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灰色の境界  作者: 宵時
第四章「……ええ。時を経て、俺は殺人者になった」 「〝英雄(ヒーロー)〟とは言わないのだな」
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4-12 滅私一刀

 熱を(はら)む舌の上で刻まれた紅の印のうち一画、外周の円を含むレの字が消失。力が湧き出す。否、無理矢理に筋力が持ちうる潜在能力を引き出して爆発的なエネルギーを生み出す。反転し背後に隠した遥姫と向き合う。許可など取らず、元より言葉を交わす余裕なく拒否すら許さずに遥姫を抱きかかえる。

 反転し、すぐさま跳ぶ。崩れ落ちる紫の巨体を視界の端に収めながら、異形の侵入者を飛び越えて着地。舞台の袖に控えていたリオンと加賀見が出迎える。

 重々しい音が響く。鼻の粘膜を刺激する嫌な臭気が辺りに漂う。

 遥姫を下ろす。黒く大きな瞳は様々な感情をない交ぜにして揺らめきながらも、真っ直ぐに俺を見つめていた。

 今の俺は彼女にどう映っているのだろうか。

 聞かずとも色を見れば内側に秘めたものは感じ取れた。

 東部衛星都市で〈知核人機(ニアリヒュー)〉の軍勢と相対した時と同じだ。

 俺は小さく首を振る。

「君は、ここにいてくれ。荒事は……戦うのは俺達のやるべきことだから」

 遥姫に言い聞かせてからクレスに視線を飛ばす。頷いてクレスが口を開く。

「リョウト、なんだ……あれは」

「獣だよ。欲望に飲み込まれ、己の願いだけに(たけ)り狂う化け物だ」

「馬鹿な……そんな、ふざけた話が――」

「信じる、信じないは自由だ。だが奴を放置すれば被害が広がるだけなんだよ。

お前が迷っている間に失われる。命ってのはそういうもんだ」

「そんな、簡単に割り切れるものでは」

「ならそこでアスハを守ってろ。俺一人でも奴を駆逐する」

 言い捨てて俺は床に崩れ広がるモノへと向き直る。

 刺激臭が不快でならなかった。

 人間の吐瀉(としゃ)物と、腐乱死体が放つ死臭に食い物だとは信じ難いおぞましき匂いを発する物体、科学的に危険を知らせるべくつけられた香料。ありとあらゆる不快なものが集結した唾棄すべき物体。

 視線を上に移す。奴が落下してきたと思しき大穴を眺める。

 穴から空は見えない。いきなり降ってきた、というわけでもないらしい。

 丸く抜かれた穴の切り口が(ただ)れている。やはり直感的に受け止めるのをやめ、回避に専念して正解だった。

 〈紅の刻印(セル・ヴェーゼ)〉は筋力だけでなく視覚や感覚能力も底上げする。故にただでさえ常人よりも広範囲に深く情報を感知する鼻は吐き気をもよおすモノを嗅ぎ分け、舌の味蕾(みらい)細胞は味までも感じさせる。

 天井の断面から得た情報に加えて、肌は倒れて飛び散った奴の一部分を危険だと察知し、近付いてはならないと認知した。視覚、俺の両目は奴の足らしき部分に出現した()き出しの瞳を捉える。

