序章「約束の森」
それはまだ「あの戦争」も「あの預言」も無かったころの話。
生と死の秩序の下、神聖な森での幼き誓い。
ルコアル精霊譚 序章
「約束の森」
1
日が傾き、森は何時しか茜色に染まっていた。その光景の中を、10の歳を重ねるか重ねないかの少年が歩いていく。足取りは軽く、森の中を歩くことも思いのほか慣れた風だ。
彼の先には同じ年頃の少女が歩いている。こちらは木々に悪戦苦闘しているようで、さして森の中を歩き慣れていない印象を受ける。それでも先に行こうとする意思が強いのか歩幅は広く、どんどん奥へと進んでいた。
「まったくもう邪魔よ」
木々や草を払うたびに彼女の服は揺れ、淡い光沢を見せている。
幾何学的な模様があしらわれている彼女の服は、一見すると遊牧民の伝統的な服にも見えるが、その生地からは一般人が手に入れることもできない上等な布の服のようにも伺えた。
それは彼女の生まれが少年とは違うことを示しているのだが、その素晴らしく上等な服をあまりにもぞんざいに扱う彼女に対して、少年は気後れしたものを感じていないようだった。
「ねえ。これ以上はやめておこうよ」
少年が少女に声をかける。
その言葉に足を止めた少女は整った顔を少年へと向けた。
「何を言ってるの? 目的地はまだ先なのよ」
「そんなこと言ったって……。大人だってこんな奥には入らないよ」
「そうなんだ。じゃあ私たちが一番すごいのね!」
誇らしげに胸を張る少女。
ここは大人たちでも入らない森の奥地。木々は密集し、住み着く獣ですら道を見失うという『聖域』と呼ばれている場所なのだが、どうもこの場所の危険認識が少女には無いようだ。
少女のを見て今回も自分の警告は伝わっていないと判断した少年は、ため息をつき気を取り直すように自身の歩いてきた方向を確認した。もう一人、一緒に付いてきているはずの同行者が気がかりだった。
「待って、二人とも……」
大樹の陰から息も絶え絶えにもう一人の少女が少年たちに追いついてきた。
彼女もまた少年の服とは違い、身なりのいい服を着ている。
紺色を基調としたドレスのような服装で、隅々に趣向の凝った刺繍が施されている。しかしその服も長い時間森を歩き回ったせいでくたびれており、その服本来の高級感はとうの昔に無くなっていた。
「遅いわよ」
「ごめんね……。私、こんなに歩いたの初めてなの」
肩で息をしながらがらも少女は民族衣装を着た少女に謝罪の言葉を述べた。
別に謝らなくてもいいのにと少年は呟きながら、肩で息をする少女を気遣い、水袋を差し伸べる。
「あ、ありがとう……」
ほんのわずかためらいながらも少女は水袋に口をつけた。
水を飲んだことでようやく落ち着いたのか、彼女の呼吸は次第に落ち着きを取り戻したようだ。
「休憩は終わりね。早く行きましょう!」
ドレスの少女を確認してまだ進めると判断したのか、民族衣装の少女は声を上げた。
「もうやめておこうよ。これ以上は本当に危険だよ」
少年は日が沈む恐ろしさを十分に理解しているのようで、その表情は必死だ。
光ない森は全ての生き物の方向感覚を奪っていく。人間では捕らえられない弱い光を捉える獣たちが徘徊を始める。少年はそれらを伝え、引き返したほうが良いと再度警告した。
「要するに、光があればいいんでしょ?」
少年の言葉に民族衣装の少女はあっけらかんとそう言った。
誰もランタンの用意などしていない。聖域と呼ばれる森の奥深くにこんな時間まで探検をするとは想定していなかったからだ。
「……もしかして、見せるの?」
ドレスの少女はためらう様に民族衣装の少女に問いかける。
「別に隠すようなことでもないじゃない」
問われた民族衣装の少女はその言葉にためらうことなくうなずいた。
茜色に染まっていた空は、藍色に、そしてわずかな青みを残しながら夜へと流れていく。
少年はついに夜がくるのか困り果てた。太陽はもう森の中からでは確認できないほど大地に飲まれている。
