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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
127/141

5-17 異貌人

 (まぶた)を開く。ゆるりと何度か(しばたた)かせる。

 視界に映り込むのは白い天井。これまで幾度となく見た光景だった。

 傷つき倒れて意識を失って。目覚めて起き上がって喪失を知る。実感する。

 あの胸を抉り斬られる感覚は、もう二度と味わいたくはない。

 そして、誰かに味あわせたくもない。

 誰かを殺せば、顔も知らぬ誰かが嘆く。

「目覚めたか?」

 声のする方へ首を動かす。藍色の長髪が女のように、まとめられずそのまま肩口に流されている。眼帯はなく、暗い孔に紅い六芒星が淡く輝いていた。

 丸椅子に座る赤亜(せきあ)が穏やかな笑みを浮かべて俺を見ている。

「ずっと……()てて、くれたんですか」

「まぁな。正確に言えば治してたわけだが」

 視線をあげていく。赤亜の背には限りなく人間に近い容姿を持つ、中性的な像が浮かんでいた。()ろされた天使も優しい笑みを振りまいてくれている。

「悪いな。勝手に寿命使わせてもらった」

「いえ、有難う御座います」

「お前さ、いい加減考えなしに突っ込むの止めないか? いつか死ぬぞ」

「死にかけても赤亜さんが治してくれるって信じてますから」

「あのなぁ……」

 病床で微笑んでやる。赤亜は呆れたように溜息を吐く。

 体が暖かい。陽炎のようにガブリエルの姿が薄れ、消えていった。

「〈紅の死神〉があるからって無尽蔵に使えるわけじゃあないんだ」

「多少の怪我なら大丈夫ですよ。どうせ治るんですから」

「だからな。俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな……」

 分かっている。言わんとすることを察せないわけでもない。

 それでも俺は立ち止まってはいけない気がした。

 前へ、前へ。前のめりでも考えなしでも進まなければならない。

「赤亜さんも、前に進むために〝捨てた〟んですよね」

「あー…………あのアホ。勝手に喋りやがって」

 こいつには知られたくなかったのに、という呟きは聞かなかったことにしよう。

 寝たままでは失礼かと思い、起き上がろとしたが手で制された。

 ベッドに体を横たえた俺の前で、赤亜が膝の上で腕を組む。

「おかしな話だろ。どちらでもない存在で、気持ち悪くてな」

「でも、今は……その、神坂さんと」

「言うなよ。俺だって未だに信じられないんだからさ」

 気恥ずかしそうに鼻をこすって、黙考するように組んだ手の上に顎を乗せる。

 その所作は千影が思考に(ふけ)っている姿と全く同じに見えた。

 鮮やかなライトグリーンを宿す右目が右へ動き、左方向へ逆時計回りに動く。

 決心したように隻眼が真っ直ぐ俺を捉える。

「その、な。軽蔑したか?」

「どうしてですか」

「いや、だってな。女なのに男っぽく振舞うのって気持ち悪くないか」

「えっ……でも肉体的には男なんですよね?」

「へっ、まぁ……そうだな。今は安定化したからほぼ男だけど」

「ほぼ、ってことは女の子の日とか来たりするんですか」

「……は?」

「えっ?」

 疑問と疑念の応酬であった。何を言ってるんだお前は、という空気だ。

 数瞬遅れて得心がいったように赤亜が笑い出す。

 何がそんなにおかしいのか、体を追って腹を抱えながらも大声には出すまいと堪えて、くぐもった笑声を響かせる。

 俺はベッドの上で肩を(すく)めるような所作をしてみた。

 堪えるのも限界だったらしく、室内に笑い声が響き渡る。

 ひとしきり笑うと涙目になりつつ赤亜が眼帯を手に取った。慣れた手つきで左目を覆い隠す。何度か咳払いする。表情はいつもの赤亜に戻っていた。

「あー……笑った笑った。八千翔(やちか)(いじく)るのも分かる気がするよ」

「今は赤亜さんが弄られてるんですよね?」

「餓鬼にゃまだ早い話だ」

 小さく笑って切り捨てる。俺も笑みで返す。

「お前の真っ直ぐさ、目的に向かうために

