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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
135/141

5-25 ドグマカルマのるつぼ

 和室に足を踏み入れた晴明は彫像と化したように動けない父、戒厳と本来空間を支配していたはずの家主を見比べる。

 明祐の顔には焦燥と畏怖が等分、(わず)かに虚勢が足された決死の表情が浮かんでいる。

 息子達は父親に負けないよう気を張りながらも、緊急事態でありがなら霊力を物質化できず精神を乱していることがありありと見て取れる。

 七枚の盾を展開している真昼と、畳の上で転がる夜月(よつき)。何かを堪えるように唇を噛む真夜。戦闘態勢を取ってはいるものの、攻勢ではなく守勢。いの一番に特攻を仕掛ける切り込み役が倒されていることから敗色が濃いと伺える。

 もっとも理解に苦しむのが乾親子の態度だった。

 源蔵は予め知っていたかのように落ち着き払っている。

 和馬は緩く霊力をまとってはいるものの、攻撃や守りに使うのではないようだった。あくまで傍観者を決め込み、事態の推移を見守る。そんな状態を保っている。

「んふふふ。つまりぃ、燃え盛る金獅子さんが支配者ってコトねン」

「ねぇオトカズ。あれは食べていいのかな」

「いやン、もぅ……四季ちゃんったら、あてくしはオトカズじゃなく乙和(おとわ)よん」

「だって本名でしょ。嫌なら手続きして変えればいいのに」

「あてくしをオンナと認めない政府なんかやってらんないわよぅ」

 甘ったるい雰囲気を出しながらオトカズ、もとい乙和と訂正した怪人が野太い声で(わめ)く。

 四季と呼ばれた人物は包帯だらけの顔から紅の瞳を覗かせる。乱雑に伸ばされた長髪は刃のような銀を宿し、おおよそヒトとはかけ離れた雰囲気を持つ。

「漫才を披露している場合ではないようですけどね」

 和弓を手にした洋装の少女が乙和と四季を押しのけて前へ出る。

「アルメリアと名を変えようと、大和撫子たる儀礼を(ないがし)ろにするわけには参りません。明祐殿が危急であらせられるのであれば、私が矢面に立たねばならないでしょう」

「亜矢ちゃんは大真面目なんだからン」

「……あなたが不真面目すぎるだけです。鎌谷殿」

「やだン! 名字で呼んじゃオカマちゃんだと思われるでしょンッ!」

「思われるも何も、オトカズは正真正銘オカマでしょ」

「もう! だから、あてくしは乙和だっていってるでしょぉぉぉぉっ」

 乙和が叫ぶと同時に烈風が吹き荒れる。

 怪人を中心とし、荒れ狂う風が刃となって周囲を切り刻む。机の上にあった茶器が割れて中身をぶちまけ、茶菓子が砕かれ宙を舞い踊る。夜月や真昼を襲うも盾に弾かれ、乾親子は涼風を楽しむように静かに受け流した。

 唯一、諸に喰らったストラは頬を切られ出血、したが指でなぞっただけで完治していた。掲げた右手には四色の輝きを放つ箱が浮遊している。

 乙和の目に驚きの色が乗る。

「それって、聖家の秘術じゃあなかったのン?」

 問いに対してストラは口角をあげただけだった。

 乙和の肩が叩かれる。白粉に紫のルージュが怪しく輝く唇を尖らせて、巨漢の女装怪人が振り向く。四季の紅の瞳が先を示す。示された先には怒りに肩を震わせる栗色の髪の少女がいた。

 和弓が引き絞られ、矢もないのに強烈な威圧感を放っている。

「鎌谷殿……少しは、自重して頂きたいものですね」

「や、やだわぁん……もぅ。じょ、冗談よン。アリメリアジョーク!」

「冗談は好かぬと以前お伝えしたはずです」

「オトカズ空気読めない。自重するべき」

「空気読まないって言ったらあーたも似たようなもンよぉ、四季ちゃん!」

 やいのやいのと言い合う三人を前に晴明は唖然とする。

 明らかに内輪もめしているような状況ではない。

 聖 明祐を首魁とする〈聖十二戒団〉、その拠点である聖家邸宅へ侵入を許し、あまつさえ自慢の息子らは戦力として無力化され、二番手の緋枢(ひすう)家も守勢に転じている。

