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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
119/141

5-9 餓霊の刃

 刀匠。一般的には刀鍛冶と呼んだ方が通りがいいかもしれない。

 文字通り鉄を打ち、鍛えて刀を造り上げることを生業としている。

 鉄の塊から生物を殺傷せしめる道具を生み出すことをどう捉えているのか。

 相滝(さがたき)の瞳は鋼のような揺るがぬ意志を宿して俺を見ている。

 笑みには言葉にせずとも他者を安心させるような癒しの波長が感じられた。

 厳格な雰囲気は口調とこの場の異様な空気と服装から来るもので、実年齢はそう老いてはいないように見えた。かといって若いと言い切れるほどでもない。

 千影より一回り上の三十代というところか。相滝が口を開く。

「何故こんなところで刀を造っているのか、とでも問いたいか」

「……いえ。それ以前に、俺達が何者か理解しているのですか」

「当然だ。悪を討ち滅ぼす日陰者の執行者であろう」

「逆に、悪鬼羅刹となりうる危険性を(はら)んでいるとは思わないのですか」

「ふむ。貴公は悪鬼羅刹となるために千影殿の下に参じたと申すか」

「…………今は、まだ直接染まってはいません。

ですが、いずれ同じ悪鬼となると思います」

「他者を害すれば悪鬼、か。捉え方の問題であろうな」

 相滝が目を細めた。木漏れ日が差し込む森の中で二回り年上と対峙する。

 千影が呆れた顔で俺を見ている。

 赤亜(せきあ)は知らぬと言いたげにそっぽを向いていた。

 出過ぎた物言いだとは理解している。

 それでも、どうしてか危険だと思えた。

 この地に渦巻く何かが語りかけてくる。空気を媒介にして触れてくる。

 何かは分からない。分からないからこそ、恐ろしいのだと思う。

「時を要する事案のようだ。まずは、我が工房まで案内しよう」

 俺の返事を待たずに相滝は振り返って歩き始めた。千影と赤亜がそれぞれの目で俺を一瞥(いちべつ)してから後に続いて進んでいく。

 俺は、すぐに動き出すことができなかった。

 肩を叩かれる。

 瞬時に反応して目を向けると驚いた顔の八千翔(やちか)と目が合った。

「びっくりしたぁ。ほらほら、ぼーっとしてないで。置いてっちゃうよ?」

「無視して置いてけばいいんだよ」

「また(うい)ちゃんはそんな意地悪を言う……」

「誰彼かまわず噛みつく狂犬みたいなアホだよ、このエロガキは」

「初ちゃんも昔そんな感じだったよ?」

「嘘だ! そんなわけないっ」

「同属嫌悪って奴じゃないのかなぁ」

「違うって!」

 言い争いながら八千翔と初が相滝の後を追って進む。

 俺も見失わぬよう歩く速度をあげていく。歩きながら全方向に広がる自然を視界に収める。かの訓練所に来るまで、これほど広大な緑を見たことはなかった。

 上方から小鳥の鳴き声が響いて降り注ぐ。

 どこか遠く犬か狼かが()えている。

 歩み進む道のところどころに(こけ)の生えた石や朽ちた枝が転がっていた。雑草が生い茂り、木々の間から漏れる光を受けようと名も知らぬ花や樹木が枝葉を伸ばしている。

 整備はされていないものの、踏み慣らされた道は歩きやすい。道筋のない獣道というわけでもなく、コースから外れるような箇所には黒と黄色のロープで封鎖されていた。

