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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
126/141

5-16 心身鋼殻

 千影の手が動き、淡く緑色に発光する壁に触れる。壁の一部がせり出し、形を変えてベンチが設置された。口にはしないが、ひとまず座れということなのだろう。

 だが、赤亜(せきあ)八千翔(やちか)(うい)も、俺も動かない。

 先に部屋へ入った順に並んで直立不動のままだった。

 小さく疲れたような溜息を吐いて千影が自ら出したベンチに腰を下ろす。

 手に()めていた革の手袋を脱いで無造作に床へ投げ捨てる。

 床には赤黒い点が飛び散り、この場で行われている行為の凄惨さを教えてくれている。先程から室内に満ちている血臭に(むせ)そうだった。

 俺は肺腑に入り込んだ臭いと共に言葉を吐き出す。

「また、痛めつけていたのですか」

「人を殺したいと暴れるのでな。殺人衝動を攻撃衝動で解消させている」

「貴女が一方的に蹂躙しているだけでしょう」

「まさか。私とてほぼ生身なのだ。

クラッドチルドレンと遣り合えば無事ではすまん」

「……つまらない冗談は止めましょうよ。

呪いから逃れても武は失っていないでしょう」

 俺の言葉に千影が笑う。見ていて寒気がする(よこしま)な微笑だった。

 肩を叩かれる。首を動かすと、初が苦い顔で首を横に振った。

 押し問答をしていても時間の無駄だ、ということか。舌打ちする。

 もう一度言葉で噛みつこうとして、一歩前に出た赤亜に制された。

「まさか、俺達に拷問を見せつけるために集めたのではないですよねぇ」

「貴様も口が悪いな。未だに割り切らぬ小僧の肩を持つか」

「時間が、かかるんですよ。俺や青璃のアホみたいに特殊でもない」

「ふ、ん。まぁ……確かにな。貴様の言う通りかもしれん。

他の面々と比べれば、恋仲の少女を失うことなど有り触れた悲劇だ」

 ぞぶり、と心臓を鷲掴みにされたようだった。奥歯を噛んで耐える。

 熾火(おきび)のような憎悪を忘れたことはない。

 奪った相手と、守れなかった自分自身へ向けた気持ちを忘れない。

 赤亜の方を見る。地上に舞い降りた天使とされ、残酷な実験に付き合わされ肉体も精神も蹂躙された。それでも立ち上がり、今は男として八千翔と結ばれている。

 刺すような視線。初に見咎(とが)められて姿勢を正す。

 とはいえ、他人は他人。自分は自分だ。不幸の分量に差異などない。どのような経緯を経ていようがクラッドチルドレンは等しく死に至る理不尽な呪いを押し付けられた存在だ。

 ベンチに座った千影が両足に肘を乗せ、手を組む。

 手の甲に顎を乗せて深く考え込むような姿勢を取った。

「さて、この五年で様々なデータが取れた。

実際に男女の仲となった者達の解呪、それによる身体能力や

感覚器官の減退に関する情報。失われるものと残るものの境界線」

「度重なる死と呪いへの怨嗟が積み上がった結果でしょう?」

 初からの肘内を喰らうが、漏れ出した激情は止まらない。

「アルメリア王国の建国に関わったとはいえ、

日露事変に加担した者以外は王と会うことも許されない。

その存在自体がトップシークレットとなっている理由は何ですか」

「貴様が今、知る必要のない情報だ」

「……話にならない。貴女は都合が悪くなるとすぐ隠す」

「ならば、貴様はどんな絶望的な闇でも抱えられるというのか?」

 俺を見据える千影の赤黒い瞳は逸らすことを許さない。

 いや、ここで逸らしてしまえばまた置き去りにされてしまう。

 日露事変に参加できなかったように、日常の裏側に潜んで人々を守ることすらできなくなってしまうかもしれない。力を奪われる恐怖に怯える。

 千影が俺を見つめたまま口を開く。

「以前も説明したことを今更断る必要もないと思うが、私は一度も強制したことはない。クラッドチルドレンとして生まれついても戦うことを諦めた者はバックアップにつかせたし、そもそも関わりたくないという連中には元の生活へ戻ってもらった。無論、力が悪用されないよう一定期間監視はつけさせてもらったがな」

