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Esperanto  作者: 葱鮪命
ゾーイ編
41/42

土産

「ごめん」


 戦場での話を聞いたフリオとセージの目の前で、ジャービスは項垂れた。二人の目は軽く交わったあと、ジャービスに戻った。


「謝ることなんてあると思うのか?」


 フリオの声に、いつもの刺々しさはなかった。


 戦場に来て一ヶ月。

 ジャービスの隊を残して、他は全滅した。


 ジャービスが二人の助言を思い出したのは、兵舎に戻るトラックに揺られて二日目のことだった。


「生きて帰ってきただけでも、すごいことじゃないか」


 セージがジャービスを抱き寄せる。穏やかな彼からは想像もつかないくらい、強い抱擁だった。汗と泥の香りが、彼の柔らかい髪の中から放たれている。


「おかえり、ジャービス」


 ジャービスは目を閉じた。聖母に包まれているような、柔らかい時間だった。


 *****


 日常はジャービスが戦場に行っている間に大きく変わっていた。知らない村や町から、ジャービスたちのように兵士が大勢連れてこられたようだ。

 兵舎の奥の方へジャービスたちは追いやられ、時には若い兵士たちの訓練指導を任された。


 恐怖に震える彼らを見て、ジャービスたちの同期は人が変わったように残酷な訓練を繰り返した。上には及ばないが、それでも人道を遥かに外れたものだった。


 不本意ではあるのかもしれない。心を壊さなければ、自分の中にある恐怖の種が芽を出してしまう。その芽の存在を上に嗅ぎつけられた時、彼らの命は紙のように薄く軽くなってしまうのだ。


 ジャービスは、セージとフリオの三人で行動することが増えた。集団の訓練でもチームを組むのは大抵この二人で、それ以外でも二人の存在は意識した。


 中でも、セージは銃の腕を上達させており、上から一目置かれていた。


「みんな、俺を置いていっちゃうんだからな」


 上官から褒められたセージとジャービスを横目に、フリオは嬉しくなさそうである。褒められるといっても、殴られる回数が減るというくらいであり、戦場に行く回数は増えるのだから嬉しいものではない。


