第2-6話 喪失
時刻: 1月6日 午前0時00分
場所: ボリビア、ラパスIGDE気象観測所(襲撃12時間後)
元捜査官でIGDE緊急対応チームのリーダー、カルロス・メンデスは、現場を検証していた。
アンデス山脈の高地。標高3600メートルに位置するラパス。
IGDE気象観測所は、この都市の郊外にある、南米の気象観測の中核拠点である。
しかし今、その施設は破壊されていた。
観測所のメインビルは、爆発により一部が崩壊して、精密な気象観測機器が破片となって散乱している。
「爆発物は、C4プラスチック爆弾。約5キログラムと推定されています」
ボリビア警察の爆発物処理班が教えてくれた。
カルロスは、爆発の痕跡を調べた。壁に残る焦げ跡、歪んだ金属、吹き飛ばされた窓ガラス。
「犯人は、観測所のセキュリティシステムを熟知していました。警備員の巡回ルートを避け、死角から侵入しています」
ボリビア警察の捜査官と、監視カメラの映像を確認しようとしたが、肝心な場所のは壊れていた。
「事前に無効化とは、計画的ですねぇ」
建物の内部に入り、破壊された機材の間を、慎重に歩く。
(もう、経験しなくていいと思ってたんだがなぁ)
そして、現場の別の区画に向かった。
白いシートで覆われた遺体がまだ置かれている。
「犠牲者は...ドクター・ミゲル・コルテス。42歳、気象学者」
カルロスは、シートを少し持ち上げた。そして、そっと戻して黙祷した。
「爆発の直撃を受けています。即死だったでしょう」
彼は、深く息を吸い込んだ。
即死だからってなぁ...もう、とっとと帰って一杯やりたいよ、とは言えぬ。
ミゲル・コルテス。カルロスは、彼と何度か会ったことがあった。
温厚で、熱心な科学者だった。
近くには、負傷した二人の科学者が、救急隊員の手当てを受けていた。
カルロスは、その一人に近づいた。
「ドクター・サンチェスですね?状況を説明できますか?」
救急隊員の顔を見る。大丈夫そうだな。
負傷した科学者、マリア・サンチェスが、震える声で答えた。
彼女の額には、包帯が巻かれていた。
だが、それなりの年齢な分、落ち着いてはいるようだ。
「午後8時頃...突然、警報が鳴りました。侵入者がいると...」
彼女は、咳き込んだ。
「私たちは、避難しようとしました。しかし、爆発が...ミゲルは、データを守ろうとして...」
サンチェスは、言葉を詰まらせた。涙ですこし潤む。
「彼は、気象データサーバーに走りました。バックアップを取ろうとして...そこで、爆発が...」
彼女は、一旦顔を覆ったが、再び説明を始めた。
「私は、止めたんです。『逃げよう』って。でも、彼は『このデータがなければ、予測ができなくなる』って...」
カルロスは、彼女の肩に手を置いた。
サンチェスは首を横に振った。
「私が、もっと強く止めていれば...」
カルロスは、何も言えなかった。
彼は、破壊されたサーバールームを見た。そこに、ミゲル・コルテスの命はあったのだ。
時刻: 午前3時00分
場所: IGDE危機管理センター、ニューヨーク
マリアは、続報を待っていた。
招集された科学者たちもセンターに残っていた。
浩と洋子も、その中にいたが、マリアの部屋を訪れていた。
2人は反対国の影響を加味したスケジュールを依頼されていたからだ。
大型スクリーンに、ボリビアからの現場報告が表示されていた。
破壊された観測所の写真。
ミゲル・コルテスの遺体。
マリアは、その画像を見つめていた。
彼女の目に涙はないが、擦れて赤くなっていた。
その時、別のスクリーンにポップアップが表示された。
「犯行声明の映像が、インターネット上にアップロードされました」
情報分析官のサラ・チェンが報告した。
「再生します」
大型スクリーンに、映像が表示された。
黒い覆面をした男が、カメラに向かって話している。
背景には、「神の剣」のシンボルマークが掲げられていた。
剣と、それを囲む炎。
「我々は、神の剣である」
男の声は、機械的に変調されていた。
しかし、その口調には、狂信的な確信が満ちていた。
「本日、我々はボリビアのIGDE気象観測所を破壊した。これは、摂理の意志を実行する最初の行動である」
男は、古い書物の一節を引用した。
「『あなたがたは、地上で高慢になってはならない。高慢な者は愛されない』」
「IGDEは、現代のバベルの塔を建てようとしている。人間が天に到達しようとする、傲慢な試みである」
男の声が、激しくなった。
「我々は、これを許さない。天の名において、我々はIGDEの全ての施設を破壊する」
男は、カメラに向かって指を突きつけた。
「科学者たちよ、悔い改めよ。軌道エレベータ計画を放棄せよ。さもなくば、次はあなたたちの命だ」
映像が、そこで終わった。
センター内が、静まり返った。
マリアは、サラに尋ねる。
「対応は?」
「発信元などはFBIサイバー犯罪部門が対応することになっています。が、向こうも対策はしているでしょうから...」
「過激派メンバーの特定は、国際刑事警察機構の方で最優先になっていますが、なにしろ数が...」
