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Esperanto  作者: 葱鮪命
ゾーイ編
40/40

「誰が休んで良いと言った?」


 少年たちはグラウンドを何周もさせられていた。少しでも誰かが遅れれば、それは死よりも恐ろしいことだった。


 何度も行われた試練に合格した少年たちは、これ以上減らされることはないようだった。合格基準を満たしたことで、正式な少年兵として、彼らはその軍に迎え入れられたのである。


 そして、兵の中にも階級があった。それは地位を基準に決まる場合もあれば、強さによって決まる場合もある。公の訓練では前者が、宿舎に帰れば後者が圧倒的権力を握った。


 少年たちは彼らに常に怯える毎日を過ごしていた。自分たちは一体何をさせられているのか。脳で考えるより、体を動かさねばならなかった。


 小さな事件は度々起こった。少年たちがしくじって、誰かが殴られるのを、その友人の少年が庇ったり、その代わりその少年が標的になれば、他の誰かが犠牲になろうとした。


 あの日、あの荷台で手を握りあった彼らの絆は泥臭かった。その手の温もりを頼りに、少年たちは明かりの差さない毎日を過ごしていた。


 連れて来られた当初は、どうこの施設から逃げ出すかが彼らの頭にあったが、今はもう、身動ぎひとつできないほどに心身が疲弊していた。


「俺らは多分、このまま此処で死ぬだろうな」


 かつて村長の息子だった、フリオ・ウォーレン(Julio Warren)は、訓練を終えた後の仮眠の時間に、ベッドの上で天井を仰いでいた。

 彼はここ数日、複数の兵士たちの暴行を受けていた。指の骨が折れたようだが、この世界に医者は居ない。


「君が卑屈になっちゃダメだよ」


 それは、セージ・ペニントン(Sage Pennington)の声だった。


「こうして人の言葉が喋れているうちは、僕らはちゃんと希望のあることを言わないとね」


 暗闇の中で、獣の声がする。時期にそれは、獣ではないとわかった。身の毛のよだつことが、夜な夜な少年たちの身に起こっているのだ。少年たちは毎晩一人、部屋から連れて行かれた。


