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氷雨の黙示録  作者: 唯野眠子
第11章-並列化
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第11-2話 並列処理の設計

時刻: 4月26日 午前8時00分

場所: 太平洋上の人工島、中央管制室

地図上の十一の点は、一年以上前からそこにあった。

だが、それらは「点」のまま止まっていた。

壁一面のスクリーンに、12基の到達高度が並んでいる。

第一基は完成している。

しかし第二基から第十二基の数値は、ここ数週間、ほとんど動いていない。

5,200m。5,800m。6,100m。

どれも第一基の初期フェーズに達したまま、そこで止まっていた。

数値が止まっているだけではない。

先週、ガボンとモルディブから「このまま続けることが正しいかどうか判断できない」という報告が届いていた。

「コピー・アンド・ペーストは、この規模の建築では通用しない」

洋子はスクリーンに並ぶエラーログを指した。

「第一基の設計データはリアルタイムで共有されていた。それは事実です。

しかし、ガボンでは基礎地盤の粘性不足でテザーが沈み込んでいる。

モルディブでは異常な塩害で冷却系が腐食した。

ブラジルでは熟練工の不足で精度が出ない。

各拠点が第一基のデータを受け取りながら、そのまま使えなかった」

「では、何が足りていなかった?」

浩が聞いた。

「翻訳です。各地の環境、資材、人員——これら『ローカルな変数』が、第一基の『グローバルな正解』を拒絶しています。今必要なのは、第一基の成功をなぞることではない。なぜ各地で失敗しているのか、その不一致を徹底的に分解することです。11通りの失敗には、11通りの理由がある」

