5-19 別派霊襲
都市地下の拠点から専用昇降機を使い、市街地へと出る。
今しがた出てきた扉は黒い壁に溶け込み、判別できなくなった。
路地裏の一角にある隠し通路に人影はない。
そもそも一般人が入れぬよう、フェンスと有刺鉄線で隔離してある。
空を仰ぐ。雲一つない蒼穹が広がっている。太陽光が眩しい。
「何か、こうしてると〝それっぽい〟ですね! 先輩っ」
『日陰者の逃亡生活とも……』
「いやいやいや、前向きにポジティブにいきましょうよ!」
『元気が有り余っているようで』
「この年で元気じゃなかったら大変ですよぅ」
振り返ると同期の二人が会話を交わしている。成立してはいるものの、筆談と声のやり取りなのでスケッチブックが見えていない者からすれば、意気揚々と独り言を吐いていることになる。口調からは、そうした誤解に対する恐れも感じない。
灰羽なりに普通に会話している、ということなのだろう。
鏡治もテンションについていくのが大変だが、悪くはないと表情で告げているように思える。顔を綻ばせる鏡治は順応が早いと思う。
俺を含めた三人とも、任務用の戦闘服ではなく普段着姿だった。
俺はウエストポーチに念のため、霊剣を収めた布袋を肩から下げている。
灰羽はショルダーバッグ、鏡治は筆記のためかリュックサックを背負っている。
「さて、青璃さんに言われずとも案内するつもりだったけれど、
どう回っていこうか。徒歩でじっくりでもいいし、電鉄を使ってもいいけれど」
「歩きながら普通に、こういう会話していていいんですかね?」
『筆談ならばともかく、一応〝非公式執行部隊〟ですよね?』
「……ひとまず、普通の雑談をしながら端末で説明していこう」
〈灰絶機関〉は公に発表された部隊ではない。
立ち位置としては警察機関における特殊部隊のようなものだ。
個人ではなく国家に属し、旧日本から再編成されたアルメリア王国において通常の警察機関や特殊部隊が対処し難い、もしくは対応に苦慮する事案を担当する。
俺は端末を操作して灰羽と鏡治の持つ端末と接続し、資料を送る。
二人が黙々と資料に目を通している間に部屋主としてプライベートチャットを立て、招待を出す。どちらも即座に反応してチャットグループへ入ってきた。
『端末操作は事前に説明を受けていたみたいだが』
『機械音痴のオジサンや世代違いの老人でもないですしぃ』
『僕にとってはホームグラウンドですから』
俺の問いに対して灰羽と鏡治がそれぞれの返答をチャットで示す。
頼もしい限りだ。路地裏を歩き出す。人が通ることは防げても、飛来したゴミは素通りになってしまい、あちこちに空き缶や割れた瓶が転がっている。
「足元、注意して」
言わずとも見れば理解できるだろうが、声に出しておく。
片付けたところで、また投げ入れられるだろうし回収した空き缶や瓶を回収場所まで持っていく時間も惜しい。そんな思考をしたところで、俺自身も投棄した人間と然程変わらないと気付かされてしまう。
「やー、路地裏ってどこも汚いですよねぇ。見えないからって好き勝手に」
「王が、町の各所に設置するタイプの自動清掃ロボを開発しているらしい」
『ハル=マリスク=アルメリア王……現在の日本、いえアルメリア王国のトップ』
鏡治のチャットに声で反応するか文字で書くか迷う。
「彼……いや、彼女かもしれないが元々技術者だったようでね」
「イズガルトや中東を渡った凄腕なんですよね、先輩」
「旧政府時代からその傾向が顕著だったけれど、今までより一層技術面を磨いて
産業として売り込んでいく方針を立てている。直接会ったことはないけれど……」
「やだなぁ、普通国家元首に軽々しく会えませんって」
会話しつつ歩みを進める。
立ち入り禁止を示す看板を掲げたフェンスの前に立つ。
〈灰絶機関〉のメンバーだけが持つ暗号錠を用いて解錠し、灰羽と鏡治を通してから再びロックをかけておく。
大通りへと繋がる道を歩き、さりげなく日常の風景に混じる。
『私服警官みたいなものですかねぇ?』
『まぁ、そんなところになるか』
『話を戻してしまいますが、僕達のトップが
アルメリア王という認識でいいのでしょうか』
『一応は、雇い主という形になる』
『直属の親衛隊ってところですか、先輩』
『私設武装組織……基礎から作り上げたのが九龍院 千影様。
亮は長いのですよね? これまで会ったことは一度もないのですか』
アーケードを潜り、左右に建物が並ぶ商店街の大通りを進む。