 乾親子の立ち振る舞いの意図は分からないが、緊迫した状況であることには変わりないはず。目の前に聖家の秘術が展開されているというのに――

「何故誰も攻勢に出ないのか。排除しようとしないのか。

答えは、単純にして明快。そうする必要がないからですよ」

 晴明の肩が跳ね上がる。かけられた言葉は、まさに胸の内に抱いていた疑問を言い当てて回答を示していた。音もなく晴明の隣に立ったストラが微笑む。

「何故分かったのか、という顔をしていますね」

「……貴方は、何者なんですか」

「おやおや、日本男児は相手から先に名乗らせるのでしょうか」

 ストラがおどけた調子で告げるも、晴明はすぐに言葉で切り返せない。

「そうでした。カマ男の相手をしている場合ではありませんでした」

「だぁれがカマ男よン! このアルメリアかぶれのヘンテコ女子がぁっ」

「失敬な。生まれがイズガルトでも心は日本にあるのです。

大和撫子として、古き良き日本の文化を受け継ぎ守らねばならないのです」

「永遠の十七歳とか自称しちゃってるオトカズじゃ完敗だよね」

「ヲトメの心はいつまでも純粋で輝く十七歳なのよぉぉぉぉンッ!」

 乙和が野太い声で咆哮すると、感情に呼応するように筋骨隆々とした四肢から炎が巻き起こった。風を伴う熱の暴力が周囲を焼き焦がし、飲み込まんとする。

 あわや邸宅を焼き尽くさん勢いだったが、実際には襖に焦げ跡一つない。

 ストラは渦巻く火炎の中でも微動だにせず、輝きを振りまく箱を掲げてた。蓋が開いており、青い鱗を持つ蛇が大口を開けている。喉奥に緋色の炎が見えた。

「あてくしの炎を喰った、とでも言うのかしら……」

「さて、ようやくゆっくりお話できる環境が整ったようですね」

 ストラが箱を持った手を振ると、青蛇も箱も手から消えていた。

 たらふく摂ったという風に軽くげっぷして口元を抑える。

 包帯の間の紅の瞳が金色の瞳を捉える。

「ふぅん。食って、作り変える力を持ってるのかな」

「当たらずとも遠からず、としておきましょうか。お嬢さんの名は?」

「四季。羽囲(はがこい) 四季……まぁ、もらった名前なんだけど」

混血吸鬼(ダンピール)、といったところでしょうか。濃いですね」

「アタラズトモトオカラズ、と言っておくよ」

「ふふふふ。中々に面白い」

 くつくつとストラが笑う。意趣返しのつもりか、四季も真似て笑声をあげる。緊迫した空間に奇妙な笑い声が響き渡る。

 ばつが悪そうに頭を掻いてから、栗色の髪の少女が和弓を畳の上に置く。そのまま正座し、居住まいを正して深く頭を下げる。相手は盟主、聖 明祐ではない。

「的場家現当主、的場 亜矢と申します。見ての通り、大和の射手で御座います」

「アルメリアかぶれの、ねン。あてくしは乙和って呼んでくれればいいわよぉん」

「鎌谷 乙和(おとかず)でしょう。名くらいハッキリと名乗りなさいな」

「あら、だったらあーたも〝アヤテリア=リップヴァン〟でしょおン」

「その名は棄てました。それと、御前の前でその話し方は止めましょう」

「でもン……その盟主様が(しな)びちゃってるのよねン」

 四季に続き、亜矢と乙和が名乗った。視線が一人に集結する。

 本来であれば闖入者だろうが明祐が主導し、紹介していただろう。

 この場で流れを掴んでいるのは四彩の箱を手にしていた男ではない。

 奪い、また奇異なる力を見せた炎髪金眼の男、ストラが大仰に一礼する。

「四季嬢に乙和嬢、それに亜矢嬢ですね。さて、残るお一方は……」

 金色の瞳が晴明を捉える。親睦を深めようと歩み寄る姿勢を見せているものの、視線と発される圧力には言い知れぬ剣呑(けんのん)さがあった。

 一刀で切り伏せられそうなのに、一撃で返り討ちに遭いそうでもある。

 強いのか弱いのか。安全なのか危険なのか。敵なのか味方なのか。

「坂敷、晴明です。悪鬼と成った愚弟を殺し救うため、馳せ参じました」

 名乗った晴明自身が驚愕の表情を浮かべていた。

 疑念をかなぐり捨てて吐き出されたのは、ただただ偽りのない本心であった証左。石像となっていた戒厳が硬直から解放され、前のめりになり畳に手を着く。

「い、いえ違うのです。その、言葉のあやといいますか、本心ではなく、我々は偏に古き世界の繁栄を後の世代に正しく残すために……あっ!」

「そうですね。この〝意思統べしメビウス〟も同じものを吸い上げてます」

「ち、違います! 嘘偽りなく私は――」

 楽しそうに笑うストラに対し、戒厳は慌てふためき何とか取り繕うとする。

 戒厳が額を畳にこすりつけ許しを乞う姿勢から顔を上げる。畏れと打算を含む視線で明祐を見るも当人は戒厳など見ていない。

 見開いた瞳が凝視しているのは先程からストラの手の上で出現したり消失したり繰り返し、浮遊しながら踊るように回転して様々な色合いを魅せる箱だった。

 ストラは子供が万華鏡を面白がるように、無邪気さを金眼に宿して箱を回す。

「私の前で偽証することは不可能ですよ。

貴方達は感情のペルソナを捨て去り、欲望の皮を引き裂いて

あるがまま進むしかないのです。それこそ神を盲信するように、ね」

「う、嘘ではありません明祐様! ただ四家の繁栄を願って――」

「黙れ」

 否定する言葉は鋭く切り捨てられた。明祐の瞳に執念の炎が宿る。

「ストラ、といったか。神の威光を知らぬ哀れな者よ、代わって誅戮を下す!」

「はぁ、神の威光……ですか。貴方が欲望を隠し被るペルソナは

神への信奉ですか。それこそ神罰とやらが下るのではないでしょうかねぇ」

「だ、黙れ! 浩祐、涼祐、宗祐……

誰でもいい、この気狂いの首を飛ばせぇっ!」

 乱心したかのように明祐が叫び散らすが、動く者はいない。

 乙和は隠しもせず大口を開けて欠伸をした。四季はストラが見せた箱にご執心のようで、紅の瞳を興味に揺らす。晴明だけが抜刀態勢を取るも、力を集められないことに気付かされ目を丸くしている。

