灯火
男の言った命令を理解したのも束の間、少年たちはすぐに動くことはできなかった。
ジャービスは重たい銃を下ろしたかった。腕がプルプルと小刻みに震えている。何度も持つ手を変えようとしたが、下手に動けば後ろから撃たれるだろう。
右隣に立っていた少年は、既に銃口を地面につけた状態で休んでいた。
もし銃口に土が詰まったら_____。
ジャービスは想像を巡らす。
反撃の余地など無くなってしまうだろうに。
その時、背中に軽い衝撃を覚えた。誰かが触れたのだ。
後ろを誰かが歩いている。
それは、あのリーダー格だった。
「今合図があった奴だけ此処に残れ」
列の端まで行くと、彼はそのように言った。少年たちは互いに顔を見合わせる。合図の意味が誰も理解できなかったのだ。
「合図のあった者、一歩下がれ」
ジャービスはもしや、と一歩下がった。右隣の少年は列に取り残されている。左隣も一歩下がった。
「お前は下がるな!! お前もだ!!」
合図の意味が把握できない少年が周りに合わせて下がろうとするのを、男たちが蹴り上げて防ぐ。その際、一人が落とした銃が衝撃で暴発した。
ハッと周りに目をやって、ジャービスは理解した。
銃を地面につけず、持った状態で立っている者だけが一歩下げられたのだ。右隣だった少年は、銃口を地面につけていた。
「合図の無い者、前へ進んで的を撃ってこい」
リーダー格が冷たく指示を放つ。
合図の無い非力な少年たちは、重たい銃にふらつきながら闇の中に消えていった。
的がいくつか弾ける音がしたが、少年たちの悲鳴が響いた後は何も聞こえなくなった。
「さあ、残った者たちはおめでとう。今日からお前たちは正式にこの軍の兵士だ」
リーダー格の男が、残された少年たちの前へ出てくる。
「銃の正しい持ち方を教えてやる。非力なやつや、根性の無い人間は兵にはなれない。此処に残った者は皆、肝が据わっていると判断した」
ジャービスは男の顔をじっと見た。
男の顔は妙に大人びているようである。
彼が何の目的で戦争をしているのか、ジャービスは未だに分からない。
「殺されたくなければ心を入れ替えて仕事に専念しろ。いいか、指示から漏れ出たら頭は飛ぶぞ」
少年たちは頷くしかなかった。
*****
それからというものの、少年たちは朝が明けるまで銃の扱いを叩き込まれた。たしかに、残った人間は筋が良いらしく、皆数発打てば的には当たった。
それぞれの少年の右隣には、一人兵士がついた。彼らは乱暴な言葉遣いで、時々少年たちに暴力をふるった。
「違う、もっと的を見ろ!! いいか、本物は動いているんだ!! 戦場で撃つのはマネキンじゃねえんだぞ!!」
ジャービスは片目がほとんど開かなかった。男に一度殴られ、腫れ上がったのである。片目では上手く距離が測れない。
歯食いしばって標的を探す。
「次はあの的だ。違うっ、それじゃない! きちんと見ろって言ってるんだ!!」
隣の少年は、前髪を掴まれて地面に叩きつけられた。
暴力を受けている時間の方が圧倒的に多い射撃練習は、太陽が高く昇ったところで幕を閉じた。
「全員、整列」
号令がかけられて、少年たちはふらつきながら一列に並ぶ。
「今から三時間の休憩を与える。その間に食事を済ませ、仮眠をとるように。午後より体力作りのランニングを行う。時間になったらグラウンドに戻って来い。良いなっ」
少年たちは腹から声を出して返事をする。
小走りで昨夜に指定された部屋へ戻る。ジャービスが部屋に入ると、床の上に数本のチョコバーとりんごが無造作に転がっていた。
「食い物だ」
「食いもんだ!!」
各部屋から嬉しそうな声が上がる。捕まってから何も食べていないのだ。
「何本あるんだ?」
ジャービスの後ろから同室の少年が顔を覗かせる。チョコバーは全部で六本あった。人数に関係なく、袋から適当に鷲掴みにして床に投げたらしい。
「四人だから......二本余るな」
「その二本を半分ずつにしたら、1.5本は平等に食べられるんだ」
しかし、部屋に入った少年たちはハッと顔を見合わせた。部屋の中には現在三人の少年しか居なかった。
「あいつは?」
名前すら知らないが、たしかにもう一人居たはずだ。すると、ある少年は顔を顰めた。
「合図が無かったらしい」
ジャービスともう一人は押し黙った。
「合図って、背中を触れるやつだろ」
「ああ、どういう基準で俺らが選ばれたのかは分からないけど」
ジャービスは答えを知っていた。
銃が地面についているか、ついていないか。
銃は落とせば暴発する可能性がある。仲間をそれで傷つけることもある。戦場でそうなれば、敵に場所も知られるのだ。
「取り敢えず食べよう」
一人の少年が床に転がっているチョコバーを一本拾い上げる。包みを剥がすと、チョコは溶けていた。
甘ったるい匂いが、着ている服の臭いと溶け合っていく。
「俺、フリオって言うんだ」
チョコバーを齧った少年が突然に言う。
ジャービスも、もう一人の少年も、あまりに突然の自己紹介に目をぱちくりさせた。
そして、自分たちに許された束の間の自由時間に気がついた。
初めて、互いの顔をじっくりと見て、声を聞くことができる時間ができたのだ。
「知ってる」
一人が苦笑した。
「村長の家の子だもん」
フリオ・ウォーレン(Julio Warren)は、ジャービスたちの村の村長の息子だ。