「俺にも、あんな状態で日常に戻れる選択があったと?」

「貴様は自分から選んだだろうが。

力が欲しいと、意思を引き継ぎ意志を貫ける圧倒的な武力を手に入れたいと

(こいねが)って、霊剣を手にし今また『死神』候補に選ばれてる」

「しに、がみ……?」

「赤亜、見せてやれ」

「気が進まないんですけどね」

「阿呆が現実を現実だと認識するには見せつけるしかない」

「ああ、来々木を拾った時も盛大にやったらしいですね」

「そういえばあの時から小生意気なクソガキだったなぁ」

「初ちゃん、そんな言葉遣いしてるといつまでも嫁の貰い手が出てこないよ?」

「やち姉……あたしにそんな気はないって、何度も」

「私だって、ゼキエルと一緒になるなんて思ってなかったけど?」

 俺の疑念を置き去りにして八千翔と初が言い合いを始める。

 二人の女執行者を置いて、赤亜がおもむろに部屋を歩いていく。

 千影の座るベンチの傍に立つとくるりと回り、俺へと向き直る。

 先程隠していた、眼帯に隠された左目がほのかに(あか)く輝いていた。

 赤亜の手が眼帯に触れ、一瞬だけ躊躇するように固まったものの無言で放たれた霊力の波に押されるように勢いよく取り去った。眼帯が床に落ちる。

「本当に、ないん……ですね」

 目の当たりにして、最初に出たのは余りに有り触れた感想だった。

 これまで眼帯で隠され、風呂や就寝時も(かたく)なに外すことを拒んでいた理由も分かる。

 左目があるべき眼窩は小さな穴となり、義眼すら置かれていない。代わりにあるのは、浮遊する謎の球体に刻まれたものと色違いの、紅の六芒星が刻まれていた。

「これが〈死神〉である証だ。俺は紅を担当する」

「もしかして、セイリスの右目にも同じ刻印が……?」

「ああ。あいつは運よく一発目で成功したが、な」

「一体、どういう……〝死神〟だなんて」

「今更な話だろうが。お前はまだ単独で動いていないから、直接手を下す経験がないだけでとっくに俺達は血塗れだ。むしろ五年も綺麗なままなのは奇跡に等しい」

「遠回しに馬鹿にしてませんか」

「どう受け取ろうと勝手だが、な。俺と青璃は〈天海堕落(アンジェ・ダウト)〉を行使する関係で膨大な霊力を消費する。これまでは霊剣から引きずり出していたが、〈紅の死神〉で得た分を利用すれば霊剣の本来の能力も発揮できる」

「どういう、ことですか」

 問いながらも、俺の頭の中では既に回答が浮かんでいた。

 淡々と語る赤亜の表情はいつもと変わらない。彼女……いや、彼は過去受けた痛みを誰かにぶつけるべく暴風となり吹き荒れるのではなく、同じ悲劇に見舞われぬよう犯罪者を狩ることを肯定している。

 そして、霊剣が死者の遺した残留思念を取り込むことで所有者の願いを引き出し、現実へ反映する武具である以上は死念(しねん)は単純に〝燃料〟だと捉えられる。今、縛鎖に囚われている紅狼(くろう)もかつて口にしていた。

 俺の目は浮遊する球体に浮かぶ緑色の六芒星と獣のように(うな)り声をあげる紅狼とを交互に見比べる。

「紅狼が最も真実を解していたな。霊剣を喰らい、邪気ごと取り込んで

全てを破壊し尽くす。旧世界を粉砕する理想的な刃に()ってくれた」

「……道具扱い、ですか」

「繰り返させるな。私は〝一度たりとも強制していない〟」

 俺は赤亜を見る。珍しく、眉間に皺を寄せ悔しげな表情を見せた。

 左目の刻印が淡く紅色に輝く。

 まるで球体に刻まれたものと共鳴しているようだった。

 赤亜が視線に気付いて反射的に顔の反面を隠し、すぐにどける。

 口にするか迷い、また圧を増した千影の霊力に後押しされるように口を開く。

「坂敷 紅狼。旧日本において強い影響力を持つ坂敷 戒厳の実子にして、落伍者として放逐された男だ。霊剣によって引き出され、具現化した願いは――」

 一際強い咆哮によって続く言葉は()き消された。

 だが、聞かずとも分かる。五年前に、思い知らされていた。

 有象無象の区別なく、全てを殺し砕く暴虐の嵐を体現している。

「自らを刃とするために、霊剣を喰らったのですね」

「奇しくも貴様と同じ、無銘の霊剣と死念を取り込んだことで

奴の持つ本来の力が引き出された。内側に(たぎ)る情動が形を得た。

霊力を刃にして撒き散らす、いわば刃毀(こぼ)れせぬ剣のような存在だ」

 旧日本政府を討滅する選抜試験となっていた、あの模擬戦闘での出来事は今でも強く残っている。初の霊剣・狂想空破と赤亜の霊剣・巳架鷺(みかさぎ)が激突した瞬間、空が落ちてくるようなおぞましい圧迫感があった。