私はこの2週間、洋子が各拠点の報告書を読み込んでいる姿を何度か見ていた。

深夜に画面に向かっていた。

何かを確認しながら何かを書いていた。

今日の言葉は、その時間から来ている。

私は手帳に「4月26日」と書いた。

記録を始める。


時刻: 4月26日 午前10時00分

場所: 中央管制室

各建設地の問題点の確認が行われた。

洋子がスクリーンを切り替えるたびに、別の失敗が現れた。

同じ設計書から出発して、なぜ11通りの行き詰まりが生まれたのか。

第二基、インド洋・ディエゴガルシア島沖。

既存施設との境界管理の問題が基礎工事の遅れを引き起こしていた。

交渉窓口が複数あり、現場の判断が上に上がるたびに決定が遅れていた。

技術の問題ではなく、合意形成の問題だった。

第一基にはなかった種類の停滞だった。

第三基、インド洋・モルディブ沖。

海水の塩分濃度が設計想定より高く、冷却系の腐食が進んでいた。

「私たちの海で作ってほしい」と要請した国だ。

海面上昇の被害者が自ら選んだ場所でも、海は容赦しない。

作業員の多くは現地出身で、岸から自国の陸地を見ながら作業している。

第一基の設計では想定していなかった塩分濃度の問題が、図らずも現地の技術者たちに最初のオリジナル課題を与えていた。

第四基、大西洋・中央部。

人工島の建設と並行してタワーを建てている。

資材の輸送ルートが最も長く、補給のたびに工程が止まる。

海上に島を作りながら塔を建てるという、第一基でさえやっていないことをやっていた。

第五基、アフリカ・ガボン沖の陸上基地。

地盤の粘性が設計値を下回っていた。

テザーのアンカー部が微細に沈下し続けている。

熱帯雨林の土は、数値では見えない性質を持っていた。

建設と保全の境界を毎週見直す必要があり、国際環境団体からの抗議文書も届いていた。

第六基、アフリカ・ソマリア沖。

セキュリティのために夜間作業が停止している。

1日あたりの有効稼働時間が他拠点の半分以下だった。

工程が遅れている原因は技術ではなく、政治だった。

それでも現場は、可能な限り工程を詰めようとしていた。

それがまた、政治的な軋轢の原因となっているのだった。

第七基、インド洋・インドネシア・スマトラ島沖。

地震多発地帯。先月の小地震で基礎の再測定が必要になり、工程が2週間止まっていた。

揺れが収まるたびに、計算し直しになる。

第八基、太平洋・パプアニューギニア沖。

海底地盤の調査が完了していない。

水深が他より三割以上あり、アンカーの設計が確定できていない。

数値が確定しない限り、建設は動かない。

第九基、大西洋・ブラジル沖。

資材は潤沢だが、熟練工が足りない。

ブラジル政府の支援で人員は揃っているが、精密作業の経験者が少なく、品質検査で再施工が続いていた。

意欲は高いが、技術が追いついていない。

第十基、太平洋・エクアドル沖。

第一基の経験チームが多く転属しており、最も進んでいる。

作業のリズムは他拠点よりも滑らかだった。

しかし他拠点を支援するために経験者を他に回すと、おそらくリズムは崩れ、ここが遅れる。

貴重な経験者を12拠点に分散させることの矛盾が、ここに集約されていた。

第十一基、太平洋・コロンビア沖。

第十基と地理が近く、管理を共有しているが、その分散が双方の集中を削いでいた。

第十二基、インド洋・スリランカ沖。

地球信仰の聖地に近い。

信者が作業区域に立ち入ろうとする事案が複数発生し、対応に時間を取られていた。

ケフィリアンの月面基地との関連で注目が集まりすぎていた。

注目は資源になるが、管理コストにもなる。

「一つとして同じ失敗ではない」

洋子が言った。

「それが、問題の核心です。第一基が機能したのは、条件が整っていたからではなく、問題が起きるたびにその場で解決できたからです。11拠点は、解決の文化をまだ持っていない。設計書に書いていないことが起きた時に、自分たちで答えを出せるかどうか。それが、第一基との本当の差です」

「解決策は?」浩が聞いた。

「各拠点の停滞を、共通の原因に還元しようとするのをやめます。原因は12通りある。答えも12通りになる。ただし、その12通りが互いに学び合う仕組みを作ります」


時刻: 5月1日 午後2時00分

場所: AI管制室

洋子が導入したのは、単なる管理システムではなかった。

自律分散型最適化エンジン「AIアトラス」の刷新版だ。

第一基の建設中、アトラスはその現場の問題を解くためのシステムだった。

今度は違う。11の停滞を同時に解析し、その解析結果が互いの停滞を解く鍵になる構造だ。

「これまでのアトラスは、第一基のデータを正解として11拠点に配信していた。しかし停滞の原因は、その正解が各地の現実と合わなかったことです。新しいアトラスは逆の方向に動きます」

洋子がシステムの概要を示した。

11の拠点から届く失敗のデータをAIが咀嚼し、その場所専用の最適解を弾き出す。それだけではない。ブラジルの再施工で得られた工法の知見が、翌日にはガボンの地盤強化アルゴリズムにフィードバックされる。スマトラの耐震解析が、モルディブの塩害対策モデルを更新する。

失敗が、別の場所の成功の材料になる。

「11の部分最適が、互いを参照して進化し続けます。これは一つの巨大な学習体です。設計は固定されるものではなく、全ての塔が完成するその瞬間まで、リアルタイムで刷新され続けます。停滞していた11拠点を、失敗のデータそのものを燃料にして動かします」

「人間はどこで判断するか」

私が聞いた。

「AIが出せない判断のところだけです。倫理的な優先順位、相矛盾する要求の解決。たとえば二拠点で同時に緊急事態が起きた時、どちらを優先するか。その最終判断の責任は人間が持つ。AIはそこまで持つことができない」

