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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
140/141

5-30 心のimitation

 晴れ渡った空に輝く太陽から陽光が降り注ぐ。容赦なく与えられる熱が発汗を促し、こめかみから頬を伝った汗が顎先から落ちていく。地面へとこぼれた痕は熱気に当てられてすぐに消えてしまった。

 俺は小さく息を吐き、首に巻いたタオルで汗を(ぬぐ)う。

 視界の多くは青々とした緑に覆われているが、参道として整備された一角は日光を遮る枝が取り払われていた。小石や枯れ枝は除かれてるものの、都市部の道路ほどには至らず獣道よりはマシだが歩きやすいほどでもない。片足で立ち、浮かせた足首を振って疲労を払い飛ばす。

 リュックを背負い直すと前方から呼びかける声。灰羽が暑さになど気の持ちようで負けないと主張するような暑苦しい満面の笑みで手を振ってる。その隣に並んで立つ鏡治の手にはスケッチブック。開かれた面には周囲に異常はないと記されている。俺に手を振り返す元気はない。

「ほらほら、元気一杯に応えてあげないと。男の子でしょ?」

 左肩を叩かれ、ゆっくりと首を動かすと頬に人差し指が埋まった。

 古典的な悪戯を仕掛けてきた八千翔(やちか)の顔に笑みが浮かんでいる。

「……暑いの苦手なんです」

「もうちょっと面白い反応してくれないと、からかい甲斐もないよぉ」

 つまらなさそうに言いつつ、八千翔が抱き着いてくる。赤亜(せきあ)と結婚してからも接し方は変わらない。遠慮してるふうでも、演技っぽくもないので彼女が持つ生来の気質だと理解しているし、出会いたての頃みたいにドギマギすることもない。

「昔は顔真っ赤にして喜んでくれたのになぁ……」

「喜んで……は、いないといいますか」

 否定しきれないのが悲しい。語尾を濁しつつ、押し付けられる豊満な胸の感触を意識しないよう努める。

 肌で感知しているのは何も嬉しく柔らかいものだけではない。

 俺が率いる来々(くるるぎ)隊と八千翔の神坂隊はアルメリア三大霊峰の一つ、怨武山(おんたけさん)へと来ていた。〈聖呪(セイントドグマ)〉作戦の発動後、二隊一組で霊地を欲する〈聖十二戒団(ホーリー・ツイスター)〉を迎撃もしくは餌となって誘い出すべく動くこととなっている。

 三大霊峰のうち、不治御剣には青璃(せいり)隊と櫃浦隊に加えて今も封印中の紅狼が控える。多くの死念が集う上、相滝の霊剣工房があることから最重要拠点としているのだろう。

