5-23 輝ける四つの旋律
山を切り拓いて造られた土地に、庭を囲う立派な壁を持つ家が並び立ち街を形成している。かつて色鮮やかな彩を見せていた森林はもうない。樹木や住処にしていた動物や昆虫達に精霊だか死念だかが宿っているかは分からない。
冷たく無機質な家々の中でも一際目を引く家があった。
黒い建材で作り上げられた壁は外部からの侵入を許さないと宣言し、有刺鉄線が渡されている。優雅に空を舞う蝶が鉄線に近付いていく。白く美しい羽が一瞬で炎に包まれ、跡形もなくこの世界から存在を消してしまった。
敷地面積は優に周囲の家々を収めて余りある広さを誇る。
城塞のごとき偉容を放つ門には黒服を着込んだ屈強な男が左右に控えている。
黒塗りの高級車が門の前に止まった。運転席から下りた壮年の男が小走りに駆けて後部座席左側のドア前に立つ。ドアが開き、見えたのは磨き上げられた飴色の革靴だった。飴色の靴を履いた足がアスファルトの上に足を下ろ、さず恭しく頭を下げて降車するのを待つ運転手の顎を蹴りあげる。勢いのまま、運転手が背中から倒れて転がっていく。
「やれやれ、日本男児とやらは実直に見えて間抜けだな」
飴色の靴を履いた足が後部座席に留まる。起き上がった運転手が青ざめた顔でトランクの方へ向かい、赤い絨毯を抱えて戻ってきた。
門の左右に立つ二人の男は直立不動。表情すら変えていない。
運転手が絨毯を広げ、後部座席から門まで続く道を作る。
門を守る男達は無言のまま、焦燥と畏怖に駆られる男を見守っている。
「ご準備が、整いました。大変申し訳ありません」
「よい。やればできる、とかいう言葉があったな。あれか」
「ど、どうかご慈悲を……」
運転手はアスファルトの上で正座し、平伏していた。
裸で北極圏に置き去りにされたがごとく、全身を小刻みに震わせている。
飴色の革靴を履いた足がようやく下ろされ、絨毯を踏んだ。
灰色のスーツに身を固めた、どこにでもいるサラリーマン風の男が歩いていく。
表情に感情の色はない。
仮面を被っているかのように、心に抱えるものが見えない。
男は二度、三度鼻を鳴らしてから歩き始めた。
アスファルトで額をすり潰さんと謝罪し続ける運転手を見ることなく進む。
「二度目の人生をやろう。次があれば文字通り首にする」
「は、はい! 有難き幸せで御座いますっ!」
運転手は何度も何度も頭をアスファルトに叩きつける。鮮血が舞うも、平伏する運転手の顔には至上の喜びがあった。男は振り返らずに進む。
無言で屈強な男二人が門を開き、頭を下げる。
ずれた眼鏡の位置を直しつつ男は門番二人に声も視線も送らず奥へと向かう。
邸内は砂利が敷き詰められ、手入れの行き届いた庭園には黒い石で組まれた池があった。大きな鯉が水面を跳ねて美しい鱗を魅せる。
敷地内を進んでいき、庭を横断していくと邸宅の一角が開け放たれていた。
縁側で三人の青年が並んで座っている。
「親父おっせぇぞ!」
「父上、皆待ちくたびれていますよ」
「俺らが最上位なんだからいくらでも待たせればいいんだよ」
「この地に精霊達の声は届かないものでね」
それぞれ口にする三人へ告げて、男が微笑んだ。
言葉は誰に返したものでもなく、どこへ投げたかもわからない。
縁側で男は革靴を脱ぎ、室内へと足を踏み入れていく。
眼前には広々とした和室があり、茶色のラバーウッドの長机を六人の男女が囲んで座っていた。
見合いのように和装の女性が三名、対面に青年が一人と壮年の男が並んで座り、端に老年の男性が座布団も使わず、両手をつき頭を垂れている。