そんな話をしている間に連絡が入った。
「どこから発信されている可能性が高いですか?」
「可能性のある発信地域を絞れたようです。中東、おそらくサウジアラビアまたはイラン周辺と推定されます。しかし、これも偽装されている可能性があります」
「映像の背景、使用されている機材、音声変調の手法...これらを分析していますが、時間がかかります」
洋子がポツリと言った。
「……次は、もう予測できない場所かもしれません」
浩が、世界地図を表示した。
赤い点が、世界中に散らばっている。
「IGDE関連施設は、世界中に約150箇所あります。観測所、研究施設、計算センター、材料開発施設...」
彼は、統計データを表示した。
「全てを完全に守ることは...流石に...最初から現実的じゃない」
マリアは、額に手を当てた。そして、決断した。
「重要度の高い施設に警備を集中させましょう。それ以外は...後回しにします」
「重要度の判定基準は?」
洋子が尋ねた。
「プロジェクト・アセンションに直接関係する施設です。建設予定地、材料開発施設、計算センター...」
マリアは、リストを作成するよう指示した。
皆を集めた会議室で、警備に関する方針をマリアが説明した。
その側で浩と洋子は、データベースにアクセスし始めた。
「建設予定地は...ケニア、赤道直下」
浩が言った。
「材料開発施設は...日本の筑波、アメリカのマサチューセッツ、ドイツのミュンヘン」
洋子が続けた。
「量子計算センターは...ここニューヨーク、中国の上海、スイスのジュネーブ」
二人は、リストを作成していった。
最終的に、約30の施設がリストアップされた。
「これらの施設には、24時間体制の武装警備を配置します」
マリアが決定した。
タスクを完了した達成感はなく、作業の音も止まり、空調音だけが耳に届く。
誰も解散しようとしない。
仕方なさそうに、デイビッド・チャンが尋ねた。
「残りの120施設の警備方針は?」
洋子は答えを探そうと視線を落としたが、すぐに止めた。
そして(朝ごはんは、甘いものを多めにしよう、それがいい)、とぼんやり考えていた。
そんなことを考えながら、モニターから目を離し、机の縁を指でなぞった。
数字は並んでいるのに、どこにも行き先がなかった。
浩は深いため息をついた。
デイビッドに何度も押し付けるのはダメだろう。
「優先順位を切らなければ、全体が落ちます。30を守るか、150を失うかの話です」
マリアは、少し小さな声で決断した。
「残りの施設には、基本的な警備を維持します。そして...」
「科学者たちには、一時的な避難を勧告します。特に、危険度の高い地域にいる方々には」
今度はアイーシャ・ナシルが切り出した。
「しかし、それでは研究が止まります」
「止まっても、命があれば再開できます」
マリアは、静かに言った。
「死んでしまえば、何もできません」
彼らは、理解していた。
自分たちが、標的になったことを。
そして、理解から外していた。
計画をやめるという選択肢を。
浩が、別のデータを表示した。
「神の剣の推定メンバー数は...約10万人です」
「そして、彼らは世界中に散らばっています。アメリカ、ヨーロッパ、中東、アジア...」
洋子が地図上にマークを表示した。
「少なくとも座標はある。見えない敵よりはいい」
浩はそう言ったが、視線は地図の赤点から動かなかった。
マリアは、窓の外を見た。
ニューヨークの夜景。それはいつもどおり美しかった。
時刻: 午前0時15分
場所: ハワイ、マウナケア天文台
氷雨開始から21日。
観測員のデイビッド・レイノルズは、モニターを凝視していた。
「氷塊の検出数...1時間あたり100個まで減少」
標高4200メートルの山頂。世界有数の天文観測施設。
24時間前は、1時間あたり100万個だった。
それが、1万分の1に減少している。
デイビッドは、データを何度も確認した。機器の故障ではないかと疑った。
しかし、世界中の観測所が、同じ異変を記録していた。
降下する氷塊の数が、急速に減少している。
「これは...終わりが近い」
同様の報告が、世界中から届き始めた。
チリ、ラ・シヤ天文台: 氷塊検出数、95%減少
南アフリカ、サザーランド天文台: 氷塊検出数、97%減少
オーストラリア、パークス天文台: 氷塊検出数、96%減少
時刻: 午前6時00分
場所: 国際宇宙ステーション
「ヒューストン、こちらISS。大気圏上層部の氷塊密度が、著しく低下しています」
田中飛行士は、窓から地球を見下ろしていた。
21日間、地球を包んでいた氷の雲が、明らかに薄くなっていた。
大気圏の上層部。通常は黒い宇宙空間が見えるはずの場所に、白い霧のような層があった。それが、氷塊群だった。
しかし今、その層が消えつつある。
「ヒューストン、こちらISS。大気圏上層部の氷塊密度が、著しく低下しています」
田中は、カメラで地球を撮影した。
モニターに目を向けると、センサーが記録している氷塊の数が、リアルタイムで減少していく。
1時間あたり1000個、500個、100個、50個...