 手は反射的に腰に差した愛刀へ。今、腰に巻いてるのは模造銃を収納するためのホルスター。普段振りかざす武力はここにない。

 舌打ちし、状況確認と動き回る化け物の眼球を睨む。

「くぅっそぉぉぉぉぉぉ、倒れたじゃねぇかあああぁぁぁっ」

「知るか。てめぇの事情にいちいち構うほど暇じゃないんだよ」

「女の子……やわ肉、食いたいのによおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!」

「黙れ」

 ひたすらに不快だった。咆哮する紫の化け物がまた姿を変えていく。

 自力で立ち上がるつもりはないらしく、体構造を作り変えて再び肉体を構成し直すらしい。何とも無駄が多い。またアンバランスな体型になって崩れるだけだ。

 消し炭にしてやりたいところだが、そうもいかない。肌と視覚と嗅覚が認識した情報では、奴の肉体を構成する物質に可燃性ガスを発するものが含まれている。

 一度崩れて散った今、周囲に広がりつつあると考えていい。そんな状況で発火能力でも使おうものならこのホールそのものが吹き飛びかねない。

 神経が(うず)く。様々な思考が脳内をぐるぐると駆け回る。

 奴が何者で、何のために今この瞬間に襲来したのかはどうでもいい。極論いかなる理由があろうと生かす理由はどこにもない。

 綺麗に終わるはずだったものを、思い出に残すはずだった瞬間を汚した存在だ。

 あの日、俺は正体の分からぬ機械の肉体を持った軍勢を前に逃げてしまった。守るべき者が多すぎて、何か切り捨てなければ守り切れないと思い込んでしまった。

 結果的に生きていたものの、加賀見を見捨てた。俺と、周りを取り巻く環境、日常生活を守るために非日常の一部を切り捨てた。

 状況的には今も同じだ。観客が察しているかどうか把握することはできないが、舞台の上で繰り広げられ重ねられた劇は本物の戦場へと移行している。

 つと、背後から烈風が吹き抜けていった。金属音が響く。

「何を呆けているんだ、リョウト」

「……考えることを投げ捨ててたのは誰だったかね、ゲンメイ」

「一番に優先すべきものは理解してるつもりだ」

「ほぅ?」

 小さく笑う。俺の隣に並び立つクレスも多分微笑んでいるのだろう。

 抜き放った模造の刀が実際の霊剣のように淡い光を宿している。刀を媒介にして実際の魔力を使い風を巻き起こしたのだ。有毒物質が撹拌(かくはん)されていく。

 耳が新たな音を捉えて鼓膜を震わせる。施設に備え付けることが義務付けられている、有事の際に動かす排煙用の換気扇が作動する音だった。

 恐らく加賀見が察知して動かしたのだ。流石、としか言いようがない。

 舞台は整いつつある。意志疎通をしていなくても俺達は今の状況をも含めて舞台として演出し、観客には劇を見ているかのように錯覚させる。

 観劇者は全ての内容を知らない。が、演じている側の人間は明らかな異常に気付いているはず。彼らが恐慌に陥れば誤魔化すのも難しくなる。

 与えれた時間は短い。即断即決で眼前の敵を葬る。

「くっそおおおぉぉ……なんだ、はおでのせりふだどぉっ!」

 そうこうしているうちに紫の巨体が舞台に立っていた。今度は学習したのか、筋骨隆々とした大男の姿をしている。が、顔の作りはお粗末なもので縦に眼球が三つ連なり、鼻はなく唇は引き裂いたように大きく開かれていた。まるっきり化け物。

 とはいえ俺が持つ攻撃手段は少ない。設定的に刀剣を使うわけにはいかないし、本当に銃をぶっ放すわけにもいかない。換気されているとはいえ、奴が内部に可燃物質を溜め込んでいる可能性を考慮すれば〈灼煌の魔眼(ヴォルカル・フィアー)〉を使うわけにもいかない。〝あれ〟を使うにも条件を満たしていない。

「任せてくれ」

 クレスが、上神 玄明として凛然とした態度で言い放った。口惜しいが頼るしかないかもしれない。そう思った瞬間、鋭敏化された肉体が反射的に投げよこされた物体を受け止める。右手が掴んだのは革手袋。

 投げられた方を見ることなく、手にはめて感触を確かめる。

「……まさか、それで遣り合うつもりなのか」

「まさかも何も、それ以外に選択肢なけりゃやるしかないだろ!」

「……あれの構成物質が正確に分かれば、方法はある」

「ともかく、行くぞ」

 確認し合って駆け出す。俺が紫肌の大男と正面からぶつかるべく突っ込み、クレスが剣を交差させ鳴るはずのない金属音を奏でながら疾走する。

 (なま)った言葉で語る化け物が何者なのか。どこからきて、何のために出現したのか。そもそも人間なのか、それとも異星人だと名乗ったピアスディや〈渇血の魔女(ワルクシード)〉のように人に仇なすものなのだろうか。

 どうでもいい。今はただ確固たる障害を消し去るだけ。

「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ」

「おばいは、邪魔だああああああぁぁぁぁっ」

 異形の叫びと俺の咆哮がせめぎ合い、申し訳程度に防護した拳とよからぬものが混ざり合った巨大な拳が正面から激突する。びしゃり、と液体が飛び散った。

 紫の水滴が頬を掠める。まるで切り裂かれたかのように熱い。

 びちゃびちゃりと床に雫が散っていき、酸をこぼしたのと同じ音と刺激臭が鼻先を貫く。内臓からこみ上げるものを意識的に抑え込む。

 跳躍し距離を取る。縦の一閃が走り、紫肌の大男の右腕が切り飛ばされた。

 クレスが右手と左手に握った剣を華麗に振るう。

 宙を舞い、落ちてゆく物体は生きているように(うごめ)き飛沫を散らす。

 べちゃりと床に落下した右腕がうねって姿を変え、ナイフの形をとって俺めがけて空を切り裂く。毒塗りナイフよりも禍々しい刃は俺の肉体を切り裂くことなく、挟み込んだ両手の間でとろけ始めた。