 警告札はない。

 見張りがあるわけでもない。

 近付こうと思えば近付ける。

 何故隔てているのか。

 その先に何があるのか。

 好奇心と僅かな畏怖の境目。

 右手を伸ばす。見えない不確かな何物かを目指して五指を広げる。

 手がロープの上を越えようとして、止まった。いや、止められていた。

「亮くん。興味で彼らに触れると、食べられちゃうよ」

 音もなく戻ってきた八千翔が俺の腕を掴んでいた。

 少女の暖かさや気恥ずかしさを口にする状況ではない。

 瞳には普段見せない鋭さがある。

 俺はゆっくりと拳を握り、腕の力を抜いた。

 越境の意志が失われたことを確かめて、八千翔も俺の手を解放する。

 五指を開き、自らの手を確認する。

 指先が炎に近付きすぎたかのようにひりつく。

 顔をあげると皆が立ち止まって俺を見ていた。相滝が口を開く。

「この不治御剣は日本国において有数の霊峰であると同時に、

自らの生命をなげうつ粗忽者(そこつもの)が多く集まる地でもある。

自死者の中には未練を残し、現世を彷徨(さまよ)う者達もいる」

「……幽霊がいる、ということですか。この、科学の時代に幽霊なんて」

「信じる信じないは自由。だが、貴殿は既に多くの化学(ばけがく)で解明できぬ事象を目にしたのではないのか。常人の触れざる領域に踏み込んだのではないのか」

「見て、きました。人の領域を超えた力と、ヒトという概念の枠を超えた邪悪を」

(とお)にも満たぬ年で多くの悲劇を見てきたのであれば、

(よこしま)な気に惹かれるのもやむなし、というところか。

大方、彼らに(いざな)われたのであろう。

同じ奈落(ばしょ)()ちよう、共に()こうとな」

「俺は…………」

 言葉が続かない。この体が何に導かれていたのか。

 思い返せば不治御剣の一部である森に近付いた時から予兆があった。

 何かがいて、何がいるか分からなくて恐ろしいと感じていた。

 邪気に襲われ囚われていた心には、武具を生み出す男の威容が脅威に思えた。

 自らを守るため、正体不明のものに立ち向かうために抗い、噛みついてしまった。恐らく、八千翔や初は理解していながら止めなかったのだろう。

 無論、千影や赤亜もあえて見守る方針を貫いたのだろう。

 唇を噛む。俺は、甘い。

 まだ、この薄暗い山の道程に立ち尽くしている。

「……申し訳、ありませんでした」

「どういった意味での謝罪だ。誰に対してか。何に対してか」

「表面だけで、外見だけで見誤りました。

あなたは、俺達というものを理解していた」

「来々木殿。我は責めているのではない。

貴殿が気付きを得たのであれば、それでよいのだ」

「ですが、こんな無礼を働いておきながら」

「よいのだ。大いに間違えばよい。失敗が成長の糧となっていく。

貴殿の行いは誰かを傷つけたわけでも、己に利したわけでもない。

まだ幼い身なのだ。過ちを糧として己の血肉とし、前へ進めばよい」

 鋼色の瞳は慈愛に満ちていた。

 実の父親に諭されているようでもあった。

 間違えてもいい。過ちは正せばいい。糧にして前に進めばいい。

 だが、千影は(ゆる)さなかったのではないか。

 常倉とその一派を鏖殺(おうさつ)した。

 今も、日本の権力層を害しようとしている。

 日本の法的見解も同じだ。罪を犯す人そのものを憎まず、罪を憎む。

 その罪は人が犯す。では、何を憎んで誰を殺せばいい?