「もうすぐ...終わるんですね」
田中は、窓の外を見続けた。地球の青い輝き。21日ぶりに、その美しさが戻りつつあった。
時刻: 午前11時45分 場所: 南太平洋上空
最後の氷塊が、大気圏に突入した。
それは、直径約50センチメートルの氷の塊だった。
高度10000メートル。大気との圧縮熱で氷塊の表面が、白く輝き始めた。
温度が上昇し、表層が蒸発していく。
そして、消えた。
時刻: 午後0時00分 場所: IGDE危機管理センター
浩が、最終的な軌道計算結果を表示した。
「全観測所からのデータを統合しました」
彼は、グラフを表示した。時間ごとの氷塊検出数。
それが、ゼロに達していた。
「氷塊の降下は...完全に停止しました」
センター内に、安堵のため息が広がり、拍手も起こった。
21日間の悪夢が、終わったのだ。
「氷雨は止まりました。しかし...」
マリアは、椅子に座り込んだままだった。
「終わった...しかし、何も解決していない」
彼女の脳裏には様々な数字が思い浮かぶ。
「海面は、6.8メートル上昇したまま」
「28億人が、被災したまま」
「6億5000万人が、難民のまま」
「そして、197万人は...戻ってこない」
彼女は語ったわけではない。
だが、伝わったのかもしれない。
「過去は解決していないかもしれませんが、未来は解決させましょう。」
洋子が頷いた。
「プロジェクト・アセンション。海面を元に戻す」
マリアは、顔を上げた。
「そうですね。197万人の犠牲を、無駄にしてはいけません」
彼女は、立ち上がった。
「全員、2時間の休憩を取ってください。その後、建設計画の最終確認を行います」
科学者たちが、頷いた。
氷雨は終わった。美しかった。
時刻: 午後2時00分
場所: 同上
マリアは、記者会見の準備をしていた。
スタッフ達が、原稿を用意していた。
統計データ、スライド、予想される質問とその回答。
しかし、マリアは原稿を見ずに、窓の外を見つめていた。
雨はあがったものの、ニューヨークの街はまだ燻っていた。
美しい。
「何を話せばいいのでしょうか」
彼女は、浩と洋子に尋ねた。
「事実以外に話すことなどないでしょう」
浩がそっけなく答えた。
「197万人が死んだという真実を?」
浩にはマリアが何に当惑しているのかわからなかった。
「はい。そして、私たちがこれから何をするかを」
洋子は共感できた。なんとなく、でしかないが。
「マリアさんはどうしたいのですか?前に歩かせるためだけの人参を、驢馬の前にぶら下げたいわけではないのでしょう?」
マリアは、深く頷いた。
「ありがとう」
時刻: 午後3時00分
場所: 国連本部、記者会見場
世界中のメディアが集まっていた。
数百台のカメラが、演壇に向けられている。
記者たちの表情は、疲労と緊張に満ちていた。
彼らも、21日間の氷雨を取材し続けてきた。
マリアは、演壇に立った。
フラッシュが、一斉に光った。
「皆様、本日正午をもって、氷雨は停止しました」
記者たちが、一斉にメモを取り始める。
マリアは、まず最終統計を表示した。
これまでの事実。
海面上昇、水没した陸地面積、国土を失った国々の名前。
被害状況。難民キャンプの航空写真。
そして最後のスライド。
死者数、197万人。
「しかし、後悔している時間はありません。私たちは、前に進まなければなりません」
そして願う未来。
「IGDEは、軌道エレベータを建設します。海面を元のレベルまで戻します。そして、失われた都市を取り戻します」
マリアは、建設計画の概要図を表示した。
「これには、全世界の協力が必要です。技術、資材、人材、資金。全てを結集しなければなりません」
「建設期間は18ヶ月。第一基が完成すれば、海面を下げ始めることができます」
一人の記者が、手を挙げた。
「ロドリゲス事務次長、天啓の教団による攻撃についてどうお考えですか?」
マリアは、慎重に答えた。
「ボリビアの観測所での攻撃は、痛ましい事件でした。ドクター・ミゲル・コルテスの死を、深く悼みます」
「しかし、私たちは恐怖に屈しません」