少年たちに最も名前を知られているのは、このフリオであった。
彼の黒髪は、埃まみれのジャービスとは比べ物にならない艶やかさだ。着替える前の服だって、常に清潔な香りを周囲に放っていた。
「見逃してもらえると思ったのにな」
フリオは静かに言った。
「夜逃げの準備をしてたんだ。戦火が迫ってる話は新聞で読んだから。学校のやつらも、段々休みがちになっていったし」
彼は唯一村で新聞を取っていた。学校だって村の外にある、大きな街の学校に通っていたのだ。そこでいろんな情報を集めていたに違いない。
「他のみんなにも教えてくれたら良かったのに」
一人の少年がそう言って、チョコバーを手に取った。一つをジャービスに投げて寄越す。
フリオは肩を竦めて、チョコバーを口で袋から引き抜いた。
「俺はセージ・ペニントン(Sage Pennington)。パン屋の息子って言えば、分かる?」
次に名乗ったのは、もう一人の少年である。
柔らかな茶髪はくるくるとカールを作っている。
たれ目の愛嬌ある顔立ちを、ジャービスは時々見かけていた。
パン屋ならよく行っていた。村の中でも比較的貧しい家に生まれたジャービスは、パンを買う日など限られていたが。
店先に立つ店主の優しい顔立ちは、息子である彼によく受け継がれていた。声も性格も、穏やかで陽だまりのようだった。
この場に居る二人はどちらも裕福な人間だ。
ジャービスは次にやってくるだろう己の自己紹介を、どう切り抜けようかと考えていた。
貧しい家は何処まで行っても貧しいのだ。美化する必要など何処にある。
二人の目が此方を向いた。
ジャービスはチョコバーを飲み込んで、口の中を空っぽにした。
「俺は......」
「ジャービス・エヴァーツ(Jarvis Evarts)でしょ」
空っぽの口をぽかんと開けるジャービスに対して、セージは微笑んだ。
「エヴァーツ家。お父さんが外交のお仕事をしてるんでしょ。年に数回しか帰ってこないって」
ジャービスはその通りだと頷いた。父親の仕事場は、村から遥か遠く離れた場所だ。
汽車で何時間も揺られて、時に海すら超えて、彼は異国の人間相手の商売をしている。
彼が一年のうちに村の門を潜る回数は、片手で足りるほどである。
今はちょうど、彼が村に帰ってきている時だった。エヴァーツ家が潤いを取り戻す、穏やかで素晴らしい雨季だった。
「でも、村で一、二を争う貧乏一家」
セージの言葉に、フリオは鼻で笑って付け足した。「やめろよ」とセージ。
「ジャービスはいつも頑張って働いてる。だからきっと体力もあって、生き残れたんだ。お前みたいな親の金だけで生活しているような子どもじゃない」
今度はフリオの目が鋭くなった。
「ウォーレン家を敵に回したらどうなるか知ってるんだろうな」
「もう家なんて無いだろ」
セージの言葉に、フリオは口を閉じた。
「俺らにはもう、村の中での地位なんか関係ないよ。金持ちも貧乏も、今はね。今は、体力があるか、肝が据わってるかだけだから」
また沈黙が下りた。銘々口の中に残っていたチョコバーを飲み込むのに集中していた。床にはまだ二本残っている。
「どうしようか」
セージが二本を拾い上げた。
「りんごもある」
セージはさらに、片手でりんごを摘む。
ジャービスは開け放たれた扉から、周りの部屋を覗いた。
向かい側の部屋では、同じように車座になって少年たちが飯を食べている。食べ物が足りないというわけではなさそうだ。
「部屋に置いておくのが良いかもな」
「そうだね。さて、次は......」
セージは部屋を見回した。
ベッドくらいしか家具がない。ベッドは見るからに不衛生だった。
「俺、あんなベッドで寝たくない」
フリオが顔を顰めている。
「仕方ないよ。それに今しか眠れる時間は無い。次いつ仮眠の時間が与えられるか分からないんだよ」
セージはそう言って近いベッドに横になった。カビの臭いが強くなった。
ジャービスもセージの居るベッドの二段目に上がった。
「よくそんな汚いところ選ぶな」
フリオだけはまだ迷っているようだ。残されているベッドはどちらも同じくらい汚れている。
「仕方がないなあ」
見兼ねたセージはため息をついて、ベッドから出てくる。そして、床に放り投げられたままになっているジャービスたちの私服を手に取った。
「ジャービス、これ借りるよ」
「うん」
セージは四人分の服を抱え、もと居たベッドに隙間が無いように敷いた。
「ほら、これならまだ横になれるでしょ」
「本当だ......ありがとう」
フリオはごにょごにょ言いながら服の上に寝っ転がっている。
セージは反対の二段ベッドの一段目に横になった。
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
そのうち、ジャービスは二人の寝息を聞いた。長い間拘束されて、体力も使い果たしていたのだ。
シーツと顔の間に腕を挟んで、ジャービスはなるべく顔に不衛生なものが当たる面積を減らそうとした。
家のベッドも確かに粗末だったが、此処まででは無かった。
家のことを思い出した途端、それに付随して家族の顔が次々と浮かび上がってきた。しかしそれは、今となっては死に顔だけである。
幸せな記憶の蝋燭は、彼の中で静かに消えていた。




