暗号
「さっさと動け、ノロマども!! そんなんじゃ戦場で蜂の巣にされるぞ!!」
ジャービス・エヴァーツ(Jarvis Evarts)は、地面を這いながら目標に近づいていた。鬱蒼と生い茂る草の中を、蜘蛛の巣や得体の知れない虫を諸共せずに突き進んでいく。
標的は崖下に居るという想定であり、もう少し進めば横長の穴が見えてくるはず。昨日、下級兵たちで徹夜して掘ったものだ。
ジャービスの前を行くのは、フリオ・ウォーレン(Julio Warren)だった。泥のついたブーツの底が、ジャービスの顔の手前でピタリと止まった。ポイントに到着したのだ。
フリオの手が背中に回った。トントン、と自分の腰に人差し指を何度も突く。
『敵が七人』
そして、今度は手の動きと形を変えた。
『Aに三人、B飛ばして、Cに一人。D飛ばして、Eに一人、Fに二人』
ジャービスは素早く自分の背中に片手を回した。彼のすぐ後ろには、セージ・ペニントン(Sage Pennington)が居る。
フリオから伝わった情報を、ジャービスが正確にセージに伝えるのだ。
『敵を殲滅する。横一列』
靴裏にコツコツと爪が当てられる感触をジャービスは感じ、フリオの靴にも伝えた。
『了解』
フリオが合図を出し、ジャービスとセージはフリオの両脇にそれぞれ移動する。
穴の際までやって来た。見ると、堀のような横にも縦にも長い穴が掘られている。その中で、人形が七人、フリオの情報通りの場所に配置されていた。
三人の弾丸は順調にその頭を撃ち抜いた。
「よし、戻るぞ」
「待って」
フリオが地面に腹を付けたまま、来た方向に頭を戻そうとすると、セージが素早く止めた。
「彼処に何かある」
目を凝らすと、穴の壁面に小さな穴が空いている。
「人形の目だ」
「何色の目?」
「緑」
ジャービスは弾を撃ち込んだ。穴の大きさが幾分か広がり、緑色の欠片が堀の中にパラパラと転がった。
「よし、戻るよ」
セージが言い、再び同じ順番で三人は道を戻った。草むらから出ると、まだ他の兵士たちは人形にすら辿り着いていないようだった。
そのうち銃声が聞こえてきたが、弾の装填や情報の共有でもたついたようで、銃声はバラバラだった。
「終わった班から昼食、戻れ!!」
号令がかかり、ジャービスたちは兵舎に駆け込んだ。部屋に戻ったところで、三人はハイタッチを決めた。
「俺ら、一番だったぞ!!」
フリオが幼い少年のような笑みで二人を見た。
「やっぱり、区画で位置を把握する戦法が良かったんだ」
セージも満足そうに頷いた。
昨晩、穴を掘りながら三人は効率的に敵を殲滅する方法について議論していた。
セージが提案したのは、空間を区画ごとに区切って、担当の区画の敵のみ自身のターゲットにするというものだった。
今回の殲滅ポイントは、横長の穴。
草むらから見下ろした時の光景を、六区画に区切り、AからFの順番にアルファベットを振り分ける。
フリオはAとB、ジャービスはCとD、セージがEとFと、それぞれの区画に居る敵を殲滅するのだ。
先にポイントに辿り着いたものが敵を把握し、区画に居る敵の人数を把握することで、後ろに続く者たちが、自身の撃つべき敵の人数を事前に頭に入れることができるのである。
昨晩話し合って初めての決行だったが、上手くいった。
「でも、あれは先に地形を把握していないと難しいね。今回は知っていたから、地形を長方形のマス目に落とし込んで訓練に臨めたけれど......戦場では、あまり効率的と言えないかもね」
「先に答えが分かってるテストみたいな感じだな」
セージの言葉にフリオが頷いた。
今回の訓練で三人の想像を遥かに超えて事が上手く運んだのは、あの模擬の戦場が、昨晩自分達の手で作り出したものだからなのだ。知らない土地で使うには、まだ不十分な戦法だった。
