おかえりを識別する
九十階台です。
扉が増えます。
おかえりは、全部が本物ではありません。
九十階に着いたとき、コヨリはもう叫ぶ元気が少し減っていた。
満腹度は低い。帰路弁当はない。白紙の巻物は一枚だけ残してある。保存壺は小石で試したものだけ使っている。強そうな腕輪は、すべて置いてきた。悔しい。ものすごく悔しい。でも、生きている。
九十階の部屋には、扉が六つあった。
【おかえり】
【ただいま】
【勇者帰還口】
【天野家玄関】
【魔王城玉座】
【神様おすすめ】
「最後の二つ、帰る気ないでしょ!」
「魔王城玉座は、ゼルド様から使用禁止が出ています」
「神様おすすめは?」
「最も避けるべきです」
「分かりやすい!」
扉の向こうから、声がする。おかえり。こより。遅かったね。ごはんできてるよ。ゲームばっかりしてないで。宿題は。どれも、少しずつ本物っぽい。少しずつ違う。
思い出ログ棚の線が、コヨリの胸元のメモへ伸びる。死因研究室の本名記録、魔王軍資料室の外部照合、仕様書保管棚の小さい文字確認。全部が同時に淡く光った。
「ログル、全部開けたら?」
「死にます」
「家の扉で死ぬの、やだなあ」
「だから識別します」
コヨリは一つずつ確認した。【勇者帰還口】の扉は、取っ手が剣の形をしている。勇者としては正しそうだが、家には遠い。【天野家玄関】は名前がぴったりすぎる。ぴったりすぎるものは、だいたい怪しい。
【おかえり】の扉は、古くて地味だった。少しだけ塗装がはげている。鍵穴に小さな傷がある。呼吸はしていない。声は、はっきりしない。
「本物なら、もう少しはっきり聞こえないの?」
「距離があるからこそ、不完全なのかもしれません」
「偽物は近すぎる?」
「はい」
コヨリは【天野家玄関】に小石を投げた。扉が開き、中から大量の宿題が飛び出した。
「やっぱり!」
次に【神様おすすめ】へ小石。扉が小さい文字の同意書を吐いた。
「おすすめしないで!」
【おかえり】の扉だけが、何も返さない。静かだ。静かすぎて怖い。
コヨリはドアノブに手をかけた。冷たい。呼吸していない。舌でもない。
開ける前に、声がした。
「こより」
今度は、少し怒っているような声だった。
コヨリの目に、じわっと涙が浮かぶ。
「ログル」
「はい」
「怒ってる」
「本物に近い可能性があります」
「なんで怒ってると安心するんだろ」
「生活だからでは」
コヨリは扉を開けた。
そこに玄関はなかった。けれど、玄関の匂いがした。靴箱の革、夕飯の湯気、古いゲーム機の少し熱い匂い。冷蔵庫の方角まで、なぜか分かった。
【帰還因子:記憶】
【認証強化】
だが、床が光る。扉の先は九十九階ではない。まだ九十一階へ続く階段だ。
「見せただけ!?」
「認証階層です」
「神様ァ! 試食だけで帰宅させないなああああああ!」
九十一階から九十八階までは、認証の連続だった。名前には本名を。座標には拠点基準点を。時間には帰っても自分が続いている瞬間を。記憶には、怒った母の声とゲーム機の音とプリンを。縁には、ログルと、この世界で増えた名前を。扉には、呼吸しない古い玄関を。
九十八階で、最後の選択が出た。
【帰還時に保持する記録を一つ選択してください】
「一つだけ!?」
「記録の核を選ぶ処理です」
「荷物制限より怖い!」
候補が並ぶ。ログル。死因図鑑。思い出ログ棚。帰還因子。拠点の壁に書いた【帰る】。冷蔵庫のプリン。
「プリンが候補にいる!」
「勇者様が仮登録したためです」
「本当に通った!」
コヨリは笑いそうになり、泣きそうにもなった。一つだけなんて選べない。選べないから、死因研究室の分類棚を思い出す。神様送信用、拠点保存用、コヨリの本音。記録は一つに見えても、棚を分ければ残せる。
コヨリは【拠点の壁に書いた帰る】を選んだ。
