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炎熱


「この人がここのママ、明星虹子あけぼしにじこだよ」

「こんにちは、宵噛帳くん」


 孤児院の恐らくは責任者であろう明星虹子さんは、そう言って微笑んだ。

 艶のある黒髪を腰の辺りまで伸ばした妙齢の女性。歳は二十代の半ばあたりだろうか。だが、孤児院の責任者という立場なら、見た目通りの年齢ではないかも知れない。それこそ、吸血鬼ともなれば尚更だ。

 まぁ、初対面の女性に年齢の話をするほど無神経でもないので、この疑問は胸の奥に押し込めておくことにする。


「夕から事情は聞いたわ。貴方は隻翼――んんん、人間から吸血鬼に堕ちたみたいね」

「えぇ、まぁ」


 一ヶ月ほど、その事実に気が付かなかったけれど。


「隻翼である貴方は、吸血鬼の事情をまったく知らない。だから、吸血鬼の法を知らなければならないわ。知らなかった、では済まされないから」

 法。律。ルール。

 人の形をし、人の姿をし、人に紛れる吸血鬼にも、決まり事はあるらしい。


「なら、早速一つ良いですか? その隻翼とか混血とかって言うのはいったい?」

「そうね……吸血鬼の種類、と言えばいいのかしら。隻翼は人から吸血鬼になった者のこと。混血は人と吸血鬼の間に生まれた者を差す言葉よ。だから、貴方は隻翼で、この子は混血ということになるわね」


 夕は俺をみたとき、隻翼か混血かで迷った。

 夕の背にも片方しか翼がない。

 このことから隻翼も混血も翼は一つだけらしい。

 なら、あの両翼の吸血鬼は――俺が殺した吸血鬼は、純血ということになるのだろう。吸血鬼と吸血鬼の間に生まれた吸血鬼。人の血が混ざっていない、混じりっ気なしの本物か。


「あれ……なら、俺がしたことって、不味いんじゃあ」


 同属殺し。正確には半分だけだが、それでも敵対行動と捉えられるのが自然。人間なら排斥されるべき行為だ。

 いや、だが、なら、あの時あの場所で、俺と夕は敵対していたはずか。


「それは大丈夫よ。寧ろ、こちらとしてはお礼を言いたいほどよ。なにせ、私達の縄張りで好き勝手する野良を駆除してくれたんだもの」


 駆除、ね。


「野良とか、縄張りとか。つまりそれは、他にも吸血鬼の組織や集団がいるってことですよね?」

「その通り。この街には幾つかの派閥があるわ。いずれの派閥にも属していない吸血鬼を、私達は便宜上、野良と呼んでいるの。今の貴方がそうね」


 この街にそんな吸血鬼の派閥が幾つもあるとは驚きだ。しかし、注視すべきはそこじゃあない。俺が野良だと看做されていることだ。

 何処にも属していないということは、どの縄張りにも入ってはならないと言うこと。

 知らなかったでは済まされない。殺されてからでは文句の一つも言えないのだから。


「貴方も、もう気が付いているでしょうけれど。本来、貴方はここにいていい吸血鬼ではないわ。いま直ぐにでも排斥し、駆除しなければならない存在よ。けれど――」


 ふと虹子さんは俺を値踏みするように、頭の先から足の爪先までを眺める。


「貴方にその気があるのなら、私はこの派閥に引き入れてもいいと考えているの」


 それは願ってもない申し出だった。

 吸血鬼に縄張り意識がある以上、野良のままでいるのは避けたほうがいい。何処かの派閥に入り、吸血鬼の法や事情を理解しないことには、安心して散歩も出来はしない。

 だが。


「いいんですか? 俺みたいなどこの馬の骨とも知れない奴を引き入れて」

「いいのよ。困った時はお互い様って、よく言うでしょう? それに貴方が裏切ったら、それ相応の報復を行うから。貴方と――その周辺の人間に」


 それは、とても冷たい声音だった。

 身震いするほど、背筋が凍るほど、怖気が立つほど。


「――なんてね。冗談よ」

「……冗談に聞こえませんでしたよ」


 冷や汗をかかされた。


「なら、是非ともお願いします」

「えぇ。ようこそ、混血の派閥――明星へ」


 こうして俺は、若干の紆余曲折あって、明星の一員となった。



「吸血鬼の法について、まだ色々と話さなくてはならないことが沢山あるわ。まだ時間は大丈夫かしら?」


 そう問うた虹子さんに対し。


「あっ、じゃあ泊まっていけばいいよ。空き部屋ならあるし」


 そう提案したのは夕だった。

 それを受けて俺は懐から携帯電話を取りだした。時刻を確認すると、すでに午後十時を過ぎている。ここから話を続けるとなると、夜通しになりそうだ。

 しかし、吸血鬼の情報を得るのは急務。知らなかったでは済まされない以上、ここで頭に叩き込んでおくべきだ。


「じゃあ、夕の言葉に甘えて泊まらせてもらいます。――あぁ、そうだ。連絡を……」

「あ、ここ電波が悪いからグラウンドに出ないと繋がらないよ」

「そうなのか? あ、ホントだ」


 ディスプレイに表示された電波状況は、たしかに圏外になっていた。


「じゃあ、すこし外に出て来ます」


 断りを入れて席を立ち、玄関口へと向かう。

 終始、携帯電話とにらみ合いをしつつ、電波を探るように移動して玄関扉を押し開く。

 眼前に広がる夜の世界は、だが人であった時よりも明るく見えた。

 いや、物の輪郭がはっきり見えると言ったほうが正しい。敷地内にある古ぼけた遊具から、グラウンドを仕切る塀の落書きまで、はっきりとこの目は捉えている。

 心情的に落ち着いた所為か、人間だった頃との違いがよく目に付いた。


「えーっと」


 玄関先にでて、再びディスプレイを確認する。

 電波状況は圏外になったりならなかったりで、今一安定しない。もっと電波の拾いやすいところを探るよう、二歩三歩と足を進めてみる。すると、相変わらず電波は悪いが、安定する位置を見付けることが出来た。

