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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
128/141

5-18 沈黙と道化と

 呉井(くれい) 灰羽(はいば)と名乗った少年は微笑んだまま、俺の反応を見ている。ざらついたモノで舐め上げられるような悪寒。軽く身震いする。

 以前にも感じたことがあった。あの時も、同質の気持ち悪さを感じていたのだ。

 過ぎた日の自分とは違う。立ち位置も違う。

 あくまで後輩としての立場を貫くというのならば、俺も〝先輩〟であろう。

「あれ、亮くんどうしたんスか?」

「あ、いえ……その、余りにいい動きだったので」

「やだなぁ、来々木先輩ったら褒めても何もお出しできないですよ」

「いや、彼の……有楽上(うらがみ)、くんの方が」

 咄嗟(とっさ)の話題逸らしだったが、俺は灰羽ではなく猫背気味な姿勢でだらりと木刀を下げている少年、有楽上 鏡治を手で示す。

 がらんと音を立てて木刀が強化コンクリの床に転がる。

 どこから取り出したのか、鏡治の左手にはスケッチブック、右手にはペンが握られていた。素早い動きでペンが紙の上を走っていく。

 銀髪と見開かれた金の瞳。目が見えないわけではなかったようだ。

 こちらの大陸人とは思えない容姿の鏡治が書き終え、両手で胸の前にスケッチブックを掲げる。表情は何故か気だるげだった。

『話せないもので。筆談にて失礼します。

エリス連合国出身、吸霊鬼と人間のハーフで特異体質による

能力を見いだされ、補佐役として幕下に加わることとなりました』

「吸霊鬼……淫魔(サキュバス)のようなもので?」

「おお、亮くんの口からそんな淫乱ワードが出るなんて」

「茶化さないでください」

「相変わらずノリ悪いッスねぇ……」

 面白反応が見れず残念がっている青璃は放置。鏡治が再びペンを走らせる。

『淫魔扱いとは心外ですね。別に女性を誘ったり、襲ったり、精を注いだりなんてしません。少しだけ生命エネルギーを頂くだけです。

もっとも、僕の意志とは無関係で勝手に周囲から吸い上げてしまうわけですが』

「男か女かは関係ない、ということかな」

『生命活動の一環です。呼吸するように霊力も吸う。それだけです』

「なるほど、分かりやすい」

 改めて言われれば、どことなく剣呑な雰囲気を感じる。

 灰羽とは別種のもので、本人が言う通りの緩やかなエネルギー摂取に対して肉体が反応し抗おうとしているのだろう。当人の気だるさと関係あるのだろうか。

 俺は歩んでいき、鏡治の前に立つ。

 俺も年齢からすれば平均かやや下の身長だが、鏡治はさらに頭二つほど小さい。

 かなり小柄だと言えるだろう。目線が同じになるよう、屈んで手を差し出す。

 差し出された方である鏡治は目を丸くしていた。

 それも一瞬だけ。すぐに興味がなさそうな、気だるさを孕んだ目になる。

 またペンが走る。鏡治が一歩引いてスケッチブックを掲げた。

『……怖く、ないのですか』

「恐れる理由はないと思うけれど。怖がって欲しい、とでも?」

『あの人も、そうでした。真っ直ぐに向き合い、握手を求めてきた』

 俺はさらに一歩踏み込む。

 迷うように鏡治が目を左右に彷徨わせ、また俺を見る。

 後押しするように俺は小さく頷く。

 顎でスケッチブックを挟んだ状態で、おずおずと鏡治が握手に応じてくれた。

 武器であった木刀は早々に捨ててもスケッチブックとペンは大事らしい。

 多少驚かされることはあっても恐れおののくことは、もうないと思っている。

 ただ一人で戦略兵器規模の暴威を振るう女傑。

 その身に天使を堕として操る双子の兄弟。

 霊剣を振るって戦場を駆け抜ける少女達。

 そして、人を殺し血を浴びすぎた狂獣。

 〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉には数多の異形が集う。