 セージは説明しているが、フリオはへそを曲げて聞く耳を持たなかった。


 新人の兵士の中にも、その頭角を現すものが次々と出てきたが、大抵は過酷な環境の中命を落としてしまうのだった。

 ジャービスたちの世代も、入隊から半分が厳しい訓練の中で命を落としていた。


「随分減ったな」


 昼飯の時間、薄暗い部屋の中で三人はチョコレートバーを口にしていた。隣の部屋もいつの間にか空き部屋になっている。


「仕方ないよ」


 フリオの言葉に、セージは肩をすくめる。


「新人が入ってから、自分が信じられないくらい悪逆非道な人間だって気づいて、みんなショックなんだよ」


「ほとんどが自殺だってな」


「カルバンさんはカンカンだって。今度連れていく兵士が少なくて、困ってるんだろうね。僕らもそろそろ戦場デビューかな」


 セージの声に影がさす。そして、慌てて笑顔を作った。


「今度は逃げるのを忘れないようにしなきゃ。ジャービス、頼んだよ」

「......うん」


 歯についたチョコレートを舌でこそぎ落としながら、ジャービスはセージを見ていた。


 彼は、こんな顔で笑う人だったのだろうか。


「休憩終わり!! 全員、ただちにグラウンドへ出ろっ!」


 廊下から野太い声がして、三人は弾かれたように立ち上がった。


「さてと、またサンドバッグになってやるか」


 フリオが吐き捨てるように言って、一番に部屋を出ていく。ジャービスはセージの後ろに続いた。誘うように揺れる髪を見ながら。


 *****


 ジャービスはその後、再び戦場に駆り出された。今度は小隊の荷物持ちではなく、銃を持たせてもらうことができた。

 前回のジャービスの代わりを担う荷物持ちは、最近連れてこられた若い少年兵だった。


 今回の戦場は、違う隊にセージも居た。なんと彼は、カルバンの指揮する最も大きな隊に引き入れられていた。


「あんまり乱暴しないでもらえると良いんだけれど」


 戦場に行くトラックの中、膝を抱えたセージが呟いた。


「カルバンさんの指揮下に居るんだったら、激戦地にはあまり行かないってことだろう」


 ジャービスが言うと、彼は微笑んだ。


「逃げる隙を狙うのも難しいかもなあ」


 そうだ、とジャービスは自分の腕に抱かれた銃を更に体に引き寄せた。


 今度こそ、逃げることを忘れないようにしなければならない。


 ふっと、前の戦場での出来事が脳裏に蘇る。


 体を這う汗ばんだ手の感触。

 ガラスのような姉の目。


 誰にも助けてもらえない、生き地獄。


 兵舎では毎夜の如く繰り返される事だ。


 早く慣れるべきなのか。


「平気?」


 ぼんやりしているうちに、セージの問いかけをいくつか答え損ねたようだ。彼の目がジャービスの顔を覗き込んでいる。

 優しい目は、生前の姉を思わせた。

 目の前の彼も、あの時の自分と同じような体験を、これからの戦場で味わうのだろうか。


 ジャービスは、戦場での出来事を二人には秘密にしていた。


「......平気」


「三度目がないように、ジャービス、しっかり逃げるんだよ」


「......セージもだろう」


 ジャービスが言うと、彼は目を細めた。

 自分の腕に抱かれた銃を撫でながら、兵士たちの頭上を覆っている擦り切れた布の隙間から見える、曇った光を眩しそうに見やった。


「フリオ、きっと寂しいだろうね」


「早く戻ってやらないと」


 ジャービスが言うと、軽く肩を小突かれた。暗闇なのでよく分からないが、セージがやったようだった。


「逃げるんだってば。忘れちゃダメだよ」


「......うん」


 *****


 今度の戦場は呆気なかった。用意した小隊が二つ滅んだだけで、ジャービスたちの側の勝利が確定したのである。


 カルバンの居る基地へ向かうトラックの中、薬と血と汗の香りを嗅ぎながら、ジャービスは外の景色を見つめていた。用意されていたトラックは、敵が物資の運搬用に使っていたものだ。


 舗装されていない道を行くので、激しい揺れが兵士たちを襲う。


「今回は早く片付いて良かったですね」


「まあ、物資の補給線を絶ったのはデカいだろうな。相手の兵士、骨と皮だけになっていただろ」


「あれは酷かったですねー。敵とは言えども同情しちゃいました」


「仲間の肉を食ってる痕跡もあったもんな」


「早めに片付けてあげられて良かったですよお。あんなの生き地獄ですね」


 今回の勝因は、敵陣地を完全に取り囲んだ事だったらしい。上級兵の話を聞きながら、ジャービスは戦場で見かけた何人もの敵兵の顔を思い浮かべていた。


 痩せこけ、病気にかかり、銃による死よりも餓死と過労死が目の前に迫った彼ら。

 命乞いをしたり、神に祈る者も少なくはなかった。


 銃を持ったからと言って、事が良い方に変わるわけではない。


 銃を持つということは、相手の生死を選別できるということ。


 何故忘れていたのだろう。

 自分もかつて、彼らと同じ側に居たと言うのに。


「うう」


 隣に座っていた少年が、突然口を抑えた。指の隙間から吐瀉物が溢れる。

 ジャービスがかつて行っていた、物資を運ぶ仕事を頼まれた新兵だった。


「おい、どうした? 酔ったか?」

「まさかとは思うが、俺らの話で気持ち悪くなっちゃったか?」

「早く慣れろよ、新人ー」


 ジャービスは、じっと少年を見つめていた。吐くだけの心の動きがあるだけでも、羨ましかった。


 *****


「明日の早朝に帰路につく。荷物を整え、明日に備えよとのことだ」


 カルバンからの報告を受けた小隊の上級兵は、ジャービスたちにそう伝えた。

 基地はある街の建物の地下に作られていた。この辺りが戦場と化してから、地下に穴を掘って作った即席の基地らしい。


 埃っぽい壁際に、ジャービスは自分の荷物を置いた。


「あの、お隣......よろしいですか」


 ジャービスの近くやって来たのは、同じ小隊の荷物持ちの新兵だ。トラックの中で吐いていた、あの少年である。

 解散命令を下されて、何処に行けば良いのか分からなかったのだろう。


 ジャービスが彼を見つめているうちに、彼は「す、すみません」と目を閉じて歯を食いしばった。殴られると思っているようだ。


「通路を塞がないように荷物は端に避けろよ」

「は、はい」


 ジャービスは毛布を敷いて、体を横たえる。


 既に周りは眠りに落ち始めているようだ。長距離の移動で、かなり疲労が溜まっていたのだろう。


 誰かが電気を消し、視界は完全に真っ暗になった。


 そういえば、セージに会えていない。カルバンの傍に居るということだから、この基地の周辺から大きくは動かなかったはず。戻ってくる時、崩壊している建物の少なさから、この辺りには戦火が及ばなかったと見えた。