浩は頷いた。

「それは良い」

実演として、パプアニューギニア沖の水深データに基づく基礎工事のタイムラインが表示された。三つの選択肢と、それぞれのリスク評価。

「AIはここまで出します。最終的にどれを選ぶかは、統括責任者の判断です」

洋子がその画面を見た。

「これは、第一基の第三ステージで浩さんが選んだのと同じ構造の問いですね」

「第一基の経験が、ここで生きている。ただし今回は、11拠点が同時にそれぞれ別の答えを出す」

私はこのやり取りを書き留めながら、ケフィリアンのことを考えた。

AIに過度に依存して判断を誤ったという仮説。

「協力すれば、不可能はない」というメッセージを残した文明が内部対立で滅びたという矛盾。

どちらの仮説も証明されていない。

ただ今、私たちは4億年の時間を隔てて、同じ設計の問いに別の手で向かっている。

失敗のデータを学習資源に変える方法は、4億年前に試みられたか、試みられなかったか。

それも分からない。

「先輩、記録していますか」浩が言った。

「している」

「ケフィリアンの件も?」

「している」

浩は頷いた。それ以上は言わなかった。

AIアトラスの画面には、12の拠点が同時に映っていた。

それぞれのデータが流れている。

失敗が別の場所の成功になる。

その連鎖が、今日から4ヶ月間続く。


時刻: 5月5日〜5月10日

場所: 各建設準備会議(ビデオ会議)

「標準化と個別化のバランスです」

洋子が各拠点の設計チームとのビデオ会議で説明した。

12の拠点が順番に繋がっては切り替わる。

背景が変わるたびに、画面の向こうの気温も光の色も違った。

「ケーブルの仕様、マスドライバーの規格、AIアトラスとの接続方式。これは全拠点で共通にします。変えてはいけない。どこか一拠点の仕様が違えば、12基が同時稼働する時にシステム全体がずれます。1基の例外が、12基の失敗になります」

