5.大事な事を会話中
しん、と。何の物音もしない。ただ加湿器の音が静かにしているだけ。
まるで時が止まったかのように、悠犀は身動き一つしない。ただ、目を丸くしてぽかんと口を開けていた。
「えと。悠犀といられて、凄く楽しかったです。楽しい時間をありがとう。でももう……返すね」
本当は嫌だけど。もっと、ずっと傍にいたいけど。
蒼汰を見ている悠犀を見るのは、もう嫌だ。
「なに、言っているの?」
「ごめんね。私も今、頭が混乱していて。ただね。やっぱり自分に正直になった方が良いと思う」
「なんの話? それ、誰のこと? 正直ってなにが?」
悠犀が矢継ぎに質問を投げかけてくる。やっぱり、こういうのは繊細な問題だからあんまりバレたくなかったよね。
悠犀は真面目だし、一応、お付き合いしている私がいるのだから。
そんな状態でずっと蒼汰が好きだったなんて言いづらかったのかもしれない。
「ねぇ、瑠歌。俺の話聞いてる?」
「聞いてるよ」
「なら、どうして。お別れってなんなの」
「そのままの意味で……」
「嫌だよ。そんなの、理由をちゃんと言って。や、理由を聞いたところで認めるわけじゃないんだけど」
悠犀は腕を組んでため息をついている。嫌って、どうしてそんな事を言うんだろう。私と別れれば、心置きなく蒼汰と一緒にいられるはずなのに。
「蒼汰が、いるでしょう?」
きっと一生かかったって勝てない大きな壁が。彼がいるから。私はきっと、悠犀の一番の特別にはなれない。
「……んで」
悠犀が苦虫を潰したような表情を見せた。あぁ、なんて苦しそうな顔をするんだろう。そう思ったら悠犀が突然。
「えーー」
私をその腕に閉じ込めた。
何が起きたんだろう。どうして私を抱き締めているんだろう。
「ゆうせーー」
「それは俺じゃダメなの? どうしても、蒼汰がいいのか?」
「ーー」
うん?
「ちょ、ゆう」
「瑠歌が蒼汰に惹かれてるっていうのはなんとなく気付いてた。でも、それでも俺の所にいてくれたら良いと思っていたんだ。でも、もうダメ? 少しでも俺の事を考える余地はない? ほんの少しでも俺は瑠歌の心に入れない?」
「ゆうせい? ちょっと落ち着いて。なんだか話が……」
「みっともないって分かってる。でもどうしても諦めたくない。瑠歌、るか、ごめん。我儘でごめん」
耳元で泣きそうな声を出されながら、悠犀が謝りながら私の名前を呼ぶ。
「ひゃっ」
「ん……ごめんね。つい、耳が赤くて、可愛くて」
悠犀が私の耳をそのくちびるでなぞる。な、なにやってんだコイツは!
「悠犀! 話、話をしよう!」
「……なんの話? 別れるとか、そういう話は聞きたくないんだけど」
「そういう話でなくて。確認したい事があるんですけど!」
「なに? このままじゃダメなのか?」
「あ、あ……こんな顔埋められた状態じゃ落ち着いて話も出来ないでしょ!?」
「んー……」
わかったよ、と。顔は上げてくれたけど、私を拘束する腕はそのままに。くるりと方向を変えさせられて、今度は後ろから抱き締めた状態で二人、その場に座り込んだ。
「確認したい事って?」
「その……悠犀が、好きな人の事なんだけど」
「瑠歌だけど。なんでそんな事聞くの?」
瑠歌。私の名前だ。悠犀が、私を好きだと言った。
本当に? 聞き間違いじゃなく? 一番の特別が私?
「あの、あの。悠犀。一番の特別の事だよ。好きっていうのは。私も好きなんだろうけど、他にもいるんじゃない?」
「……どうしてそんな事言うの。俺は、いつだって一番の特別は瑠歌だけだよ。なに? 俺が浮気してるって思ってるの?」
「ちが……っ、違うけど! 私、蒼汰が、んん」
「今、この状況で。瑠歌の口からその名前は聞きたくない。瑠歌はそんなに蒼汰が好きなの?」
「ん、ふがっ」
「蒼汰は俺の幼馴染みだし、家族みたいなものだから瑠歌が蒼汰を好きなら二人が幸せになるの応援しようかなって思った事もあったけど。ーー思った瞬間、ダメだと思った。出来ると思ったけど、想像しただけで嫌悪感でいっぱいになったよ。こんな事、考えるだけ無駄だった」
聞いた事ない悠犀の震えた声。私が悠犀の顔をみようと動くけど悠犀は決して腕を解こうとはしなかった。仕方なし、このまま聞こう。
「瑠歌、ごめん。好きだ。少しでもまだ、俺への気持ちが残っているなら傍にいて欲しい。でも、それでも蒼汰が……好き、なら。俺、応援はしないけど、瑠歌がっ、し、幸せになれるよう……ちゃんとーー」
「悠犀、待って、待って! 私達、大きなすれ違いが! っていうか私、べつに蒼汰の事を特別だとは思っていないからね!? あいつとは友達。悠犀の幼馴染み。それだけだよ!」
そう。私にとって蒼汰とはそれだけだ。っていうかそれで十分だろう。
「私の特別は、いつだって悠犀だよ。ごめんね、私が変な事を言い出したから混乱させちゃったんだよね」
「……特別?」
「うん。私の特別は悠犀。でも、私は悠犀の特別が、その。……蒼汰だと思っていて」
「は……はぁ!?」
「ごっ、ごめんなさい! だって悠犀って蒼汰とすごい仲良いから!」
「だからって……! 蒼汰とは家族みたいなものだから、確かに仲は良いけど」
ちらりと私を見て呆れたようにため息を吐く。
「すごい勘違い。そんな事、あるわけないのに」
「ごめんなさい」
「俺はもう、ずっと瑠歌だけだよ。誰が何を言っても、誰かから何を聞いても。ずっと、俺の事だけを見てて。俺の事を思っていて。それだけで、いいからーー」
最後に耳元で呟かれた言葉は、私が悠犀の事だけを考えるには充分だった。そして、その言葉への返答は私の中でもっとちゃんとした言葉になってから、口に出して悠犀に伝えようと。
そう思ったのだった。