 晴明と同様に夜月も再度、霊力の武器化を試みるも叶わぬようだった。

 明祐に命じられた三兄弟も武具を生み出せず硬直している。

 ただ一人だけ顕現し、家族を守護し続けているのは真昼だけだった。

 ストラが再び手の上に輝きを漏らす箱を出現させながら、真昼へ近付いていく。

 進路を阻むように夜月が立った。両手を水平に掲げている。

 瞳には意志の光。徒手空拳であろうと妹を守るという覚悟の色。

 ストラが柔らかく微笑み、舌で唇を舐める。

「ドグマ、ですね。貴女には深い意志がある」

「うっせぇよ変態野郎。あたしは真昼を守る。それだけだ」

「実際に守られているのは貴女ですけどね」

 展開していた青い盾が鋭い刃となって空を切り裂く。

 剣と化した盾がストラの首を断ち切った。間欠泉のように鮮血が噴出し、細身の体が揺らぐも空いた手が傷口を撫でる。

 瞬時に断面が修復され、何食わぬ顔で再び歩き出す。

「やれやれ、あなた方は武に訴えすぎる。

勝てぬ相手に、それでも抗う気概は素晴らしいものですが

少しは話を聞いて頂きたいものですねぇ……。

私はあなた方に絶望ではなく希望を届けに来たのですから」

「ざけんな! どう見てもあたしらを潰しに来てるだろうがっ」

「羽虫を潰したところで何の得があるのです? 手が汚れるだけでしょう」

 さも当然、といった調子でストラが微笑んだまま言い放った。

 発する圧力が増す。言葉通り、ストラには瞬時に殲滅できる力があるのだろう。

 危機的状況にあっても乾親子は動かず、後から邸内に来た乙和や四季、亜矢も対決する姿勢を見せていない。

 あくまで抗っていたのは聖家と緋枢家に連なる者だけだった。

 半分以上が傍観に徹している現状がストラの言葉が真実であるとしているようにも受け止められる。

 それでも、圧倒的な力量差は不信感を生む。

 他者の心情を読み取っているかのように、ストラが困った顔を浮かべる。

「繰り返しますが、この〝意思統べしメビウス〟の前では嘘は吐けません。

力は己を偽る者には従わず、確固たる欲を抱く者に服従を示すものなのです」

 金色の瞳が身を挺して真昼を庇う夜月と、防御を棄て七枚の盾全てを束ねた大刀を振り下ろさんと構える真昼を交互に見る。

「例えば、姉を想う妹と妹を想う姉。

僅かな〝違い〟はあれど固く強い意志の力がある」

 ストラが掲げる〝意思統べしメビウス〟から緋色の光が溢れ出す。

 蛇のように細い光の帯が夜月の体に絡まる。防御も回避も許さない一瞬の拘束、ではなくまとわりつかれた夜月の手には緋色の剣が握られていた。

 夜月の手が、最初から感触を覚えているかのように剣の柄を握り込む。

「なんだ、これ……まるで、あたし自身の体、みたいな」

「ええ。お返ししましたからね。

貴女の意志が意思と繋がり反映されるように、より鋭さと強度を

増して立ちはだかる障害を切り潰すでしょう。

貴女が願うまま、秘めたる想いを叶えるために振るい続けるとよいでしょう」

 告げながら、今度は真昼の前で箱を掲げる。青色の光が同じように蛇となって、真昼の腕に絡まる。風が渦巻き、羽ばたく音が聞こえた。

 大刀として固めていたはずの七枚の盾は、倍の十四枚に増えていた。

 さながら天使のように真昼の肩甲骨辺りから羽となり展開されている。

「これが、私……の?」

「貴女の本来の力です。守りたい想いと秘めた想いのカタチですよ」

 二人が何を秘めているのか、ストラは明確に言葉として示さず、指摘された二人もまた自らに宿らされた新たな力を前に言葉を紡ぐ暇を与えられない。

