の瞬間には首を縦に振っていた。
「今は聖の安否が優先です」
「ありがとう。話が早くて助かるよ」
そうとだけ言うと、穂波さんは再び聖の方へと向き直る。その目は医者の目で、患者を助けるためのものだとすぐにわかった。
「こりゃちょっと開いてるね……少し落ち着いたらもう少し詳しい検査もするから」
「あぁ、頼む」
「下手すると他にも症状出そうだしね、詳しめに調べるよ」
二人の会話の不穏な空気に、私はただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。




