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Esperanto  作者: 葱鮪命
ゾーイ編
42/42

暗闇

「音の長さで意味は変わるんだ。例えば......」


 午前の訓練が終わって、昼食の時間になった。パンを齧りながらセージ・ペニントン(Sage Pennington)は、床に人差し指の先を付けたり離したりしている。


「今のが、『十時の方向に戦車二機あり』。そしてこれが......」


 再び彼の指先が床を叩く。


「これが、『小隊Aが全滅』。ポイントは、この指を付ける時と離す時の間隔なんだよ。機械にボタンがついていて、それを長く押したり短く押したりして、相手に情報を伝えるんだ」


「ふうん」


 パンを咀嚼しながら、セージの指先を見つめていたフリオ・ウォーレン(Julio Warren)は、自分の指も同じように動かした。


「分かんないな。そんなに素早く指を動かしてらんないし」

「もちろん、スピードは早い方が良いだろうけれど、まずは正確に打てることが大事なんだよ」


 再び動き出したセージの指先を、ジャービスはじっと見つめていた。リズムを刻んでいるわけではない。不規則な時間の間隔があるのだ。


「ジャービスはどう? 覚えられそう?」


 セージの目がジャービスを見た。


 昨晩、セージが持ちかけてきたのは、彼が戦場で覚えてきたこの暗号を使って、自分達独自の言語を作り出そうという話だった。


 まず、初めにセージが覚えてきた暗号を、ジャービスたちも頭に叩き込む。そうすれば、上官たちがどのようなことをこれからしようとしているのか、すぐに分かる。

 戦地で移動を開始する時、彼らの暗号を解読し、逃げ道を確保することもできるのだ。


 それから、その暗号とは別の暗号を発明する。そうすると、上官たちには伝わらない会話が可能になる。

 殴られる回数を減らしたり、仲間内での情報共有ができる。


 そして、二つの暗号を上手く組み合わせれば、上官たちには知られず、外部と連絡が取れるかもしれないのだ。


「希望はとっても薄いけれどね」


 セージは笑った。


「でも、このまま何もしないで死を待つより、少しでも希望を見出す方が何倍も良いと思わないかい? 上官たちは、政府と何かしらのやり取りをしているようだし」


「これは国同士の戦争だからな」


 フリオが頷く。村で唯一、外の学校に通っていた裕福な彼は、新聞で様々な情報を得ていた過去があるのだ。


「俺たちの国も自分たちの現状に手一杯で、まさか自国の兵士が自国の子どもをこんなに残酷な手で集めているなんて知りもしないよ。それを知らせるのが、俺らの役割」


「そう上手く行くとは思えないけど。下手すりゃ殺される」


 フリオが肩を竦める。


「上手く行くかなんて、やってみなきゃわかんないよ。俺らの選択は、いつも生きるか死ぬかなんだから」


 セージの目は、ジャービスを向いた。


「ねえ、ジャービスも何か言ってくれよ」


 綺麗な瞳だった。セージの目は、ガラス職人が心を込めて作ったような美しさがあるのだ。


 瞳の奥をじっと見ていたジャービスは、あることに気がついた。


 自分たちは逃げ道を確保するために、暗号を解読し、創造する。しかしそれは、逃げるだけのためなのか。逃げた先、誰かが助けてくれたとして、何が待っているのだろう。


「俺たちを保護したとして、国がカルバンたちに復讐することを許してくれると思うか」


 二人の目が、ハッとジャービスを見た。


「逃げるだけじゃダメだ。俺らは、村を滅ぼされた。親を殺された。必ず何処かのタイミングで、彼奴を殺さないとならない。自分たちの手で」


「......ジャービス」


 セージが目を細めた。


「焦らない。時が来るのを待つんだ」


「逃げられるかも、まだ分からないんだからな。まあ、殺すことを優先するのもひとつの手かもしれないけれど」


「それもダメだ」


 どこかあっさりとした様子のフリオを、セージが睨む。


「ジャービス、まずは暗号を頭に叩き込むことだけに集中しよう。カルバンには、絶対、必ず、俺らができる最も残忍な方法で罰を与える。約束するよ」


 セージが三人の囲んでいる空間の中央に、手を置いた。ジャービスは、彼の手に自分の手を重ねた。