 早速、電話を掛けて耳元に押し当てる。


「――誰だ? テメェ」


 それは携帯電話から流れてきた音声ではなく、俺の正面から聞こえた声だった。


「俺の仲間になにをしたッ!」


 その走力は、瞬間的な加速は、人間のそれではない。

 瞬きさえも許されない速度で、奴は――吸血鬼は肉薄し、その拳を突き放つ。

 真っ直ぐに最短距離をいく吸血鬼の殴打。

 その軌道は、だがこの目でしっかりと捉えられている。冷静に、急くことなく、拳の軌道上に己が手を差し込み、掴むように受け止める。

 直後、酷く乾いた音が鳴り響く。

 拳圧の所為か風圧の所為か、自身の髪が後方へと靡いた。音と衝撃、拳圧から察する威力は、人体を破壊するに余りあるものがある。もしこの拳を受け止めそこなっていたら、威力を殺しきれなければ、確実に顔が消し飛んでいた。


「――もしもし、帳? あんた今どこにいるの」

「……あぁ、友達の所だよ。今日は泊まりになるから、その連絡」

「そう、わかったわ。失礼のないようにね」


 ぷっつりと通話が切れる。


「失礼のないように、だってさ」


 吸血鬼の脇腹を目がけ、足を薙ぐ。

 けれど、両手が塞がった状態での攻撃はたやすく読まれ、蹴りはあえなく空を裂く。

 ゆっくりと足を下ろし、大きく後退した吸血鬼を見据える。

 見たところ同世代の男だ。

 奴はなぜか怒りの表情を浮かべ、鋭い目付きで睨んでくる。


「テメェの右肩に付いている、その血痕。それは人間のじゃあねーだろ。この臭いは吸血鬼のそれだ」


 その言葉を受けて、ようやく現状を理解する。

 孤児院の敷地内に見知らぬ吸血鬼がいて、そいつからは同属の血の匂いがする。

 その状況下で至る推測は、一つしかない。


「テメェ、いったい中で何人殺した」


 不味い、そう思った。

 それは誤解を与える要素が多すぎることに対しての思考だった。だが、それによって作られた表情は、彼にとって自らの推測に確信を与えるいい証拠として映ってしまう。


「許さねぇ……許さねぇぞテメェだけはァアアアアアアッ!」


 怒りのあまり放たれた咆哮は、彼自身に熱を灯す。

 怒りの感情。それが具現化したように、彼の身体が燃え上がる。

 火、炎、灼熱。闇を照らし、天を焦す劫火は、そして俺へと向けられた。


「死んでッ、灰になれやァアアアアアアッ!」


 視界を埋め尽くした蠢く赤。

 熱気が頬を撫でてすぐ、回避に移ろうと両の足に力を込める。

 この身体なら、吸血鬼の身体能力なら、燃え盛る炎から逃げることも不可能じゃあない。


「――あぁ、くそ」


 けれど、次の瞬間には足を止めていた。

 逃げることを止め、無謀にも立ち向かっていた。

 些細な抵抗をするように腕で盾を模し、火炎から身を護る。それはまさに焼け石に水だった。炎は容赦なくこの身を焦し、肺を焼く。焼け爛れ、融け落ちた先から身体は再生していくが、その上から更に火傷を負う。

 永遠にも思える地獄の一瞬。

 壮絶な痛みに耐え、周囲から熱が失せるのを待った。


「――かはッ……あぁ」


 膝をつく。

 炎に耐え切り、炎熱を凌ぎきり、なんとか生還する。


「……どう言うことだ。なんで避けなかった。避けられただろ、いま」


 怒りと困惑が入り交じる声音が、近くから響く。


「俺が、避けたら……燃えるだろうが、お前の家が」

「――まさか……そのために」


 なにぶん古い建築物だ。

 引火していれば確実に孤児院のすべてが燃えていた。


「今のはなに!? 敵襲!?」


 天まで昇るあの劫火を見てか、夕が血相を欠いて飛び出てくる。


「あれ、蒼夜そうや? いまここで――って帳くん!? どうしたの、それ!」

「なん、でもねー……よ」


 駆け寄ってくる夕にそう強がりつつ、立ち上がる。

 けれど、流石にあの炎熱に耐えきれなかったのか、すぐによろけて体勢が崩れる。


「おっと。ほら、ふらふらじゃん。手を貸すからはやく中に」

「悪い……」


 思ったよりも、身体への負担は深刻らしい。

 視界が霞んで来たし、手足の末端も痺れて来ている。

 吸血鬼の身体だからと言って、無茶をすれば当然こうなるか。いや、吸血鬼の身体だからこそ、この程度で済んでいるのか。


「蒼夜! あんたも手伝って」

「お、俺は……」

「はやく!」

「わ、わーったよ」


 蒼夜と呼ばれた吸血鬼は、つい数秒前まで戦っていた相手に手を貸した。

 やはりと言うべきか、彼は俺達の敵ではなかった。ただ少しだけ誤解が生じただけで、出会い方が違っていれば、こうはならなかったはずだ。

 運が悪いというか何というか、今日は厄日だな。

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