「でもっ」
フリオが身を乗り出す。
「今回の収穫はそれだけじゃなかっただろ」
「うん、そうだね」
セージは自分の手を見下ろした。
「俺たちの作った特製手話、思ったよりも通じるってことが分かったし」
三人は新たな言語の開発に成功していた。セージを中心に、手の動きを通して仲間内だけでの会話ができるようになったのである。
先の訓練でも、フリオが背中に手を回して手を動かしたのも、セージ考案の手話のひとつだった。片手が銃で塞がっている状態でも、最低限の情報共有ができるように、彼らは毎日ひとつずつ合図を決めていったのだ。
「上官たちもちんぷんかんぷんだったみたいだな。戻り際にすげえ不審な顔してたぜ」
ケラケラ笑うフリオを、セージは軽く睨んだ。
「不審がられるのは良くないよ。あれは秘密の会話なんだから。モールス信号とは訳が違うんだよ」
「分かってるって」
三人が考案した手話は、上官たちには通じない。そのために作り出したものでもあるのだ。
「手の動きが大きすぎるかな」
「でも、あまりに小さいと見えづらいんじゃないのか」
手を開いたり閉じたりするセージに、ジャービスが言う。
「まだまだ改善点はありそうだってことだな。飯食おうぜ」
フリオが言って、床に転がったりんごを二人に投げた。ジャービスとセージは上手く手の中でキャッチして、齧りながら床に腰を下ろす。
「そういえば、カルバンさんが言ってたんだけど」
りんごが半分腹に落ちた頃、セージが思い出したように二人を見た。
「今、あまり戦況が宜しくないみたいで。遠征の日程が前倒しになるみたい」
「予定では来月って話だったな」
フリオがりんごから口を離す。
「うん。下手すれば来週になるかもしれないって」
「来週か」
「それまでに、手話の方は仕上げておこう。もしかしたらフリオ、今回がデビューになるかもしれない」
「やめてくれよ」
フリオが顔を顰めた。
「......でも、二人と一緒に行けるなら、まだマシなのかもな」
ジャービスとセージはそっと目線を交わした。
りんごの残りが腹に収まるまで、三人は黙って咀嚼した。
*****
フリオの戦場デビューは、セージの予想通りだった。そして、戦況はやはり芳しくないのだろう、日程は一週間後から更に前倒しになり、その日の夜に出発となった。
「まだ手話完成してないんだけどな」
いつものトラックに揺られて、兵士たちは戦場に連れていかれる。そこにフリオとセージが居るというのは、ジャービスにとって不思議な気持ちだった。
「同じ班にさせられるかな」
「いや、きっと分けられるよ。カルバンが何処まで俺達の能力を見抜いているかは分からないけれど、俺らそれぞれが平等の能力を持っていると考えているなら、分けた方が効率良いもの」
セージが小声で言った。
トラックの中では、上級兵、下級兵が綯い交ぜになって座らせられている。乗る際にある程度のまとまりはあるので、比較的近い階級で集まるのだが、上級兵の居るところで手話の話を持ち出すのは好ましくない。
三人は、それから戦地まで黙り込んだ。
暗闇の中、ジャービスはフリオとセージの戦場での様子を思い描いていた。
フリオがいつか言っていた、セージの話。
カルバンや上官から一目置かれているのは、単に能力があるからだけではないという話。
途中、トラックが大きく揺れた。セージやフリオの肩や手にぶつかると、二人の体温が部分的に感じられる。手は汗ばみ、呼吸は早い。
緊張と恐怖が入り交じったトラックの荷台は、濃度の濃い死の気配が漂っている。