「ようやく来られましたか。待ちくたびれましたわ」
「あー……、じゃない。母上。着物じゃなきゃ駄目だったんですかね」
「お姉ちゃん! そんなこと言っちゃ――」
「馬鹿者。聖様の御前ですよ」
和装の女性のうち、端に座る菖蒲柄の着物をまとう少女が真ん中の藍色の着物を居辛そうに着崩す少女を窘める。
叱咤した女性の顔には不快さが見て取れる。
すぐに怒りを消して女性が小さく咳をした。
「坂敷 戒厳、と仰いましたか。我らが盟主の到着です」
女性の声で老年の男性が顔をあげる。巌を切り出したような顔には見た目の厳格さ以上に不快感からくる苦々しさが渋面を作り上げていた。
「聖殿、会合の時間は守って頂かねばならぬ」
「私が何故私の家に戻る時間を他者に決められねばならぬのかね」
「率いる者が刻限を厳守できぬ方が問題ではないのか」
「自惚れるなよ。たまたま十二の席を預かれた雑種が」
戒厳と呼ばれた老年の男性の言葉はあっさり切り捨てられた。
縁側で青年三人が嘲笑っている。
「親父ぃ、あんまいじめてやんなよ」
「父上は〝持たぬもの〟には容赦がありませんからね」
「いやぁ、でも実際霊力を扱えないゴミがいる家だしよ」
「〝あれ〟は我が坂敷家の者ではありません。
坂敷家にはただ一人、聖なる御力を刃へ変えて操る
晴明めがおります故、聖殿のお役に立てるかと……」
表情を隠すように戒厳が額を畳にこすりつける。
室内でただ一人立つ男、聖 明祐は戒厳へ冷ややかな視線を送る。
「よしましょうよ、明祐さん。内輪で揉めても意味がない」
「正式に迎え入れるかどうか、試しもかねるのではなかったのか」
「試す、と言っても当人はここにいない連中と霊峰巡りにいったようだからなぁ」
女達の対面に座る男らが口々に告げる。
明祐が集まった面々を見渡す。
「緋枢家に青葉家、それに的場家。精霊の声を聞き、
力を借り受けて秩序を守る者達も人間そのものが背負う宿命は越えられん。
的場家は代々短命であるが故、仕方ないとも言えるが嘆かわしいものだな」
「時代の流れです。
我が緋もこのような乱雑な因子を生んでは面目次第もなく……」
「あァ? そりゃあたしのこと言ってんのかよ」
「他に誰がいますか。全く、男であれば迷わず切り捨てられたものを……」
「ハッ! 黴臭い仕来りをいつまでも引きずってんじゃねぇっての」
「お姉ちゃんっ!」
疲れたように大きな溜息を吐く緋枢家当主、緋枢 真夜とは対照的に乱暴な言葉遣いで吠える娘の夜月は退屈そうに欠伸をする。
「大体精霊の導きだとか、神のご加護とか言ってもサッパリ分からんね」
「粗忽者に今更神の慈悲を解こうとは思いませぬ」
「んなもん最初から知らないっての」
「全くどうして、私からこのようなものが生まれたのやら」
「しつけーっての。あたしだって望んでアンタから生まれてないし」
「口の減らぬ……ッ」
「お姉ちゃんも、お母様もやめてっ!」
夜月を叩こうとした真夜の手を真昼が左手で抑える。右手はまだ噛みつこうとしている夜月を肩で抑えていた。縁側で寝転がる青年が笑う。
「あー、アレも面白かったなぁ兄貴」
「切田とかいう霊剣使いか。ああ見えて、中々やるぞ」
「そうですかね。直情的すぎて品性が感じられませんでしたが……」
三人の青年達の目は不機嫌顔の夜月を見ていた。
苛立ちの矛先が真夜から軽薄な笑みを浮かべている青年へ向く。
「三馬鹿揃って何ガン飛ばしてんだよ」
「別に睨んじゃねぇよ。反抗的なのはてめぇだ、狂犬」