 望まぬ運命に踊らされる者達が一つの組織を作り上げている。

 動向を警戒することはあっても拒むことはしたくない。

 かつて絶望の底にいた俺でさえも千影は手を差し伸べてくれたのだから。

 (うい)もまた経験や性差の区別なく(いざな)ってくれた。

 だから、俺も手を繋いでいく。

「これからよろしく。鏡治、でいいかな」

 問いかけに対して、手が離れていきペンが動く。

 握った手は手袋越しではあったが、暖かさがあった。人の温もりだ。

 内側から込み上げる情動がある。動悸が激しくなり、(たかぶ)ってくる。

 催淫作用、とは言わないが近しい変化が起きつつあるのを意識する。

 脱力感。今度は搾り取られるように力が抜けていく。

 ゆっくりと息を吐く。ペンが走る音。

 膝をついた俺を前にスケッチブックを抱え込んでしゃがむ鏡治がいた。

『この特異体質でどう扱われていたかは、ご想像にお任せします』

「決して、明るい調子で話せるようなものではないだろうね」

「それは遠回しにボクのことを言ってるんスか?」

「いや、明らかにどす黒い過去を流出させる雰囲気ではなかったです」

「でもねー暗くなることを暗い雰囲気で話すといかにもー、な感じで身構えちゃうと思うッス。それに聞けば鏡治くんも細かく教えてくれるものと」

『お望みとあらば』

「あのぅ、そろそろ俺も混ぜてもらえないですかね?」

 立ち上がり、振り向くと困ったふうな笑顔を張り付けた灰羽がいた。

 俺は努めて普通の笑顔を浮かべて手を出し握手を求める。

「ついでによろしく。先輩でも呼び捨てでも好きに呼んでくれればいいよ」

「ついでは酷くないですかぁ、来々木先輩ー」

「そこまでガッチガチの体育会系縦社会じゃないから、ウチは」

「流石、やんちゃしてきた張本人が言うと説得力あるッス」

「青璃さんも決して人のことは言えないですからね……」

「ははっ、本当に楽しそうな職場ですね」

 灰羽と握手を交わす。握られた手は、冷たかった。

 仮面のような笑顔と軽薄な言動がどうにも気に入らない。

 軽い調子なのは青璃もだが、彼の場合は凄絶な過去の裏返しという意味合いもある。ならば、灰羽にも惨たらしく闇に溶け込んだ過去を抱えているのだろうか。

「誰もが傷を引きずって生きてるわけじゃないですよぅ」

「……何のことだ?」

「さて、何のことでしょうね」

 分かっているような口調だった。

 ああ、同じだ。磔刑に処された奴と同じような顔で、似たようなことを口だか尻だかから垂れ流している。

 本当に千影も青璃も灰羽に対して無警戒でいいのだろうか。

 いや、そもそも俺が考えすぎなのかもしれない。

 思い返せば赤亜は元々男性に対して懐疑的な思考をしている。

 無垢な体を穢すことで、天使ごと堕落させようとした拷問と凌辱の日々を思えばさもありなん、といったところだが最初から疑ってかかるのは危険かもしれない。

 違う。そうして人は誰かを貶めず、正しく前向きであるのが大前提だと考え続けていた結果がかの悲劇だったのではないか。

 そこから救い出されたとして、その方策が血塗れなのは変わらない。

「それが、思考の罠というやつですよ」

 ぽつりと誰かが耳元で囁いていった。

 現実に引き戻される。手に力を込めると何かを握り込んでいた。

「ちょ、っと……痛いですよ、先輩っ!」

「っと、すまない」

「いえ、大丈夫ですけど」

 反射的に手を払ってしまう。

 灰羽は手を振って、痛みを鎮めるようにさすっている。

 そうだ。誰の言葉か分からないが、一人で考え込むことこそ一番危険なのだ。

 かつての俺はたった一人……いや、二人で戦い続けるしかなかった。

 今は、仲間がいる。頼り、頼られ共に造り上げていく。

 行く道にどれほど深い闇が阻もうと、どれだけの血霧を掃おうとも先へ進む。

 立ち止まらぬと決めた。進むと決めたのだ。

 深く息を吸って、吐く。自らの昂りと焦燥感を抑え込む。

「どれだけ犠牲を払っても、進まねば犠牲が出る、ってね」