別の記者が質問した。
「しかし、天啓の教団は世界中に4億人の信者がいます。彼らの妨害をどう防ぐのですか?」
「私たちは、対話を続けます。教団の穏健派とは、既にコンタクトを取っています。イブラヒム師は、科学との共存を主張しています」
「過激派については?」
マリアはすっと目を伏せた、が毅然と向き直した。
「法に基づいて、対処します。テロ行為は、いかなる理由があろうとも許されません」
「世界中の各国政府が協力してくれています。神の剣のメンバーを特定します。そして、法の裁きを受けさせます」
別の記者が手を挙げた。
「197万人の死者について、IGDEに責任はないとお考えですか?」
その質問は想定問答に含まれている質問にすぎなかった。
想定通りの回答で片付くはずであった。
質問の順番が不運だったな、とマリアをよく知るようになった浩は思った。
「IGDEには、どのような責任があるとお考えなのですか?」
彼女は、真っ直ぐに記者を見た。瞳に炎が宿るとは、まさに今の彼女かもしれない。
「嵐の中、家が飛ばされぬよう、家族のために雨に濡れながら、危険な外で柱を支えた父親に、家が倒壊したからと責任を求めるのですか?」
「ドクター・ミゲルだけではない。IGDEのメンバーは一人残らず全力で職務を遂行しているのです。命を投げ出す覚悟で。それでも」
「それでも、197万人という死者が出てしまったことは辛い」
一気に話したマリアは、ここでようやく息をついた。そして静かに語り始めた。
「辛いけれど事実なのです。そして過去を振り返って、誰の責任かをゲームしている余裕は、わたしたちにはもうないのです」
「どうしても責任を追及したい、とおっしゃるなら」
マリアはスクリーンを指差しながら言った。
「プロジェクト・アセンションを成功させることで、さらなる犠牲を防ぎます。それが、私たちの責任の取り方です」
記者会見は、それからも1時間続いた。
質問は、次々と飛んできた。
技術的な実現可能性、資金調達、国際協力、教団との対立。
マリアは、一つ一つ丁寧に答えた。
疲労は限界に達していた。しかし、彼女は立ち続けた。
時刻: 午後6時00分
場所: IGDE危機管理センター
記者会見を終えたマリアは、疲労困憊していた。
彼女は、センターに戻ると、自分のオフィスに向かった。
しかし、足が重いとは感じなかった。
浩と洋子が、カフェテリアで待っていた。
テーブルには、温かいコーヒーと栗のケーキが用意されている。
「マリアさん」
洋子が声をかけた。
マリアは、二人のもとに向かった。そして、椅子に深く座り込んだ。
「お疲れ様でした」
浩がコーヒーカップを差し出した。
「ありがとう」
マリアは、コーヒーを一口飲んだ。苦いコーヒーだった。
「197万人...」
彼女は、その数字を何度も口にした。
「私の責任です」
洋子が、マリアの肩に手を置いた。
「マリアさん、あなたの責任ではありません」
「でも...」
「あなたは、会見で責任を問うた記者になんと言いましたか?あなたは全力ではなかったのですか?」
洋子の声は、優しかった。
マリアは、首を横に振った。
「でも、私はIGDEのリーダーです。責任を取らなければ...」
浩が、静かに言った。
「マリアさん、あなたが今すべきこと、自分がおっしゃったことをそんな簡単にご自分で否定するのですか?」
彼は、マリアを見つめた。
「俺はね、国際社会や世界の国々の政府、なんて見えない敵は相手にしたくないんですよ。合理的じゃない。効率も悪い。...だから、やめてください、責任を取るなんてのは」
「プロジェクト・アセンションを成功させる。それが、大事な目標なんです。今更投げられても困るんですよ」
マリアは、二人を見た。
浩の目には、決意があった。
洋子の目には、優しさがあった。
そして、マリアは気づいた。
自分は、一人ではない。
「記者会見で言ったことは、本心です。197万人の死を無意味にしてはいけない」
マリアは、コーヒーを飲み干した。苦いコーヒーだ。けれども美味しい。
「振り返っている暇はありませんね」
彼女は、立ち上がった。