 答えは出ていない。力を持たぬ理想が悪なのか。

 悪を絶対的な力で叩き潰すことが正義なのか。

 人は時期によって過ちを正す機会すら(うしな)われねばならないのか。

 結論を出せるほど、まだ俺は強くない。精神的にも、肉体的にも。

 寒気が走った。震わした体は冷えている。

 太陽の位置が変わったのか、雲に遮られたのか陽光は消え失せて薄暗い。

「……先を急ぐとしよう。続きは到着した後で、だ」

 言い放って、また相滝が歩き出す。千影と赤亜が無言で続く。

 初が何か言いたげな目で俺を見たが、八千翔に制されていた。

 少女二人が歩き踏み固めていった場所を見る。

 黄金虫(こがねむし)が誰かに踏み潰されていた。

 小さく息を吸って、吐く。虫の死骸を避けて俺は後を追った。




 原生林の中を縫う道を進んでいくと、瓦ぶきの家屋が見えてきた。

 横に幅広い建物が十字重なっている。右の端に煙突があった。

 あちらが工房で、隣接する方は居住区なのだろう。

 相滝の足は工房の方へ向かっている。

 入口付近では弟子か手伝いだかが(せわ)しなく走り回っている。

 一人の男が相滝を見て破顔した。

「先生! お帰りなさいませ。早速、準備の方を……」

「頼む。客人用の椅子と、儀式の準備も並行して欲しい」

「承りました。どうぞ皆様、こちらの方へ」

 事務的な言葉を交わして、笑顔で出迎えた弟子が手で示す。

 笑みと共に頷いて返し、千影が工房ではなく居住区の方へ向かう。

 準備が整うまで待つ客間へと通されるのだろう。

 赤亜や八千翔、初に俺と続く。

 案内された場所は畳の間だった。

 どっしりとした机が中央に鎮座している。

 周りには既に座布団が敷かれていた。順に奥から席を埋めていく。

 座ると先程とは違う、壮年の女性がお茶と菓子を出した。一礼して去っていく。

 客間に残された俺達は、特に指示が飛ぶこともなく思い思いに時間を潰す。

 千影が茶を一口飲んで感銘を受けたように頷く。

 赤亜は同じように茶を飲んで苦そうに表情をしかめていた。

 反応を見て初は茶に手をつけず、菓子だけを頂く。八千翔はさも当然というように胸元からスティックシュガーを取り出して茶に投入していた。

 あえて突っ込まず、俺は茶を一口飲む。

 苦味を感じる以前に熱すぎて飲めなかった。

 程なくして先程の弟子が顔を見せた。相滝の姿はない。

「準備の方、整いましたのでご案内させて頂きます」

「よろしくお願いします」

「すみません。工房の方ではないので、そのままこちらへ……」

 答えた赤亜が外へ出ようとして止められた。工房の方ではないらしい。

 赤亜の後に千影が続いて八千翔、初の背を俺が追って板張りの床を進む。

 右に一度、続く角を左にと入り組んだ構造の家屋を案内されるまま歩いていくと、壮年の女性手伝いが待ち構えていた。

 弟子と一緒に組子紋様が施された戸を開く。

 通された場所は客間よりもさらに広い和室だった。

 ()かれた香が鼻をくすぐる。

 室内には机はなく、座布団が並べられている。

 座布団の前に時代劇の切腹シーンで見るような台座が並んで置かれていた。

 その上には二振りの刀が置かれている。

 片方はコンバットナイフと同程度の短刀。もう一方は直刀の脇差だった。

 向かい側には武骨な太刀が安置されている。どれも柄は白木造りだった。

 荘厳な雰囲気を(まと)っている。いや、正直に言ってしまえば俺は刀という凶器に対して、明確な畏怖を覚えていた。

 相滝の姿はない。三振りの刀を見渡せる位置に黒塗りの甲冑があった。

 小さく丸い椅子に座した姿で配置されている甲冑は、今にも動き出しそうな威圧感がある。実際、甲冑がゆっくりと立ち上がった。

 面頬が外される。

 (あら)わになったのは、鋼色の瞳に鋭さを宿した相滝の顔だった。

 何をやっているのか。何のつもりなのか。そんな言葉は口から出なかった。

 立ち尽くしたままの俺を置いて千影と赤亜が動く。

 甲冑を着込んだまま、畳の上に座した相滝の正面へ腰を下ろす。

 八千翔がゆるりと歩を進めていく。

 短刀の置かれた座布団の前で膝を着く。

 続いて初が直刀の脇差が置かれた座布団の前に移動した。

 残るは太刀だけ。やけに静かだった。全てが死んで絶えたような空間。

 一人だけ、茫然と立っていると弟子が紫の包みを手に持ってきた。

 やけに長い得物が座す赤亜の眼前に差し出される。

 言葉なく受け取って、包みが開かれる。八千翔や初の前に置かれた刀とは違い、(こしら)えも完成された逸品だった。

 鮮やかな朱色の鞘に、持ち手には幾重にも紐が巻かれている。取り回しは通常の刀のそれではなく、薙ぎ払いや刺突に用いられるであろう形状、だと思う。