*****
意外にも、フリオとは同じ班になった。荷物持ちではなく、彼もジャービスと共に銃を持った。いつかの荷物持ちの少年は、今回もまた大きなリュックを背負っている。
今回の戦地は都市の中だった。今まで、三回の戦場に駆り出されたジャービスだが、フリオの話によると、全て同じ戦争なのだという。大きな国同士の争いで、周りの国々が続々と巻き込まれ、世界的な規模にまで戦火は及んでいるらしい。
「迷惑な話だよな。本来なら俺らの国は、ほとんど関係のないところに居たんだ」
ポイントに移動する途中で、フリオは何度もため息をついた。
ジャービスは、顔も知らない国のトップを思い浮かべていた。彼は一体、今何をしているのだろう。深い椅子に腰をかけて、うたた寝でもしているかもしれない。
ポイントまでの移動は一日がかりだった。軽い仮眠をとりながら、ジャービスたちの班は歩き続けた。
二日目の朝、ポイントにやって来た。あちこちに瓦礫の山があり、逃げ遅れた市民たちが瓦礫の影で啜り泣いている。兵士たちを見ると、顔を真っ青にして逃げ隠れようとしていた。
「俺ら、まるで歓迎されてないみたいだな」
フリオが口を寄せて言った。
市民たちは飢えているのか、やせ細っていた。長い間動いていない表情筋に、砂塵が積もっているように見える。
ジャービスたちの班は、コンクリート製の建物の中を拠点にした。彼方此方で爆発音がするたび、建物がカタカタ揺れた。
「カルバンさんと連絡をとる。それまでは此処で一時待機だ」
上級兵が言い、機械を取り出した。ジャービスとフリオは目を見張る。上級兵の指の動きが文字となって、二人の脳内を駆け巡った。
『デルタ班、ポイントDに到着。市民多数、三時方向からの砲撃音多数。本日15:00より攻撃を開始する』
「読める」
フリオが呟く。ジャービスも彼の指先から言葉を読み取っていた。
セージは、前と同じようにカルバンの監視下に置かれた。あの機械の向こう側に彼が居て、この上級兵の報告を聞いているかもしれない。
返事があった。カルバンからである。機械の音が静かに建物の中に響く。
他の兵士は仮眠をとったり、小声で喋ったりして過ごしていた。上級兵以外、誰も聞き取れない暗号なのだ。
「とりあえず、十五時に銃撃戦が始まるみたいだな」
フリオが小声でジャービスに囁き、何事も無かったかのようにポケットから菓子を取り出して食べた。上級兵が機械をしまい始めたのだ。
「あの機械、盗んでセージと連絡取れないかな」
「セージがいつだって機械の前に居るとは限らないだろ」
ジャービスが言うと、フリオが「冗談だって」と笑った。
戦場で仲間の笑みが見られる。
初めてのことだった。
*****
十五時きっかりに作戦は始まった。戦車を奪うことがとうの目的らしいが、まずは敵の居る基地を把握しなければならない。それから、基地と戦場との連絡手段も絶ってしまうのだ。
ジャービスたちの班は三十人で構成されていた。ジャービスたちより上の階級の兵士は三割ほど。彼らが率先して敵の位置を把握し、作戦の実行は下級兵が行う。
ジャービスたちに与えられたのは、敵のアジトへの乗り込みだった。通信機器を壊すのである。
アジトに居る敵は想定二十人。効率的に殲滅するには、基地の構造を知っている必要がある。
二人は、敵の歩兵を数人仕留めた。服を回収し、瓦礫の影で素早く着替える。
「うわっ、汗臭い」
フリオが顔を顰めて、前のボタンを首元までしめた。
「荷物番、頼んだぞ」
荷物持ちの少年たちに自分たちの服を預け、物陰に押し込めてから、二人はアジトへの潜入に取り掛かった。
彼らもジャービスたちの班と似た建物にアジトを作ったらしい。もともとは警察署か消防署の役割をしていた施設のようだ。一階が車庫になっていて、そこに戦車が二機収められている。