 聖三兄弟とやりあった天閃太刀山は赤亜(せきあ)隊と切田隊が担当している。

 クレス達を呼び戻したことから、共に作戦行動に入るものと思っていたが彼らアーク小隊は別件でウランジェシカ帝国へと発った。

 帝国内部で不穏な動きがあり、国際条約に抵触する実験が行われているとの情報を掴んだ千影は戦力配分も鑑みた上でクレス達に一任したが、耳に入ってきた噂は信じ難い。

「魔術ではなく、ヒトの境界を超えた魔法を操る者達……か」

「条理の外側に在る、という意味じゃ私達も含まれるのだけど?」

「俺は、(いま)だにコレの()すら分からないんですよ」

 杖代わりにしている野太刀の霊剣を持ち上げて刃の腹を叩く。

 力の在り処を示すように八千翔が自身の霊剣を仕舞ったポーチを叩いてみせる。

「名前も大事だけど、立ち位置や心構えの方が大事だよ」

「分かって、ますよ」

 屈託なく笑う八千翔の顔を見るのが辛い。

 辛いと思う自分自身に腹が立つ。感情の底にある劣等感が不快だった。

 何故俺が隊長なのだろう。鏡治は当人が身体能力面での弱点を抱えている部分を除けば応用力の高い〈霊描観幻(スピリジョン・アーツ)〉を持つ。

 基礎戦闘力の高い戦闘員を随伴させれば十分に隊長として機能する。

 灰羽も不可思議な広範囲に及ぶ探査能力を備える。洞察力に優れ、人の隠したがるものが丸見えになっているような物言いをしてくる。

 が、灰羽には思うところがある。疑念は少しずつ確信へと変わり始めていた。

 現状〈死神〉の力を持っているのは五人。赤亜と青璃が普段眼帯で隠している、本来眼球があるべき場所にそれぞれ紅と白の六芒星の刻印を証として持つ。

 確認していないが千影にも〈銀燭〉を示す証があるはずだ。

 制御下に置いてはいないものの、紅狼も〈深緑〉に選ばれた。

 本来ならば後方に控え、諜報や分析を担う隠密の長である櫃浦が前線に出てきたのも〈死神〉の証を持つからだ。

 三大霊峰に配置された部隊のうち二つには〈紅〉と〈白〉の〈死神〉がいる。

 加えて〈白〉には不確定ながらも〈深緑〉までいる。

 配分が偏っているようにも思えるが……。

 明言はしていないものの、もしこちら側にも〈死神〉がいるのだとしたら。

 見えないものまで知覚し、知り得ぬものを把握する力が受け継がれているとしたら。

「神坂隊長、後方からも連中の反応はありません」

「西方の探索から帰還。こちらも反応なし」

「東南方面から戻りました。微弱ですが霊的反応がありました」

「有難う。聞いてる? 彼の探査結果と照らし合わせないと」

「……彼?」

 鸚鵡(おうむ)のように言葉を返す。視線の先に微笑む灰羽の顔が見えた。

 歩く。足を進める。転がる石を踏んでしまい体が揺らぐ。意識せず条件反射も働かず脱力し激流に身を任せるように倒れていく。

「ちょ、っと」

 柔らかい感触に抱き止められて我に返る。転びかけた子供を立たせて安否を気遣うように、八千翔が屈んで視線を合わせてくる。

「大丈夫? 本当に暑さにやられちゃったのかな」

 言いつつ八千翔は俺の頬を軽く叩いたり、額に手のひらを当てて熱を確かめたりと健康面での異常を見つけようとする。俺の瞳は案じてくれている女性ではなく、その先の〈死神〉かもしれない男を見ている。

 灰羽はにこやかな笑みを浮かべたままだった。

 鏡治を伴って灰羽が戻ってくる。先行していた近藤と斎藤も戻ってきた。

 皆の視線が痛い。

 俺は小さく頭を振って浮かんだものを振り払おうとする。

 だが、離れない。これまで積み上げてきたものが、自分自身に刻み込まれたものが様々な情報を吸収して実像を持っていく。

「大丈夫。少し、圧力にやられただけ」

「圧力? 近くに〈聖十二戒団(ホーリー・ツイスター)〉がいるってこと?」

「何となく嫌な感じが、ね」

「…………佐々木、間久部。来々木隊の近藤君と斎藤君と一緒に有楽上君と呉井君を守護しつつ先行。御手洗と加賀里(かがり)はもう一度網を広げて洗い直してきて」

「了解。来々木隊のお二方、よろしくお願いします」

「こちらこそ。呉井殿と有楽上殿もお願いします」

 指示を受けて神坂隊の面々が動き出す。近藤と斎藤に促され、灰羽が笑顔のまま森の奥へ奥へと進んでいく。鏡治が思案げな顔でスケッチブックに何事かを描こうとしたが灰羽に止められてそのまま連れられて行った。

 御手洗と加賀里が確認を取るように八千翔に視線を向けてくる。

「お二人だけにして、よろしいのでしょうか」

「何かあったらすぐに戻って。単独で連中との交戦は避けてね」

「ご命令のままに」

 恭しく頭を下げ、御手洗と加賀里が再び周辺の警戒へと向かった。

 言葉通りにこの場には俺と八千翔だけが残された。

「……これでいいのかな?」

「面倒をかけて、すみません」

 俺の言葉に何を今更、といった風に八千翔が肩を(すく)める。

 小休憩の場として整備されたのだろう、石で組み上げた椅子に積もった葉を払って腰を下ろす。手で隣に座るよう促されるが、俺は距離を取ったまま立つ。

「大方、呉井君のことでしょう? 彼だけ雰囲気が異質だから、ね」

「赤亜さんにセイリス、分けた部隊には一人ずつ〈死神〉がいる」

「だけど、こっちにはいない……か。それで〈死神〉が紛れてるかも、って?」

「突拍子もない話、ですよね」

 八千翔が目を細める。俺を刺す視線と表情は疑心暗鬼ぶりを蔑むようにも、同胞を疑うこと自体を咎めているようにも見える。

 それでも口にしておかなければならないと思う。

 下手をすれば、俺達は内側から崩壊していくことになる。

 俺が言葉を重ねようとした瞬間、手で制された。

「あの時、君が喪った子と関係があるの?」

 誰のことを言っているのか、などとは聞かない。

 俺は小さく頷いて肯定した。

「……彼女も異能を、今思えば〈死神〉の力を持っていたのだと思うんです。世界の全てを手のひらに浮かべるよう見通す〈全なる一の(プロヴィデンス)〉を持っていた」

「〈全なる一の眼〉……神意、または摂理か。御大層なものね」

「どういう原理かは分かりません。

ただ、奴は余りに多くのことを知りすぎている。

話していないことを、開示していない情報を、

心の箱の底に閉じ込めたものでさえ知っていた」

「ふぅん。仮に〈死神〉だとして千影様が皆に秘匿している理由は?」

「それ、は」

「ま、〈白〉に〈黒〉まで足しているのは〈深緑〉が正しく使えなかった時に備えた配置だろうけどね。もっとも、ゼキエルは〈死神〉による力を〈天海堕落(アンジェ・ダウト)〉に費やしているって言ってたし晶ちゃんのも直接戦闘向きじゃないから抑えつける意味合いの方が強いだろうけど」