 視線すら振られず、蚊帳の外に追いやられつつあった真夜が震える声で告げる。

「何を、したというのです。私の娘に、何をっ!」

 答えずにストラは真夜に背を向けて歩き出す。

 丸太のような腕を組んで待ち構えていた乙和の前に立つ。

「……と、あなたには不必要ですよね。十二分にお持ちのようですし」

「なンでよぉん! あてくしだけ仲間外れだってぇのかよヲイ!」

「言葉通りです。あなたには既に備わっている。故に、不要でしょう」

「なによぅ……だったら戻り損じゃないのン」

「畏れず、恐れを抱くことなく向き合える魔法使い。強いて言えば、その先に何を欲されるか見届けたいものですね。あなたの歩む輝ける道の先を」

「んふふふ。あてくしとヴァージンロードを歩きたいってのン?」

「いえいえ、何を巻き起こしてくれるのか。示してくれればいいのです」

 微笑んでまたストラが進む。

 いつの間にか乙和の首には紺色のマフラーが巻かれていた。

 怪人に付き従う銀髪紅眼の包帯少女、四季には言葉も視線もかけない。かけていないが、四季の頭には黄金の冠が乗せられていた。ストラの歩みは止まらない。

 亜矢の和弓に銀光をまとわせていく。持ち主の亜矢は深く頭を下げる。

 ストラの手の上で〝意思統べしメビウス〟が様々な輝きを放つ。

 明祐が操っていた時とは違い、誰もが瞳に意思と意志を宿して受け取っていた。

 ただ待ち続けていた和馬にも肉体を包む橙色の霊衣が送られる。

 硬直したままの聖三兄弟にも輝く三色の蛇達が飛び交う。

 置き去りにされ存在すら忘れられた明祐は虚ろな表情で立ち尽くしている。

 魂が抜き出されたように、大口を開けたまま唇の端から涎を垂らしていた。

 力を与えられた浩祐、宗祐、涼祐がそれぞれの強化された武具を手に歓喜の雄叫びをあげる。次々と力を託されるのを目にして、晴明の唇が声なき言葉を吐く。

 果たして口にしていいのか、言語化していいのか。迷う動きだった。

「何故力を与えるのか。そんな力があるならお前自身が戦えばいいだろう」

 ストラの口から淡々と語られる。先取られ代弁された晴明は声を出せない。

「……貴方は、何を望むというのですか」

 恐らくそう問いたかったのは明祐なのだろう。

 (ある)いは最も外側へと追いやられてしまった戒厳が口にしたかったのか。

 ストラは微笑む。笑みは背中に氷柱を突っ込まれたかのように、凄絶な寒気を感じさせる絶対零度の笑みだった。

 確かに、彼は今ここで何かを引き起こすことはないだろう。

 だが、その存在は……もたらしたものは確実に火種となる。

 四季の推察通り、またストラの言葉通りに〝与える者〟だとして授けられたものが引き起こす事象を把握しながらけしかけるのは紛れもなく戦いを煽動する災厄なのではないか。

 冷たい笑みを浮かべてストラが告げる。

「戦乱を。ヒトが綿々と(うた)い続け(つむ)ぎ語り()く果ての最果てを

()りたいのですよ。終焉(おわ)りが奏でる音色を聴きたいのです」

 放たれた言葉が矢となって空を突き抜けていく。

 願いでも祈りでも呪詛でも神託でもない。

 ただただ、ただ真っ直ぐに邪悪で無慈悲な器を持たぬ狂気だった。

 湯呑を置く音が響く。煎餅を(かじ)る渇いた音が鳴る。

 毒々しい狂想の風を受けてもなお、和馬と源蔵は平然としている。

 和馬はストラの宣言など聞いてもいないという風に噛み砕いた煎餅を嚥下する。