 生きてはいるのだろう。明日になれば、帰りのトラックで一緒になれるだろうか。


 どこかで、水の滴る音がする。シャワーだろうか。


 既に勝利が確定した戦場。人々の営みが時期に戻るのだろう。


 すすり泣きながら、体を横たえる音が隣からした。


 *****


 次の日、兵舎へ帰るトラックに乗り込むタイミングで、ジャービスはセージとの合流を果たした。


「ひどい顔」


 自分の顔には返り血が付いていたようだ。鏡もないので、ジャービスには確かめる術も無かったのだ。


「お疲れ様、しんどかったんじゃない」


 セージはジャービスの頬を服の裾で優しく擦った。


 甘く柔らかな香りがする。


 彼の体臭というよりは、シャンプーのような後付けの香りに思われた。


 現場の状況を軽く説明すると、セージは「そっか」と目を細めた。


「銃を持つって、大変なんだね。俺の方はほとんど基地から出なかったんだ。時々敵が遠くの方から狙ってきたけれど......傍にいた小隊にすぐやられちゃったみたい」


 トラックに乗り込んで、ジャービスはセージの隣に座る。香りは強く匂った。


「シャワーでも浴びたの」


 ジャービスが問うと、彼は目を丸くした。


「暇だったからね」


 その時、酒瓶のコルクを抜く音がした。ささやかな勝利の宴が始まるようだった。


「運転手にも配れ」

「酔って谷に突っ込むなよ」


 ジャービスたちには当然酒は回ってこない。トラックの隅で、ただ気配を殺して、兵舎に着くのを待つだけである。


「暇な時間、何をしてたんだ」


 アルコールの香りを嗅ぎながら、ジャービスは聞いた。


「何も。兵士たちの遊びに付き合わされたり、軽い運動をしたり」


 遊び、と聞いて身の毛がよだった。


「怪我とかは」

「ジャービスは優しいね」


 セージが軽く笑う。


「大丈夫だよ。普段の俺を知ってるだろ? 喧嘩は極力避けるし、周りに上手く溶け込む力を持ってるんだから。フリオとジャービスよりは長けてる能力だと思うんだけどな」


 その通りかもしれない。


 訓練時、逆上して上官に殴りかかろうとする兵士も居る。どんなに気をつけていても、態度に出てしまって殴られる兵士も居る。フリオもジャービスも、それで何度地面に叩きつけられたか分からない。


 しかし、セージだけは。


 彼だけは、上手くそれらの出来事をかわしている。泥と傷まみれで部屋に戻るフリオとジャービスに並んで、彼だけは訓練に行く前とあまり様子が変わらないのだ。


「それより、良い知らせがあるんだ」


 思い出したようにセージが口を開く。


「知らせ?」


「うん。戻ったら、フリオとジャービスに伝えてあげるよ。きっと驚くよ」


 そして、あっ、とジャービスを見た。


「逃げるの、忘れちゃったね」


 *****


 兵舎に戻ると、ちょうど訓練から戻ってきたフリオと部屋で合流した。一日の訓練が終わった後である。あとは寝るだけだ。


 三人は部屋の中央に円を描くようにして座った。


「帰ってきちゃったな」


 フリオが、ジャービスとセージの顔をそれぞれ見た。


「うん、帰ってきちゃった」


 セージが笑いながら言って、「ねっ」とジャービスを振り返る。


「まあ、別に良いけど。訓練で死ぬか、戦場で死ぬか、何か賭けても面白そうだしな」


 突き放すようにフリオが言った。


「やめてよ。今回は運が悪かったんだ。俺はカルバンさんの目下にずっと置かれていたし、ジャービスは相手がすぐ負けたから、逃げる隙も無かったんだよ」


「ジャービスはともかく、お前は何でカルバンさんの所に居たんだ」


 フリオがセージを見る。ジャービスもまた、セージに目をやった。


「それは今はどうでも良いよ。兵士なんて適当に振り分けられるんだから。それよりも、二人にちょっとしたお土産を持ってきたんだ」


「お土産?」


 フリオとジャービスの目は、セージの着ている服のポケットに注がれた。お土産と聞いて、上等なお菓子などが思い浮かんだのだ。


 しかし、セージはいつまでもポケットに指を突っ込まなかった。その代わり、二人に極限まで顔を寄せて、小さな声で次のように言った。


「俺、暗号の解読ができるようになったんだ」


「暗号の解読?」


「それをして何になるんだよ」


「分かってないなあ、フリオ。戦場では、敵に知られずに情報のやり取りをする暗号が使われるんだ。ほら、ジャービスなら分かるんじゃない? 同じ隊の隊長が、無線でやり取りする時に俺らが普段使うような言葉とは違う言葉を使っていたでしょ」


 ジャービスは、今までの戦場での隊長の動きを思い出す。

 意識はしていなかったが、無線でのやり取りはいくつかあった。小隊用の基地には、無線用の機械が設置されていたのだ。


「あんまりピンと来てなさそうだぞ」


 ジャービスの表情を見たフリオが言う。


「まあ、とにかく、その暗号が分かるようになったって事だよ」

「でも、それって上級兵なら誰でも知ってるんだろ。下級兵のお前が分かって何か得でもあんのか?」

「暗号を作るプロセスを学んだんだよ。つまり、俺らの普段の言葉を暗号化しちゃえば、上官たちには分からないで情報の共有が可能になるってこと」


 セージの目は今まで見たこともないほどに輝いていた。此処に来てから、彼がこれだけ興奮しているのは初めてだった。


 フリオもジャービスも、彼の表情ばかりが気になって、事の重要性を今ひとつ把握できずに居た。


「俺らで暗号を作ろうって言っているんだよ」


 セージは二人に伝わりやすくしようと、言葉を整えた。


「そうして、外部と連絡を取るんだ」


 ジャービスとフリオは顔を見合せた。そして、互いの目の奥に、セージの目の輝きが灯ったのを見た。


「それって_____」

「つまり......」


 セージの声は明るみを帯びていた。


「助けを呼ぶんだよ!」

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