スーツで身を固めたサラリーマンに、買い物へ向かう主婦。私服の青年に、派手な格好の女性。様々な人間が歩く大通りを突き進めば駅へ辿り着く。
歩きながら端末を弄る俺達は周りの人間の目にどう映っているのだろうか。
『会うことにそれほど価値を見出していない、というべきかな』
『素性は大事でしょう。裏で何を考えているのか……
千影様も、何を考えているのか判然としません』
『全てを疑ってかかれ、とは言わないですけど信じすぎるのも問題ですよ?』
あっけらかんとした調子で打たれた灰羽のチャット内容に思わず、お前が言うかと口にしかけたが堪える。そう打ち込もうとした指の動きも抑え込む。
代わりに文字を打ち込んでいく。
『……借り物の言葉になるけれど、善人と仮定しておかないと一歩も動けない。
俺達は起こった事象に対して責任を持つ。通常の警察機関で対処できないものを
抑え、更生できないと断じれば命ごと刈り取る。負の連鎖を断ち切るために』
『先輩、矛盾してますよ。どんな権限で殺害という手法で断罪するんですか』
『ないよ。俺達が勝手に定めた基準だ』
断言する。無意識に足を動かす速度が早まっていく。
振り切れるはずもないのに、追いすがる過去から逃げようとしている。
何の権限があって、と問われても明確な答えを持ち合わせてはいない。
『目には目を、歯には歯をとなると旧日本ではなく中東の思想になるかと』
『有楽上さんは随分と物知りなんですねぇ』
『鏡治でいいですよ、灰羽さん』
『俺も呼び捨てで構わないけれど?』
『なんとなく、そうお呼びした方がいいのかと』
雑踏をかき分けて進んでいく。
罪を犯したのであれば、罰を受けなければならない。
法令上定められている上に結果に対して責任を取る義務があってこそ、権利を主張することが許される。
だが、実際には責任を取ることを放棄し、好き放題に災厄を振りまく者がいる。
一つのことにすら責務を負わない者が罪業を積み重ねた上で、まとめて支払うのだろうか。
答えは、否だ。自らの罪を悔まず、改善しようと考えない者に現行の法令を適応したところで、服役し出所した後にまた別の悲劇を生み出すだけだ。
そうして罪を繰り返した結果、常倉一派のような巨悪が生まれたのだ。
更生しないと予測できる邪悪に対し、根源を断つ以外どんな対策が有効だというのか。答えがあるのだとしたら俺にも教えて欲しい。
そうならないよう、必死に抗っているというのに現実は非情だ。
『どちらでも構わないけれどねぇ。呼びやすい形であれば』
『亮。この辺りの地形は大体把握できました。各所に監視カメラを配置すれば、
わざわざ足を使わずとも全体を見渡し管理することができると思うのですが』
『プライベート的な問題があるからね……中々』
『人命を守り、犯罪を未然に防ぐには些細なことかと』
そう、自分の中で規定してるのに唇は普遍的な〝一般常識〟を吐く。
確かに人命を最優先と考えるのであれば、ある程度はプライベートな事情は無視することになるだろう。アルメリア王の予定プランでも要所に監視カメラを設置することは、ほぼ決定事項として挙がってはいる。
「いや、待ってくれ。もう地形の全体を把握したって?」
声に出して問いかけてしまった。俺の声は店への呼び込みや、商店街内放送の音楽、買い物途中に集まって姦しく井戸端会議に興じる主婦の声に混ざって消えていく。
端末で鏡治が送信してきたデータを開く。
これまで〈灰絶機関〉が収集してきた地図データがまとめられ、立体的なマッピングが完成している。情報が不足している部分は、どこからか引っ張ってきたデータで補完した予測データで埋められている。
「先輩、先輩ちょっと歩くの早いですっ!」
チャットではなく大声で灰羽が声をかけてきた。
立ち止まり、振り返ると灰羽は着いてきているが、鏡治とはかなり距離が空いている。速足になりすぎていたらしい。
鏡治はスケッチブックとペンを取り落さぬようにしながら、ふらふらとおぼつかない足取りで俺達を追ってきている。
道路標識の鉄柱に背を預け、息を切らしながら鏡治が端末を弄る。
『僕は恐らく戦闘行為においては、ほぼお役には立てないでしょう』
『あれ、鏡治は吸霊鬼とのハーフだったのではー?』
そう。亜種との混血であれば、特異なる力が引き継がれるはず。
鬼とつく以上、人間よりも弱いということもないだろうが……。