 我関せずとする意思表示ではなく、何が起ころうとも自分だけは生き延びて存在し続けられると確認している意志がある。

 ストラがもたらした橙色の霊衣が炎のように揺らめく。

 が、源蔵にはそのような肉体的強さがあるわけでもない。

 どこにでもいる好々爺のような風貌は人畜無害、小春日和の空下に縁側で茶を嗜み、鶯の囀りを耳で楽しむといった有り触れた日常が似合う。

 にも関わらず正反対の非日常の中で源蔵は落ち着いた様子で口を開く。

「戦乱を望み、そのために力を与える。戦争屋と変わらぬのではないかね」

「誤解なきようお願いしたい。私はヒトを知りたい。

何を望み、欲したもののためにどのような手段に出てどういった結果を残すのか。

刻んだ軌跡を誰が辿り、繋いで次代へと結び時代を築き上げていくのか。

ヒトが生まれ、育み、産んで朽ちる全ての営みをこの身に刻みたいのです」

「ただ見届けるだけ……傍観者だと言い張るおつもりか」

「その答えは貴方の見たものに値するものになるのでしょうか」

 ストラが源蔵の問いを問いで跳ね返す。

 額に皺を寄せ、苦い顔をするも一瞬で掻き消して源蔵が言葉を繋ぐ。

「余りに抽象的すぎる。先立つ不信感を強大な力で抑えつけている。

力を与えて(あお)り、争いを引き起こそうとしているようにしか見えぬ。

争う双方に武器を売り、戦を長引かせる死の商人と何も変わらぬぞ」

「それでも、力が欲しいでしょう。望みを叶えたいでしょう?」

「無目的な暴力は不要な闘争を生み出す」

「で、あるからこそ水面下で動いておられるのでしょう?」

 毒花のようにストラが嘲笑(わら)う。源蔵が苦い顔を浮かべた。

「はてさて、貴方の行いを盟主様が知ればどう思われるでしょうかねぇ」

「…………どこまでを、知っているというのだ」

「余り何度も同じことを言わせないでください。私の前で偽ることは不可能です」

「それも、奇怪な箱の力だというのか」

「必要なことですよ。貴方も手段を選ばず欲すればいい。それだけです」

 その言葉は誘惑で、甘い蜜だ。裏側に何があるか分からない。

 分からないが蜜は染みていく。

 渇いた心には水よりも早く染み込んでいく。

 望み、欲して願った先に殺して奪ってでも手にしたいと願うもの。

「……の、ものだ」

 掠れた声だった。意識しなければ声とすら気付けないほど弱々しい音。

 だが、確かに耳で拾ったストラは満面の笑みを浮かべていた。

「そうだ、欲しいのだ! 〈灰絶機関〉などに渡してなるものか……。

神の意志などではない、国のためでもない。アルメリアの……いや、

日本の大地に眠り隠された全てを手中に収めて支配者となるのだっ!」

 抜け殻のようだった明祐が、心のあるままを叫んでいた。

 暴走としかいえない言葉に浩祐、涼祐、宗祐がたじろぐ。

 一瞬だけ拒絶と否定の姿勢を見せようとするも、狂気は伝播する。

「力が欲しい……全てを斬り屠る力がっ!」

「負けたくないね。兄貴にだって、親父も越えて俺が頂点に立つ!」

「いいや、違うな。戦って守って繰り返して最後に立ってるのは俺だ」

 浩祐が庭へ飛び出る。腕を振りかぶり、叩きつけた時には巨大な戦斧が生成されていた。灯篭が縦に両断され、左右に分かれ倒れていく。

 右に倒れつつある灯篭が無数の弾丸に撃ち抜かれ粉砕された。

 もう一方の左へ傾いていく灯篭は上部の意匠が穿たれ吹き飛ぶ。衝撃で飛ばされた石柱は中ほどで飛来した弾丸に撃たれて半分に、それぞれがまた無数の弾丸を喰らって砕かれ風が破片を運んでいく。