何でも掴もうとする姿勢は嫌いじゃないよ」

「それは、どちらの意味でですか」

「そんな口が利けるなら心配する必要もなかったな」

 椅子から立った赤亜が口元に手を当て、小刻みに体を震わせる。

 軽く伸びをしてから俺に背を向けた。後ろ手で長髪をゴム紐でまとめる。

 手は壁に立てかけていた霊剣・巳架鷺(みかさぎ)を取る。

「お前の覚悟や意思や思想に関わらず、俺達は〈灰絶機関(おれたち)〉が

定めた害悪を殺し潰す。青璃(せいり)からも聞いているだろうが、

俺達が独断で行う殺人という罪を肯定するわけじゃない」

「聞いて、います。いつか報いを受ける、と」

「少なくとも、俺はもう全うな生き方なんて期待してない。いや、十分すぎるな。地獄から抜け出せて、力の使い方も理解できて、大切なものもできて――」

 赤亜が咳き込む。嫌な音が聞こえた。雫が落ちる音。目の前で足を使って乱暴に拭き取られていく。俺は黙したまま続く言葉を待つ。

「……繰り返したくないんだ。千影さんも根源を探している。世界が響かせ続ける慟哭の元凶を根絶するまでは、俺達は戦い続けなければならない。たとえ無辜(むこ)の人間の魂を吸い上げることになろうと、俺自身の魂が失われようと……な」

「戦い、殺し続けるんですね」

「敵対する者を倒さなければ、味方が死ぬ。守りたいものが失われる」

 澱みなく赤亜は言い切った。一切の迷いがない。

 言葉の通りだ。敵対する以上、少なくとも無力化しなければ被害が出る。

 味方を失えば歩が悪くなる。勢力で押し負ければ何も守れない。

「あー……これは、聞くも聞かないも自由だが」

 前置きしつつ赤亜が背中を向けたまま言葉を連ねる。

紅狼(くろう)は同じ〝否定された者〟としてお前を見ていた。

奴は坂敷から捨てられ、ここで力を得た。

二度と居場所を失わないよう力を、有用さを示すしかなかった。

殺し続ける自身を肯定し、ひたすらに戦果を積み上げる……

そうしてるうちに殺すこと自体、泥臭い闇に染まっちまったのさ」

「俺も、そうなってしまうと?」

「一度踏み込めば、その先の速度はお前次第だ。

だからといって、殺せと言っているわけでもない。

お前の正義が殺さず無力化することをよしとするなら、貫けばいい」

「霊剣にすら名を教えられない俺には、耳に痛い話です」

「それはお前が定まっていないからだ。揺れ動き続けている」

 やはり、耳に痛い話だ。いつまでも半人前から抜け出せない。

 話は終わりだと言うように、背を向けたまま赤亜が歩いていく。

 俺の前を歩く者達は皆、遠い。余りにも高い場所にいる。

 声をかけることもできず、見送ろうとすると赤亜の足が止まった。

「最後に一つ。個人的な忠告だ。余り〝信じすぎるな〟よ」

「それは、どういう……」

 問いを投げる前に赤亜が部屋から出て行ってしまった。

 体を起こす。治療室内にはいくつもの空のベッドが並ぶ。

 息を吸って、吐く。薬品の香りに満ちている。

 赤亜の言葉は何を意味しているのだろうか。

「疑え、ということか」

 呟く。何を疑えというのだろうか。

 時に、赤亜は千影の命を受けながらも自身の意思を見せることがあった。

 言われるがままの人形になるな、ということなのだろうか。

 しかし、俺の命は千影に救われたものだ。

 あの場に千影がいなければ、或いは手助けがなければ俺は死んでいた。

 何も守れず成し遂げられず、失意と絶望の底で沈み果てていた。

 救われたからには恩義を尽くさねばならない。そう思う。

「いや」

 既に俺は幾度となくぶつかっている。

 それでも俺には力が与えられているのだ。

 まだ()を持たないにしても霊剣を受け取った。

 魂の情報を引き継ぎ、紡いでいくSSSによる〈死神〉の力も見せられた。

 俺だけじゃない。八千翔や(うい)も同じ位置にいるのだ。

 赤亜は俺に何を考えさせたいのだろう。どう動かしたいのだろう。

 俺が千影のやり方全てに納得しているわけではない。それでも、必要であることを認めることはある。その思想は流されているのではなく、俺自身の意志だ。


 本当にそうなのか?