 まただ。首を振る。どこから聞こえる。まとわりついてくる。

 繰り返し頭のどこかで音が跳ね返り、巡り廻っていく。

 まるで閉鎖空間に押し込められた上に時間経過と共に少しずつ部屋が狭まっていくようだった。右手で耳を抑える。こめかみに鈍痛が走る。

 辺りを見回す。鏡治がスケッチブックに様々な文字を刻んでいる。会話で用いられる言語ではなく、文献でしか見ないような西方の古い音素文字だった。

「――で、鏡治くんは戦闘能力だけでいえば下の下というか、本当にダメダメだけど補って余りある力があるからこそ、これまで生き延びて来られたッス!」

『余りにストレートすぎる言動も、軽く言えば問題ないとか思っていませんか?』

「手厳しいッスね。まるで亮くんみたいッス!」

『のびのびとしたファミリー企業だとお聞きしたので』

「企業……企業。確かに色々と手を伸ばしている現状を言うと、一つの企業体系を作り上げたと言えなくもないッスけど……ってそういうことじゃなくっ!」

『〝記された世界〟も亮が自らの信念に準じ、真っ直ぐ貫いたとあります。

共に戦われた久我 小百合さんのことは、非常に残念でしたが』

「いや、そんなことはないッス。あの子は亮くんの中で生きているはず――」

 ずくり、と胸が(うず)く。違う。これでいいのだ。

 あの痛みを忘れない。喪失を忘れない。

 誰だって大切なものがあって、失いたくないものがあるから前を向いて歩く。

 守り戦うための力や環境や権限を手に入れるために日々を生きる。

「闇がさらなる闇に飲み込まれる死の連鎖だとしても」

 ああ、うるさい。痛い。どこから入り込んでくるのだろう。

 鈍痛が消えない。青璃が何事かを口にし、鏡治がスケッチブックで応じる声と文字の応酬を繰り広げている。少し離れた位置で灰羽も会話に加わっている。

 誰が呼びかけているのか。何を語りたいのか。

 どこかへ誘いたいのか、引きずり込みたいのか。

 優しい芳香が鼻腔をくすぐる。

 懐かしいような、悲しいような。柔らかく、愛しく遠く儚い煌めきの痕。

 すぐに去っていく。置き忘れたものを(さら)っていくかのように。

 数秒だけの暖かな抱擁は、何度か覚えた慈愛に満ちたものだった。

 七色の光が瞬く。鏡治が持つスケッチブックから文字が浮かぶ。

『原初の火、繋がれし獣、尊大なるもの、騎乗者、凍てつく風、生命の水』

 ページが独りでに破れていく。文字が空中に浮かび、姿形を変貌させる。

 書かれた通りに炎が燃え上がった。空間が(ひび)割れ、生まれた(ひずみ)から鎖に繋がれた獣の鋭い爪を持つ前脚が出てくる。

 別の歪からは巨人が片目で覗き込み、こちらの様子を伺う。

「ちょ、ちょっと待って欲しいッス!」

『全てを無に帰す神の雫』

 スケッチブックから浮かび上がった文字が青い光を放つ。

 輝きの中で、遠く怨嗟の叫びが聞こえたような気もした。

 余りの光量に視界が青色に染まる。

 光が失せて、取り戻された世界には獣も巨人も炎もなかった。

 青璃が安堵したように深く息を吐く。背中には薄らと何らかの堕とした天使の姿が見えていた。どうやら本気で止めにかかっていたようだ。

「本気で焦ったッス……これは、責任を取ってもらわないと」

『馳せ参じて早々に懲罰房行でしょうか』

「いやいや、後輩の不始末は先輩がつけるものッス」

 嫌な予感がする。背筋を伝う冷たいものが物語っている。

 逃げたかったが、既に俺の体は鎖に囚われていた。終点を探すと青白い羽を持つ、機械仕掛けの天使が無骨な甲冑兜で出迎えてくれた。

 〈天海堕落(アンジェ・ダウト)〉の無駄遣いである。メタトロンの扱いが酷い。

「亮くん、どこに行くつもりッスか?」

「わざわざ天使呼ばなくても、逃げませんよ」

「と、いうことで亮くんには二人に街を案内してもらうッス」

「どういう罰なんですか、それ」

 何が「と、いうことで」なのかも全く分からなかった。

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