B.F.職員誘拐計画
ある日、大きな会議室が解放された。呼ばれたのはキュルスを始めとするエスペラントの幹部。エリゼ・ジンデル(Elyse Zindell)が亡くなってからは、キュルスはエスペラントにおいて事務員の頂点とも呼べるべき場所へ立っていた。
長い時間が経過して、エスペラントを構成する職員も変わった。ベルナルドとの信頼をそれなりに築き上げた者たちが多くなってきたのだ。
会議室に呼ばれたのは、そんな彼らとキュルス、そしてフランチェスカ・エルドレッド(Francesca Eldred)だ。
フランチェスカの地位は揺るがなかった。ベルナルドとの秘密の共有者であり、恋人のトップである。エリゼが亡くなってからその地位はさらに高くなった。
エリゼの死はエスペラントに大きなショックを与えた。キュルスも密かにショックを受けていた。エスペラントに刺していた陽の光が、これで完全に無くなってしまったのだ。
彼女は施設からの逃亡を図った。それを手伝ったのは、ベティ・エヴァレット(Betty Everette)というBlack Fileからやってきた女医だ。あの会社のトップであるブライス・カドガン(Brice Cadogan)との痴話喧嘩によって、この施設にやってきたのである。
彼女と話をしている時のエリゼは、誰よりも輝いていた。この会社に来て、彼女がまとっていた暗い空気を、ベティは見事に壊してくれた。
彼女もまた、敵とは言え光をもたらす者だったのだ。
間もなくして会議が始まった。
まず、Black Fileの最新の情報についての伝達からされた。
新しく出来た新制度、「外部調査」。普段は外に出ることを固く禁じられている研究員たちが、施設の外に出て超常現象の調査を行うというものである。今までは外から持ってこられたものを実験室の中だけで調査していたので、とても画期的な制度と言える。
ベルナルドが目をつけたのは、この時に外に出る職員だと言う。
調査目的で外に出ているところを捕まえて、エスペラントへ連れて来て、情報を吐き出させる。
強引で、乱暴なその作戦は、一層両社の溝を深めるに違いなかった。兄は対岸に居る。自分はあちらへ行けない。エリゼという橋もベティという橋も、もう無いのだ。
「簡単に吐いてくれるもんかね」
作戦の概要を聞いたフランチェスカが問う。ベルナルドは「大丈夫だろう」と言った。
「マヌエルとゾーイの軍に動いてもらうことになるからな。マヌエルは乗り気では無いようだが、ゾーイならば上手く動かせるだろう」
ゾーイ・フロスト(Zoe Frost)。エスペラント軍のアルファチームの長である。幼かった彼も、マヌエルに仕事をきちんと与えられ、部下もできたことで自覚が芽生えたらしい。狂犬のような暴れ具合はまだ健在だが、なんとか皆を引っ張っていくリーダーシップは発揮できている。
「キュルス」
「はい」
キュルスは突然名前を呼ばれて、内心驚いた。余計なことを考えていたのがバレたのかと思ったが、そもそもぼんやりとしているうちに話し合いは後半へ進んでいたのだ。
「今回はお前が要だ」
「はい、存じております」
キュルスは上品に微笑んだ。ゾーイ軍の基本的な指示は自分が行うことになっている。そして、B.F.に数年前に送り込んだクローンの様子を、研究員の口から聞くのである。彼らの認識の中に何処までクローンが染み付いているのか。それによって、今後の大きな動きが決まってくる。
失敗は許されない仕事である。
と同時に、
「兄ちゃんに会えると良いねえ」
フランチェスカに笑みを向けられて、キュルスは「ええ」と微笑む。甘い仮面を付けることが基本になっている彼の笑みも、今や少し本性が現れている。周りが想像する感情と全く同じ感情を抱いているのである。
兄に会えるかもしれない。クローンの視界を通してではなく、自分の視界に直接、兄が映り込むかもしれない。もう二度と会えないと思っていた兄だ。
職員を愛す彼ならば、この施設まで遥々助けに来てくれる可能性があるのだ。
Black Fileで主要メンバーとされている「伝説の博士」。兄はその中に見事に入っている。創設メンバーで、未だB.F.に残る三人をそう呼ぶのだと、キュルスはベルナルドから聞いていた。