「―――――おいで」
夜が迫る瞬間、その声は響きわたった。
見れば、民族衣装の少女が何かをくみ上げるように手を空中に差し出していた。
その動作に合わせて森が一斉に声を上げたようにざわめく。
「―――――こちらに、おいで」
もう一声。まるで透明な波が彼女から発せられたようにざわめきが広がっていく。
そうして広がる波に応えるように『ソレ』は集まりだしていた。
「なに、これ……」
少年は周囲を呆然と見回していた。見れば木々の葉から、大地の草から、ありとあらゆる場所から青白い光の粒が顔を覗かせている。
あるものは風になびくように流れていき、あるものは踊るように地面を跳ねる。彼らはその青白い光をもって民族衣装の少女の周囲を照らし始めた。
「彼らは精霊の素、お父様は霊素と呼んでいたわ」
自慢するように腰に手を当てた少女はそういった。
「すごいね……」
少年はその光景に見惚れているのか、呆然と言葉をこぼした。
「これならもっと奥までいけるでしょ? 行きましょう」
民族衣装を着た少女はそういうと、先導するように森の奥地へと進んでいった。
光の粒たちも少女に合わせて移動し始める。
あわてた少年は、ドレスの少女を気遣いながらも、彼女を追いかけるように森の奥へと進んでいった。
2
ルコアル大陸の中心には千年樹と呼ばれる巨大な樹木を中心に深い森が根を下ろしている。そこは地元の人からは迷いの領域と恐れられた深い森。中心の大樹に近づくにつれ、木々が密集し、全ての方向感覚を狂わせる幻惑の森。森の狩人たちは、危険は犯せないと不可侵を決め込んでおり、千年樹のふもとには何があるかは知られていない。
そんな不可侵の領域を「あの樹をもっと近くで見てみたいと思わない?」と提案した少女につれられて、少年たちは奥へ奥へと進んでいた。
「……!! ついたわ!」
森の歩き方を知らない彼女がそこにたどり着けたのは天性の方向感覚でも備えていたのか、それとも何かに導かれたのか。やがて木々の隙間を抜け、三人は千年樹のふもとへたどりついていた。
その事実に少年とドレスの少女は「本当にたどり着いてしまった」とあきれ返った表情をしたが、すぐにそれ以上の光景に目を輝かせた。
「うわあ! これ、どれだけ大きいの?」
「すごい……。ここがあの大樹の根元?」
その名の通り千年の月日を費やせばこのような大樹が生まれるのだろうか。根元から見上げた大樹は夜空すらも覆い隠すほど、枝葉を雄大に広げていた。
「こっちに来て!」
民族衣装の少女は何かを見つけたのか嬉しそうな声を上げた。
何かあったのかと、少年とドレスの少女は彼女の元へと駆け寄る。
そこには先ほど民族衣装の少女に呼び出しだされた光の粒と同じ光を放つ液体が、千年樹の幹を伝って静かに流れていた。
「なんだろうこれ?」
「わからないわ、でもきっとすごい発見なのよ」
そういって民族衣装の少女は鳥の装飾の施された四本の平たい小瓶を取り出す。
それは彼女がさきほどまで水筒として使っていたもので、どうやらその中にこの光る水を入れて持ち帰るつもりらしい。若干手こずりながらも全てのビンに水を汲み終え、彼女は目的を達したとばかり笑顔になってビンを夜空に掲げた。
掲げられたビンは中の水が淡く青白い光を放っている。
「綺麗ね。……はい、これ」
「なに?」
少年は民族衣装の少女から差し出された小瓶に疑問符を投げかける。
「ここまで一緒に来てくれたお礼よ」
「なんだ。そういうことか」
納得がいったのか少年はビンを手にする。
「ねえ、ひとつ約束をしましょう。この光る水に誓って、私たちは何時までも友達だって」
少女の言葉に、少年は当たり前じゃないかとうなずいた。
ドレスの少女もそれにならい、皆は笑いあう。
それはまだ「あの戦争」も「あの予言」も無かったころの話。
生と死の秩序の下で木々が立ち並ぶ、神聖な森での幼き誓い。
たぶん私は、ここから始まっていたのだ。