 手袋に覆われ外界と隔てていたはずの素肌に激痛が走る。

「がっ……」

「ぐへへへへ、きおつけてたつもりだろぉけどなぁ、おでの体は劇薬毒薬たっぷりでできているんだよぉ! 他にも、よぐわがんねぇけんど色々だなあ」

「うるせぇよ」

 酸で焼かれたように手のひらが痛い。倍増した激痛が神経を犯し、脳に直接衝撃を加える。だが、どうでもいい。こんな痛みなど、痛みのうちにも入らない。

 勝ち誇ったように胸を張る紫の大男、その上半身が重力に引っ張られてずれていく。自ら正体を晒してくれたのだ。有効利用させてもらう。

 嘔吐物をぶちまけたように、倒れた大男の切断面から紫の酸性毒が床にぶちまけられる。流れていくごとに床を焼き、俺の足元まで流れてきて靴を浸食していく。

「げべべべ、無駄だど。おでをいくら斬ったところで、死なねぇ。

おでは再生し続けるんだ。全部を飲み込んで、世界をおでのものに――」

「……世界を、腹んなかに収めたところ、でっ

全部グロく溶かして仕舞じゃ、ねぇか……よっ!」

「うるざい! うるざいどっ! ラスト様ども連絡づがねぇじ、おでだけ

仲間外れは嫌なんだぞ! だがらっ、おばいらを倒せばおでも一人前に……」

 床に転がったまま、紫の大男だったモノが何事かを叫んでいる。言葉の単語一つ一つは聞き取れているが意味として変換され俺の脳に届くことはなかった。

 奴が何を喋り、何を弁解し吐き出しているのか興味すらない。

 俺の心はどこまでも冷え切っていて、地面に這い(つくば)るモノをゴミのように眺めていた。紫だった大男の肉体が蒼に侵蝕され染め上げられていく。

 焼かれた足に冷気が伝わってきた。地面が凍り付いている。

「うべっ……ご、んな。なんで、おでの、がらだが、ガチガチに……」

「凍ってるからだよ、間抜け。阿呆にいちいち説明されなくても、

俺達は最初から対処法……殺し方は分かり切ってたんだ。

触れて物体を吸収するなら、触れさせないようにすればいい」

「わずれだ、か。おばいの体にも、おでの一部が……」

「ああ、これか」

 凍結した自らの足元を見る。引き千切るように足を引き上げ、再び下ろす。凍った液体部分が砕けると同時に発火、青い焔をあげて燃え尽き灰となっていく。

「一度凍結させてから物質を〝見た〟よ。肉体を焼くものはあっても、

揮発して人体に影響を及ぼすものはない。心置きなく焼くことができた」

「ぞ、んな……おでの、無敵のがらだ、が」

「無敵とか、不死だとか永遠とか、そんなのは有り得ないんだ。

限りがあるからこそ、残りの日々を無駄にしないよう頑張れるんだから。

その程度のことも分からないなんて、笑える奴だな」

「おで、が……いりゅ、ん、ぜ――」

 忍び寄るように床を凍結させていく波が、残った大男の体を包み込む。

 完全に凍り付き、物言わぬ氷像を睨みつけて発火させ、灰塵に変えていく。クレスの凍結魔術と俺の〈灼煌の魔眼〉、観客からすればマギスタス側の魔法による演出に見えただろう。いや、見えてくれ。

 ありもしない存在への懇願に似た感情だった。

 横に視線をやる。剣を鞘に収めたクレスと目が合った。頷き合う。二人して観客の方へ向く。右手を前に掲げ、恭しく頭を下げて一礼する。

 数瞬、間が空いたが誰かのものにつられて拍手が巻き起こった。

 ブザー音が響き、観客席と舞台を隔てる幕が下りていく。

「暴走した好戦派のマギスタス幹部は上神 玄明とリョウト・サイレンサによって倒され、永遠を求める総統の野望は打ち砕かれた――」

 加賀見の声で急造のエピローグが紡がれていく。

 本来繋ぐはずだった場面へ動かすことは難しいだろうし、何より関わっている演者達に事情を説明しなければならない。妥当な判断だ。

 舞台で作り上げられる物語は終わる。だが、俺達の人生(ものがたり)は続く。

 もう言い逃れることはできない。否、これは俺自身が望んだのだ。全てを終わらせるために。

 足を引きずるようにして歩く。先に舞台から降りたクレスが蒼い瞳で問いかける。本当にこれでよかったのか、と。

 俺はゆっくりと、重々しく頷いた。

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