「あァ? 戦ろうってのか」
「なー。そっくりだわ。とんだ戦闘狂だよ。
脳筋同士いっそアレと鉢合わせになってりゃよかったのによ」
「まとめて消しておけば世界から汚物が二つ浄化されてましたね」
「言い過ぎだろ。仮にも〝四聖輝〟に連なる者だ」
「涼祐、宗祐、浩祐。お前達は何故ここにいるのだ」
夜月を挑発する二人と諌めた一人が揃って彼らの父親に呼ばれた。
三人の青年が父親であり支配者である明祐を見て、それぞれの身を震わせる。
立ったままの明祐の手には光の粒子を散らし、青く輝く箱があった。漏れ出る光は青に赤に緑にと次々と変化していき煌めく。
幻想的でいて、どこか寒気を感じさせるものがあった。
全員が黙して輝きが散り逝く先を見つめている。
「穢れは浄化しなければならない。間違いは正さねばならない」
明祐の声が響き渡る。真綿が水を吸うように深層心理を侵食していく。
「我らは剣だ。精霊の声を聞き、神の意志を代行する者達だ」
それは呪文のように、催眠のように聞く者に浸透していく。
「神の手は足りない。日々悪逆たる輩が沸いては出て来る」
涼祐、宗祐、浩祐の目の色が変わる。瞳の中に星形の印が浮かび上がった。
夢遊病患者のように、ふらりと立ち上がって歩く。
三人揃って明祐の足元で跪いた。
「間違いを正さねばならない。正す刃は従順であった方がよい」
明祐の言葉が続く。ラバーウッドの机を囲む六人にも変化があった。
やはり瞳に星形の印を浮かべて、夜月が畳に額をこすりつけて母親である真に服従の姿勢を取っている。奇行じみた姉を止めることなく、真昼もまた夜月の隣で三つ指をつく。
壮年の男、乾 源蔵が突き出した右拳に息子の和馬が右拳を当てていた。
源蔵が唇に笑みを乗せる。
「我らは外側にいるが、重ねる気持ちは同じ場所にある」
「……ああ。それでも、おぞましいけどな」
誓いを立てるように拳を打ち合わせる二人の隣で戒厳は言葉を失っていた。
明祐がかざす箱から漏れ出す光が作用しているのか、それとも彼らのいう精霊とやらが操っているのか。
戒厳には瞳に映る状況を的確に言語化できる知識を持ち合わせていない。
自らの言葉に従い、肉体の自由を明け渡す代理執行者達の前で明祐が手を振る。
「この手にあるからこそ、緋はその闘争を示し、蒼はたゆたう変化を導く。
青葉は陰らず瑞々しさを保ち、溶け込む。統べる聖は冠を頂き、威光を抱く」
四色の輝きを示した箱が煌めくことをやめ、幻のように姿を消した。
年の割には瑞々しい肌の手のひらを見せている。
「我らが管理せねばならない。
偽りの権力者共は打ち倒されたが、悪を喰らったのはより凶悪な邪教徒だ。
イズガルトに連なる聖徒の手で取り戻さねばならない」
明祐が空いた手ともう片方の手で乾いた音を鳴らす。
合図として、息子三人が目を見開き顔をあげる。
真夜は言葉なく娘二人に冷ややかな視線を送っていた。
眠りから覚めたように夜月が首を振って、苦い顔をする。
「よいですね。誉ある緋の輝きを抱く者として自覚しなさい」
真夜の冷徹な声に言葉を返すことなく、ゆっくりと夜月が頷いた。
真昼は頭を下げたまま顔をあげない。
風が吹き込んでくる。明祐の目の前に人影。
音もなく現れた人物に手を取られ、明祐の顔に明確な驚きが浮かぶ。
「そうですね。自覚するべきでしょう。〝それ〟が貴方には過ぎたる物だと、ね」
告げて商談を始めるかのように柔和な笑みを浮かべたのは、炎のように燃え盛る紅の髪に金色の瞳を持つ黒スーツの男だった。