残る二人は、ドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)、そしてブライス・カドガン。兄を自分の前から連れ去るきっかけを作った人間たちだ。ソニアとニコラスの視界を通して何度か顔は見ている。兄と長い付き合いだからだろうか、兄は彼らに対して、弟の自分にすら向けない笑みを向けていた。
そして、更に癪に障る人間がキュルスには居る。
その人物も、もしかしたら、今回のこの作戦で顔を出すかもしれない。
「嬉しいだろうけど、あんまりはしゃいじゃダメだからね」
フランチェスカは頬を突いて、ニヤニヤ笑う。キュルスは「存じております」と頷いた。
「外部調査に派遣されるだろう職員の情報はピックアップしておいた。各自、配った資料に目を通していろ」
大きな作戦だ。分厚い資料を受け取って、その日は解散となった。
*****
「てめえら、いい加減にしないと片っ端から頭ぶち抜くぞ!! 殺されたくなきゃさっさと動けっつってんだ!! アホッ、そっちに何があるんだ!! 前だ、前に進めっ!!」
訓練場は怒号の嵐だ。鉄塔の上で怒鳴る少年は、アルファチームの長を務めるゾーイ・フロスト。マヌエルに貰った役は、見事彼にはまっていた。やはり、マヌエルは見る目がある。
「イモムシッ!! お前はもう良い!! 冬でも越せるように隅行って腕立てしてろっ!! ハビエル、お前のことだよっ!!!」
「すみませんっ!!」
キュルスは射撃場にて、拳銃の腕を磨いている最中だった。ゾーイが仕切る訓練場の横は、射撃場になっている。ゾーイが訓練場を使っている時は、主にマヌエル率いるベータチームが射撃場で訓練をしているのだ。
「その構えでは当たらないよ、チェルシー」
キュルスは、隣で的から外れた位置に穴を開けた金髪の少女に近づいた。
「キュ、キュルスさん」
パッと顔を赤らめて、少女は手を引っこめる。
「この前のフォームを思い出してごらん。大丈夫、君ならできるよ」
「は、はい」
チェルシーが構えるが、まだ腕が低く、腰が引けている。キュルスは彼女の背中に立って、彼女に密着した。手に手を重ねて後ろから射撃体制を教え込む。少女は耳まで真っ赤にした。手も震えている。
「そう、良い感じだ。引き金に指を入れてごらん」
「はいっ......」
弾は的の中央から少し右上の位置に当たった。
「うん、良いね。これくらいの腕の高さでもう少し頑張れるかい」
「はいっ」
キュルスはチェルシーの頭に手を乗せ、自分の練習に戻る。
チェルシー・ブランカ(Chelsey Blanca)。Black Fileからやって来て、キュルスが保護したのだ。持っている情報は少なかったが、今度の作戦の主要メンバーの一人として育てている最中なのである。
姉という存在を追いかけて、あの会社に入ったチェルシー。しかし、上手く馴染むことができなかったらしい。何処となく、キュルスは自分に通じるものを感じた。敵対する会社に、血を分けた兄弟が居る気分というのを、唯一共有できる相手だと思っていた。
突然、ぴーっ、と笛の音が甲高く響いた。ゾーイが鳴らしたのだ。訓練が終わったらしい。マヌエルもベータチームに練習を終えるように指示を出す。
二つのチームは、今から場所を変えて練習をするのだ。
キュルスは自分の銃をベルトにしまい、隣の少女に声をかけた。
「チェルシー、今日はもう終えようか」
「は、はい」
チェルシーに銃を置かせ、キュルスは彼女を連れて訓練場を出た。チェルシーは、主にベータチームに面倒を見てもらっていた。ゾーイのチームは激しすぎて、チェルシーはすぐばてるだろう。
ベータチームの方は、構成しているのが大人なだけあって、落ち着きもあり、女の子を気にかける余裕まである。マヌエルも何かあればチェルシーの面倒は見てくれるし、チェルシーもチェルシーで、ベータチームの人間とは上手く打ち解けている。
ただ、戦場を模した場所での練習となると、やはりまだチェルシーは動きが鈍い。そこはキュルスがマヌエルから指示を仰ぎ、キュルスがチェルシーの面倒を見ていた。