 真実、俺は自分の意志を持って歩いているのだろうか。

「小百合の願いを叶えなきゃ……」

 違う。彼女の願いは、俺が俺の意志を貫き通すことだった。

 俺の願いは同じ痛みを生み出さないことだ。

 罪の生まれる場所を根絶する。そのために力を手に入れる。

 たとえ、得た力が他者を殺戮するためのものだったとしても。

「力を、使いこなさなければならない」

 ゆるゆるとベッドから足を下ろす。素足に床の冷たさが伝わる。

 平衡感覚を確かめ、歩く。用意されていた衣服を身にまとっていく。

 装備も整頓されていた。戦闘仕様の靴を履き、防刃ジャケットを羽織る。

 腰に無銘の太刀を()く。少し刀身を引き出し、鞘へ戻す。

 鍔鳴(つばな)りは寂しさを訴えるようにも聞こえた。

 俺の感情がそう思わせるのか、込められた死念(しねん)によるものか。

「……行くよ」

 誰に言ったのかは俺にも分からない。

 一歩一歩、力を込めて踏みしめて進んでいく。




 施設内を歩く。何人かの下部メンバーとすれ違う。

 何人かに挨拶され、それぞれ返す。多少の入れ替わりはあるが、大体の顔と名前は一致するようになっている。

 長い回廊を歩き、何度か角を曲がる。同じような道を進む。

 足は訓練場を目指す。まず体の調子を確かめねばならない。

 区画を越えて二十分ほど歩き、訓練場に着いた。

 扉を押し開いて中へ入ると、見知った笑顔の青年が俺に手を振っている。

「おー、やっぱり来たッスね!」

「……赤亜さんから聞いたんでしょう」

「勿論。あ、でもゼキエルは伝えてくれなかったみたいッスね」

 手を振っていた青璃が困ったような表情を浮かべる。

 そんな顔をされても知らないものは知らない。

 訓練場はだだっ広い体育館みたく強化コンクリの床が続く。

 一角で見知らぬ者達が木刀で打ち合っていた。

 片方は俺と同じ年の頃で、どこかの御曹司みたく気品ある……悪くいえば鼻につくような爽やかスマイルで木刀を振るう。ちらりと青璃を見る。

 もう一方はひたすら回避運動に徹している。

 木刀を使うのは打ち合い、受け止めて流す時だけで攻勢に出ない。

 避け続けている青年はずっと瞼を閉じている。

 違う。最初から見えないのだ。壁際に視覚障碍者用の白杖が置かれていた。

「はいはい、小休憩挟むッスよー」

 間の抜けた感じで青璃が声をかけると、二人の動きが機械のように静止した。

 かなり、やる。少なくとも俺と同じかそれ以上に修練を積んできている。

 終始攻めていた優男の方は息を切らしているが、受け続けていた青年は涼し気だった。

 それぞれが居住まいを正す。優男が俺を見て微笑んだ。

 青璃が腕で優男を示す。

「えーっと、連絡行ってないなら直接紹介するッスよ。

彼が今回の新規メンバーで、亮くんと一緒の班になる呉井 灰羽(はいば)くん。

相手しちゃってたのが有楽上(うらがみ) 鏡治(きょうじ)くんッス」

「呉井です。よろしくお願いいたします、来々木先輩っ」

 呉井と名乗った優男が律儀に頭を下げる。

 あがった顔には笑みが張り付いたまま。

 赤亜の言葉が頭によぎる。

 余りに綺麗すぎる笑顔が直感的に俺の心を震わせていた。

 かつて、こんな笑顔を見せた少年がいた。

 忘れるはずがない。忘れることなどできようもない。

 呉井 灰羽と名乗った優男の笑みは常倉 和久のものと酷似していた。

 即ち、笑顔の裏側で邪悪に嘲笑(わら)う嘘吐きの顔だった。

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