二階に上がると、数人の兵士が廊下を歩いていた。見張り兵のようだが、変装には気づいていないようだ。二人は壁の影に隠れる。
建物は想像よりも単純な造りをしていて、ロの字型の廊下と、中央部屋への扉が一枚あるだけだった。
扉を守るようにして、三人の兵士が立っている。
『気絶かな』
フリオが手話で、背中に居るジャービスに言う。
『敵は三人だ。二人なら良いが、三人だと一人に気づかれて撃たれるかもしれない』
フリオの背中を、ジャービスの人差し指が叩いた。
『誰か連れてくるんだったな......二人が近づいたタイミングなら、いけるかもしれない。......奥の二人が雑談を始めた。ジャービス、裏から回って、いけるか?』
ジャービスは了解の合図を出して、建物の廊下をぐるりと回った。
反対の廊下に着く。しかし、フリオとタイミングを合わせなければならない。
飛び出す合図を、二人は決めていなかったのだ。
「あの時の主人公とヒロインのセリフがなあ。あの展開はちょっとベタだと思うな、個人的に」
「俺は感動したけどなあ。挿入歌も良かっただろう」
「使い古された歌詞って感じだったぞ」
兵士たちは雑談を続けていた。手前に二人、たしかに居る。足音はしないので、その場に留まっての会話だ。
その時、コツン、と音がした。石を投げる音である。ジャービスにも聞こえるのだ。手前に居る彼らが聞き逃すはずがない。
ここだ、とジャービスは影から飛び出した。対岸から、フリオも飛び出していた。
兵士は音の方向に顔を向けていて、ジャービスの発見が遅れた。「あっ」と一人が叫ぼうとした時には、彼の口はジャービスの脚で塞がれていたのだ。
ジャービスはまず、最も手前に居た兵士に組みかかった。地面を蹴り、片足の膝裏で相手の首を締め上げる。もう一方の足で、もう一人の兵士の顎を狙ったが、外してしまった。
すかさず、両腕を限界まで伸ばして、首を絞め上げた。足の方は離しても良いだろう。
離すと、ドサリと力なく倒れる音。フリオが素早く走ってきて、ジャービスが苦戦している兵士の口を布で抑えた。
「喋ったら殺す」
フリオが脅すと、兵士は顔を青くさせて頷いた。手足をロープで縛り付け、壁の影に転がす。
二人の目の前には扉が一枚。この奥に目的の機械があるのだ。
ジャービスは扉に耳を当てた。人の気配がするが、反応がない。寝ているのか、今の物音で勘づかれたのか。
フリオに肩を叩かれた。見ると、彼の手のひらに手榴弾が握られていた。
『爆発まで時間がかかりすぎる』
『部屋に出てきたやつをやっちゃえば良いんだ。敵の数は把握できないんだから、これが手っ取り早いよ』
彼が言って、部屋をノックした。素早く壁に隠れる。
「誰だ」
扉の奥から声があった。もちろん、応答はない。
おもむろに扉が開く。彼が最初に見つけたのは、フリオが気絶させた兵士の姿だった。
ピンが抜かれる。唖然とした彼の足元から、そっと手榴弾が投げ込まれた。
部屋の中の誰かが叫んだ。部屋から逃げ出そうとする人々が居る。それをジャービスが銃で仕留め、無事に爆発音がした。
部屋の中を覗くと、数人が床でのたうち回っている。
「悪いな。痛い思いさせて」
フリオが言い、彼らの隙間を縫ってその奥のテーブルに辿り着いた。そこには通信機器が設置されている。
「これ、持って帰ったらセージが上手く使ってくれないかな」
フリオがぼそりと言う。ジャービスは、床に倒れる兵士に銃口を向けながら、
「無理だろう。まず上官たちに怪しまれる」
「それもそうだな。もったいないけど」
フリオは機械から出ている配線や部品を丁寧に壊した。
作戦はひとまず成功したのだ。




