第一問:彼女の心情を20文字以内で説明せよ
「えー、今日は授業の前に紹介したい人がいる」
気だるい朝の空気を吹き飛ばす担任教師のそんなひとことで、その日のHRは幕を開けた。
「よおし、入ってこい」
呼びかける声を合図に引き戸が開き、見慣れぬ人物が入ってくる。
瞬間、教室をざわめきが包み込んだ。
反応を示したのはクラスのほぼ全員だったが、特に男子たちのリアクションはなんとも分かりやすいものだった。
とはいえ、現場を目の当たりにしている人からすれば、その反応はある意味当然といえるだろう。
なにしろ入ってきた人物は女子生徒――それもかなりの美少女だったからだ。
腰まで届く長い髪に、整った顔立ちとすらりとした体つき。そして何よりその身に纏う清楚な雰囲気――。
そのたたずまいは、一朝一夕で醸し出せるものではない。
(お嬢様だ……)
(お嬢様だわ)
(すげぇ! 本物のお嬢様じゃん)
教室にいる誰もが、一目見ただけでその少女の育ちの良さを肌で理解していた。
だがこの教室を支配している空気は、転校生である彼女もさることながら、その後ろから入ってきたもう一人の女性によって作り出されたものであるように思えた。
彼女が身につけているのは、黒づくめのワンピースにフリルの付いた白いエプロンを組み合わせた、いわゆるエプロンドレスと呼ばれる代物である。それがいわゆる『メイド服』と呼ばれるものであることは、見た瞬間誰の目にも明らかだった。
「こらお前ら、うるさいぞ。静かにしろー 」
クラスの動揺に共鳴するように、生徒を叱りつける教師の声が大きくなる。
そうは言っても、この状況ですぐさま落ち着けるほど年頃の少年少女の心に余裕があるわけではない。
それはそうだろう。
大抵の場合、転校生というものは事前に知らされているのが普通だし、ましてやこんな中途半端な時期に転入なんて考えられない。
しかも現れたのは美少女と、その後ろから付き従うメイド姿の女性。
少女漫画かファンタジー系のアニメでしか見かけないような光景が目の前に繰り広げられている。
こんな妄想フルコースともいえるシチュエーションで思春期まっただ中の高校生に『冷静でいろ』というのが無理な相談だ。
彼女のいる教壇から2~3メートルほど引いた場所で、じっとに立ち尽くしたまま微動だにしない。
その場にいた誰もが彼女をぽかんと見つめていた。
少年……久瀬翔人もその中のひとりだったが、彼はその頭にあるものに釘づけになっていた。
メイド姿ではお馴染みの、カチューシャと呼ばれる髪飾りをつけている。
だが、彼が目を奪われたのはそんなありふれたものではなく、その上に飛び出すように見えている三角の物体である。
(あれって……ネコミミ、だよな)
そう。
どこからどう見てもネコミミにしか見えないモノが上にくっついているのだ。
メイド喫茶なんかでありそうなコスプレ用のカチューシャだろうか?
だが、頭上のそれはホームセンターや量販店のパーティーグッズコーナーで売っていそうな安っぽさはない。
そんなところまでセレブなクオリティなのか、全てにおいて完璧だった。
メイド本人も、何かの冗談にしては堂々としている。
いたずら好きのお嬢様に『あなた、きょう一日その格好で過ごして頂戴♪』とでも言われたのだろうか。
そんな思いが頭をよぎった矢先。
「それじゃあ、本人から自己紹介してもらおうか」
壇上の教師がそう告げた瞬間、翔人の目線の先でそれがぴくりと動いた。
(!?)
まるで、名前を呼ばれた飼い猫のように。
彼女自身はあいもかわらずその場で微動だにしていないし、窓も扉も閉じた教室内で、その場にいる誰もが大きく動いたりもしたわけでもない。
だから、風などに揺れたということはあり得ない。
そう。
信じられないが、彼女の頭に生えているのはまぎれもなく獣の耳だった。
猫耳メイドという、人生においてその手のコンセプトカフェ以外ではそうそうお目にかかることのないものを目の当たりにして、うろたえるなというほうが無理な話だった。
「じゃあ頼む」
「はい」
担任に促され、彼が教壇の中央に立つ。
そのささやかな足取りひとつにも、クラスの大半が魅せられてしまう。
と、彼女が真ん中に立ったのにタイミングを合わせるように、担任がチョークで黒板に名前を書き出していく。
ひときわ大きな字で書かれたのは、彼女の名前とおぼしき文字だった。
梓……後ろの名前はそこまで変わったものではないが、
『篝』
という苗字が翔人を戸惑わせた。
竹冠に……見た目は再会の再の字に似ているが、見覚えのない文字だ。
『冓』なんて字は授業でも普段の生活でも見たことがない。
「はじめまして。本日よりこの学舎にお世話になります、篝梓と申します」
と、再びメイドの頭のそれが反応を示す。
びたりと止まったと思えば、また不意をつくように動き出すその様子は、クラスのリアクションを欲しがっているかのように見えてきた。
だが、本当にそんなことがあるのだろうかと翔人は不可解な思いに駆られてしまう。
ふたりが教室にやってきてまだ数分しか経っていないが、それでも凛とした佇まいから漂ってくる雰囲気から、彼女がこんな状況でふざけたりするような人物でないことは伝わってきていた。
だが。
そんな楚々とした外見でありながら、トレードマークともいえるその耳だけはそわそわと落ち着かない様子でうごめいている。
二つの印象が同居している様子は、なんともいえない感情を少年の胸にもたらしていた。
そんな彼女を観察しているうちに、翔人はあることに気づく。
(ひょっとして……お嬢様に関して反応してる、のか?)
そういう視点から改めて彼女(の耳)を見てみると、顔には出さないが、彼女のことをずっと気にかけている、といった印象だった。
心配性というか、彼女が何か厄介ごとに巻き込まれはしないかとずっと心配している。
整然としたふるまいとは裏腹に、ずっと彼女を見守っている。
せわしなく動き続けている耳から伝わってくる、そんな態度こそが彼女の本心なのだとしたら、
(なんか……かわいいな)
そのファンタジックな見た目と相まって、失礼とは思いながらもそんな感慨にふけってしまう。
これが世間でいう『ギャップ萌え』とかいうやつなのだろうか。
彼女……梓の言葉を聞き逃すまいと耳を済ませているかのように、メイドの頭のソレは反応していた。
その後も、雇い主である彼女が何かするたびに、彼女の耳(?)はぴくぴくと動き続け、お嬢様が恭しくお辞儀をしたところでようやく動きを止めた。
「彼女は親御さんの教育方針もあって、ひとりでの生活に不馴れな彼女のために侍女の玖麗亞さんが付き添う形での通学となる。
変則的ではあるがあくまで彼女のサポートとしての配属だ。
はじめのうちは慣れないかもしれんが、臨時職員みたいなものだと思ってもらえばいい。
もちろん彼女自身はごく当たり前の生徒だから、その辺は気にせず普通に接するように。みんな、仲良くするように。いいな?」
特記事項を簡潔に告げると、男性教諭は教室を後にする。
(ちょっ……まだ説明してないことがあるだろ?!)
と、翔人は立ち上がろうとするが、いったいどう切り出していいものか戸惑ってしまう。
そんな葛藤をしているうちに、教諭はさっさと部屋を出ていってしまった。
ぽつんと残された翔人は、もて余した感情の行き場がみつからぬまま、呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。