 セージとジャービスの目が、フリオの手を見た。


「......今から行うのは、その準備期間ってことだな」


 三層の手のひらが、冷たい床を温めた。


 それから何日もかけて、フリオとジャービスは、セージが覚えた暗号を脳に刻み込んだ。訓練の合間の昼休憩、訓練後の寝る前。


 時には、会話をその暗号で行うこともあった。


「フリオ、今のはちょっと間隔が短いよ。スピード感はまだいらない。もっと落ち着いて」

「分かってるってば」


 グループを組んでの訓練の際、三人はこの暗号を用いてこっそりと会話を試みていた。見つかれば誰かが殺されるかもしれない。


 更に、外の土は床と違い、音の響く間隔や周囲の雑音が邪魔になりやすい。


 互いの言葉を聞き漏らさないよう、彼らの耳は日に日に研ぎ澄まされていった。


 *****


「次の時間、残弾数を暗号で確認し合おう。それが合っていたら、次のステップに進もう」


 暗号を使うようになってから二週間。彼らの体には、文字が間隔として染み付いていた。


「俺は32」


 兵舎に戻りながら、フリオが言う。


「うん、合ってた。ジャービスは?」

「俺も合ってた」


「ちゃんと通じるようになったね。それじゃあ、次は_____」


「セージ・ペニントン!!」


 突然、野太い声がセージを呼び止めた。三人の歩みが同時に止まる。


「直ちに来いっ!」


 セージは小さく息を吸い込んだ。振り返ることなく、自分を呼んだ上級兵のもとへ小走りで向かっていく。


「俺らは戻るぞ」


 フリオが言って、ジャービスの背中をそっと押した。


 訓練終わりで、その日は久しぶりにシャワーを浴びられる日だった。月に二、三度、部屋ごとにシャワーの順番が回ってくるのだ。


 二人がシャワーから戻ってきても、セージは部屋に戻っていなかった。隣の部屋の同期に聞いても、入れ違いになったというわけではないようだ。


「今日、特別変な動きは見せてなかったよな」


 フリオが部屋の中央に腰を下ろし、チョコレートバーの包みを破る。


 セージは至って普通の言動をとっていたはずだ。暗号は上官たちの目には絶対につかないように気をつけていた。それでも、三人でコソコソ集まっていると勘づかれたのか。


「まあ、彼奴のことだから上手くやるだろう」


 ジャービスもチョコバーを口に咥えた。セージは自分で言っていたのだ。彼は口が上手いので、上の機嫌をとるのは人より長けているのだ。


「それより、俺らの暗号も様になってきたな」


 フリオはトントンと床を指で叩いて見せた。自分の名前を打ったのだ。口の動きと手の動きが別々にできるのは、彼がここ三日ほどで習得した技だった。セージにコツを教えてもらい、できるようになったのだ。


「俺らは結構な時間をかけて、暗号を使えるようになったけどさ、セージは凄いな。カルバンの指先だけを見て、技を盗んだんだぜ」


 それは、戦場から帰ってきた翌日、セージが二人に本格的に暗号の使い方を教えた時に湧いた疑問から始まった話だった。


 セージは、カルバンや上級兵の暗号での会話と、その後の動きを見て、暗号の内容を考察して使い方を学んだのだ。それは洞察力が高いという言葉だけでは片付かない彼の能力だった。


「間違いない、彼奴は神童ってやつだよ。パッとしない呑気なパン屋の息子だとばかり思っていたけど、実はすげーヤツだったんだ」


 フリオはセージを何度も褒めた。目の前の彼も最初の頃から随分変わった。此処に来たばかりの頃は、人よりも自分を優先していたのだが、最近はそのようなことが減ったのである。


「セージは、もしかしたらあの手の能力が買われて、前の戦場でカルバンの目下に置かれたのかもしれないな」


「でも、カルバンはまだ気づいてないんだろう。セージの力に」


 チョコバーの最後の欠片を口に放り込んで、ジャービスが言う。


「銃を撃つ時にでも分かるんじゃないのか、やっぱり。彼奴、お前の銃の腕だって見抜いたんだ。かなりのやり手だぞ」


 たしかに、フリオの言う通りだ。カルバンは、言うこともすることも人道を大きく外れているが、人を見る目は確かだった。カルバンが戦場に連れていく兵士は皆腕が良く、訓練を見ていても動きが良い。