「まあ、そうか」


 フリオは納得したらしく、その後は静かになった。


「ジャービス、起きてるかい」

「うん」

「君、今日は百発百中だったじゃないか。教官が君のこと、随分感心した目で見てたよ。あれなら、もしかしたら僕らより上の地位に上がれるかもしれない」

「......上がったら、どうにかなるのか?」

「外に出る機会を与えられるかもしれないってことだよ」


 セージは、幼い子に言うような優しい声で続けた。


「もし僕らがそれを果たせなかった時は、君に村人たちの墓を作ってもらわなきゃなんないな」


 セージの笑い声は乾いていた。ジャービスは寝返りを打ちながら、また家族の顔を思い出していた。やっぱり死んだままだった。肉は腐り始めているようだった。


 *****


 ジャービスの腕はたしかに少年たちの中でも群を抜いて良かった。他の少年の指導についていた男たちの目は、ジャービスが弾を込め出すと徐々に集まり始めるのだ。


「今日の訓練はこれにて終了。全員、兵舎に戻れ」


 リーダー格が言うと、少年たちは決められた敬礼をして小走りで兵舎に戻る。ジャービスもその波に乗ろうとして、その背中に声をかけられた。


「おい、お前」


 リーダー格である。


 少し先を言っていたフリオとセージがハッと振り返ったのが見えたが、彼らが足を止めることは許されていない。


 ジャービスは「はい」と足を止め、回れ右で休めの姿勢を取った。


「ここへ来い」


 ジャービスはなるべく平静を装って、彼の元へ歩を進めた。


 ジャービスは小柄だった。リーダー格は大柄で、ジャービスが前に立つと壁のように高く分厚く感じられた。


「お呼びでしょうか、カルバンさん」


 カルバン・ブラックリー(Calvin Brackley)は、舐めるように少年の頭からつま先まで見て、「お前、名前は」と怒鳴った。


「はい、ジャービス・エヴァーツ(Jarvis Evarts)と申します。カルバンさん」

「お前は銃の扱いに慣れてるな」


 ジャービスは頷きもしなかった。セージの言ったことが本当になるのかもしれない。彼はどうして未来が分かるのだろう。


「誰かに教わったのか」

「いいえ、カルバンさん」

「では、お前に教えた兵士の腕が良かったんだな」


 仲間内のジョークじみたものらしい。カルバンの目はジャービスから浮いて、訓練についていた兵士に向けられる。兵士たちの中からふざけた笑い声が聞こえた。


 ジャービスは身動きひとつせずカルバンを見つめていた。


「お前に、良い話がある」


 カルバンはジャービスに目を戻した。三日月のように細く、濁った目が薄い瞼に包まれていった。


 *****


 ジャービスに与えられたのは、今度の遠征のサポート役だった。弾の補充や、爆弾の設置、処理、雑用の諸々を任されたのである。


「すごいじゃないか、ジャービス」


 戦場へに赴く前日、ジャービスはフリオとセージに挟まれて、床に座っていた。ジャービスの昇進祝いと称して、小さなパーティーが開かれていたのである。


「此処から出られるんだ。外の綺麗な空気を吸えるな」

 フリオはまるで自分の事のように嬉しそうだった。


「気をつけてね。戦おうなんて思っちゃダメだ。君はサポート役なんだから、先輩たちについて回っていれば事足りるんだから」

 セージの方は不安げである。彼は自分が食べる予定だった菓子を、全てジャービスの服のポケットに突っ込んだ。


「戻ってこようだなんて思わないでもらいたいな。君はとにかく、タイミングを見計らって逃げることだけを考えるべきだよ」


 セージは声を潜めて続けた。


「村に戻ったところで、焼死体が転がってるだけだ」


 ジャービスが低い声で呟くと、肩を掴まれた。セージである。


「俺らの気持ちを背負って欲しいんだよ、ジャービス。君は外に出られるまたとないチャンスを得たんだ。それはもちろん、君のために使って欲しいけれど......でも、僕らのためにも活用してほしいんだ。いいかな」


 セージは強い目をしていた。いつもの柔らかい顔は強ばり、肩を掴んだ手が小刻みに震えている。ジャービスは小さく頷き、フリオを見た。


「まあ、俺らもお前みたいに銃の腕が認められれば、外に出られるんだ。戦場なんて混乱してるんだから、兵士一人居なくなったところでバレないだろ」


 *****


 兵士を乗せたトラックは、長い距離を随分走った。やがて、何とも言えない死の匂いが鼻につきはじめ、耳には悲鳴や銃声や、爆発音が届くようになった。


「お前は第三小隊のサポート役だ。いいな、これがお前の持つべき荷物だ」


 ジャービスに与えられたのはパンパンに膨らんだリュックサックや、水でずっしりと重くなった水筒、そして包帯や薬などの医療品の他、大量の食料だった。


「こりゃ、ダンゴムシだな」


 ほかの兵士に笑われながら、ジャービスはそれらの荷物をしっかりと抱えた。


 小隊は全部で八つ。戦場を囲むように配置され、ジャービスの隊は深い森の中で待機することになった。日が昇っている間は草木の間に体を沈め、夜になると前進する。敵とはまだ遭遇しないが、他の隊は既にそれらしい動きを見せていた。


「おい、ちゃんとついてきてるか?」


 ジャービスは隊の最も後ろにつき、荷物に囲まれて必死について行っていた。三日もすると彼の体は鉛のように重くなり、思うように足が運ばなくなったのである。木の根やツタに足を取られ、水筒の中身を零しては隊長の男に小突かれた。


 戦場では、自分たちの足跡は最小限にするべきである。


 いつもの兵舎での暴力も、戦場では命取りだ。特に荷物持ちのジャービスに怪我を負わせることは、隊の存亡に関わる。僅かな血痕や落し物なんかも、その隊の在処を敵に教えているようなものである。