 さらに別の包みが運ばれ、千影の前に差し出される。

 頷いて、千影が包みを開く。藍色の鞘に収まった日本刀を手にし、静かに刀身を世界に晒す。室内灯に照らされた黒刃から禍々しい気が発されていた。

 空気が重くなる。胸が苦しい。自らの鼓動がやかましい。

 満足したように深く頷いて鞘へと戻す。

 刀身が隠れると同時に、息苦しさは消えた。

 息を吐く。侵蝕された何かを外へ出すように、長くゆっくりと吐き出す。

 短く、早く呼吸を繰り返していく。昂る感情を抑えようともがく。

 左胸に手を当てる。この鼓動は救われた命だ。小百合に守られた脈動だ。

 怖い。恐ろしい。おぞましい。おどろおどろしい。

 唇が渇いている。舌で湿らす。言葉が出ない。出る気がしない。

 立ち尽くす俺を気にも留めず、弟子は粛々と儀式を進めている。

 深緑の風呂敷に包まれたものが運び込まれた。

 畳の上に置かれ、弟子が包みを開く。

 黒い布に覆われた小さな円状のものと、大きな円状の物体が白木造りの刀の近くまで運ばれる。八千翔と初がそれぞれ手にとって包みを開く。

 出てきたのは丸い鏡と黒塗りの盆だった。

 八千翔が鏡を刀のある台座の左へ置く。対して初は右側へと置いた。

 弟子が水甕(みずかめ)を運んで来る。

 中の液体が強い臭気を発していた。

 何らかの薬液と思しき液体を盆に張っていく。

 八千翔と初、そして空いた席にも同様に盆と鏡が配置された。

「全て整いました。これにて、失礼いたします」

 弟子が畳に膝をつき、丁寧に礼をして辞した。

 戸が閉められ、外界と隔離される。

 去りゆく足音が遠ざかっていき、再び室内に静寂が満ちていく。

 千影も赤亜も、八千翔も初も沈黙を保っている。誰も俺を導かない。

 叱責することもない。無為に時間だけが流出していく。

 どれほどの時間が経ったのか。それとも数分も経っていないのか。

 甲冑を着込んだ相滝が立ち上がる。

 奥の壁へと向かい、飾られていた刀を一振り手に取った。

 柄を握り、刀身を引き出す。

 歩いて、座っていた場所へ戻ると畳へ刃を叩き込んだ。

「これより、刀霊の儀を執り行う」

 低い声で相滝が告げた。

 言葉を受けて、八千翔と初が白木造りの刀を手に取る。

 それぞれが置いた鏡の上に利き手を掲げ、手のひらを上に向ける。

 八千翔が右手で短刀を握り、薬液に浸した後で腕に刃を当てる。

 同じように初も左手で腕に刃を当てていた。

 やや位置はずれているが、リストカットの態勢だ。

 一体、何のために……いや、この状況では〝そうする〟以外の動きはない。

 やらないのであれば、何故凶器を肌に当てるのか分からない。

 違う。どうして〝そうする〟必要があるのだ。何のための儀式なのだ。

 理解できない、目の前の状況を受け入れたくないが、現実は動いている。

 ほぼ同時に八千翔と初が手を動かし、それぞれの柔肌を与えられた刃で切り裂いた。鮮血が飛び散るさまを、千影と赤亜が見守っていた。

 俺もただ目にするだけだった。

 八千翔も初も苦痛を漏らさない。痛みがないわけではないはずだ。

 初は小さく唇を噛んで苦鳴を押し殺している。

 八千翔は微笑みながらも、どこかぎこちなかった。

 血に濡れた刃を、台座に置かれていた懐紙で(ぬぐ)う。

 拭き取る手は流血したまま、止血する様子はない。

 拭き取った後の刀は元通り、それぞれの台座へと戻された。

 与えられた刀で自傷し、また戻す。

 このような行為に何の意味があるのか。

「何故、どうして無為な自傷を……そんな顔をしているな」

 相滝の声で、ようやく俺は体を縛る何かから解放された。

 足が動く。一歩を踏み出す。勢いのまま、ゆっくりと用意された席へと向かう。

 誘蛾灯に導かれる虫のように、凶器の前の座布団に座った。

 顔をあげると正面に座る八千翔と初が見える。

 二人はそれぞれ自傷した箇所に別の真新しい懐紙を当てていた。

 視線を下げる。まだ血に、生物に触れていない太刀を睨む。

「刀霊の儀は、刀剣を殺人に用いる者の心構えである。

まず自らを斬り、意志と覚悟を示す。衝動に駆られず、狂気に

染まらず目的のために刃を振るうことを我に見せてもらうのだ」

 俺が言葉を返す前に、相滝が連ねてくる。

「我は見届けるのみ。守るために斬るのか、

変えるために斬るかは担い手次第である」

「俺にも、この刀を……?」

「貴殿の精神を汲み取った。正義を信奉し、世界を変えようとした。

だが、届かなかった。立ちはだかる圧倒的な壁を破れなかった。

打ち砕くための武器がなかった。そして今……強大な力を欲している」

 痛いところを突かれていた。

 事実である以上、言い返すことはできない。

