File--- 〜死者の塔〜
ベルナルド編は本編のネタバレ防止のため、『Black File』の「ノースロップ・シティ爆発事故」というお話を読んでからお読みください。
気がつくと、ベルナルド・ウィンバリー(Bernard Wimberley)は冷たい石の床の上に寝そべっていた。視界に飛び込んでくるのは、湾曲した石の壁、その壁に沿うようにして取り付けられた石の螺旋階段だ。
此処は何処だろう。
彼は体を起こしてぐるりと周りを見回した。
そこは全く知らない場所だった。
円形の部屋が上に伸びている。天井が見えないほどに高い建物だ。石の円柱、石の塔。
自分はその一階に倒れていたらしい。
しかし、不思議だ。
こんな場所自分は知らないし、こんな場所で眠りについた記憶もない。
ならば、これは夢なのだろうか。
そう思って彼は手を軽く抓ってみた。小さなもみじのような、ふっくらした手は痛みでびく、と震えた。
夢では無さそうだ。
ベルナルドはおもむろに立ち上がり、階段を登ってみようと思った。最上階が存在するのか、それすら疑いそうな程にこの塔は高かった。
彼は階段を登り始めた。
たん、たん、と石の壁に跳ね返って、音は上に上っていく。
手すりなど無い階段だった。ベルナルドは落ちないようにと壁に手をついたが、その手にふと違和感を覚えた。
壁を見ると、彼は思わず「うわ」と声を漏らした。
その壁にはおびただしい数の文字が彫られていたからである。規則正しく並べられた文字が壁にびっしり、虫のように連なっている。一箇所だけでなく、それは壁全体に。きっと上もそうなっているのだろう。
一体何の文字だ、とベルナルドは顔を近づけてその文字を読んだ。
『Lucy Vickers』『Robert Rickwood』『Peter Barclay』『Natalia Eden』『Jayson Hampton』......。
ベルナルドはそれが人の名前だと分かるのに、そう時間がかからなかった。
そして、ふと彼はある名前を見つけた。それは有名な音楽家の名前だった。自分が生まれる、いや、両親も、その親すら生まれるずっと昔に亡くなっている音楽家だ。そして、有名な画家、建築家、歌手......。誰もが一度は聞いたことがあるような有名な人物の名前がそこにはあった。
ベルナルドは階段を登り続けた。そして、自分の祖母の名前を見つけた。その名前を見つけた時、彼は気づいた。
これは、今日までに死んだ人間の名前が彫ってある塔なのだ。
そして、祖母はベルナルドがまだ物心つく前に亡くなっている。
彼女の名前を見つけて、ベルナルドは登る足を急いだ。
そしてどのくらい登った頃だろう。
文字が消えた。
壁がまっさらになり、石のザラザラした感触だけが手に残るようになった。まだ何も彫られていないまっさらな石の壁が永遠と続いているのだ。
ベルナルドはそこでゆっくりと階段を降りた。
最後の、一番新しい名前は『Giancarlo O'Flaherty』となっていた。そして次々と文字が新しく刻まれていくのだ。
人が死に続けている。そして、死んだ者は此処に名前が彫られていく。
ベルナルドはそれを知った瞬間、ゾッとした。それはこの塔に対する恐怖ではなく、将来此処に自分の名前が彫られるということへの恐怖だった。
死ぬのが怖い。
下から迫り来る文字列が、幾多の人間の声を含んでいるようだった。
死にたくないと叫び続けた人間も、今この文字になって残酷に壁に固定されている。
ベルナルドは恐怖した。
死から逃げるように彼は階段を登り続けた。何も無い壁に安堵し、下から迫る死者に恐怖した。いずれ自分も死ぬ。いずれ此処に加わる。
そんなこと、認めたくは無い。
彼は頂上を目指した。永遠の命というものがない限り、頂上など存在しないと気づくのは、もっと後の話だった。
これは彼が三歳の頃に夢で見た、一夜の出来事に過ぎない。いや、痛みを感じるということは、夢ですらなかったのだろうか。
とにかくこの経験から、彼は無意識の内に死の恐怖に怯えるようになった。
いつか死ぬ運命を変えなければと志す、最も初めの出来事だった。