 戦場で共に行動している時にも思うことだった。


 カルバンのカリスマ性は侮れないのだ。

 それを考えると、彼の支配下で暗号を作って作戦を企てても、結局見つかってしまうのではないかという恐怖に陥る。


 同じことは、フリオも考えたようだ。


「俺ら、あの人の目を掻い潜って上手いことできるのかな」


「やるかやらないかは、死ぬか生きるかだ」


 ジャービスが言うと、フリオは「はいはい」と包みを丸めて、ジャービスに投げた。


「セージ、戻ってこないな。もう寝るか」

「そうだな」


 二人はそれぞれベッドに入った。電気を消して、ジャービスは目を閉じる。フリオの息遣いが暗闇の中で聞こえた。


 思えば、彼とこうして二人だけになるのは、初めてだった。ジャービスもセージも戦場に出た時、彼はたった一人で寝起きしていたのだろう。


「セージ、無事に戻ってくるかな」


 フリオが言った。


「彼奴、カルバンに限らず、上級兵たちのお気に入りなんだな、やっぱり」


 ジャービスは目を開いた。


「心当たりでもあるのか?」


 長い沈黙があった。


「初めてお前が戦場に出ていった日の夜、上級兵たちが部屋に押しかけてきたんだよ。カルバンさんが居ない兵舎がどういうものか、お前知らないだろ」


 ジャービスはフリオの方を向けなかった。体が硬直していた。


「あれは一種の動物園だな。セージも俺も、随分可愛がってもらったよ」


 吐き捨てるようにフリオが続ける。


「セージって、やっぱり顔も口も良いから、好かれるみたいでな。なんだかんだ、毎日のように部屋から連れてかれたよ。俺はたまに客が来る程度だったけど。ジャービスは、そういうことされてないか」


 ジャービスは黙っていた。初めての戦場での、ある一夜を思い出す。死んだ姉の目を思い出す。


「......されたことないな」


「そうか。喜ぶべきだよ。あれは痛いし冷たいし、死んだ方がマシな儀式だね」


「そうなのか」


「相手が選べたんなら、そりゃあ楽しいだろうさ。此処じゃそういかない」


 ベッドが軋んだ。フリオが体の向きを変えたらしい。


「父さんも母さんも、俺がこんな余生を送ってるとは知りもしないだろうな。いや、天国で見てるかもしれない。ううん、やっぱ見てない。見てて欲しくねえよ、あんな場面。ああいう時だけは、家族死んでて良かったと思うよ。生きて再会してたら、どんな顔したら良いか分からないもん」


 暗闇の、奥の奥から聞こえる唸り声。新兵たちの部屋にわらわらと入っていく醜い足音。


 姉の目。家族の遺体。血の香り。包帯。男。血走った目。荒い呼吸。


 痛み。


 目が覚めた。


「ジャービス」


 小さな声がした。目を凝らすと、暗闇の中にセージが突っ立っている。ベッドの上にいるジャービスを見上げていた。


「いつからそこに」

「いまさっき」


 フリオは眠っているようだ。規則的な呼吸が部屋に響いている。


「今、何時?」

「わかんない。月が出てないから、今日は時間の感覚が狂ってる」


 フリオが答えた。彼の声の震えに、ジャービスは気づいた。


「大丈夫か」

「うん」

「本当に?」

「......」


 セージは黙っていた。


 ジャービスの頭は冴えてきた。深い眠りには入っていたのだろう。そうなると、あれから二時間、三時間は経過しているはずだ。


「今度、また戦地に駆り出されることになったよ。次もまた、カルバンさんの隊に入るように言われたんだ」


 セージは静かに言った。


「その時、彼らの暗号をもう少し詳しく見てみるよ。外部のこと、何か分かるかもしれないから」


 セージは二段ベッドの階段に足をかけて、登ってきた。


 声が空洞のようだ、とジャービスは思った。枯れているのだ。小さな穴が、プツプツと空いている。


 ジャービスは、目を凝らし続けた。セージが階段の途中に足をかけたまま、じっと此方を見つめている。


「一緒に寝ても良い?」


 彼の目から涙が溢れたようだった。


「もう今日は遅いから、誰も来ないよね?」


 鼻が何度も啜られる。ジャービスは、ベッドの際に体を寄せた。セージがベッドの柵を乗り越えて、体を横にした音がした。


「ごめんね、ジャービス」


 セージが毛布に頭を隠した。


「お母さんみたいに、頭を撫でてくれないかな」


 ジャービスは彼の髪に触れた。シャワーを浴びた後らしく、湿っている。ウェーブのかかった髪は、いつも柔らかい。


 彼は声を押し殺して泣き始めた。ずっと我慢していたものを、静かに押し出す泣き方だった。


 フリオのベッドが軋んだ。起きたのかもしれない。


 誰も何も言わなかった。


 ジャービスは、毛布を全てフリオに譲った。彼を、暗闇から覆い隠したかったのだ。

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