チェルシーが戦場に駆り出されることは、よっぽどの限りは無いだろう。戦場の人間は雄雌の臭いに敏感だ。男まみれの戦場に放り投げられた女が辿る末路と、悲惨さを、マヌエルはよく知っているようだった。
彼はやはり、信用出来る人間なのだ。
「今日の練習も頑張っていたね。疲れたかい」
「はい。でも、あのフォームを明日の練習でも忘れないように、部屋に戻ったらまた練習します!」
廊下に出て、キュルスとチェルシーは肩を並べて歩き出す。キュルスは「それが良いよ」と頷いた。
「ところで、今度ある作戦が実行されることになってね」
「作戦ですか?」
「うん。少し人手が必要な作戦なんだ。なるべく戦士は居た方が良いからね、もう少し君も練習を積まないとね」
「が、頑張ります!」
チェルシーは拳を作って頷いた。今は自分と彼女が、主にエスペラントとBlack Fileを繋ぐ橋だ。兄と姉という存在を敵社に持つことで、自然とそんな仕事をさせられるのだ。
「うん、頑張ろうね」
汗と泥に濡れた少女の笑顔は、キュルスにはあまりにも眩しく、純粋に映った。
*****
『アルファチーム、五人の研究員を連れて本部に戻ります』
そんな連絡が届き、キュルスは「了解」と返した。そして、
「ご苦労様です。ゾーイさんにもそうお伝えください」
と言って、電話を切った。切ると同時に、いよいよか、と小さく息を吐く。いよいよ、作戦が始まるのだ。
外部調査をするためにBlack Fileから出てきた研究員は五人。金髪の女が一人居るということから、恐らくチェルシーの姉であるイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)だろうと考えている。想定よりも良い結果が生まれそうだ。チェルシーはまだ何も知らないが、姉との再会は彼女に何かしら心の変化をつけるだろう。
キュルスは、エスペラントでそれぞれの機関に指示を出し、アルファチームが運転するトラックの到着を待つのだった。
*****
連れて来られた彼らは、エスペラントの奥深くに存在する、『白の牢屋』に入れられた。主に彼らの見張りはアルファチームに頼み、また、尋問も任せることにした。
「あまりに多くの仕事を任せすぎでは......」
そんな声もあったが、今回の仕事に関してゾーイはやる気があった。良いところをマヌエルに見せられる機会だと思っているのだろう。彼は、常にマヌエルの視界に入ることを意識しているのだ。
「殺してはいけませんよ。彼らはあくまで人質ですから」
ゾーイには、尋問前にそのように釘を打った。ゾーイは鼻で笑った。
「言われなくたって分かってる」
しかし、
「あちゃー......」
「ゾーイさん、盛り上がってますね」
「戦争以外の大仕事に気分が高揚しているみたいだな」
影で尋問の様子を一緒に見ていたアルファチームの兵士の言葉である。
ゾーイは、人質の一人であるノールズ・ミラー(Knolles Miller)に暴力を加えたのだ。痛みで黙らせるならまだしも、胸に一撃を与えたことでノールズは失神してしまった。
キュルスは頭を抱えてため息をつく。
「すみません、キュルスさん......うちのゾーイさんが」
「いえ、彼が何かしらやらかすことは想定していましたから......仕方ありません、このまま行きましょう。取り敢えず、彼にはなるべく牢屋の中に入らないように伝えてください。残りの人質に、手を出さないようにと」
「はい......」
アルファチームの兵士たちも大変である。あの狂犬の指示を聞くのもなかなか利口でないとできないことだ。むしろ、彼らの方がリーダーよりも精神年齢がずっと大人なのだから困る。キュルスは、ゾーイの部下の方が本人よりも圧倒的に喋りやすいのだった。
さて、ノールズが牢屋に連れて行かれて少しすると、キュルスの耳にある情報が入った。それは、外で見張りをしていた残りのアルファチームからだった。
『不審な車が此方に向かっています。恐らく、気づかれたのかと』
運転手の特徴をキュルスは尋ねた。それを聞いた時、彼の心臓は大きな音を立てた。
『白銀の髪の男です。四、五十代くらいの_____』
それは、正しく兄の事だった。