 俺よりも八千翔の方が余程、千影の思考を読み配置を理解している。

 俺が必要以上に灰羽を警戒しすぎているだけなのだろうか。

 それとも、ただ奴に大切な人の力を使って欲しくないだけなのか。

 八千翔が呆れたように溜息を吐く。

「本当に、どこまでも愚直なんだね。根っこは変わってない」

「……人間、そう簡単に変われるものじゃないでしょう」

「そう。変われないから、〈灰絶機関(わたしたち)〉は殺すの。次の悲劇を生み出さないよう、悪の根源を滅する。今回の〈聖呪(セイントドグマ)〉も変わらない。相手の規模は大きいけれど、奴らに霊脈を抑えられるわけにはいかない。だから今、こうやって動いてる」

 言外に余計なことは考えず、作戦に集中しろということなのだろう。

 八千翔の言葉は正しい。緋枢姉妹が抱くものは別にありそうだが、天閃太刀山で遭遇した聖三兄弟は最初から殺意を剥き出しにして襲撃してきた。

 武力行使を前提に襲い来るものに説得を試みるほど愚かではない。

 純粋にヒトの善性というモノを信じ切っていた心は、とうに死に果てた。

 どうしようもなく悪辣で省みることも情を交換材料に持つこともなく、己が()き抱く欲望のままに関わる他の全てを貪り食らうものがいることを知っている。

 更生が求められないなら世界から排除するしかない。

 世界の枠組みから外さなければ際限なく被害は増え続け、同じ悲しみが広がっていく。悲劇を呼び、悪意を糧にどこまでも肥大する。

 得た力で勝ち誇り、見境なく振るっていた聖三兄弟が力を持っていなかった頃に戻ることはないだろう。戻れるような未来が、俺には見えない。

 いや、作戦自体に異論はないのだ。

 ただ拭えない違和感がある。

 どうにも〝灰羽が全体の流れを掴んで動かしている〟ように思えるのだ。

 天閃太刀山での戦いは奇襲されたのもあり、交戦して撃破するよりも撤退することを選んだがあれは偶然によるものだったのだろうか。

 三兄弟の会話を思い返す。


――「あの人にもまだ鍛錬不足って言われてるしな」


 鍛錬不足。戦力に自信がないのであれば霊脈の奪取が目的ではない。

 では何のためにあの場にいたのか。単純に霊脈で力を得て磨くためか。

 違う。接敵時に奴らは躊躇せず攻撃してきた。俺が判断を下すよりも先に仕掛けてきたのは最初から俺達がいることを知っていた、とも取れる。


――「んー、一応探査してるんだけどな。引っかからねぇ」


 言葉通りであれば、周辺の強い霊力を持つ者を探っていたのだろう。

 あの時は感知されなかったことを灰羽のいう〝ジャミング〟によるものだと鵜呑みにしていたが本当に相殺していたのだろうか。俺達を守ったのか。

 仮に灰羽が〈聖十二戒団〉と繋がっているのだとすれば、あの場で追撃を諦めさせた意図が分からない。戦力の底が図れなかったからか。それとも鏡治の能力を警戒したのか。いや、鏡治の身体能力そのものは脅威ではないと知ったのだから、能力を使役する前に殺害するのも簡単だったはず。

 俺が、ただ常倉 和久の影に惑わされているだけなのだろうか。

「……色々考え込んでいるみたいだけど」

 音もなく、気配を察して反応する前に俺の頭は八千翔の手に掴まれていた。

 真っ直ぐ俺を見ている。数秒あれば唇が触れ合う距離にいる。

 が、そんな(よこしま)な感情を抱ける目をしていなかった。

 (とび)色の瞳には揺るがない意志が宿っている。

 赤亜も青璃も櫃浦も(うい)も、戦線に並び立つ者達は同じものを抱く。

「私は殺すよ。例え、最初に遭ったっていう女の子二人でもね」

「……任務は必ず果たします」

「それだけじゃ駄目だよ。もし呉井君が敵だったなら責任を持って殺す、くらいには言わなきゃ。退路のない人達は待ってくれないよ?」

 八千翔の視線に射抜かれる。心の底まで見透かされてる。

 違う。あの時とは違う。もう間違えない。選ばないことはしない。

「どうして、迷わず選べるんですか」

「聞くまでもなく、分かってるんじゃないかな。君は誰かに言ってほしいだけ。その言葉に従えば自分の意志で選んだ、っていう罪悪感からは逃れられる。だから迷い続けるの。選んで殺すことで〝自分は自分を堕とした奴らとは違う〟って壁を作ってる」

「ちが、う。そんなこと、考えてなんて――」

「そうね。もう殺しちゃってるもんね。

選ばなかったから、久我(くが) 小百合は死んだ」

「違うっ! 小百合を殺す未来なんて俺は選んでいない!」

「そう、私だって選びたくなんてなかった。でもね、事実は変わらない。

言い逃れて自分を誤魔化しても過去は厳然として存在している。

どうあっても、逃れられないものなんだよ。影みたいに……ね」

 そう告げて八千翔は今まで見たことのない幼い顔で破顔した。

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