 が、紅狼が跳躍し体を(ひね)って着地した後には体を襲う息苦しさは消えていた。あの時見えた無数の斬撃こそ取り込まれた霊剣による力だったのだ。

 咆哮が轟く。言葉にならなくとも怨嗟が伝わってくる。

 殺したい、もっともっと奪って魂を死念を取り込んで強く強く強く……。

「最前線で切り込ませた、ということですね」

「紅狼と切田が志願した。戦端を開き、殲滅するのにこれ以上の人材はいない」

「貴女が(けが)れれば良かったのではないですか」

「何度言えば貴様は理解できるんだ」

 違う。理解したくないのではない。

 いや、違わないのか。千影の指摘は正しい。

 全くもって、正しすぎる。正確に俺の心臓を(えぐ)っている。

 手に暖かさ。初がしおらしく(うつむ)いて両手で俺の手を包んでいた。

 ああ、痛い。心臓が痛い。彼女の手は、多くの命を切り捨てた。

 ああ、苦しい。息ができない。酸素が回らない。

 殺され奪われた痛みを知っているのに、正義執行と称し殺し奪う組織にいる。

 何故だ。許せないからだ。小百合を殺した常倉を許せなかったからだ。

 常倉は罰されてしまった。千影によって凄惨な終わりを与えられた。

 終わってしまったのだ。

 そこで、俺が追い求めていたものが(つい)えてしまった。

「……亮、大丈夫?」

 声が聞こえる。かつて俺の名を呼び捨てにしたのはただ一人だった。

 ただ一人の味方で、失いたくない人で。それでも繋いだ手を離してしまった。

 違う。俺が殺した。

 違うんだ。常倉 和久が殺した。


――お前が殺したんだ。


「違うっ!」

 叫んで、振り払う。駆け出す。赤亜の制止をすり抜け、緑色の六芒星を宿す球体へ手を伸ばして、全身に激痛が走り抜けた。浮遊感。磁石が反発するように弾き飛ばされ、発光する壁へと叩きつけられた。

「か、はっ…………」

 背中を強打し、壁面に沿って体が崩れ落ちる。

 全身に痺れが残っているため、指先一つまともに動かせず立ち上がれない。

「時を経ても真っ直ぐな阿呆のままだな……」

 落ちた千影の声は呆れつつも諦めたものを含んでいた。

 倒れたまま見えるおぼろげな視界に千影の姿はない。

「改めて問うまでもなく、貴様は力を欲しているわけだ。

せめて、罪を犯した者を捕らえて一人で断罪できる力を求めているのだよ」

 違う、と言葉にすることはできなかった。

 否定しても体を突き動かした衝動が認めてしまっている。

 どれほど拒絶しようと自らが嫌う方法によって救われた事実は変わらないし、今も力を得て罪なきものを守るために組織に身を置いている自己矛盾を受け入れねばならない。

 力を追い求めた果ては、紅狼のように罪を破壊するだけの刃となるのだろうか。

 常倉一派のように他者を傷つけ我欲を満たす獣に成り果てるのか。

「阿呆のせいで説明の順序が狂ったが、貴様らが見たように

SSS(トリプルエス)は宿主を選定し、異なる者は弾き飛ばす。

受け入れたとしても、刻印に拒絶される場合もある」

「それも、呪いのようなものですか」

 真面目な口調で八千翔が問う。

「呪い……まぁ、呪いだな。SSSによって刻まれた印は魂ごと喰らう。

俺は二代目だが、先代は取り込む霊力の負荷に耐え切れず、燃え尽きて果てた」

 答えたのは赤亜の声。さらに言葉が重ねられる。

「今の俺には先代の持っていた知識や技術が記憶として残り、共有されている。

俺はSSSから引き継いだが、多分クラッドチルドレン同士渡すこともできる」

「死んだ時に、選んだ人に受け継がせて全部を共有できるということ?」

「そんな顔をするな。後悔はしていない。俺がこの旧日本、アルメリア王国で事をなすには力がいる。俺達はクラッドチルドレンだが、それでも死ぬ時は死ぬ。

年を取れば肉体も感覚も衰える。戦い続けるには、どうしても新たな力が要る」

「そこまで……、ううん。それを彼にも刻む、と」

「ゆっくりと馴染ませることになるだろうが、な」

「……そう、ですか」

 短く切ったのは、続く想いを吐露することを避けるためだろう。

 殺し続けた八千翔と赤亜は共に在り共に歩むと決め、決めたからこそ同じものを背負っていくのだろう。人を殺し、人を生かす道を歩き続けるのだろう。

 俺も、願いを果たさねばならない。遺志を継がねばならない。

 決めて誓ったはずなのに、何故揺らぐのだろう。何故割り切れないのだろう。

 意識が遠のいていく。覚めぬ眠りに引きずり込まれるようだった。

「ゼキエルの言葉通りだ。どれほど強靭な肉体を持ち、鋭敏な感覚器官を持っていようと我らがヒトの体である限り、常に上の力を求めねばならない」

「それって、アルメリア王みたいになる、ってことですか」

「さて、ね。それすら望めば叶う未来が来るかもしれんな」

「願わくば、ヒトで在りたいですね」

「天使を()とし、使役する時点で俺は十分人間離れしてるけどな」

「そうやって卑下しない!」

 真面目な場であったはずが痴話喧嘩じみた会話が混じる。

 そんな音だけ聞き取れていた感覚も薄れてきた。歪む視界に足が映り込む。

 体が揺らされる。痛い。遠のいていく。離れていく。闇が、訪れる。

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