「一方で、建設方法は各拠点の環境に合わせて個別化します。必要であれば、標準化を捨て、思い切って個別化に舵を切ります」

数人の技術者が息を呑んだ。

「既に建設された区画であっても、アトラスが不適合と判断すれば、解体してやり直します」

会議のどこかで、息を吐く音がした。

「解体、ですか」

ガボン拠点の設計チーム長が言った。

フランス語訛りの英語だった。

声に感情はなかったが、問い直すことで確認しようとする意志があった。

「不具合を抱えたまま12万キロを伸ばすリスクに比べれば、数ヶ月の逆行など安いものです。これは建設ではなく、地球を覆う一つのシステムの調整なのですから」

「数ヶ月の逆行、というのは……」

別の拠点の声だった。

「文字通りの意味です。システムとして完成した時に機能するかどうかが基準です。個別の拠点の進捗は、その判断に従います」

短い沈黙があった。それは抵抗ではなかった。論理を受け取るための間だった。

「迷った場合は、私か浩さんに確認してください。即座に回答します。24時間」

「本当に、24時間ですか?」とチーム長が聞いた。

「本当に」洋子が答えた。チーム長は一度頷いた後、もう一度聞いた。

「あなたは眠りますか?」

「交代します」

チーム長は画面の向こうで少し笑った。

それ以上は言わなかった。

数日後、ソマリア沖拠点から問いが来た。

夜間巡回を6時間ごとから3時間ごとに変更したい。

洋子は即座に「個別化の対象です、ガイドラインに追記します」と返し、5分後にマリアから「国連PKO増援要請を並行して動かします」という連絡が来た。

標準化されたシステムが、個別の問題を拾い上げ、個別の対応を引き出す。

その連鎖が動き始めていた。


時刻: 5月10日 午前10時00分

場所: 中央管制室

5月10日。11拠点が、ほぼ同時に再稼働した。

これは新しい建設の始まりではない。

停滞した11拠点が、それぞれ自分の失敗と向き合い、アトラスが導いた11通りの個別解に従って、再び動き始めた日だ。

第一基の18ヶ月の実績データと、11拠点の失敗のデータが合わさって初めて生まれた解が、今日から現実になる。

スクリーンの壁に、11の映像が開いている。

AIアトラスが各映像にタイムスタンプと拠点番号を付与していた。

異常検知ゼロ。全拠点正常稼働中。画面の左端に緑のインジケーターが並んでいた。

ガボンのテザーが、新しい基礎仕様で再度アンカーを打ち込む場面が映っていた。

数週間停滞していた作業が、再び動いていた。

モルディブでは、塩害対策を施した新しい冷却系が稼働し始めていた。

ブラジルでは、アトラスが弾き出した工程に沿って、熟練工と新人が並んで作業していた。

映像の端に、地元住民らしき人々が柵越しに作業を見ていた。停滞していた間も、見ていたのかもしれない。

「各拠点、再稼働を確認しました」洋子が報告した。

声は平静だった。数週間前の停滞が、まるでなかったかのような声だった。

「問題は?」

「進捗に多少のばらつきはありますが、今のところ、なし、と言っていいでしょう」

「そうか」

浩はスクリーンを見た。11の映像が並んでいた。

それぞれが、異なる失敗を経て、同じ作業に戻っていた。

スクリーンは、しばらく誰も切らなかった。

管制室の技術者が数人、画面を見上げたまま、次の作業に移れずにいた。

「先輩」と浩が言った。

「何だ」

「いつになったら、言葉が出てきますか」

「何を言葉にしたい?」

浩はしばらく考えた。

「これを、一言で言いたい」

「一言では無理だと思う」

「そうか」

それで終わった。浩は端末を手に管制室を出た。

私はスクリーンを見ていた。

映像はまだ流れていた。

11の拠点で、それぞれの夜が、それぞれの速さで来ようとしていた。


時刻: 5月10日 深夜

場所: 中央管制室、浩のデスク

このやり取りを、私は後に浩から聞いた。

酒も入っていない、ただの仕事の合間の雑談として、彼は少しだけ誇らしげに「先輩」である私に教えてくれたのだ。

深夜、管制室の隅にある浩のデスクで、モニターが静かに明滅していた。

通信ウィンドウの向こう側、ジュネーブの夜を背景にしたマリアの映像が映し出されている。

彼女は珍しく眼鏡をかけ、疲れた表情で書類に目を落としていたが、浩の顔を見ると少しだけ微笑んだ。

「進捗はどうですか、浩」

「洋子のアトラスが動き始めた。これで11の拠点がようやく同じ方向を向く」

「そう。……良かったわ」

マリアがふと視線を落とした拍子に、カメラの端に銀色の紙の包みが映り込んだ。

「マリア、それは?」

マリアが慌てて画面の外へ何かを押しやったが、浩は笑みをこぼした。

「高級そうなチョコレートに見えましたが。洋子と同じですね。彼女も行き詰まると糖分を『燃料』だと言い張って、デスクに包み紙の山を作っていますよ」

マリアは観念したように小さくため息をついて肩の力を抜いた。

「彼女には内緒にしておいて。実を言うと、私たちが最初に知り合ったのも、パリの学会会場の裏にあるパティスリーだったの。最後の一つの限定モンブランを、どちらが先に注文したかで十分以上も議論して……。結局、半分ずつ分けることで妥協した。それが、私たちの最初の外交だったのよ」

「マリアらしいというか、洋子らしいというか」

「私たちは似たもの同士なの。計算式で世界を測る彼女と、条約で世界を縛る私。どちらも、たまには甘い盾が必要なのよ」

二人の笑い声が、深夜の無人の管制室に小さく響いていた。

私はその話を、公式な記録ノートには一行も書かなかった。

記録者は事実を記すが、それは同時に、何を歴史とし、何をただの記憶として守るかを選ぶ作業でもある。

英雄たちの孤独な夜に、たった一粒のチョコレートがもたらした安らぎ。

それはデータの集積よりも、時には重い。

11の拠点が再び動き始めた夜に、二人の声が笑っていた。

それも、記録に値するものの一つだ。

だが、記録者の仕事は、記録者として見えたものを書くことだ。

私はただ、翌朝の浩の顔が昨日よりもわずかに明るかったことだけを記録し、次の建設記録の準備に取り掛かった。

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