『亜人との混血だから、皆が皆戦闘向きというわけではありません。
どうにも、亜人と聞くと〝人間〟は自分よりも秀でた存在、
もしくは越えられぬ怪異と決めつける風潮がありますね』
『だって先輩ー、仕方ないですよねぇ。人間って劣等感の塊ですし』
『誰もが劣等感だらけというわけでもないさ……』
負の感情は犯罪に結びつきやすい。
妬み嫉み怒りは降り積もり、爆ぜると激情の炸裂弾となる。
悲しみ嘆き自傷し傷つきすぎると自他共にどうでもよくなり、巻き込み型の雷嵐となって吹き荒れ触れる全てを刻み破壊していく。
自身の中で巻き上がるものを抑えつつ、俺の指は動く。
『原初より人は弱い。弱いからこそ群れて強者を駆逐する』
『群れてより弱いものを標的にする精神的弱者もいますよねぇ』
『……よく、わかりません。半分混ざっていても僕は亜種族側かもしれない』
『決めつけるのは早いよ。よく知って距離を詰めることはできる。
種族が違うから絶対的に分かり合えない、なんてことはないはずだ』
『ヒトは同じ種族で肌の色や宗教など〝違い〟を探して争いまくってますけどねー。過去を見れば、その辺は明らかですし戦争の歴史ってやつですよぉ』
端末を操作する手が止まる。灰羽の言葉は痛いところを突いてくる。
まるで言われたくない事柄を引き出され、見せたくないものを露わにさせられているようだった。鏡治のような、特異体質による能力なのか。
「例えに出してたら、来ましたよ先輩っ」
『五メートル先、右方から反応あり。恐らくガソリンによる手製火炎瓶が』
鏡治のチャットを確認するよりも先に、前方で轟音と悲鳴が響いた。
コンビニの一角から硝子片と共に炎が噴出する。周囲の人々は驚きと共に逃げ惑い、人の流れが変わったことで押し合い倒されたり、跳ね飛ばされたりと二次被害が出る。
思考する前に俺の体は布袋から野太刀の霊剣を引き出し、駆け出す。
「灰羽は市民の誘導、鏡治は関連機関へ通報してくれ」
言い残して走る。すぐ隣に灰羽が追随する。
「先輩、避難誘導が完了したら俺も参戦しても?」
「すぐに終わらせる。人払いを頼む」
「了解ですっ」
答えて灰羽は速度を落とし、逃げていく市民の動きをコントロールする側へ回る。鏡治の通達を受けて下部メンバーも動き出すだろう。
俺の役割は一刻も早く犯人を捕まえることだ。
コンビニから黒いバッグを抱えて飛び出す男が見えていた。
人々を押しのけ、走っていく背中を追いかける。
逃走先に呆然と立ち尽くす少女がいた。年の頃は同じくらいか。今時の少女にしては珍しく、各所に菖蒲をあしらった着物を身にまとっている。
先を走る男が懐に手を入れる。男が言葉にならない奇声を発しながら、取り出した短刀を掲げた。刃は無防備な少女の首筋に向かう。
届かない。間に合わない。
また助けられない?
また目の前で犠牲者を出してしまう?
脳内に浮かぶ様々な言葉を切り飛ばして突き進む。
棒立ちだった少女が小さく微笑み、右手を掲げた。
破砕音が鳴り渡る。と、同時に背後に強い霊力の反応。怖気が走る。
颶風となった何者かが俺を追い抜いていく。
追い抜いて行った人物が、そのままの勢いを保って立ち止まっていた男を殴り飛ばした。怒り収まらぬ様子で荒々しく呼吸を繰り返す。
短い髪に鋭い瞳。少年のような容姿だが、薄い唇と線の細い肢体を包むスカートとスパッツで早合点に気付く。右手に直刀の霊剣は握られておらず、腕全体を覆う篭手をつけていた。篭手はさながら炎のように青く揺らめいている。
少年のような少女がスポーツシューズを履いた足で男へ足払いを仕掛ける。
倒されるまで気付くことすらできなかった男の顔に少女の足が沈む。
「待てっ!」
そこまで見届けて、ようやく追いつき叫んだ。
菖蒲柄の着物をまとう少女の前に、うっすらと青い壁が展開されている。
花びらのような七枚の板が円軌道で動き、重なり合って一枚の盾となっていた。
少年のような少女が右手に装着していたはずの篭手はいつの間にか消え失せ、代わりに右手に脇差が握られていた。刃の先は踏みつけた男へと向いている。
路上には刃が折れた短刀が転がっている。男のものだろう。
僅かな時間の間に何が起きたのだろうか。
問わずとも、二人の少女が発する霊力の波動が教えてくれる。
「なんだ、お前。お前も真昼を狙ってやがるのか?」
少年のような少女は明確な敵意と共に、出会った時の初のように俺を睨んで青く揺らぐ炎のような刀を構えた。