「包帯くらいなら持ってやってもいいんだがな、まあ、これも経験だ」


 ジャービスの前を歩くのは、二十歳の兵士だった。痩身で、あまり強そうには見えない。後ろの見張りという危険な立場を任されているのも、彼の命の軽さが伺えた。


 しかし、彼は何かとジャービスに世話を焼いた。たまに荷物のひとつを持ってくれることもあり、休憩地点では話し相手にもなった。


「お前くらいの小さいやつが戦場に駆り出されるなんて、あんまり無いことなんだがな。カルバンさんは、お前の腕によっぽど惚れたみたいだ」


 彼はそう言ったが、ジャービスは今回の戦場で銃を持っていなかった。戦場に慣れるために連れて来られたのだろうが、まだ敵とは合っていない。


 しかし、戦地に潜り込んで五日目の夜、状況は著しく変化した。

 小隊のひとつが、敵に滅ぼされたのである。みるみるうちに辺りが騒がしくなり、ジャービスたちの隣の隊が次々にやられていった。


 兵士たちはカルバンと状況を無線でやり取りしていたが、ジャービスには詳しい情報が知らされることはなかった。


「こっちに居るぞ!」

「彼奴だ、殺せ!」


 弾丸が髪の毛に触れるか触れないかのところを飛んでいく。荷物に穴が空く。前を歩いていた人間が次々と殺されていく。


「おい、サポートッ! さっさとこっちに弾を持ってこい!!」

「薬を寄越せ! エディが被弾した!」


 ジャービスは仲間の中をぐるぐると駆け回った。気がたっているのか、今度はすぐに拳が飛んでくる。


「さっさとしろ! ノロマ!」

「走れっ! 止まったら頭をぶっ飛ばすぞ!」


 小隊は日に日に規模が小さくなっていった。


 *****


 ジャービスたちが死に物狂いで逃げ込んだ穴は、敵が身を隠すために掘ったものだった。頭上を飛行機が飛んでいるようだ。ビリビリと空気が震え、たまに爆発音がした。


「爆弾を乗せてるんだ。暫くは此処で待機だな」


 ジャービスはすぐに荷物を開き、隊員たちに飯を作ったり、怪我をした者の手当てをしたりした。


「くそ、無線機が壊れたか」


 小隊の隊長が舌打ちをして、機械をいじっている。さっき、銃撃戦があって落としたか踏んだかしたらしい。泥にまみれ、ノイズだけが虚しく穴の中で響いていた。


「いたたっ......おい、薬はもう無いのか?」

「はい、さっきので最後です」


 ジャービスの持っていた救急箱は空に近い。包帯は泥まみれで、酷い臭いを漂わせている。鎮痛剤も、今さっきの銃撃戦で死んだ兵士たちが、みな使ってしまったのだ。


「諦めろ。お前は穴に置いていく」

「そんな! 待ってください、俺はまだ動けます!」

「そんな足でついてこられても、足手まといになるだけだ。敵に殺されるくらいなら、いっそ自分で死んでくれ」


 隊長は機械に向き合うので忙しそうで、今の言葉には微塵も優しさは含まれていなかった。一人の兵士の命の軽さが、彼の声の調子に現れているのだ。


「そんな_____」


 足を怪我した兵士は鼻を啜り始めた。ジャービスは荷物を探ったが、清潔な布など今更出てこない。服ですら全員泥まみれだ。


 穴の中は兵士たちの荒い息遣いと、壊れた無線機のノイズ、衣擦れの音で満ちていた。外から聞こえてくるのは銃の音。もう慣れてしまったのか、深く眠りについている兵士も居る。


「夜が明けたら此処を出る。それまでは全員、仮眠を取るように」


 隊長の言葉に、ジャービスは荷物で壁をつくり、その中で体を丸めた。目を閉じると、今日死んだ兵士たちの顔が浮かび上がってくる。そして、歩く先々で倒れていた敵の兵士。それらは集落で見た景色によく似ていた。


 姉の冷たい目玉がぼろりと地面に落ちた。骨が折り重なっている。小さい方は弟の、大きいのは姉のだ。骨にはピッタリ重なる位置に同じ大きさの穴が空いている。人差し指が通るくらいの、小さな穴。


 それが二人の死因だ。


 *****


 ジャービスは薄目を開けた。夜が更けて、穴の中は僅かな明かりすらなかった。しかし、耳だけは敏感だった。肌の感触もまた、そうである。


 ジャービスはふと、自分の頬にかかる生暖かい息を感じた。暫くすると、それは耳に近づいた。同時に、腹や背中や腿に人の手が這った。


 暗闇に目が慣れると、ジャービスはそれが誰だか分かった。隊列を組んだ時、自分の前を歩いていた二十歳の青年だった。彼は昨日の銃撃戦で右耳を負傷しており、血の滲んだ包帯を頭に巻いていたのだ。その匂いがする。


「声を出したら、お前を生きて返さない」


 耳を澄ますと、そこかしこから獣の声がした。兵舎で毎晩聞くものだった。


 暗闇の中で、家族の幻影が自分を見つめている。

 父の怒った顔、母の悲しげな顔、弟の無表情。


 そして、姉の蔑むような、穢らわしいものを見るような、ガラス玉の瞳。


 これは罰なのだろうか。生き残った者への。


 ジャービスは目を閉じて、自分の喉仏を軋むほど指で摘んだ。皮膚が裂けて血が滲む。


 痛みが感じられない。悲しみも怒りも何も無い。


 自分は、人間ですらないのかもしれない。

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