 粉塵混じりの風を槍が撹拌し、残った石片を盾で逸らす。

 浩祐、宗祐、涼祐による見事な連携だった。

 室内で胡坐をかいたまま和馬が自らの左手のひらに右拳を叩き込む。

「まぁ、俺は最初から誰にも何にも負ける気はしないけどな」

 豪語すると同時に火に油を注いだように霊衣が燃え上がる。見栄やハッタリではなく、本心からの言葉であると示し、強靭な精神力を持つことを物語っていた。

「好みじゃないデザインだけどぉ、これもまだ見ぬ王子様と出逢うためよねン」

「……オトカズは文字通り食べちゃうんじゃないの」

「あらマァっ! 女の子がそんなコト言っちゃダメよぉン」

「じゃあ食べないの? オトカズの欲望ってソレでしょ」

「まぁったく、もう。この子ったらホントに、もう」

「牛かっての。まぁ、別に……オトカズがどうしようと興味ないけど」

「あーたはもうちょっと世界に興味を持ちなさいなっ!」

「やだ。オトカズみたいに色欲にまみれたくない」

「それならあーたは怠惰よぉぉぉぉっ!」

 紺色のマフラーを首へ巻きつけ、乙和がハイテンションで叫び散らす。

 対照的に四季は淡々と言葉を返しながらも、気に入ったのか黄金の冠の位置を頭の上で調整している。微笑む唇の端に鋭い犬歯が見えた。

(しば)し、修練の時ですね……」

 呟きながら亜矢が淡い銀光をまとう弓の弦を指で弾く。

 不安げな表情で真昼が盾の翼を羽ばたかせ、夜月が戦乙女のように気高く美しいと褒め称える。二人の母親である真夜は娘に変化をもたらしたことと、明祐の我欲を露わにさせたことを天秤にかけて判断に迷い、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 それぞれが思うままに形となった己の欲望と向き合って触れている。

 支配を望んだ者は力に支配され、高みを目指すための武力を得た者は強い酒をあおったように酔いしれる。

 元来欲望に忠実であったものは、その濃さをより強めていく。

 反対に無関心であった者は少しずつ距離を詰めていく。

 中庸にいた者は揺らがず傾くべき道を示され動き出し、本心を露わにしない者はただ静かに嵐が過ぎ去るのを待つ。

 狂奔を掻き立てる熱気が空間を包み込んでいる。

 源蔵は唇を固く引き結び、黙することを選んだ。

 この場にいない者の動きと、潜ませた刃の行方を自らの頭脳という狭い部屋の中で考え続ける。

 力だけで制することはできない。そう考えたからこそ策を弄した。

 武で拮抗できれば優位に立てる。より確実に、望む地位を得られる。

 戒厳が吹きすさぶ熱気の嵐に晒され、身を震わされる。

 〈灰絶機関〉入りした息子と、今また居場所を得るために息子を差し出す。

 暴かれた思惑を取り繕うこともない。その必要も感じない。

 和平派が抗戦派に立ち向かうことを諦めるように、無力感に打ちひしがれ畳の上に手をつき項垂れる。

 同じく濃密な狂気に身を包まれながらも、晴明はストラだけを見ていた。

「さて、貴方は何色を目にして進むのでしょうか」

 晴明の前にストラが立っている。

 手のひらの上で浮遊する〝意思統べしメビウス〟が固い大地を抜け出た若葉を彷彿させる、鮮やかな緑色の光を放って幻影を見せる。

「救済するのでしょう? 圧倒的な武力をもって救う(ころす)」

「救う…………ころ、す」

 晴明が手を伸ばし、ストラの空いた手が触れようとする。

 が、接触の寸前で動きを止め手を引いてしまった。空を掴んだ晴明の手は〝意思統べしメビウス〟が放つ輝きに飲み込まれた。

「さあ、建前を棄てて望むがままに進みましょう。一度限りの命なのですから」

 告げてストラは微笑む。

 性質と触れる過程は違っても根源は同じであった。

 〝意思統べしメビウス〟はヒトの願望を底から掬い上げ、実現させる手段としての力を与える。その行為がストラにとって何を意味するのか。代償なのか報酬なのか、はたまた別の思惑があるのか。

 強烈にして邪悪な蜜を飲まされた者達には判断は愚か思考することすら叶わなかった。

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