9話
翌日の昼。
午後の授業中、僕は黒板を写すふりをしながら、何度もノートの上でペンを滑らせていた。視線を感じる。
ふと斜め後ろに目をやると、朝比奈さんが頬杖をついて、じっと僕の方を見ていた。目が合った瞬間、彼女はフワリと小さく笑った。
「……っ」
僕は慌てて気まずく目をそらし、再び黒板に向き直った。
心臓がバクバクと音を立てている。
「……」
その時、隣の席の結衣が、僕と朝比奈さんの方をチラリと見たような気がした。結衣のシャーペンの動きが、一瞬だけ止まった。
(……マズい。このままじゃ、絶対に結衣にもバレる)
やっぱり、どうしたらいいか分からない。けど、ハッキリと断らないといけない。これ以上、朝比奈さんを勘違いさせないためにも、僕と結衣の日常を守るためにも。涼介のためにも。
放課後、僕は意を決して、昨夜のメッセージの通り、彼女と二人きりで会う決断をした。
* * *
夕暮れの屋上。
オレンジ色に染まる空の下、フェンスに寄りかかる朝比奈さんは、どこか楽しそうに僕を待っていた。
「来てくれたんだ」
「……」
僕は数歩だけ距離を空けて立ち止まり、真っ直ぐに彼女の目を見た。
ここで逃げたら終わりだ。
「朝比奈さん。……僕は、結衣とは別れない」
「……うん。知ってる」
「僕は、結衣の事が好きなんだ。だから……」
「だから、知ってる」
彼女は表情を一切崩さず、淡々と頷いた。
「知ってるって……じゃあ、なんで……」
「私、このまま蓮くんと付き合いたい」
「だから!僕には結衣がいるから……朝比奈さんとは付き合えないって言ってるだろ!」
声を荒げた僕に対して、彼女は悲しそうに、少しだけ首を傾げた。
「……じゃあ、私とはもう会わない?」
「……っ」
「学校でも、もう目も合わせてくれないの?」
息が詰まった。答えられない。
「ああ、会わない」と突き放すべきなのに、言葉が喉に引っかかって出てこない。
「私は、蓮くんともっと話したい。……もっと……」
「それは……」
僕もだ、と言いそうになるのを、僕は唇を噛んで必死にこらえた。
「だから、このまま……誰にもバレないように」
朝比奈さんが一歩、僕の方へ歩み寄ってくる。
「ダメだ。僕は……朝比奈さんと付き合うことはできない」
「……」
「……涼介の事もあるし、結衣を傷つけたくもない。だから……このままの関係でいたいんだ」
自分でも、何を言っているのか分からなかった。付き合えない、でも離れたくない。そんなみっともない自己欺瞞。
「……それって、私とは隠れて付き合うって事?」
「そうじゃない!そういう……浮気みたいな関係じゃなくて!ただのクラスメイトとして……!」
「うふふっ」
必死に弁解する僕を見て、怜奈は吹き出すように笑った。
「わかってるよ。蓮くんは優しいもんね」
「……朝比奈さん」
「はいっ」
朝比奈さんはニコッと笑い、僕に向かってスッと右手を差し出した。
「握手」
「……え?」
「これからは、クラスメイトでもあり、色々と話す関係。よろしくね」
差し出されたその手は、白くて細かった。これなら……これで、一旦この泥沼から抜け出せる。僕はホッと息を吐き、恐る恐るその手を握り返した。
「……うん。よろしく」
――グイッ。
「……っ!?」
握手をした瞬間、朝比奈さんが僕の手を強く引っ張った。
バランスを崩した僕の胸の中に、彼女の体が飛び込んでくる。
「っ! 朝比奈さん、そういうのは……!」
「いいでしょ」
僕の胸に顔を埋めたまま、朝比奈さんが腕を回して強く抱きついてきた。夕風が吹き抜ける中、彼女が僕の耳元で囁く。
「これくらいは……クラスメイトなんだから」