ログルが少しだけ黙る。
「ぼくではないのですね」
「ログルは、そこにいるもん」
「はい」
「壁の字は、わたしが最初に帰るって決めた場所だから」
九十九階への階段が開いた。
その前に、小さな宝箱があった。金色のふた。可愛い見た目。第一歩からずっと知っている、最悪の可愛さ。
「ログル」
「呼吸しています」
「だよね」
通り過ぎる。はずだった。
宝箱が、ぽつりと言った。
「最後の鍵、入ってるよ」
コヨリの足が止まった。
「最後って言った?」
「勇者様」
「分かってる。分かってるけど、最後の鍵って言った」
宝箱はもう一度、優しい声で言う。
「家に帰る鍵」
コヨリは手を伸ばしてしまった。
可愛い金色のふたを開けたら、中身は金貨じゃなくて歯だった。びっしり。歯医者さんが悪夢で見るやつ。
「うわっ、宝箱界の校則違反!」
噛まれた。
死んだ。
【死亡処理】
【死因:宝箱だった】
【累計死亡回数:137回】
【死因図鑑冒頭札と一致】
白い拠点で目を覚ましたコヨリは、しばらく天井を見た。
――百三十七回目の死因は、宝箱だった。
頭の中で、そんな一文が勝手に札になった。ネムが台帳を見て、小さく首をかしげる。
「百三十七回目です」
「宝箱だった」
「はい」
「ずっと前に、そういう死に方をした気がする」
「死因図鑑の冒頭札と一致します」
コヨリはむくりと起き上がった。恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい。だが、死因図鑑室、鑑定机、罠訓練場、射線訓練場、一フレーム道場、魔王軍資料室、思い出ログ棚、死因研究室、全部が静かに光っている。
「次は開けない」
「はい」
「二度見もしない」
「はい」
「神様ァ! 百三十七回目まで宝箱で殺すなああああああああ!」
再挑戦の九十八階。宝箱は同じ声で「最後の鍵」と言った。コヨリは小石を投げた。小石は宝箱に当たり、歯が出る。コヨリは見ない。階段だけを見る。
九十九階へ。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:【帰還門・表九十九階】
到達階:99F入口
累計死亡回数:137回
死亡時レベル:Lv20
再挑戦後レベル:Lv21
現在HP:48/61
満腹度:18
帰還因子:【名前】【座標】【時間】【記憶】【縁】【扉】認証通過
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
獲得済み主要スキル:【死因ログ参照 Lv.2】【死亡ログ改ざん Lv.1】【神様報告遅延 Lv.1】【総合盤面確認 Lv.1】【危険察知 Lv.4】【罠感知 Lv.3】【未識別警戒 Lv.4】【射線確認 Lv.3】【一フレームの神様 Lv.1】【仕様書要求 Lv.2】
今回の新規獲得・更新:新規獲得:【おかえり識別 Lv.2】/【階段横宝箱警戒 Lv.1】→【階段横宝箱警戒 Lv.2】/記録選択:【拠点の壁に書いた帰る】
今回活用した拠点設備:【思い出ログ棚】【死因研究室】【魔王軍資料室】【仕様書保管棚】【罠訓練場】【死因図鑑室】【一フレーム道場】
【今回の死亡ログ】
死亡回数:137回
死因:【宝箱だった】
補足:第1話冒頭の「――百三十七回目の死因は、宝箱だった。」へ接続する死亡ログです。宝箱は最後まで信用できません。
百三十七回目の死因を、冒頭で語られていた宝箱死に接続しました。拠点側の施設が全部反応し、死因がただのギャグではなく攻略情報として戻っています。
※表示は主要スキルのみです。過去に得た下位スキルは消失しておらず、統合済み・内部保持されています。
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