「では、今日はもう休みましょう」
マリアが続けた。
「明日から、長い戦いが始まります。体を休めてください」
科学者たちは、それぞれの宿舎に向かった。
しかし、浩と洋子は残った。
「マリアさん、私たちはもう少し作業を続けます」
浩が言った。
「データの最終確認が必要です」
「わかりました。でも、無理はしないでくださいね」
二人は、作業室に向かった。
マリアも、自分のオフィスに戻った。
やるべきことが、まだたくさんあった。
しかし、今は少し、休もう。
彼女は、椅子に座った。
そして、目を閉じた。
時刻: 1月7日 午後11時00分
場所: 同上
氷雨終了の日が、終わろうとしていた。
浩と洋子は、作業室で最終的なデータ分析を続けていた。
二人の前には、複数のモニターが並んでいる。
それぞれに、異なるデータが表示されていた。
「海面上昇の分布は...予測とほぼ一致している」
浩が言った。
彼は、世界地図を表示した。赤く塗られた領域が、水没地域を示している。
「予測誤差は、プラスマイナス5%以内。量子シミュレーションの精度は、十分でした」
洋子が、別のデータを確認していた。
「気候への影響は...少なくとも5年間継続すると予測されます」
彼女は、大気循環のシミュレーション結果を表示した。
「大気中の水蒸気量が、通常の2.5倍。これが元に戻るには、相当な時間がかかりますね」
海面を下げるだけでは、終わらない。
気候システムを元に戻す。
それが、本当の挑戦だった。
その時、マリアがオフィスから出てきた。
彼女は、窓際に立った。
外は、久しぶりに雨が降っていなかった。
雲の切れ間から、星が見えた。
星空は明るい。そして美しい。
「21日ぶりの星空ね」
マリアの声が、静かに響いた。
浩と洋子も、作業を中断して窓際に来た。
三人は、しばらく黙って星空を見上げていた。
冬の星座。オリオン座、おうし座、ふたご座。
それらが、静かに輝いていた。
「あの星々の向こうから、氷塊は来たんですね」
三人は、重い沈黙に包まれた。
その時、マリアの携帯電話が鳴った。
「ロドリゲスです」
彼女は、数秒聞いた後、表情を変えた。
「わかりました。すぐに確認します」
電話を切った後、マリアは二人に告げた。
「深宇宙探査機から、新しいデータが届きました」
「何のデータですか?」
浩が尋ねた。
「L4ラグランジュ点で...何かを発見したようです」
「L4ラグランジュ点?」
洋子が反応した。
「はい。地球-月系の安定点の一つです。そこに...巨大な構造物があるとのことです」
浩と洋子は、顔を見合わせた。
「それは...」
三人は、急いでメインホールに向かった。
大型スクリーンに、深宇宙探査機からの画像が表示された。
遠くの宇宙空間に浮かぶ、巨大な円盤状の構造物。
直径は、推定で約5キロメートル。
表面は、滑らかで、金属的な光沢を持っていた。
「これは...」
浩が息を呑んだ。
「人工物です。少なくとも自然がこんな構造を形成する理論を私は知りません」
マリアは、画像を拡大した。
構造物の表面に、何かの模様がある。幾何学的なパターン。
「これは、宇宙船...?」
マリアが呟いた。
「氷雨を作り降らせたモノが、そこにいる...」
洋子が、ゆっくりと補足した。
「これ、最近来たものじゃありません。軌道計算上、少なくとも――数十年前から、そこにあります」
「そして、監視している。人類が、どう対応するかを」
浩が続けた。
三人は、しばらく画像を見つめていた。
マリアには理解し難い何かが心に浮かんだ。
(あなた達には、何かが見えているの?しかも同じように?)
新たな発見。
そして、新たな謎。
氷雨は終わった。
しかし、物語は始まったばかりだったのかもしれない。
「明日、詳細な分析を開始します」
マリアが決定した。
「この構造物について、できる限りの情報を集めましょう」
「了解しました」
浩と洋子が答えた。
三人は、再び星空を見上げた。
L4ラグランジュ点は、地球から見て月の軌道上、60度前方の位置にある。
肉眼では見えない。
しかし、そこに、彼らがいる。