 力が欲しい。強大な外敵と立ち向かえる能力が欲しい。

 身体能力で常人より勝っていても、多数と戦うには異能がいる。

 それこそ、ヒーローが持つような特殊能力が、要る。

 先に意志と覚悟を示した八千翔と初は、台座に置いた刀に手のひらをかざしていた。何かを待つように、(まぶた)を閉じて息を殺す。

 そのさまは祈り願っているようにも見えた。

「……あれも、儀式の一部なのですか」

「貴殿も欲するのであれば、示すがよい。日本男児であれば特に、な」

「実際に体感しろ、ということですか」

 何を行っているかは当人しか分からないということか。

 いや、見守る千影や赤亜は既に経験していることのはずだ。

 二人は八千翔と初が刀剣と向き合うのを、ただじっと見つめている。

 先に反応があったのは初だった。

 かざした手が動いて、左手で白木の柄を握る。

「そう。わかった。あたしは切田 初。罪を切り裂く刃でありたいんだ」

 誰に向けたものか分からない言葉が室内に落ちる。

「うん。そう。アンタが使えばいい。あたしを吸って、解き放てばいい」

 相滝も千影も赤亜も答えることはない。初の独白が続く。

「誓うよ。アンタの力で悪い奴をぶった切る。地平線の彼方まで届かせてやる」

 多分、会話しているのだろう。この場にいる誰かとではない。今、手で触れている刀と対話しているのだ。気が狂ったのかと思ってしまう光景ではあるが、誰も異を唱えないし言い出せるような雰囲気ではない。

 俺自身も改めて目の前の太刀を見た。引き込まれそうな、何かを感じる。

 刀剣そのものが俺を呼んでいるかのようだった。

「アンタは〝狂想空破〟……あたしと一緒に、壁を切り拓いていく絶対の刃」

 空気を割り断つ鮮烈さをもって、初が自らの()く道を言葉で示した。

 視線の延長線で、瞼を開いた初と目が合う。狂想空破(きょうそうくうは)と呼んだ脇差の刀身を鞘に収めると、体を引いて座布団に座り直した。

 膝の上へ、大事そうに白木の鞘を置く。

 俺を見る初が小馬鹿にしたような表情になる。

 声には出していないが、唇は〝なんだ。まだ覚悟すら示していないのか〟と(あざけ)っていた。

 口で反論しかけた時、室内の空気が変質した。

 何の前触れもなく八千翔の掲げた右手に火花が散る。瞬時に酸素を燃焼し、一瞬の炎となったのを間近で確認した初は、反射的に体を退いていた。

 至近距離で燃え上がったのだから、八千翔も火傷を負っているはず。

 だが、当人は全く動じていない。焦げた香りがする。

 一部が黒くなった柄を八千翔が握っていた。

「こら、暴れないの。あなたは私と共にいくんでしょ?

力は貸してもらうけど、主従はしっかり決めておかないとね。

私、遊ぶのは好きでも(もてあそ)ばれるのは嫌いだから」

 八千翔も誰でもなく、短刀と会話を交わしている。短刀そのものから発される圧迫感と競い合うように、八千翔も霊力の波動を放っていた。

 散発的に火花が散って炎が生まれては消えていく。

 何度か繰り返すうち、自然と八千翔は短刀を手にして立ち上がっていた。

 無理矢理に意志を掌握するかのように刃を振り回す。

 斬撃の後を沿うように紅の軌跡が走ってく。まるで導火線のように、後追いで線が燃え上がり紅蓮の戦列を形成する。

 周囲に飛び火するも、巻き起こった風が防壁となって炎弾同士をぶつけ合い、相殺していく。相滝の力なのか、赤亜の天使の力なのかは不明。

「このっ……言うこと聞きなさいっ! あなたは私の霊力を糧にする!

対価として私に使いこなされる! それが絶対条件よ……〝神火〟!」

 幾重もの軌跡を描き、炎を走らせながら八千翔が名を呼ぶ。

 呼ばれた短刀が最後の抵抗と空気を振動させ、燃え上がるも炎ごと鞘に叩き込まれてしまった。暴れん坊を鎮めた、とでも言わんばかりに豊かな胸を見せつける。

 そのさまを見ながらも、俺の視線は太刀を中心として離れない。

 相滝が苦笑しつつも八千翔の奮闘を湛えているが、耳に入らなかった。

 右手で刀を手に取る。重い。恐らく、これから斬り捨てる命の重さなのだろう。

 切って斬って捨てて棄てて、数多の屍を築き上げることになるのだろう。

 信念を貫くためならば。悪を打ち砕いて正義の一本槍を通すには。

 まるで最初から剣術を習得していたように、自然な流れで体は動いた。

 導かれ、誘われて刀を手に取り自らの腹部へと突き刺す。

 驚愕の声が響いていた。遠い。

 罵倒やら叱責が飛んできていた。痛い。

 何かがこぼれていく。大事なものが流出している。

 俺は手にした刀の叫びに応じて、まず自らに巣食う悪を貫き殺したのだった。

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